第3話 南国に流れて

 文之進が海賊船に乗り込んで、五日が経過した。

 幸い、カテアが憂慮していた海軍とは、まだ一度も出会(でくわ)していなかった。最初の大嵐以降、天気が崩れる事態もなく、穏やかな波に押されるまま、船は馬尼拉(まにら)へ着こうとしていた。

「暇だな」

 日光と潮風が心地良い、甲板の下。仰向けで寝転がっていた文之進は、退屈の別名を呟いた。

 そこへ、

「難訓ちゃーん、釣りしようぜぃ」

 元気いっぱいに駆けてきたヤズが、文之進の脇腹を足で小突いた。

 釣り具がないだろう、と、文之進は指摘しようとした。しかし、ヤズの手には、一本の立派な竿が握られていた。 、

「お誘い、痛み入るが、その釣り竿はどうした?」

「カテアちゃんから貰ったー」

 ヤズは自信満々に、出所を明かした。

「ちゃんと、くださいって言えたか? 向こうの言葉で」

「もっちろーん。いつまでも、お馬鹿さんじゃないよーだ。えーっと、確か、『大人しく渡して頂ければ、危害は加えません』……だっけ?」

「脅し文句だ。それは」

 拙い言葉遣いで恐喝するヤズに、カテアが腹を抱えて釣り竿を差し出す図が、文之進の頭に浮かんだ。

「だって、みんな笑ってたよー?」

「冗談が通じたからだ。海に落とされたくなかったら、二度と使うなよ」

 厳しく注意した文之進は、上半身を起こすと、荷袋を漁り始めた。

「何してるの? 早く釣りしよーよー」

「いや、ふと、思い出したんだ。久平次殿から頂いた、こいつを」

 文之進が取り出した、取っ手付き歯車に、ヤズは眉を顰めた。

「その絡繰が、役に立つの?」

「分からぬ。ろくな説明も聞けなかった上、どこかの阿呆が、詳細の記された書物を濡らして、駄目にしたのでな」

 文之進に睨まれた途端、ヤズは他所を向いた。

「とにかく、何かに活かせればと考えたのだが……む?」

 偶然、文之進の髪の毛が一本、歯車に絡まった。

 取り除こうと、文之進は取っ手を回した。しかし、回す方向を間違えたのか、髪の毛は余計、歯車に巻き付いた。

 その過ちが、文之進を妙案へ導いた。

「玩具弄りなんか、後でいいじゃーん。私は魚が釣りた――」

「貸りるぞ」

 ヤズから竿を引ったくった文之進は、持ち手の近くに絡繰歯車を押し当て、確信した。

「やっぱり、拾った甲斐はあったな」

 思わず、笑いを溢した文之進に、ヤズは怒った。

「返してよー、私の釣り竿」

「まあ、待て。せっかくなら、遠くに餌を投げたいだろう?」

 今にも放たれようとしていたヤズの右足が、ぴたりと止まった。

「どゆこと?」

「ありったけの、鯨の髭を借りてこい。なければ、丈夫な糸で構わぬ。面白いものを、披露してやる」

 ヤズに命じた文之進は、早速、作業に入った。

 船長室で、航海士と今後の方針を話し合っていたカテアは、外の慌ただしさに気付くと、急ぎ、甲板に赴いた。

「なんですか、騒々しい。私闘や口論なら、掟に従い、処罰を……」

 言いかけて、カテアは口を噤んだ。

 宙を舞う魚。湧き起こる喝采。

 釣り竿を握ったヤズの後方が、魚の山となり、周囲の乗組員たちは、皆、大喜びで盛り上がっていた。

「でかしたぞ、ヤズ。今度もまた、鳥が群れてる辺りを狙え」

 トウコツが、ヤズの頭を撫で、次の指示を飛ばした。

「合点でい。えーいや、こらぁ!」

 奇怪な部品が付いた竿を、ヤズは思い切り振りかぶって、下ろした。すると、部品から伸びた糸が、長い尾を引いて、餌針を彼方へ運んだ。

「あの釣り竿は、いったい?」

 カテアが疑問を漏らすと、近くにいた部下が振り返り、愉快そうに説明してくれた。

 なんでも、トウコツがカテアの竿に手を加え、釣りを始めたら、瞬く間に入れ食い状態となり、野次馬も大挙して集まった、との報告。

 漁業船でもないのに、甲板を魚だらけにしたトウコツとヤズに、カテアは称賛の拍手を送り、歩み寄った。

