第4話 仲間を新たに

        1

「ナオキのドアホめ~。こない厄介なモン、預けに来おってからに。どないせいっちゅうねん、ホンマに」

 発音に、妙な違和感のある声で、文之進は目を醒ました。

(知らぬ間に、眠っていたか。ここは、どこだ?)

 ぼやけていた視界が、次第に明白になっていく。

 白い壁と、白い天井。

 鮮やかに色分けされた硝子窓から降り注ぐ、優しい光。

 奥には、凝った飾り付けと、十字架が掲げられており、木製の長椅子が二席ずつ、等間隔に並んでいた。

 文之進の身体は、出入口に最も近い椅子の上に、仰向けの状態で横たえられ、布を掛けられていた。傷口には、手当を施された形跡があった。

(伴天連の屋敷か。なら、声の主は……)

 文之進は首を起こし、辺りを見渡した。すると、すぐ近くで、箒片手に文句を並べ立てている人物が、文之進の目に入った。

「ルベ神父も、ルベ神父や。おかしいやろ、明らかに。銃で撃たれとるわ、ごっつい得物は所持しとるわて、どう考えても、海賊やんけ」

 十四、五歳ぐらいの、異人の修道女だった。髪は被り物で隠れているものの、日焼けの自然な顔つきは、この辺の住民たちと同類。

 発音に違和感があった理由は、修道女にとって、大和言葉が完全な母国語ではなかったせいだろう。なぜ、母国語で喋っていないのかは、甚だ疑問だが。

 修道女は、憤懣やるかたない様子で、壁を蹴った。

「大方、悪さしとった報いなんやから、死んで当然やろ。文之進だか豚の尻尾だか知らんけど、ロクな奴やないに決まっとる。なのに、ルベ神父も、アホのナオキも、助けよう、助けようって。ホンマ、どうかしとるで」

「まったくだな。不審者には、用心に用心を重ねて、然るべきだ」

「せやろ? 絶対に、あかんって。人の良い連中ばっかりが相手やと、こっちが変なんかなって、疑いたくなる――のぉあっ!」

 相槌を打った文之進に、修道女は長々と喋ってから、盛大に驚いた。

「き、きき、気が付きおったんか。この悪党!」

 修道女は箒を握り締め、威嚇するように怒鳴った。文之進は布を取り払い、蹌踉めきながら立ち上がると、とりあえず礼を述べた。

「手当、感謝する。おかげで、多少、回復できた」

「そそそ、そない、へりくだった態度とったかて、騙されへんで! 島を荒らそうとする輩は、ペーニャが懲らしめたる!」

 褐色肌の修道女、ペーニャは、口上こそ立派ながら、及び腰と引き攣った表情で、箒を構えた。無論、恩人と戦うつもりなどない文之進は、肩を竦め、扉へ向かって歩いた。

「ちょ、ちょい待ち! どこへ逃げるん?」

 ペーニャは慌てて、文之進を呼び止めた。文之進は振り返り、あっさり行き先を白状する。

「船着き場だ。俺に、島からいなくなってほしいんだろう? 望み通りにしてやるから、安心しろ」

 あまりにも呆気ない解決に、ペーニャは一瞬、ポケ~、と拍子抜けしかけた。しかし、すぐに懐疑と敵愾心を、瞳に甦らせた。

「そない胡散臭い言葉、信じられんわ。どっかの家にでも押し入って、金目のモン、漁るつもりやろ?」

「なら、お前が案内してくれるか?」

 扉に手を掛けながら、文之進は提案した。ペーニャは、またしても、目をぱちりと見開いて、固まった。

「なんで、ウチが」

「俺が信用ならぬのだろう? だったら、お前が目付として、船着き場まで連れて行ってくれ。それなら、問題ないはず」

「あ、甘えんといて! ウチは、小間使いやあらへん!」

 ペーニャは激怒して、文之進の案を突っぱねた。箒の先端が、わなわなと震え、埃がぱらぱらと落ちた。

 若干の理不尽を感じつつ、文之進は謝った。

「怒らせたのなら、すまぬ。だが、他に良い方法があるか?」

「そんなもん、知らん! 知らんけど、あんさんの話に乗せられるんは、嫌や」

 なるほど、坊主憎けりゃ、なんとやら、か。面倒な相手だ。

「では、お前の決断に委ねよう、ペーニャ」

「気安く呼ばんといて!」

 刺々しい態度を貫くペーニャを、文之進は初めて睨み返した。

「あくまで俺を叩きのめしたいのなら、不本意ながら、抗わせてもらうぞ。いくら恩人といえど、これ以上、怪我を増やされては堪らぬ」

 ペーニャは僅かに身を竦ませたものの、半ば無理矢理、作り笑いを浮かべ、箒を握り直した。

「じょ、上等やないの。そない脅し文句で臆すると思ったら、大間違いやで」

「懇願と受け取っては、もらえないか」

「うっさいわ! あんさんの物言い、なんか苛つくねん! 喧嘩ぁ売られとる気がすんねや!」

 ペーニャは、いよいよ収まりがつかなくなり、いつでも飛びかかれるように、腰を低く沈めた。

 諦観と覚悟を抱いた文之進は、扉を開けて外に出た。

「逃がさへんで!」

 ペーニャの叫びが、文之進の背を叩いた。

 元より、逃亡する意図も体力も、文之進にはなかった。屋内なら、得物の利点を殺せるかもしれないが、世話になった場所を損壊する危険は、極力、避けたかった。故に、場所を移したに過ぎない。

 屋敷に面した、砂利道の上。眩しい朝日に照らされながら、文之進は振り返った。

 追いかけっこで調子に乗ったペーニャが、居丈高に鼻を鳴らした。

「アッホやな~、あんさん。こないな拓けたとこで、素手と箒。間合いも完璧に、ウチの領分や。あんさんに勝ち目なんて、ないやろ」

 確かに、十手や兜割、苦無の類は没収されたらしく、文之進の手元に武具はなかった。が、下手に怯んでは、ペーニャの思う壺。

「勇ましいのは結構だが、慢心は感心せぬな。たとえ武術の心得があろうと、油断は大敵だぞ」

 文之進が指摘した途端、ペーニャの儚い余裕が消えた。

「ななな、なんで知っとんの!?」

「ナオキが口にしていた。エスクリマというらしいな」

 文之進は、右足を前に出し、軋む身体で構えを採った。

「童たちの指南役は、お前か?」

「こ、答える義理なんか、あらへんやろ」

 ペーニャは狼狽を隠すように、拗ねた。肯定しないところから察するに、どうやら教えてはいないようだ。

「なんやねん! その馬鹿にしたような面は!」

「いや、失敬。どちらにしろ、興味はある。エスクリマとやら、披露してくれるというなら、拝見しよう」

「むぎぃ~っ、舐め腐った性根しおって~。もう許さへん!」

 憤慨が頂点に達したペーニャは、箒を勢いよく振り回した。穂が明後日のほうへ抜け飛び、箒が完全な棒きれと化した。

(半身での持ち方……では)

