第8話みなもの事情
嫌な予感がみなもの脳裏をよぎった矢先。彼らは剣を構え、桟橋に踏み込んできた。
「バルディグの兵か! みなも、後ろに下がっていてくれ」
そう言いながらレオニードは素早く剣を抜き、彼らへ立ち向かっていく。
恐らくレオニードを見つけた少年が誰かに話をして、噂が広がったのだろう。それを耳に入れたバルディグ兵が追手を差し向けた――レオニードの後ろ姿を見ながら、みなもは立ち上がって小さく息をついた。
(今までレオニードが自分のことを話さなかったのは、この村にヴェリシアの人間がいるのを知られたくなかったからか。まったく、面倒なことになったな)
相手の目的はレオニードの始末。ついさっきまでは自分に関係のない話だったが……。
目前では追手二人を相手に、レオニードが剣を振るっている。迫り来る剣撃を力強くはね返しているが、まだ体の傷が癒えていないせいで苦戦している。
(なるべく守り葉の力は使いたくなかったけど、仕方ない)
みなもは懐から小さな丸薬を取り出し、口の中で噛み砕く。舌の奥まで痺れが浸透し、顔を全力でしかめたくなるようなえぐみと苦味が広がった。
そして争い続けている彼らの元へと歩み寄っていく。
こちらの動きに気づいた追手が一人、みなもの所へ迫ってくる。
すぐさま腰の短剣を抜き、応戦の構えを見せる。一瞬だけ追手は戸惑ったが、すぐに持っていた剣を振り上げた。
ギィン! 剣のぶつかり合う音が辺りに響く。
刃がせめぎ合う中――急に追手から力が抜け、その場へ崩れ落ち、悶え苦しみ始める。
その姿にみなもは驚かず、一瞥してすぐさまレオニードたちの元へと駆けた。
「レオニード、俺から距離を取ってくれ!」
反射的にレオニードがみなもを見やり、口を開こうとする。しかし目があった瞬間、何かあると察してくれたのか後ろへ跳び引いた。
入れ替わるようにして、みなもが追手たちに対峙する。
追手の二人が剣を振り上げ、みなもを斬りつけようとした。
だが彼らの体は突然硬直し、全身が震え出す。
そして、その場に呻きながら倒れ込んでしまった。
目前の惨状にレオニードが息を呑んだ。
「これは一体……」
「毒だよ。今、俺の体から出ている」
追手たちが微動だにしなくなったことを確かめると、みなもは懐から白い丸薬を取り出して口に含む。
その後に何度か深呼吸をすると、己の手の甲を口に近づけて軽く舐めた。
特に変わった味がしないことを確かめてから、みなもは大きく頷く。
「うん、もうこっちに来ても大丈夫だよ」
目を見張り、しばらく棒立ちになっていたレオニードだったが、ゆっくりみなもへ近づく。まだ警戒しているらしく剣は持ったままだ。
そんな彼へ、みなもは苦笑しながら横目で見つめる。
「レオニードは久遠の花って聞いたことはある?」
「ああ。どんな病でも治すという薬師の一族だという噂は知っている。……てっきり噂でしかないと思っていたが……」」
「知っているなら話が早い。俺は久遠の花を守るため、一族の中で守り葉という役目を担っていた。久遠の花は薬を極めるが、守り葉は毒を極める。要は少し特殊な毒使いだと思ってくれればいいよ。……隠れ里を北方の兵士に襲われて、俺が守るべき花は消えてしまったけどね」
急にレオニードが申し訳なさそうな顔をした。
「……だから仇を見るような目で俺を見ていたのか」
「ごめん、あなたが襲った訳じゃないと分かっていても、心の中で割り切れなかったんだ」
みなもは短剣を鞘に収めるとレオニードに背を向け、桟橋に置いたままの釣り竿を手に取った。
「詳しいカラクリは教えられないけれど、追手はこのまま放置しても大丈夫だよ。今の毒は痺れだけじゃなくて、前後の記憶をあやふやにしてくれる。……俺の力は人に知られたくないからね」
体を起こしてみなもが振り返ると、レオニードはいつになく真剣な眼差しでこちらを見据えていた。
「今まで隠していたことを、どうして俺に話す気になったんだ?」
「レオニードが教えてくれたら、俺の秘密も教えるって約束したから……っていうのは表向き。最初は言わないつもりだったんだけど、あなたがコーラルパンジーの話をしたから気が変わったんだ」