「発明家だったとは、聞いていませんでしたよ。トウコツさん」

 カテアと顔を見合わせたトウコツは、少々、気恥ずかしそうに、頬を掻いた。

「いや、実を言うとだな。俺が一から、思い付いたわけではないんだ。核となる部位は、他人から譲り受けた。逃げる途中で出会った、ある御仁からな」

 トウコツが視線を向けた先で、ヤズがまた一匹、釣り上げた。カテアは、竿の根本に取り付けられた妙な歯車に、魅せられる。

「ふむ、船員たちが心惹かれたのも、分かる気がします。使い方次第では、小判より価値が生まれそうですね」

「悪いが、あれだけは、譲れぬ」

 トウコツの明白な拒絶に、カテアは揺さぶりをかけた。

「大金を積まれても?」

「脅されたとしても、だ」

 トウコツの真剣な目が、カテアを見据えた。カテアもまた、トウコツを射竦めるべく、睨みを利かせてみた。

 トウコツは、全く怯まなかった。しかし、カテアは苛立ちよりも、感心を覚えた。

 良い。実にワタシ好みだ。容易く武器を取ったり、暴力に訴えようとはせず、かといって、毅然とした態度も崩さずに、己の意見を通す気概。

 加えて、あっという間に周囲の人間と打ち解ける、適応力。腕っ節に自信のある者で、品性と知性、協調性を欠かない者は珍しい。たとえ肌の色が違っていても、手放すには惜しい。

 カテアは面を伏せ、一拍置いてから、トウコツに向き直った。

「分かりました、トウコツさん。釣り竿に付いた、あの不思議な仕掛けについては、諦めましょう」

 カテアが引き下がったため、トウコツは強張った顔を緩めた。

「そうか。絡繰歯車の価値を認めてくれた事実には、素直に感謝するよ。けど、やはり、久平次殿の歯車を差し出すわけには――」

「代わりに、と言っては、なんですが。トウコツさん。貴方をワタシの部下に迎えても、宜しいでしょうか?」

 カテアの唐突な申し出に、トウコツは困惑した。周りの乗組員たちは、揃って口笛を鳴らした。

「おいおい、なんだ、いきなり。俺に海賊になれと?」

「はい。衣食住は保証しますし、航海に関する投票権及び、投票発起権が、各一票ずつ、付いてくるんです。お得ですよ」

 カテアは高らかに喧伝し、トウコツを誘った。乗組員の一部からは、『これで、酒が好きに飲めたら、文句なしなんだがなあ』『博打も、やりたいわよね』『夜更かし、したいっすー』といった要望が寄せられたものの、カテアの『慈愛に満ちた』笑みで、大人しく黙ってもらった。

 トウコツは、小難しい顔つきで唸った。

「う~む、まさか、この俺が海賊とはな。ちなみに、ヤズの馬鹿は、お断りか?」

「うのおぉ~、この引きは大物の予感。鰹かな? 鮪かな? それとも、鯨?」

 未だ、釣りに夢中のヤズを、トウコツが指差した。カテアは即座に、許諾の旨をトウコツに伝えた。

「トウコツさんの付き添い、という扱いでよければ、ともに乗船してもらって、一向に構いません。ただし、航海の危険は伴いますが」

「当然だな。さて、どうするか」

 トウコツは顎に手を当て、考え込んだ。急かすつもりはなかったカテアは、ゆっくりと待とうとして、

「船長、東に船影多数! 恐らく、海軍かと」

 ものの見事に、水を差された。

 嗚呼、だから、マニラ近海には戻りたくなかったのに。

 声にならないカテアの嘆きが、渇いた青空に吸い込まれた。

        3

 カテアの海賊船は、五隻もの軍艦に追われ、砲弾の雨を浴びせられた。

 轟音が、間断なく続き、破砕音と衝撃が、文之進の頭蓋を芯まで震わせた。船長室に籠もっているにも拘わらず、聴覚と気が狂いそうになるほど、喧しい。

「側面付近に掠ったか」

 文之進の推測に、カテアは舌打ちする。

「まったく、品がありませんね。あちらは哨戒がてら、暇潰し程度に遊んでいるつもりなんでしょうけれど、付き合わされる身としては、堪ったものではありません。伝達さん、被害は?」