「覚悟しぃ!」

 恐れを怒りで上書きし、ペーニャは走り込んできた。

 放たれた突きを、文之進は後退して躱した。

「こら、避けんな!」

 ペーニャは間髪入れず、追撃を懸けた。上半身の動きは、文之進の知る型に似ていたものの、足運びは独特だった。左右、どちらからも、ペーニャは踏み込んでくる。

「軽やかだな。よっと」

 鈍い身体に鞭を打ち、文之進は回避を続けた。ペーニャが棒を引いた時点で、避け始めなければならないため、目と頭が、とてつもなく辛(つら)い。

「どうし、て、読まれんねん!」

 ペーニャが焦りを滲ませ、叫んだ。突きに混ざって、殴打も繰り出されたが、文之進は好機と捉える。

「玄人の筋は、しっかりしてる。故に、予測も立てやすい」

「屁理屈や! そんなん――ひぃっ!」

 殴打の間隙を縫い、文之進はペーニャに肉迫した。戦いたペーニャは、とっさに棒を横に突き出し、目を瞑った。

 酷く迂闊だが、お陰で文之進の勝利は決まった。

 文之進は、素早くペーニャの手から棒を取り上げ、遠くに放り投げた。ペーニャの顔色が、瞬く間に青褪めた。

「終いだ」

「い、いやや、殺さんといてぇ~」

 ペーニャは急に怖じ気付くと、固く閉じたままの目元に、涙を溜め、へなへなと膝を折った。文之進は、ちょっと申し訳ない気持ちになった。

「生憎、お前の生殺与奪に興味はない。そちらに戦う意志がないなら、俺は去らせてもらう。二度と会うこともあるまい」

「嘘や。絶対、恨んどるやろ? 夜中になったら、仕返しに来んのやろ? ウチには、分かっとんのや!」

 ペーニャは勝手な妄言を吐き散らし、文之進に飛びかかった。不意を突かれ、しかも、低い体勢から襲われたため、文之進は為す術なく押し倒された。

「あだっ! お前、よくも――えふっ」

「死ね~、死んでまえ~! あんさんなんか、怖ないねん! しばいたる~!」

 馬乗りになったペーニャは、泣きながら容赦なく文之進の顔面を殴りつけた。激痛に苛まれた文之進は、三発目を掌で受け止め、吠えた。

「いい加減にせぬか。往生際の悪い」

「いやや~、殺されとうない~」

 ペーニャは駄々っ子のように泣きじゃくり、必死に暴れた。どう考えても、文之進のほうが殺されそうだった。理不尽とか、狂気といった類に。

「ペーニャ、頼む。落ち着いてくれ。もはや、話にならぬ」

 文之進が困り果てたとき、まるで機を窺っていたかのごとく、のったりした男の声が、耳に入った。

「全くやで、シスター・ペーニャ。ちいと、頭ぁ冷やしなはれ」

 ペコーン!

「う……け?」

 大きな音とともに、ペーニャが白目を剥いて、文之進の上に覆い被さった。ペーニャの短い金髪が、文之進の鼻に掛かる。

 訪れた静寂と平穏。だが、文之進は警戒を新たに、天を見上げた。

「えろう、すんませんでしたなぁ。怪我人に、とんだご迷惑を」

 人の良さそうな顔つきの、五十歳手前と思しき男が、棒きれ片手に、深々と頭を下げた。男はペーニャと同じ、黒い修道服姿だが、肌は白く、鷲鼻にチョビ髭を生やしている。

「ルベ神父と言います。貴方は、文之進さんで、合うてますか?」

「相違ない。えっと、俺とペーニャが一戦を交えてたのには、深い事情が」

 文之進は冷や汗が止まらなかった。挙措で見抜いたが、ルベ神父は間違いなく、武術の達人。今の文之進では、敵う気が全くしない。

 しかし、幸いにも、ペーニャと対峙したときのような、一触即発の雰囲気には、発展しなかった。

 ルベ神父は悪戯っぽく笑い、文之進に打ち明けた。

「実は、途中から見物させてもろうたんです。サムライの武術を見るんは、初めてだったもんで。文之進さん、お強いんやねぇ」

 文之進は謙遜を含めず、正直な感想を漏らした。

「とんでもない。ペーニャが、もし同い年だったら、俺が負けてただろう。洗練された武芸だったよ、エスクリマは」

 すると、ルベ神父は大仰な仕草で、腹を抱えた。

「あっはは、育てた身としては、あんまり嬉しゅうありまへんなぁ。シスター・ペーニャには、エスクリマよりも先に、もっと落ち着きと淑やかさを磨いてもらいたいと、常日頃、願っとりますもんで」

「無礼を承知で申そう。同感だ」

 文之進もまた、安堵の笑いを溢し、胸元で大人しく昏倒しているペーニャに、視線を落とした。

「ほな、話の続きは、教会ん中でしまひょか。いつまでも、シスター・ペーニャにべったり抱き付かれとるのは、暑苦しゅうて嫌でっしゃろ?」

「いや、俺に不満はないが、ペーニャは、きっと……というか、こやつが寝てる間に、退散したいんだが」

 文之進が、戦々恐々としながら呟いたところ、ルベ神父は善意を込めて、あきまへん、と、反論した。

「どうか寄ってって下さい、お願いします。シスターが起きたら、きっちり言い聞かせますさかい。無辜の怪我人、殴って、神の家からも追い払ったとなれば、こっちの立場がありまへん。破門ものですわ」