レオニードへ近づいて向かい合うと、みなもは実直な視線を真っ向から受け止める。
「断言できないけれど、バルディグに俺の仲間がいる可能性がある。それを確かめたいけれど、国の軍が絡んでいるなら個人の力で調べるには限界がある。だからヴェリシアの毒に関する情報を教えてもらいたいんだ。これがコーラルパンジーを譲る条件だよ」
人の命がかかっているのに、見返りを求めるのは気が引ける。
しかし、ずっと分からなかった仲間の情報がつかめた今、この機会を逃したくない。
しばらく沈黙した後、レオニードは小さく頷いた。
「分かった、条件を飲もう。ただ、詳しいことはヴェリシアに戻らなければ分からない。だから――」
「それなら俺もレオニードと一緒にヴェリシアへ行くよ。ここにいても、またバルディグの追手に襲われるかもしれないしね。それに貴方の体も回復していないから治療も続けないとね」
今レオニードに死なれては困る。移動中に容態が急変しないよう、細心の注意を払っていかなければ。追手に襲われた時のために、護身の道具も用意しなければ。
そう考えている自分に気づき、みなもは心の中で失笑する。
(まさか俺が北方の人間を守る日が来るとは思わなかった。……仲間と会えるなら、これぐらい――)
不意にレオニードから「みなも」と呼ばれ、我に返る。
目の前では表情の乏しかった彼が、珍しく微笑を浮かべていた。
「ありがとう。迷惑をかけてすまない」
僅かに引き上がった口端に、細まって鋭さが和らいだ目――こんな顔で笑うんだこの人と、みなもの目が丸くなる。
いつも険しい顔や、熱や傷に苦しむ顔しか見ていなかったので、レオニードの笑みがとても新鮮に映った。
ほんの少しだけ、利用する代わりに彼の力になりたいと思えた。
夕方に小屋へ戻ってきた浪司は、みなもから追手に襲われたことや、急遽ヴェリシアへ行くことになったという話を聞くなり、飲んでいたお茶をブーッと吹き出した。
「おいおい。ワシがいない間に、そんな大変なことになっていたのか」
「汚いなあ、後で拭いておいてくれよ……そういう訳だから、明日の早朝に村を出て、ここから北西にある港町のザガットを経由して、ヴェリシアに行こうと思うんだ」
栗色の四角い鞄に調合した薬や作業用のハサミや薬研などを入れながら、みなもは話を続ける。
「厄介事に巻き込まれたくなかったら、浪司もこの村を早く発った方がいいよ。今まで手伝ってくれてありがとう」
しばらく浪司はうなり続け、「なあ」とみなもに声をかけた。
「丁度ワシも北へ行く用事があるから、一緒に行かねぇか? レオニードは傷が治っていねぇし、お前さんは見た目からして力がなさそうだからな。ワシが護衛してやろう」
まさかそんなことを言い出すとは思わず、みなもは驚いて顔を上げる。
「浪司、本気で言ってるの? 下手すればバルディグの兵に襲われるかもしれないのに……嬉しいけれど、気持ちだけ貰っておくよ」
「遠慮するな。どうせワシはいつも冒険で色んな危険と付き合っているんだ。今さら危険が一つ増えたところで変わらねぇ。むしろ危険が増えたほうが冒険らしいぜ」
浪司がにっかり歯を見せる。もう一緒に行く気でいるのだろう。もし自分たちが黙って村を発っても勝手に追ってくるような気がした。
あまり迷惑をかけたくないが、確かに旅慣れしている浪司が同行してくれるのはありがたい。みなもは苦笑しながら頷いた。
「じゃあ甘えさせてもらうよ。俺からの報酬は一年分の薬ってことで。言ってくれれば、どんな薬でも調合するよ」
「みなもの薬はよく効くから、ありがたいぜ。さてと……レオニードにも言ってやるか」
浪司は残っていたお茶を飲み干すと、コップを机に置き、レオニードが休んでいる寝室へと向かった。
その姿を横目で見送ってから、みなもは鞄を閉じて、おもむろに窓の外を見た。
村はこれから温かくなって、心地よい季節に入ってくる。この時期を楽しめないことが少しもったいなかった。
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