第3話行き倒れの青年

 小屋へ戻ると、床に座ったまま荷物を整理していた浪司が振り返る。その姿がハチの巣の蜜を貪るもっさりとした熊のようで、みなもは思わず吹き出した。


「おい、みなも。なんで笑うんだぁ?」


「あはは……ゴメン、気にしないで。これがお望みの薬だけど、この量で足りる?」


 みなもがいくつか小瓶を手渡すと、浪司は大きな手でつかみ取って立ち上がる。


「凍傷用のヤツは一つで十分だ。今、北方は騒がしいからな。長くいるつもりはねぇ」


 騒がしい?

 鼓動が高まるのを感じながら、みなもは努めて自然に尋ねてみた。


「騒がしいって、何が起きているの?」


「最近バルディグって国が、あちこちに戦争を吹っかけているんだ。一時期国が荒れたせいで領土が奪われちまったから、それを取り返そうと躍起になってるってところだろうな」


 求めていた情報ではないが、もし北地に姉たちがいたとしたら大丈夫だろうか? 戦渦に巻き込まれていないだろうか?

 胸の表面をヤスリで削られたようなヒリヒリとした傷みが広がる。みなもは密かに鼻から息を抜いて平静を取り戻し「大変だね」と話を流す。


「そんな時に北へ行くんだ。物好きだな」


「今の時期でないと食えねぇ珍味があるんだ。ワシは食い物のためなら命をかける!」


 相変わらず自分の欲に正直な人だ。そんな彼が羨ましくもある。

 苦笑しながらみなもは棚の前まで行くと、傷薬を手に取って浪司に渡した。


「ちゃんと無事に顔を見せて、また冒険の話を聞かせてよ。もう一つ傷薬おまけするからさ」


 大切な商売相手でもあり情報源だ。彼に何かあったら困る。

 こちらの思惑に気づいた様子もなく、浪司は上機嫌に歯を見せて「ありがとさん」と笑った。


 タタタタッ。

 突然、小屋に向かって全力で駆けてくる足音がした。


 バンッ!

 元気がいい――を通り越して、荒々しく扉が開く。


 さっき薬を渡した少年が、激しく息を切らせながら現れた。


「みなも兄ちゃん、大変だ!」


「どうしたんだ? そんなに慌てて」


「村の入口に傷だらけの兄ちゃんが倒れてるんだ! 全然動かないし、怖くて――」


「分かった。すぐ向かう」


 みなもは少年の話が終わらない内に駆け出し、小屋を飛び出る。少し遅れて浪司の足音もついてくる。少年の軽い足音もついてきたが、小屋へ駆け込むまでに力尽きたのか、足音はすぐ聞こえなくなった。


 医者がいないこの村では薬師が医者代わりだ。この肩に人の命が乗っていると思うと、みなもの手に脂汗がにじんでくる。


(……いずみ姉さん)


 おじけづく心を奮い立たせようと、みなもは姉の姿を思い出す。何も語らない残像でも勇気づけられた。


 村の入口へ行くと道の脇にうつ伏せている人がいた。


 遠目からでも分かる大きな体躯に広い背中。男性だということは明らかだ。その足元には彼の荷物と思しき革袋が横たわっている。


 みなもは足を止める間もなく即座に駆け寄ろうとした。


 彼の頭が見えた。

 その瞬間、みなもはその場に固まり立ち尽くす。


 背中まであると思しき地面に流れ落ちた銀髪に、土で汚れた白い肌。紛れもなく北方の人間だ。

 見たところ歳は二十四、五くらいだろう。八年前に兵士となって村を襲ったとは考えられないが……わかっていても、こみ上げてくる怒りや憎しみは止まらない。


 みなもは腰に挿していた護身用の短剣を手にしながら近づき、表情なく男を見下ろす。

 ぽん、と。追いついてきた浪司に肩を叩かれた。


「どうした? もうくたばってんのか?」


「い、いや……」


 みなもは我に返ると、しゃがんで男の手首をつかむ――ゆっくりだが生きようとする力強い脈がある。

 頭から順に男を見ていくと、男の左袖が血に塗れていることに気づく。かなり時間が経っているのか、乾いて赤黒くなっていた。


(放っておいたら間違いなく死ぬな)


 男の中にある命の灯火が儚く消えかかっている様を見ても、みなもの胸は心配よりもほの暗く凍てついた塊が大きくなるだけだった。


 こっちだって北方の人間に村を荒らされた挙句、多くの仲間を殺された。


 彼を助ける義理なんてない。

 八年経った今も、これからも。自分は彼らを恨み続けるだろう。

 それに、本来なら自分は人を癒すべき者ではない。むしろ久遠の花を守るために、人を傷つける者だ。


 みなもがそう思った矢先――。


『貴女が人を傷つける姿なんて、見たくないわ』


 ふと幼い自分が「守り葉になる」と決意を口にした時、姉に言われたことを思い出す。


 見殺しにするのは簡単だ。でも彼を見殺せば、姉との繋がりを完全に断ち切ってしまう気がした。


(もしかすると彼から姉さんたちの情報を聞けるかもしれない。助ける意味はあるな)


 そう己に言い聞かせ、みなもは胸に浮かんでしまった凍てついた殺気を溶かしていく。

 理性が戻ったところで浪司を見上げた。


「まだ息がある。俺の家へ連れて行くから、手伝ってくれないか?」


「よっしゃ、任せておきな」


 浪司は、ぺっ、ぺっ、と手に唾を付け、一気に男を担ぎ上げた。傷に響いたのか、男は眉間に皺を寄せてうなる。


 露になったのは、鼻筋の通った凛々しい顔立ちの青年だった。

 が、険しく気むずかしそうな顔つきをしている。まだ話もしていないのに無愛想な印象を受ける。口も堅そうだ。


(……話、聞き出せないかもしれない)


 助けると決意したことをちょっとだけ後悔しながら、みなもは彼の荷物を持ち上げ、自分の小屋へと走り出した。

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