        2

 教会の奥に設けられた、談話目的と思しき部屋に、文之進は案内された。

 日当たりは良いが、礼拝堂と違って、荘厳な雰囲気は全然ない。丸い机と椅子が幾つか置かれているだけの、質素ながら過ごしやすい場所だった。

「適当に、くつろいどいて下さい。今、お茶を淹れてきます」

 ルベ神父は、まるで旧知の間柄と接するような、気軽な口調で言い残し、いそいそと退室した。

「ふむ、物騒な武芸を広めている割には、牧歌的な人だ。よいしょっと」

 文之進が、気絶したペーニャを(なるべく)遠くに座らせ、一息ほっと吐いていると、とたとたと小刻みな足音が、部屋の外から聞こえてきた。

 ルベ神父か? と、文之進は思ったが、すぐに子供の足音だと気付いた。

「ルベのおっさん、おるかいなー?」

 ナオキだった。ナオキは、大きな葉で包(くる)んだ何かを両手に持ち、文之進のいる部屋に踏み込んできた。

「お前も、大概、無遠慮だな。この辺りには、家人が出てくるまで玄関で待つという習慣はないのか」

「おぉー、ブンノシン、起きたんやな。あれ、ペー姐は寝とる。もう朝やのに」

 ナオキは文之進を見て喜び、ペーニャに視線を移して、呆れた。

「放っておいてやれ。いや、頼むから、ペーニャを起こさぬでくれ」

 悪夢を甦らせたくなかった文之進は、そっとナオキに囁いた。しかし、ナオキは眉を顰め、大声で異を唱えた。

「ねぼすけは、あかん。せっかくの朝飯が、冷めてまうやろ」

「朝飯? ひょっとして、ナオキが抱えてる荷物は……」

「せや。ブンノシンもおるし、ちょうどええかなあって」

 ナオキは屈託のない笑みを浮かべ、机の上に葉を置き、広げてみせた。露わになった朝食の正体に、文之進は息を呑んだ。

 蟹と海老を足して二倍にしたような、不気味な形と大きさの生類が、真っ赤に蒸し上がった状態で、どてーんと鎮座していた。

「それは、食せるのか?」

 文之進は、恐る恐る指を差し、尋ねた。

「なんや、知らんの? ただのヤシガニやん」

 円らなナオキの瞳に、冗談や悪意は、一切、含まれていなかった。

「そやつが木に登っているのを、何度か見かけたが、食欲は湧かなかったよ。大きさと異様さって、度が過ぎると恐怖だな」

「何を言うとんねん。ヤシガニ美味いでー。食ったら分かる」

 ナオキの意見は、極めて正論だったものの、なかなかどうして受け入れ難かった。見れば見るほど、化物という愛称が、ヤシガニに相応しい気がしてくる。

「ほら、ペー姐、いつまで寝とんねん。朝の掃除は、ケイケンなシスターの嗜みだったんちゃうんか?」

「しまった。こら、ナオキ」

 文之進は、ヤシガニとの睨めっこを止め、ナオキに注意した。が、遅かった。

 肩を揺さぶられたペーニャが、顰めっ面で呻いた。

「いった~。首の後ろ、めっちゃ痛いんやけど、なんでやねん?」

「知らんがな。目脂だらけで、だらしない。はよ、顔洗ってこんと、ペー姐の分の朝飯、なくなるで」

 ナオキに捲し立てられ、ペーニャは漸く、薄目を開いた。

「うっさいわ、阿呆ナオキ。アンタが夢ん中で、変なもん拾ってきたんが悪いんやろ。ウチが追い払わんかったら、今頃、どうなっとったか」

「寝惚けとる場合ちゃうやろ。ブンノシン、起きたんやし、仲良うせな」

「せやから、それは夢やったって、言ったや――どろぁっ!」

 一言も喋らず、大人しくしていた文之進だが、さすがに隠れているわけではなかったため、容易くペーニャに見つかった。

 ペーニャは立ち上がるや、錯乱気味にナオキを押し退け、椅子を持ち上げた。

「畜生、夢やなかった」

「さあな。ひょっとしたら、白昼夢の続きかもしれぬぞ」

 文之進は茶化しつつ、腰を上げ、投擲に備えた。

「何しとんねん! ペー姐」

 ナオキが慌てて、ペーニャを後ろから羽交い締めにした。

「離してえな、阿呆ナオキ。あいつを、文之進を倒さんと」

 ペーニャは藻掻くが、ナオキは絡めた腕を解かなかった。見事な極まり方から推察するに、どうやらエスクリマには、体術も含まれているようだ。

 文之進は、揉め事そっちのけで感心した。

「阿呆は、ペー姐のほうやんけ。朝っぱらから、何をトチ狂っとんのや」

「せやで。ええ加減にしなはれ。見苦しい」

 戻ってきたルベ神父が、ナオキの苦言に同意した。途端、ペーニャの殺気が、綺麗に霧散する。

「ルベ神父、帰ってきてたん?」

 ペーニャは、安堵とも畏怖ともつかない複雑な表情で、呟いた。ルベ神父は、白磁の茶器を机に載せ、優雅に頷いた。

「とっくに。シスター・ペーニャ。貴方には言いたいことが、それはもう仰山あるんやけど、とりあえず食事にしまひょ。椅子を下ろしなはれ」

「あかんって! 海賊を野放しにしとくなんて、危険やわ」

 ペーニャは必死に、ルベ神父を説き伏せに懸かった。が、ルベ神父は穏やかに微笑むだけで、全く取り合わなかった。

「不毛な問答は、しまへん」

「そんな~、あんまりや」

 失望を隠せないペーニャを、ルベ神父は無視し、ナオキのほうを向いた。

「ナオキさん、いつも美味しい料理を、ありがとうございます。貴方も一緒に、食事しまひょか?」

 ルベ神父の誘いに、ナオキは何かを嫌がっている様子で、首を横に振った。

「ワテは、もう食った。お茶も要らん。外で遊んでくる」

 ナオキは早口で喋り終えると、ペーニャに極めていた関節技を解き、一目散に部屋から出て行った。

 扉が乱暴に閉められ、文之進は違和感を覚える。

「なんだ? ナオキの奴、逃げるようにいなくなって」

 ルベ神父は、ヤシガニの載った机を整えながら、朗らかに明かした。

「きっと、お祈りが退屈なんやと思います。子供は、大人しくしとるのが苦手やさかい。そうでっしゃろ? シスター・ペーニャ」

「う、ウチは子供やあらへんって!」

 ペーニャは、恥ずかしそうに椅子を振り回し、ルベ神父に抗議した。まさしく、子供っぽい仕草だと、指摘せざるを得ない。

 しかし、ルベ神父は馬鹿にしたりせず、上手に口車を回した。

「ほなら、聞き分けようせな、あきまへんな?」

「せやけど……」

「大人の、ましてや神に仕えとる者は、落ち着きと良識が大切です。決めつけで、他人を嬲ったり、蔑ろにしたりしたら、あきまへん。ちゃいまっか?」

 ルベ神父に重ねて問われ、ペーニャは渋々、椅子を下ろした。文之進は安堵で胸を撫で下ろし、ルベ神父も満足げに頷いた。

「宜しい。これでやっと、お祈りができます。さあさ、文之進さんも、こちらに」

「分かった。伴天連にも神仏道にも、信心深い身ではないが、郷に入っては郷に従おう」

 文之進は指示されるまま、ペーニャ、ルベ神父と机を囲んで座り、二人に倣って両手を合わせた。

 ルベ神父は瞑目し、「偉大な主よ」で始まる文言を、つらつらと淀みなく並べた。ペーニャも続いて唱えたが、目は、じ~っと、文之進を恨みがましく睨め付けていた。

「すまぬ。早すぎて、耳に残らなかった」

 詠唱を済ませたルベ神父に、文之進は軽く詫びた。本当は、ペーニャの視線が痛く、祈りどころではなかったせいだが。

 ルベ神父は快く笑い、文之進に茶を差し出した。

「構いまへん。祈りそのものが、重要ですさかい。ほな――」

「いただきます!」

 ルベ神父の言葉を継いだペーニャは、実に素早い動きで、ヤシガニの載った皿を、文之進から遠ざけた。

「こら、シスター・ペーニャ。まぁた、そない意地悪して」

 ルベ神父が呆れて注意するも、ペーニャは澄まし顔で言い訳を述べた。

「だって、手が届きにくいんやもん。文之進のほうが、腕、長いんやし、ええやろ」

 明らかに、文之進が手を限界まで伸ばしても、届かないであろう位置に、ヤシガニはあった。文之進にとっては、僥倖以外の何物でもないが。

「俺は、ルベ殿とペーニャの食べ残しを貰えれば、充分だ」

「へっへ~ん、あんさんには、殻しかやらへんよーだ」

 ペーニャは舌を伸ばしながら、ヤシガニを器用に分解し、中の身を取り出していった。

 願ったり、叶ったりだ。空腹は、後で魚でも捕って満たそう。

 ペーニャがヤシガニの鋏に囓(かぶ)りつく横で、文之進は打算的な考えを巡らせた。

 ルベ神父が、申し訳なさそうに苦笑する。

「ホンマ、すんまへんな。御覧の通り、人見知りで」

「気にはせぬ。余所者は、毛嫌いされて当然だ」

 文之進は、琥珀色の甘い茶を啜り、喉を潤した。

「ところで、一つ伺いたい。馬尼拉へと向かう船は、この島に寄るか?」

「ええ、日に、なんべんも通りますね。文之進さんは、馬尼拉から帰るつもりでっか? サムライの国に」

 故郷。

 望郷。

 ルベ神父には、文之進が帰りたがっているように見えたのか? いや、単に居心地の悪さを悟られただけか。

 文之進は、自嘲して答えた。

「もはや戻れぬ。一度は公儀を、国を治める者たちを、敵に回したのでな」

「ほらー、やっぱり、ド悪人だったやんけ。むぐむぐ」

 すかさず、ペーニャが会話に割り込み、得意気に言い放った。もしゃもしゃと、ヤシガニを精一杯、頬張りつつ。

 迫力の欠片もない敵意に、文之進は微笑ましさを感じながら、打ち明けた。

「少なくとも、善人ではないな。慕っていた人が生首になったときから、面倒な躊躇いは捨てている。たとえ悪行だろうと、必要ならば、するまでだ」

「うーきゃー、開き直りおったで。最っ低やな。懺悔するんやったら、ちっとは見直そう思うとったけど、あんさんは救いようがないわ。死んだら地獄行き、確定やな」

「シスター・ペーニャ。食べながら喋るもんやない。汚らしいで」

 ルベ神父に窘められ、やっとペーニャは口を閉じた。

 ルベ神父は、辛そうに目を細め、文之進に向き直った。どうやら、文之進の素性と事情を、大凡ながら察したらしい。

「神は、見込みのある者にほど、過酷な試練を課しますねん。文之進さんは、よっぽど期待されてんねんなあ」

「だとしたら、めでたい話だ。少なくとも、阿蘭陀に着くまでは、生き延びていたい」

 文之進が漏らした一言で、ルベ神父は明るさを取り戻した。

「ほー、阿蘭陀を目指すんでっか。阿姆斯特丹(アムステルダム)は、自由と貿易で、えらい発展した街ですよ。年中、人や物で賑わって、華やいどります。ルベは西班牙人ですが、阿姆斯特丹の良さは、素直に称賛します。観たら必ず、おったまげまっせ」

 相当、思い入れが強いのか、ルベ神父は饒舌に、阿蘭陀の一都市を紹介してくれた。

「なるほど、赴いてみる価値は、あるようだな。立ち寄れたら、是非とも観光させてもらうとしよう」

 望郷を忘れ、文之進は彼方の地に、想いを馳せた。

 ところが、纏まりかけたルベ神父との会話に、ペーニャが水を差した。

「けっ、甘ったるい夢やな。ええか、文之進? 悪人には天罰が下るもんなんや。あんさんなんか、沖で大嵐にでも遭って、鮫の餌んなるんが、オチやで」

 縁起でもないペーニャの予測に、文之進は怒りこそしなかったものの、皮肉を返したい衝動に駆られた。

「悪いが、時化なら経験済みだ。どうせなら、別の艱難辛苦を頼む。すこぶる喧嘩っ早い、乱暴者のシスター殿」

「なんやて! ホンマ、腹立つ言い方しよってからに。ルベ神父~、こない、ふざけとる奴、とっとと追い出したらええねん」

 ペーニャは大いに悔しがってから、ルベ神父に泣き付いた。

 さすがに、家人への無礼が過ぎたか?

