第11話レオニードの決意
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
大通りから逸れた小道をそのまま歩いていくと、白壁の簡素な民家が立ち並んでいた。どこを見渡しても商人や観光客らしき姿は見当たらず、すれ違うのは地元民と思しき老婆やのんびりと散歩を楽しむ猫ぐらい。そんな街の雑踏から離れた所に浪司は宿を取ってくれた。
外観は民家と変わらない。しかし部屋へ通されると意外に品のよい家具やベッドが置かれており、心地良い清潔感が三人を迎えてくれた。
レオニードが部屋を見回していると、みなもが部屋へ入るなりベッドに倒れこむ。
「良いお店だったけど、変な奴に触られて……疲れた」
「気にすんな、あれぐらい。尻を撫でられるよりマシと思え」
大口を開けて笑いながら、浪司は窓を開けて手すりに腰かけた。
レオニードもベッドに腰かけ、窓からそよいでくる風に感じ入る。火照っていた体が冷やされ、肩から力が抜ける。耳を澄ませてみると、空に響く海鳥たちの声が聞こえてきた。
「一休みしたらどっか出かけるか? ……んん?」
浪司が奇妙な声を出してベッドを見る。つられてレオニードも目を向けると、みなもが小さな寝息を立てて眠っていた。
「寝るの早っ。ま、それだけ疲れていたってことか」
声を落として浪司は笑うと、レオニードに顔を近づけて声をひそめる。
「ワシはこれからカジノで遊んでくるが、お前さんも一緒に来るか?」
レオニードは小さく首を振り、浪司を一瞥する。
「悪いが、俺も休ませてもらう」
「つまんない男だなー。お硬いヤツは人生損するぞ? ワシの生き様を見ておけよ、一発ドカンと当ててやるからな」
そう言って浪司は部屋を出ようとして立ち止まった。
「あーそうそう。ついでだからヴェリシア行きの船券、買ってきてやるぜ」
再び歩き出した浪司の背をレオニードは見送る。彼の言動に呆れることはあるものの、意外と気遣いのある男だ。今まで周りにいなかった種類の人間で、未だにどう接すればいいか分からないが。
廊下の足音が完全に消え、部屋に心地よい静けさが流れる。無音ではなく風や外の雑音が丁度よい。しっかり休めそうだと、レオニードは態勢を崩してベッドへ横たわろうとする。
隣りで眠るみなもが視界に入り、動きを止めて彼を見た。
起きている時は気付かなかったが、寝顔は随分あどけない。肌も滑らかで、少女のように瑞々しい。年は十八だと聞いているが、とても成人に近い男性とは思えなかった。
(……こういう顔もするんだな)
初めて会った時から、みなもは自分の素顔を見せようとしない。
常に「何でもない」と微笑で己を隠し、相手の出方をうかがっている感がある。誰に対してもだ。
それが馬車に酔ってから、崩れてきている。ずっと張りつめていたものが、緩んでいるような……みなもには悪いが、少しは心を許してもらえている気がして嬉しかった。
この命を助けてもらっただけでなく、仲間の命も助けてもらおうとしている恩人だ。
できれば彼の力になりたい。きっと彼はそれを望んでいないのだろうが。
(無理もない、か。子供の時分にあんな目にあって、今まで一人で生きてきたんだ。しかもそんな目に合わせたのは、俺と同じ北方の人間……)
一体どうすれば、彼に報いることができるだろうか?
どれだけ考えても答えは出ず、レオニードは額を押さえた。
「ん……」
微かにみなもが身じろぐ。寝苦しいのか眉間に皺が寄っている。妙にその顔が艶めかしく目のやり場に困る。
自分も仮眠を取ってやり過ごしたほうがいいかもしれない。
そうは思っても、レオニードはみなもから目を離せず息を呑む。
次第に寝息が乱れ、みなもが辛そうにうめく。
そして口を動かし、どうにか聞き取れる声で呟いた。
「いずみ、姉さん……」
高く澄んだ声にレオニードは固まる。
どう聞いても男が出せる声ではない。あまりに柔らかく、甘さすら漂っている。
(まさか、本当は女性なのか? ……い、いや、単に歳を誤魔化しているだけかもしれない)
まだ声変わりを迎えていない少年ならば、今の声も腑に落ちる。
だが、もう一つの可能性が頭から離れない。
どちらにしても己を見せたがらないみなもにとって、知られたくないことだろう。
見るに見かね、レオニードは立ち上がってみなもの肩を揺すった。
「みなも、起きろ。大丈夫か?」
すぐにみなもは目を開けず、うなされ続ける。
と、急に置き上がり――レオニードの胸元へ抱きついてきた。
「姉さん、行かないで!」
不意打ちの締め付けと涙声に、レオニードの胸が詰まる。
身内と離れた時の夢を見ていたのだろう。そう思うと不憫でならない。
みなもを落ち着かせようと、レオニードは彼の背中を撫でようとした。
手に、何か硬いものが当たる。
(これは……胸当てか?)
疑問に思った矢先、みなもの体が弾かれたように離れた。
紅潮した頬から色香が漂い、レオニードの鼓動が大きく脈打つ。
睫毛を伏せて細い長息を吐くと、みなもは立てた膝に腕を乗せてうつむいた。
「ごめんレオニード、嫌な夢を見た。たまに見るんだ……村を襲われて、家族や仲間を殺されて、姉さんと離れる夢。肩を揺すられて、姉さんが戻ってきたかと思ったよ」
自嘲気味にみなもが「そんな都合のいい話、あるはずないか」と呟く。
涙こそ出ていないが、丸まった背中が泣いているように見える。
しかし再びみなもが顔を上げると、いつもの気丈な顔に戻っていた。
さっきまで儚げだった瞳の光は力強くなり、危うい弱さを隠す。
ずっとそうやって仲間や家族を失った悲しみや、一人になった心細さに耐えてきたのだろう。
不意にみなもが泣くまいと意地を張り続ける子供のように見えた。
何の慰めにならないと分かっていても、思わずレオニードは手が伸ばし、少し寝乱れたみなもの頭を優しく撫でた。
怒られる事を覚悟していたが、意外にもみなもは微笑を浮かべた。
「フフ……懐かしいな。いつも怖い夢を見た時、姉さんがこうしてくれたから」
そう言ういながら、みなもはやんわりとレオニードの手から離れてこちらを見上げる。
「ありがとう。少し楽になったよ」
みなもの穏やかな言葉や表情とは裏腹に、「もうこれ以上、深く関わるな」と突き放された感じがする。
初めて言葉を交わした時から、彼は強い人だと思っていた。
ただ、今はその強さが悲しい。
不意に抱きしめたい衝動に駆られたがレオニードは思いとどまる。
今は何をしても、みなもを追い詰めるだけだ。そして自分の心も冷静に彼と向き合えない。
「……そうか。それなら良かった」
釈然としなかったが、レオニードは引き下がる。
しかし引き下がりながらも決意する。
全力で彼を守り、力になろう。
――彼が何者であったとしても。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます