二章:暗紅の瞳の男

第9話馬車に揺られて

 がたん、ごっと。

 険しく荒れた山道は、延々と馬車の車輪を突き上げ続ける。揺れに合わせ、床に座る旅人たちの体が跳ねた。


 幌を被せた大きな荷台の床へ直座りという、山越え専用の大衆馬車。決して乗り心地はよくない。せめてもの救いは、乗る人数が少なく、密集していないこと。おかげでみなもたちが馬車の奥を陣取っても、出入り口から届けられる風を堪能することができた。


「いい風が入ってくるなー」


 浪司は馬車の床にあぐらをかいて座り、気持ちよさそうに背伸びする。そんな余裕に溢れた姿を、みなもは隣から横目で恨めしそうに見やる。


「……ザガットの街は、まだ?」


 口を開くと吐き気が喉まで出てくる。酔い止めの薬は飲んでいたが、予想以上の悪路。その上に村を出立してから七日間、馬車に揺られっ放し。対策空しく、みなもは馬車酔いに苦しんでいた。


 そんなみなもを浪司がニヤニヤしながら見つめてくる。


「あと二刻ぐらいで着くぜ。それまでワシの所に吐くんじゃないぞ」


 嫌なことを聞いてしまった。お陰で気分はさらに悪くなり、みなもの体が横へ崩れ落ちそうになる。


 隣に座っていたレオニードが、咄嗟にみなもを受け止めた。


「大丈夫か?」


「あ、ごめん。こんなことなら、もっと酔い止めの薬を改良すればよかった」


 はあー、と大きく息を吐いて、みなもは出入り口から見える遠くの景色を眺める。これ以上酔いが進まぬための悪あがきだった。


 馬車は山の頂を過ぎ、道を下り始めていた。道の脇を彩る木々も、遠くに広がる森も、新緑の葉が精一杯に手を広げている。住んでいた村から西にあるこの地域は、一年の中で最も力強く緑が息づいていた。


 風に乗って、葉の爽やかな香りが馬車へ入りこむ。鼻で息をすると、清々しい空気がみなもの悪心を癒してくれる。

 浅く息をしながら吐き気と格闘するみなもの頭を、浪司はワシワシとなでくり回した。


「知り合って三年ぐらいになるが、みなものそんな弱った顔、初めて見たぞ。いっつも生意気なところしか見てないから面白ぇなあ。今のほうが可愛いから、ずっとそうしてろ」


 からかいを隠さない浪司をみなもは睨みつける。そんな折、ふと隣で小さく頷く気配がした。

 みなもは睨んだ目つきのまま、瞳を浪司からレオニードへ流す。


「……レオニード、どうして頷くんだよ」


「いや、馬車に揺られただけだ。気にしないでくれ」


 いつも通りに表情はないが、よく見るとレオニードの目があさっての方角を向いている。動揺が読みやすい人だと呆れつつ、みなもは唇を尖らせる。


「男が可愛いなんて言われたら、面白くないだろ」


「そういう意味で頷いた訳では……」


 言いかけてレオニードは言葉を止めて顔を背けた。


「やっぱり頷いたんだ……後でレオニードに飲ませる薬、死ぬほど苦くしてあげるよ」


 やると言ったら本気でやる。そんな思いを察してか、「すまない」とレオニードが素直に謝ってくれた。

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