 叱られるかな、と、文之進は身構えたものの、ルベ神父は何かに気付いた様子で、徐に立ち上がった。

「ひょっとしたら、文之進さんが現われたんは、天啓なんかもしれまへんな。シスター・ペーニャにとって」

 ルベ神父の目には、僅かな寂寥と、強い覚悟が宿っていた。文之進が、真意を探ろうとした刹那、

「文之進さん。烏滸(おこ)がましいんは重々承知で、頼みがあります。このルベと、一勝負、してもらえますか?」

 ルベ神父に、機先を制された。

        3

 昼過ぎ。

 秋知らずの強い日差を浴びながら、文之進は教会の外で、十手と兜割りを振っていた。

『預かっとった武具は、お返しします。仕合の際に好きに使ってもらって、構いまへん。ルベも得物を用意しますさかい』

 ルベ神父の親切は、全然、嬉しくなかった。金具同士で打ち合うとなれば、ふとした拍子に相手を骨折させたり、殺めてしまいかねない。ペーニャが握っていた木の棒だって、打ち所によっては、危なかったのに。

「あっつつ。まだ、あちこちが痛むな。ルベ殿が手加減してくれるといいんだが」

 不安に苛まれる文之進の元に、

「ブンノシーン、元気にしとったか?」

 ナオキが、仲間の子供たちを連れ、歩いてきた。

「お前ら、よくもこんな厄介な教会に、俺を運んでくれたな」

 文之進が、助けてもらった感謝そっちのけで嘆くと、ナオキの仲間たちは、なぜか愉快そうに笑った。

「きゃはは、武器ぃ持っとんのに、情けないこと言っとるで。やっぱ、コイツ、弱いんちゃうか?」

「駄目やって。笑っちゃ失礼やわ。ぷふふ」

「ペーニャに悪戯(わるさ)やって、叱られたんやろ」

「ウチらも、しょっちゅうやっとるしな」

 騒ぎ立てる子供たちの前で、ナオキが訊いてきた。

「ワテら、エスクリマ習いに来たんやけど、ルベ神父は、おる?」

「稽古か。それなら、じきに――」

「お待たせして、申し訳ありまへん。おや、ナオキさんたち、来とったんですか」

 文之進の返事を遮り、ルベ神父が教会から出てきた。

 ペーニャが振り回していた木の棒を、肩に担いで。

 駆け寄ろうとするナオキたちを、文之進は手で制し、ルベ神父に尋ねた。

「いいのか? 俺の得物は短いが、鉄で拵えてある。寸止めを心懸けても、当たらぬ保証はないぞ」

「ご心配、ありがとうございます。せやけど、遠慮は無用です。怪我人に遅れは取りまへん。本気で、挑んでもらいまひょか」

 ルベ神父は軽く跳びはね、身体を解しながら、ナオキに呼びかけた。

「ナオキさんは、他の人たちと一緒に、離れた場所で見学しといて下さい」

「はーい。ブンノシン、頑張ってぇな」

 ナオキは気楽に励まし、仲間たちと遠くに行った。文之進は、一度、深く呼吸し直してから、身体に活を入れた。

「ナオキには悪いが、俺に大した武芸など披露できぬ。所詮は、俄剣術だ」

「おやおや、珍しく異なことを仰りまんな。武に善し悪しはあっても、偽物はありまへん。ほな、参りまっせ」

 ルベ神父は、ペーニャより玄人慣れした手つきで、棒を構えた。対する文之進は、右手の十手を前に、左手の兜割りを上に持ち、待ち受けた。

 ルベ神父の足が動き、徐々に互いの間合いが狭まる。緊張感が高まり、子供たちも静かになった。

 沈黙と息苦しさに包まれながら、文之進は願った。

 来い。

 仕掛けてこい。

 返しで終わらせる。

 ルベ神父が踏み込んだ。

 突き入れられた棒を、文之進は十手でいなし、

「くぉらあ!」

 兜割りを全力で振り下ろした。

 渇いた音を立て、木の棒が真っ二つに折れる。しかし、

「わざとでっせ?」

 ルベ神父の笑みが、深まった。

 ぴたりと、文之進の眉間の両側に、二本の棒が当てられた。子供たちから、「ルベ神父の勝ちや」と、歓声が沸き起こった。

「文之進さんの狙いは、読めとりました。ルベの得物の利点は、長さのみ。折ってしまえば、勝負は決する、と。お優しい半面、ちぃと、詰めが甘いでんな」

「返す言葉が見つからぬ。俺の負けだ」

 あっけなく策を看破された挙げ句、まんまと反撃された結果に、文之進は苦笑するしかなかった。

 ルベ神父は距離を取り、太鼓打ちのような格好で、再び構えた。

「今のは、不意打ちみたいなもんです。エスクリマの神髄は、こないなもんやありまへんで」

「まだ、やるのか。もう充分、俺の力量は測れただろうに」

 文句を言いつつ、文之進は十手と兜割りを握る手に、力を込めた。

「やったれー、ルベ神父」

「海賊になんか、負けたらあかん」

「ルベ神父なら、楽勝やわ」

 子供たちの声援を受け、ルベ神父は攻めてきた。

 左右から、殴打の嵐が繰り出される。

 間合いこそ短いが、圧倒的に素早く、隙がない。動きの予測も難しく、文之進は防戦一方となった。

 腕。

 額。

 腹。

 胸元。

 次々と、ルベ神父は文之進の身体に、棒を当てていく。加減されているため、痛くはないが、確実に負けは積み重なっていった。

(おのれ、捌ききれぬ。棒を二本にしたのが、裏目に出たな。どうにかして、流れを止めねば)

