第20話意外な来訪者

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 翌日から作業部屋を一室借りると、みなもは城で薬の調合に取りかかる。

 倉庫から部屋までの材料運搬や、石臼で薬に使う木の実を挽いてもらう力仕事などの雑用は、レオニードと浪司に協力してもらった。


 みなもは愛用の薬研で黙々と薬草をすり潰し、大壺の中で煮込んでいく。

 そのまま沸々と生まれる泡をジッと見つめた。


(これで焦がさず煮込めば完成だな。次は麻酔薬に取りかからないと……)


 レオニードに倉庫から材料を運んでもらおうと思い、みなもは周囲を見渡す。しかし、その姿は見当たらない。

 代わりに隅のほうで重い臼をゆっくり回していた浪司と目が合う。途端に彼は歯を見せてニッカリ笑った。


「どうだ、ワシもちゃんと仕事してるぞ。偉いだろう」


 胸を張って誇らしげな浪司が、人に飼い慣らされて芸を覚えた熊に見えてくる。

 姿を見ただけで息抜きになると思った途端、みなもは笑いがこみ上げてきた。


「偉い偉い。今度お礼に、おいしいハチミツ酒をおごるよ」


「おお! そりゃあ嬉しい。ハチミツは大好物なんだ、壺いっぱいに入ってても足りないくらいだぜ」


 ……本当にこのオジサンは人の皮を被った熊だね。

 密かに突っ込んでから、みなもは「ところで」と話を切り替える。


「レオニードは? さっきまで後ろで作業をお願いしてたけど……」


「さっきって、お前……あいつがここを出てから一刻ぐらい経ってるぞ」


 呆れ顔で浪司に言われ、みなもは少し恥ずかしくなって頬を指で掻く。


「そうだったんだ。どこへ行ったのか知ってる?」


「負傷兵が集められた兵営のほうにいるぜ。できた薬を持って行きがてら、ボリスっていう身内の様子を見に行くって言ってたぞ」


 昨晩レオニードの胸を借りていた時に、彼がぽつりぽつりと話していたのを思い出す。


 レオニードが住んでいる家は、本来なら兵役をこなす若い親類が集まって寝食をともにしていたらしい。

 それが戦争に駆り出され、一人は命を落とした。

 ボリスという青年は深い傷を負い、兵営で治療を受ける形となった。


 ここに戻る事ができて嬉しいが、静まり返った家に戻るのは怖かったと、彼には珍しく弱音を吐いていた。

 その思いは、みなもには痛いほどよく分かった。


(俺がいる事で少しでも気が楽になったのなら良いけれど……)


 小さく息をついて気持ちを切り替えると、みなもは浪司に向かってニッコリ笑った。


「じゃあ浪司、倉庫までひとっ走りお願いするよ。乾燥させた涼薄荷とタマウチ草を一袋ずつ持ってきて欲しい」


「おう、分かったぞ。丁度ひと休みしたかったところだ。息抜きがてらに行ってくる」


 快い返事をすると、浪司は石臼を使い続けて強張った腕をブラブラさせながら部屋を出て行った。


 みなもは軽く手を振って見送った後、再び大壺の中の様子を確かめる。

 柄杓でゆっくり混ぜていると――。


「これは何の薬なんだ? 臭いがきついな」


 不意に横から若い男の声がした。

 初めて耳にする声。緊張が走り、みなもは素早く彼に振り返る。


 みなもの目前に、半開きの眠そうな目が現れる。

 薄い赤銅色の髪を真中で分け、うなじで毛先を跳ねさせている。背丈はみなもと同じくらいで、男性にしては小柄なほうだ。若い身でありながら重厚感のある藍色の服を着こなしているあたり、彼から身分のよさを感じずにはいられない。


(ヴェリシアの貴族か? 随分ゆるそうな人だな)


 彼の好奇心を隠さぬ無邪気な瞳に気を許し、みなもは微笑を零した。


「これは解熱の薬になります。この臭いのおかげで、気つけ薬にもなりますよ」


「ハハ、使われる者には災難だな。余も風邪を引いて熱を出さぬようにせんとな」


 ひとしきり笑ってから、男はみなもの目を見つめる。

 口元は笑みを浮かべたままだが、その眼差しは真摯なものだった。


「……レオニードからそなたの事を聞いたぞ。あいつは余と身分こそ違うが、大切な友人――レオニードの命を救ってくれて、心から感謝する」


 そう言うと男は手を差し出してきた。

 一抹の後ろめたさを感じながらも、みなもは彼と握手を交わす。


「私も薬師のはしくれですから、お力になれて何よりです。……あの、私はみなもと申しますが、貴方のお名前は?」


「すまぬ、名乗るのが遅くなってしまったな。余は――」


 手を放して男が名乗ろうとした時、部屋にレオニードが戻ってきた。

 彼を見るなり、レオニードは慌ててその場に跪いた。


「マクシム陛下、なぜこのような場所に!?」


 仰々しい様子にみなもは思わずたじろぐ。

 そして目前の男が何者なのかという事に気づき、レオニードにならって跪こうとした。

 が、マクシムが「構わぬ」と首を振ったので、みなもは動きを静止する。


 この軽そうな人が王様?

 理解が追いつかず混乱するみなもへ、マクシムが一笑した。


「みなもは余の大切な客人……公の場でなければ、並んで話をするぐらい構わぬだろ。レオニード、お前も立ってくれ」


「……御意」


 レオニードは戸惑いながら立ち上がると、みなもの隣に並んだ。

 実直で堅い反応を見て、マクシムはおどけて肩をすくめる。


「お前の恩人に一目会いたくてな。近くを通りかかったから寄ってみたんだ。想像していたよりも若くて美人だな。もし女性だったら口説いていたところだ」


 ……男のフリをしていて良かったな。王様相手に断るのは面倒そうだし。

 みなもが密かに安堵していると、マクシムは気軽にレオニードの肩を、ぽんっと叩いてきた。


「彼はお前にとっても、他の者にとっても命の恩人だ。失礼のないよう、手厚くもてなしてくれ」


「はい、心得ております」


 マクシムの親しみある態度に対して、レオニードの声は硬いままだ。

 みなもは瞳だけを動かして隣を見やる。調子を崩されてレオニードが困ったような表情を浮かべていた。

 それを見てマクシムが、フッと表情を崩した。


「その生真面目な顔を見られるようになって、余は嬉しいぞ。まだ長旅の疲れも残ってるだろう、あまり無理をするなよ」


 満足げに頷いてから「おお、そうだ」とマクシムは話を切り替え、みなもに視線を移した。


「レオニードから話を聞いたが、みなもの仲間は北方の人間に襲われ、離れ離れになったそうだな」


 わずかに目を伏せ、みなもは小さく頷く。


「はい……八年経った今も、仲間の足跡はおろか、生死も分かっていません」


「王の名と誇りにかけて、ヴェリシアの人間が襲っていないことは断言しよう。それから、バルディグの情報も手に入れ次第、みなもに伝えることを約束する」


 レオニードの話を疑っていた訳ではないが、王から直々に言って貰えると心強い。

 みなもは「ありがとうございます」と一礼した。

 顔を上げると、マクシムの口がさらに言葉を紡いだ。

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