第10話暗紅の瞳の男

 山を降りてから整地された道を進み、小高い丘で馬車は止まる。


 みなもが外へ出ると、丘の下に賑やかな街並みや港に停泊する様々な船が目についた。海風に帆や店の旗がたなびき、街の向こうには藍と緑の海が混じり合い、日差しを浴びて美しく輝いている。


 顔に当たる日差しが強く、みなもは目を細めた。

 足元がふらついてしまい、丘からザガットの街へ続く階段に腰かける。馬車酔いが抜けず、まだ体が揺れている感じがする。下を向いたら吐きそうだった。


 みなもは強引に頭を上げ、ザガットの入口を眺めた。手前はまばらだが、街中に入れば入るほど出店が増えている。人通りも多い。

 次は馬車じゃなくて、人ごみに酔いそうだ。静かで穏やかだった山村が懐かしい。

 みなもが遠い目をしていると、隣に来た浪司が目前で手を振ってきた。


「歩けそうかーみなも? 無理だったら担いでやるぞ」


 心配させまいと、みなもは吐き気を呑み込んで微笑んだ。


「大丈夫、どうにか歩けるよ。ただ、ちょっと静かな所へ行きたい」


「任せてくれ。ザガットはよく来ているから、ワシの庭みたいなもんだ。いい穴場があるから連れて行ってやるぞ」


 口端を上げてから、浪司は後ろを向き「それでいいか?」とレオニードへ尋ねる。

 無言で頷いてからレオニードはみなもに近づき、手を差し伸べた。


「みなも、立てるか?」


 少しレオニードの大きな手を見つめてから、みなもは頷いて彼の手を取る。そのまま力強く手を引かれ、なんの苦もなく立ち上がることができた。

 以前なら北方の人間の手につかまるなんて、と思っていただろうが……慣れるものだと、みなもはわずかに苦笑した。


 浪司を先頭にして、さっそく階段を下りてザガットの通りに足を踏み入れ――すぐに横道へ逸れて、幅の狭い小道に進んでいく。両脇に並ぶレンガ造りの建物が陰を作り、疲れた体を日差しから守ってくれる。


 こちらの様子をうかがいながらも、軽い足取りで浪司は進んでいく。後姿を見ているだけでも、活き活きとしている様子が分かった。

 しばらくして、字の消えた小さな看板がぶら下がった一軒のさびれた店の前で浪司は立ち止まった。


「見るからに怪しいけど、何のお店?」


「入ってみれば分かるって。一番みなもが喜ぶ店だと思うぞ」


 まるで自宅へ帰るかのように、浪司は扉を勢いよく開けた。

 中から数多の香りが漂い、みなもは鼻を動かす。草の甘い匂いやら、鼻を刺す酸っぱい臭いやらが混ざり合って、奇妙な香りになっている。


 レオニードは臭いに顔をしかめたが、みなもは瞳を輝かせた。馴染みのある臭いだった。


「もしかして、この店……」


 残っていた酔いの気配が吹っ飛び、みなもは小走りに店内へ入っていく。


 店主は席を外しているらしく、中に人の姿はなかった。薄暗い店内は、四面を棚に囲まれ、所狭しと壺やビンが置かれている。透明なビンの中から、乾燥した葉や木の実がこちらを見つめている気がした。


「すごい。こんなに薬草を売っているお店、初めて見た」


「どうだ、気に入っただろ」


 こちらの反応を満足そうに見ながら、浪司は胸を張った。


「ああ。ありがとう、浪司!」


 感動を隠さずに、みなもは浪司の手をつかんでブンブン振ると、目の前に並んでいる薬草を見た。


(いい品揃えだ。今度からザガットへ来た時は贔屓にさせてもらおう)


 落ち着きなく瞳を動かし、みなもは棚の薬草を見定めていく。

 その時、奥の扉が開き、腰の曲がった老人が出てきた。


「いらっしゃい……おお浪司じゃないか、久しぶり。珍しいのう、お前さんが知人を連れて来るなんて。ワシがこの店を開いて以来、初めてじゃろ?」


 見た感じ、かなり古めかしい店だ。一体どれだけ昔から出入りしていたのだろう? 小さい頃から来ていたとなれば、この近くに故郷でもあるのだろうか?

 みなもが不思議そうに横目で見ると、彼は「そうかもな」と大口を開けて笑った。


「じーさん邪魔してるぜ。今日は上客を連れてきてやったぞ」


 ばんっ、と浪司に背中を叩かれ、みなもは前へつんのめる。


(手加減しろよ、この馬鹿力。あ、熊だから無理か)


 背中をさすりながら、みなもは老人に顔を向けた。


「ここまで薬草が揃ったお店は初めてです。すごいですね」


 素直な賞賛の声に、老人は気をよくして微笑む。


「この地域で採れる薬草は、何でも揃っているよ。もしかすると、この世で一番の品揃えかものう」


 他の人が聞けば言い過ぎだろうと思うかもしれないが、店内を隅々まで見ると希少な薬草がいくつもある。薬を扱う者から見れば宝の宝庫だった。


 中には組み合わせによって強力な毒を作れる物も揃っている。薬師としても守り葉としても、この品揃えは魅力的だった。


 みなもが目を輝かせて真横の棚を見上げていると――奥の扉が再び開き、閉まる音がした。店の客なのだろう。気にもとめずに、みなもは棚を食い入るように見る。


 ごっごっごっ。

 硬い靴底の音が近づき、みなもの後ろで止まる。


 下から上へ。

 短いみなもの髪を、誰かが首筋から頭に沿って撫でた。


「キレーな黒髪、たまんないな」


 色めいた男の声に、みなもの背筋が凍り付いた。


「離れろ!」


 みなもが叫ぶよりも速く、レオニードが男の手を弾いて二人を離す。


 一体どんな変人だ。みなもは振り返って男を見る。

 そこには白金の短髪の青年が、にへらと口元を緩ませていた。


 北方の人間の割に顔の作りは浅く、笑っているのに目から鋭さは消えない。前髪がすべて上げられているせいか、その目つきが妙に目立って見えた。

 レオニードには負けるが背は高く、珍しい暗紅の瞳を瞬かせている。


「なーんだ、もう売約済みか。こんな美人さんを好きにできるなんて羨ましいなあ」


 男がクスクス笑い、みなもとレオニードを見交わした。羞恥を通り越して、怒りがこみ上げてくる。


 とんでもない勘違いをした上に、人を物扱いしやがって。

 ムッとなったみなもへ、男は「おお、怖い」と身を縮ませ、一歩後ずさる。

 

 ダンッ。

 いつの間にか男の背後へ回った浪司が、男に足を引っかけて転ばせた。


「ワシの連れに何しやがる? さっさと消えねぇと、足腰立たなくなるまでブン殴ってやるぞ」


「いてて、冗談だよ冗談。本気にするなよ」


 男は頭を掻きながら立ち上がり、悠々とした足取りで店を出ていく。

 扉が閉まった後、店主がみなもに頭を下げた。


「すまんかったな。ナウムの奴、普段から目についた人間をからかうんだ。気前がよくて悪いヤツじゃないんだが……」


 顔の皺を深くして「お得意さんだから、きつく言うこともできんし」と、店主はため息混じりに呟く。ナウムという男の迷惑さが、そこはかとなく伝わってくる。


(気づかれないように毒でも使って、痛い目を見せた方が良かったかな。でも――)


 みなもは閉じた扉を、ジッと見つめる。


(足音は聞こえていたのに、触られる直前まで気配を感じなかった)


 何者なのだろうかと気にはなる。しかし、あんな男ともう関わりたくはなかった。


 みなもは扉から目を離し、店内の棚へ視線を戻した。

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