 連打の寸断を考えた文之進は、一度、大きく下がった。ルベ神父は空振りを食らい、僅かな間隙が生まれる。

「もらった!」

 すかさず、文之進は下がった分より深く、ルベ神父の懐に飛び込んだ。ルベ神父は打撃を放ったが、文之進は弾かずに受け止めた。

 もはや、打ち合う余裕すらないほど、文之進は至近に迫った。膂力での押し合いなら、文之進にも分がある――はずだった。

 ところが、

「そいやっ!」

 突如、ルベ神父の顔が勢いよく反転し、文之進は肩に衝撃を受けた。

「うべげ」

「いやぁ、惜しかったでんな。もう少しで、倒されるとこでした」

 投げられた事実を、文之進は遅れて理解した。

「腕を絡まれ、横に回されたのか。よもや、すぐ体術に切り替わられるとは。駄目だ。勝てる気がせぬ」

「エスクリマの奥深さ、分かってもらえましたやろか?」

「存分にな。よっこっと」

 ルベ神父の手を借り、文之進は立ち上がった。

「で、負けた俺に、いったい何をさせるつもりだ? 何かを押し付けたくて、俺に勝負を持ちかけたんだろう?」

 文之進に尋ねられ、ルベ神父は迷いなく頷いた。

「さすが、文之進さん。見抜かれとりましたか」

 ルベ神父の笑みには、邪気や後ろめたさは感じられなかった。目的は読めたが、いまいち、内容が掴めない。

 文之進が更に問い質そうとしたところ、

「ルベ神父~、言われた通り、倉庫から持ってきたで~」

 ペーニャが、少々、埃に塗れながら、細長い袋を抱えて現われた。途端、ナオキ以外の子供たちが、ペーニャに駆け寄った。

「ペーニャ、どこ行ってた~ん? せっかく、おもろい見せもん、やっとったのに」

「もったいなかったな~」

「なんで、急いでこなかったん?」

「鈍臭いやっちゃな」

 はしゃぎ回る子供たちに、ペーニャは困惑しながら叫んだ。

「や、やかましいわ! ウチかて、好きで遅れとったわけや、あらへんねん。って、うおったっと!」

 怒鳴った拍子に、ペーニャは体勢を崩し、袋を落とした。

 捲(めく)れ上がった袋から、刀の柄が覗いた。文之進は驚愕して、ルベ神父のほうへと首を曲げる。

「おいおい、さすがに真剣勝負は勘弁してほしいんだが」

 文之進の憶測を、ルベ神父は一笑に付した。

「ははは、ルベに、サムライの剣は使えませんねん。あの剣は、文之進さんに渡そう思って、シスター・ペーニャに持ってこさせたんですわ」

 太刀を贈与? 有り難い話だが、すこぶる怪しい。勝負に負けたのに施しを受けるとは、これ如何に。

「そろそろ、教えてくれ。ルベ殿の真意を。断れる立場ではないとはいえ、要求を明かされぬままでは、不安しか覚えぬ」

 文之進が懇願すると、ルベ神父は優しく目を細め、両手を腹の前で組んだ。

「ルベも経験しましたが、旅路はホンマに、危険が仰山、待ち構えとります。文之進さんには、武具に加え、守り守られる朋輩が必要なはず。シスター・ペーニャ」

 ルベ神父に声を掛けられ、ペーニャは慌てて顔を向けた。

「ちょい待って~、ルベ神父。今、袋の紐を結び直してる途中やさかい」

「そこにおったままで、ええよ。聴いといて」

 ルベ神父は声を張り上げ、文之進に頼んだ。

「あの通り、そそっかしい子やねんけど、どうか、宜しゅう。世間の広さを、シスター・ペーニャに見せたって下さい」

 頭を下げるルベ神父に、文之進は呆れ返った。ペーニャも、口を間抜けっぽく開いたまま、硬直した。

        4

 夕暮れ時となった、教会談話室。

「いーやーや! 絶対に嫌やわ!」

 文之進と一緒に、阿蘭陀まで同行するよう、ルベ神父から命じられたペーニャは、昼間から、ず~っと、延々、猛反対し続けた。

 しかし、ルベ神父は、顔色一つ変えないまま、これまた、ず~っと、ペーニャに言い聞かせ続けた。

「もう、決めたことです、シスター・ペーニャ。貴女が、文之進さんに乱暴を働いたんは、紛れもない事実。聖職者として、罪は洗い流さな、あきまへん。文之進さんの旅に従いてけば、きっと、神も許してくれるはずや」

「死ぬ危険が、高いとしてもか?」

 ペーニャでは、どうあっても、ルベ神父の説得ができないと判断した文之進は、ついに口を挟んだ。

 ペーニャは露骨に怯えたが、ルベ神父は、それでも一切の妥協をしなかった。

「険しくなければ、贖罪になりまへん。それに阿蘭陀には、ちょうど、届けてもらいたい物が、あったんです」

 ルベ神父は、一枚の丸まった便箋を取り出し、ペーニャに渡した。ペーニャは、受け取った便箋を、疑問の目で眺めた。

「阿姆斯特丹の、すぐ東に、納爾登という街があります。ルベの友人が、そこに勤めとりまして。シスター・ペーニャには、密書を届けてもらいたいんです」

「滅茶苦茶、ついでやん! 文之進に頼んだら、ええやないの」

 ペーニャの反論は、即座に打ち砕かれた。

「あきまへん。文之進さんが持ってっても、門前払いされてまうか、偽書と見なされて、破られてまうのが、オチです。密書を届けるんは、シスター・ペーニャにしか頼めへん、重要な任務なんや」

 ルベ神父は居住まいを正し、いつになく真面目な表情で、ペーニャに語った。

 ペーニャは、余計、嫌がるかに思われたが、意外にも、驚いていた。

「ウチにしか、できへんの?」

 若干、緊張を含んだペーニャの問いに、ルベ神父は深く頷いた。

「そうや。けど、シスター・ペーニャだけやと、不安でっしゃろ? せやから、文之進さんと一緒に行きなはれって、言うとるんです。シスター・ペーニャには、荷が重い仕事でっか?」

