第4話傷口の毒

    ◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 日も落ち始め、梟の声が外から聞こえてきた頃。みなもは椅子に座り、ランプで照らしながら男の傷を凝視していた。


 左腕から胸にかけ、剣で斬られたような傷。見たところ、さほど深い傷ではない。軽く縫合した今、数日もすれば抜糸できるだろう。


 気になるのは男の衰弱した具合だ。どこか打撲したのだろうかと全身を確かめたが、骨折や大きな青アザは見当たらなかった。

 それに、傷口の肉がわずかに溶けている。彼を斬った剣に毒が塗られていたのだとすぐ察しはついた。取り敢えず解毒の軟膏を塗っておいたが、それでも徐々に精気が抜けているように見えた。


(念のために、もう少し強力な解毒剤を使ったほうが良さそうだ)


 みなもは常に懐へ忍ばせてある特別な解毒剤が入った小瓶を取り出す。


(どんな毒かは知らないけど、この解毒剤ならどんな毒にも効く)


 指で蓋を摘んで手早く小瓶を開けると、液状の薬を口に含む。そのまま男の口元まで顔を寄せた。


 そして唇を重ね、薬を流しこむ。

 男は小さくうめいた後、喉を動かした。


(後は彼の体力と気力次第だな)


 みなもが薬で濡れた唇を拭っていると、背後から「オレには無理な芸当だ」と、浪司のため息交じりの声が聞こえてきた。


「みなも、お疲れさん。これでも飲んどけ」


 浪司はみなもの隣に並ぶと、木のコップを差し出す。受け取って口を付けると、とても甘く優しい温もりが体を労ってくれた。


「ありがとう、浪司。これは何かな?」


「ワシ特製のハチミツ湯だ。疲れが一気に吹っ飛ぶぞ」


 胸を張る浪司へ、みなもは呟く。


「……やっぱり熊だ」


「んん? なんか言ったか?」


 そそくさと、みなもは浪司から視線を外す。


「いや……治療、手伝ってくれて助かったよ。こんな大きな体、俺一人だったら動かせないから」


 みなもは再び男へ視線を落とす。ただでさえ大柄なのに、鍛えられた筋肉がさらに彼を重くしていた。おかげで彼の体をきれいにするのは一苦労だった。男の力がなければ、彼は動かせられなかった。


 こんな時、自分は女なのだと自覚する。

 あまりにも非力で、一人では生きていけない弱い人間。


 もっと強くならなければ。

 みなもがそう思った矢先、浪司が好奇の目で男を覗き込んだ。


「なあ、しばらくここにいてもいいか? どうしてあんな所にブッ倒れてたのか、気になって気になって」


 面白がっている気はするが、人手は欲しいところだ。それに、この男が山賊などの類で回復すれば襲ってくる可能性もある。

 みなもは浪司を横目で見ると、軽く眉を上げた。


「交代で彼の様子を見てくれるならいいよ」


 軽く目を見開いてから、浪司はぎこちなく片目をつむった。


「言うと思ったぜ、まあお安い御用だ。どっちが先に休む? ワシはどっちでもいいぞ」


「そうだな――」


 みなもが話そうとした途中。男が身じろぎ、目を僅かに開けた。

 澄んだ薄氷の瞳が覗く。


「……そこにいるのは、誰だ?」


 ようやく聞き取れる程のかすれ声。一言話すのも辛いのだろう、息も絶え絶えだ。


「安心して、俺はこの村の薬師。貴方の治療をしている」


 警戒されている気配が、彼からひしひしと伝わってくる。

 余計な緊張は傷にさわるだけだ。みなもは顔を近づけ、努めて優しく笑いかける。


「俺はみなも。貴方の名は?」


「……レオニード」


「事情は知らないけど大変だったね。今はしっかり休んで、体力を回復させないと」


 熱を出した時に姉がしてくれたように、みなもはレオニードの頭を撫でる。こうされると安心して眠りについたものだ。


 しばらくレオニードの息は荒かったが、次第に弱まり、寝息に変わっていく。 


 眠ったのを見計らい、みなもは顔を上げる。

 と、なぜか浪司は瞳を泳がし、こちらに目を合わせようとしなかった。


「どうかした?」


「あー、なんだ、その……お前さんがそんな天上の女神様みたいな顔するの初めて見たから、なんか落ち着かねぇ。身内の見ちゃいけないものを見ちまったような……」


 たまに浪司はよく分からないことを言ってくる。理解できず、みなもは短く息をついた。


「浪司、疲れているんじゃないか? 先に休んだほうがいいよ」


「おお、そうさせてもらうぞ。一眠りして頭を冷やしてくる」


 浪司は「調子狂うぜ」と眉間を揉みながら部屋を出ていく。


 そんなに変なことをしただろうか? みなもは首を傾げて見送ると、椅子に座り直してレオニードを見つめる。


 複雑な心境だ。意識が戻ってよかったと思う半面、彼を見て噴き出たわだかまりは未だに消えない。

 この二つが蛇のまぐわいのように絡み合い、いつまで経っても己の中に残り続ける。胸の奥が気持ち悪くて仕方がない。


(きっといずみ姉さんなら、何の迷いもなく彼を助けるだろうな)


 誰にでも優しかった姉。

 何より久遠の花に強い誇りを持っていた。


 それに比べて自分は私怨の塊だ。彼を見ていると自分の汚いところが炙り出される気がした。

 死なないのなら、早く回復して目の前から消えて欲しい。そのために全力で治療してやろう。


 みなもが腹をくくると、荒ぶる心はひとまず落ちついてくれた。


(大丈夫、彼を送り出すまで耐えられそうだ……自分の心を殺すのは慣れているから)


 フッ、とみなもは苦笑を浮かべる。

 こんなことを考えているくせに、久遠の花の真似事をしている自分が滑稽に思えた。

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