 ルベ神父は、期待の籠もった挑発で、ペーニャの意欲を擽った。ペーニャは、まんざらでもない表情で、便箋を抱えた。

 ルベ神父の小賢しい手法に、文之進は焦りを覚える。

「おいおい、ペーニャ。まさか、引き受けるわけでは、あるまいな?」

「文之進さんは、ルベとの勝負に負けたんやから、黙っといてもらえます?」

 ルベ神父に、笑顔で諫められ、文之進は二の句が継げなくなった。

 頼む、ペーニャ。ルベ神父の口車に乗せられるな。

 文之進は、心の中で祈ったが、届かなかった。

 しばらく押し黙っていたペーニャは、急に席を立つと、大きく息を吸い込み、決意を露わにした。

「やい、文之進! 道中、盛って、ウチに、ちょっかいかけてきよったら、承知せえへんで。ええな!」

 ふざけた捨て台詞を残し、ペーニャは談話室から出て行った。文之進は、唖然となりかけた後、ルベ神父に向き直った。

「ルベ殿。再戦を、お願いしたいんだが」

「許したって下さい。シスター・ペーニャも、お年頃やさかい」

 達観したルベ神父の物言いが、余計に腹立たしかった。

        5

 文之進がいなくなって、四日後の朝。

 貴婦人の観光客に扮したカテアは、海軍の動向を探るために、馬尼拉の中心市街地を練り歩いていた。

 情報屋に金貨を渡し、酔いの醒めきっていない軍人に、『ちょっと、愛想良く振舞う』ことで、有益な情報を集めていく。武器弾薬の入手より、苦労と手間はかかるが、遙かに重要な仕事だ。

 海賊としてのカテアが、今まで捕まらず、船を撃沈されずに済んだ理由は、偏に情報収集を怠らなかったからと言っていい。もっとも、馬尼拉近海は軍艦が異常に多いせいで、全てを把握しきれていない現状が忌々しいが。

 大規模な戦争が終わって、もう三年も経つのだから、いい加減、引き揚げて頂きたい。本国は、徒に軍事費が嵩み、我々海賊は、生活圏を脅かされる。お互い、不利益でしかないはずなのに。

 先日、海軍に追い回された一件を、カテアは改めて恨んだ。

 船の修理費に、いったい、いくら掛かると思っている?

 怖じ気付いて辞めた乗組員の補充を、誰がやらなければならないと考えている?

 西班牙の敵は英国で、英国の敵は西班牙だろう? 絶滅寸前の海賊を、寄って集って追撃して、恥ずかしくないのか?

 もっと、もっと多く情報を仕入れなければ。より安全で、確実な航路での略奪を心懸け、今度こそ、海軍に発見されないようにしなければならない。

 カテアは、心の内で不満を燻らせながら、足を動かし続けた。馬尼拉中を隈なく巡り、情報を残らず吸い尽くすつもりで。

 だからこそ、かもしれない。

 料理店が犇めく、街の一角で、カテアは出会した。見覚えのある東洋の青年が、柄の悪い水兵たちに囲まれている場面に。

「トウコ――」

 とっさに名を呼ぼうとしたカテアだが、何者かに服を掴まれ、物陰に引き込まれた。

「無粋な登場は、好まれないよん」

 頬を上気させたヤズが、人差し指を口に当て、カテアに囁いた。どうやら、ヤズのほうが一足早く、トウコツの姿を見つけたらしい。

 ヤズに倣い、カテアは小声で問いかけた。

「状況の説明を、願えますか?」

「なんかね~、こないだ戦った海軍の人と、偶然ばったり、鉢合わせしちゃったっぽい。さっすが、難訓ちゃん。物騒事を引き寄せる運に関しては、天下一品だね」

 ヤズは、うっとりとした忘我の目つきで、トウコツの不運を褒め称えた。この場にトウコツがいたら、間違いなくヤズをブッ叩いているだろう。

「急いで加勢に入りましょう」

「要らない、要らない。あのぐらいの数なら、難訓ちゃん一人で余裕っしょ」

 ヤズの楽観的な判断を、カテアは受け入れなかった。

「忘れたのですか? トウコツは四日前に、銃で撃たれているのですよ? 暢気に眺めている場合ではありません」

「大丈夫だって~。ほら」

 カテアが暢気に説き伏せている間に、戦闘が始まった。

 襲いかかってきた水兵を、トウコツが投げ飛ばした。近くの卓が砕け、真っ赤な料理が地面を彩った。

 二人目の水兵は、頭に椅子を叩きつけられ、三人目の顔面には皿が衝突し、それぞれ、あっさり沈んだ。

 逃げ出す食事客や、駆けつける野次馬で、街角は混乱し出した。水兵たちは懲りず、人の波を掻き分け、トウコツに迫る。

 完全に出遅れたカテアは、歯痒さに身を捩った。

「拙いですね。こう混雑しては、助太刀しようにも」

 焦るカテアを、ヤズが宥めた。

「心配性だな~。カテアちゃんが行かなくっても、なんとかなりそうだよん?」

「もし増援が現れたら、どうするんですか。ここは西班牙が統治している、馬尼拉なんですよ? 軍人なんて、そこら中にいます」

「あ、本当だ。いっぱい、やって来やがった」

 ヤズの反応に、カテアは背筋が寒くなった。

 人垣の向こうから、隊列を組んだ水兵たちが数十人、大挙して押し寄せてきた。囲まれれば、ひとたまりもない。

 逃げなさい、と、カテアが叫ぼうとした刹那、

「なに暴れとんねん! このド阿呆!」

 一人の修道女が飛び出し、トウコツに殴りかかった。トウコツは難なく、修道女の拳を躱し、苦笑した。

 トウコツと修道女は、異国の言語で言い争いを始める。カテアは、さっぱり分からなかったため、隣のヤズに助けを求めた。

「ヤズさん。トウコツと、あのシスターは、何を口論しているのですか? 今は一刻を競う事態だというのに」

 すると、ヤズは口元に手を当て、わざとらしく瞬きを繰り返した。

「まあ、やだ。難訓ちゃんたら色気付いちゃって。この私を差し置いて、あの可愛い色黒ちゃんと乳繰り合うとは。断じて許さ~ん。石ころ、落ちてないかな」

「あのぅ、さすがに早合点では? トウコツとシスターが仲睦まじいようには、とても見えないのですが」

 ヤズの的外れっぽい見解に、カテアが疑問を呈していると、水兵たちの援軍が、トウコツの前に到着した。

「あ~、もう、馬鹿話をしたせいで、何も……え?」

 カテアは目眩を覚えかけ、ふと、ある違和感に気付いた。

 援軍より先にいた水兵たちが、出てきていない、と。

 周囲を注視したカテアは、唖然となる。

 年端もいかない少年少女が、屈強な大人の水兵たちを組み伏せ、身動きを奪っていた。

「あの子たちは? まさか、トウコツが命じて?」

「いやいや、カテアちゃん。どうやら黒幕は、あっちのチョビ髭っぽいよん」

 ヤズが指差した先には、確かに、チョビ髭の素敵な神父が佇んでいた。海軍の上級士官らしき男を、脇に連れて。

 不可解な出来事は続く。見窄らしい格好のチョビ髭神父に、何事か頼まれた上級士官は、緊張した面持ちで何度か頷くと、部下たちに怒鳴り散らした。暴れていた水兵は、抗議も虚しく連行され、消えていった。

 子供たちは、トウコツと修道女の元に駆け寄り、嬉々として騒ぎ立てた。特に、年長者らしき少年は、自らの手柄を顕示し、トウコツに頭を撫でられていた。

 終始、嵐のようだった一幕に、カテアは呆れを通り越し、理解への努力を放棄した。

「事情が、これっぽっちも把握できません。たった四日で、どんな人間関係を築いたというのですか。トウコツさんは」

「さ~ね~。数奇な巡りの人は、なんでもかんでも引き寄せちゃうから。さて、私も難訓ちゃんたちの輪の中に、ちゃっかり混ざってこようかな~っと」

 脈絡もへったくれもなく、物陰から抜け出ようとしたヤズの手を、カテアは反射的に掴んだ。

「その、えっとですね」

 カテアは、なぜか気恥ずかしさを感じ、俯いた。ヤズは陽気に、しかし容赦なく言い含めた。

「カテアちゃんは、駄目っしょ。カテアちゃんは、もっと格好良く登場しなきゃ、カテアちゃんらしくないって」

 ひどく抽象的だが、なんとなく伝わった。今更、どんな台詞を吐きながら現れたところで、間抜けな絵にしか、ならないだろう。

 しかし、カテアは怯まなかった。

「体裁も大事ですが、礼儀を欠いては、もっとワタシらしくありません。きちんと、海軍を退けてもらった礼を言わないと。トウコツさんとて、いつまでも馬尼拉に留まってはいないでしょうし」

「なら、こっそり従いてくればいいじゃん」

 ヤズは事も無げに、解決案を示した。カテアは思わず納得しかけ、ぶるぶると頭を振った。

「ワタシは、部下を率いる身です。おいそれと、一人で勝手に遠出するわけには」

 もどかしさで口籠もるカテアに、ヤズは半眼の下卑た笑みを作った。

 悪魔の誘いが、耳元で囁かれる。

「カテアちゃ~ん、女に生まれたからには、我儘に生きようぜい。どうせ、カテアちゃんの船は、しばらく修理で出航できないんだし」

 カテアの心の枷に、亀裂が入った。

 そうだ。何を躊躇う? 誰が咎める? どこに問題がある? 借りは、必ず返さねば、海賊船船長の名折れだ。

 誉ある、ブラックバートの名を継ぐ者として、カテアは決断した。

「貴方の仰る通りかもしれません、ヤズさん。舞台が整うまで、ワタシは待つとしましょう。華麗に参上してこその、コンスタンティアです」

「決まりだね。では、カテアちゃんの勇気を祝して」

 ヤズは腰の後ろに手を回し、仰々しくカテアに贈呈した。豪奢な絵柄の彫られた、一丁の拳銃を。

「マウリッツちゃんの部屋から盗んだんだけど、私には似合わないかな、って」

 気前良く、はにかむヤズに、カテアも笑った。

「まったく、手癖の悪い人ですね」

「お互い様だよん。それじゃ、また会おーう」

        6

 ヤズが合流し、文之進の周りは、ますます喧しくなった。

 ペーニャもナオキたちも、口を揃えて「誰やねん、この姐ちゃん」と、文之進に問いかけたが、文之進が答えるまでもなく、ヤズが自ら前面に出て、喋り倒していた。

「えかったでんなぁ。離れ離れになっとった娘さんと、再会できて」

 カテアと同じく、ルベ神父は文之進を、ヤズの父親と判断した。あまり嬉しくない年上扱いに、文之進は肩を落とす。

「だから、俺はヤズと大して歳が違わな……いや、そんな些事など、どうでもいい。先程は驚いた」

「はて、何にでっしゃろ?」

 惚けるルベ神父に、文之進は、はっきり指摘した。

「ルベ殿と海軍との、やりとりさ。アンタが一声、掛けただけで、高官らしき男が即座に水兵たちを退かせた。俺は、てっきり、俺を取り押さえるための援軍を呼ばれたのかと」

 ルベ神父は、少し、バツの悪い表情を作った。

「教会の権威ってやつですわ。ルベとシスター・ペーニャ、ナオキさんたちだけでは、収まりが付きそうにありまへんでしたので」

「なぜ、俺に肩入れした? 俺が悪人かどうか確かめたくて、水兵たちの屯している場所を歩かせたんだろ?」

 文之進は、穏やかな心境のまま、核心に触れた。ルベ神父は、ぎくりと、悪戯が発覚した子供のような気まずさで、視線を逸らした。

「見透かされとりましたか」

 文之進は、改めて尋ねた。

「アンタは、俺の身柄を海軍に引き渡したかったはずだ。この俺が、正真正銘の悪党だと分かった段階で。なのに、どうして心変わりした?」

 ルベ神父は、僅かな逡巡の後、ナオキたちを見遣って、打ち明けた。

「ナオキさんが、真っ先に文之進さんの助けに入った際、気付いたんです。浅知恵を働いたルベは、なんと矮小なんや、と」

「ルベ神父……」

「魂が汚れとる者を、子供たちは好いたりしまへん。文之進さんは、間違いなく、善人でっせ」

 ルベ神父は、苦笑とともに謝罪した。

「ホンマ、すんまへんでした。怒っとります?」

「まさか。恩人に噛みつく歯など、生やしておらぬ。船まで手配してもらって、なんと礼を述べたらいいやら」

 文之進は、真相を知りたかっただけだ。咎めたかったわけではない。

 波止場が見えてきた。ナオキがペーニャに、羨望の眼差しを向ける。

「ペー姐、ええなぁ。ブンノシンと旅行できて」

「他人事やと思って、調子ええこと言うなや、ド阿呆ナオキ。ウチは、こないな凶悪漢と一緒や言われてから、毎晩、死ぬほど泣いとるんやで」

 涙ながらに力説するペーニャに、ナオキは首を傾げた。

「嬉しゅうて?」

「悲しゅうてや!」

 ペーニャの絶叫が、虚しく波止場に響いた。

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