 カテアは、不機嫌を露わに愚痴を並べ、部下からの報告を耳にした。文之進は、必死に部屋の壁に張り付きつつ、腰の兜割と十手を確認した。

「いざとなれば、戦うだけだな」

「ごもっともだぜぃ、難訓ちゃん。皆殺しだー」

 ヤズは、大砲にも負けない大声で、文之進を支持した。が、カテアは猛烈な勢いで反発した。

「冗談は止めてください。ちゃんと逃げられますので、ご安心を。嫌がらせのブドウ弾だから、よく飛んでくるだけで。うくっ」

 またも、船体のどこかに着弾し、カテアは耳を塞いだ。

「やけに詳しいな」

 どこか、付き合い慣れた印象を、文之進はカテアから受けた。カテアは、苦笑とともに頷いた。

「当然です。ワタシのロイヤル・フォーチュンⅢに、これほどの傷を負わせられる者たちなど、ブリテンかスペインの海軍以外、ありえません」

 カテアは憎らしげに語りながらも、余裕を保っていた。

「連中には、管轄というものがあります。拠点防衛を主な任務としている以上、いくら有利でも、深追いは好みません。ある程度、距離を稼げれば、必ずや――」

「伏せろ!」

 いち早く砲撃を察知した文之進は、カテアに覆い被さった。次の瞬間、船長室の壁が吹き飛び、暴風と破片が文之進の背を叩いた。

 僅かに遅れて、痛みを感じた文之進は、苦悶に顔を歪めた。カテアは、文之進の腕の中で、驚愕と唖然を一緒くたに表現した。

「トウコツさん、どうして……」

「しっかりしろ。少し、部屋の見晴らしが良くなっただけだ」

 さりげなく、被害位置から遠退いていたヤズが、喜色満面に起き上がった。

「うっひー、腰ぃ抜かしたぁー。難訓ちゃん、くたばった?」

「生憎、楽に黄泉路を渡る気はない」

「ちぇー、惜しい」

 わざとらしく惜しんだヤズを、文之進は、半ば本気で殴りたかった。背中の激痛と相まって、腹立たしいこと、この上ない。

 と、正気に戻ったカテアが、焦りを滲ませ、進言した。

「大変。トウコツさんの背中が、血塗れに。すぐに手当を。医務室に急いでください」

 カテアの目は、真剣だった。しかし、怒りが収まらなかった文之進は、軽く失笑すると、カテアから離れ、首を横に振った。

「かたじけない申し出だが、断るよ」

 文之進の返事に、カテアは激昂した。

「何を強がっているんですか! 貴方、砲撃を受けたんですよ?」

「間接的に、だ。直撃ではない」

 文之進の言い訳にも、カテアは聞く耳を持たない。

「ブドウ弾は、人体殺傷に特化した兵器です。破片一つでも、侮れません。今すぐ治療しなければ」

「有り難かったよ。誘ってくれて」

 カテアの忠告を、風と受け流した文之進は、感謝の意を伝えるとともに、背を向けた。

 清々しいほど、立派に空いた大穴からは、眩しい青空と海が見える。わざわざ甲板に行く必要は、もはやなかった。

「突然、どうしたんですか」

 後ろから、カテアの困惑した声が届く。ともすれば、躊躇いそうになる気持ちを払い、文之進は決別の一歩を踏んだ。

「マウリッツ殿に味方したときと、同じさ。一宿一飯の恩を返すため、己の感情に従い、俺は推して参る」

「ま、待ってください、トウコツ!」

 カテアの制止を振り切り、文之進は大穴の先へ飛んだ。

 入水した途端、背中の傷が、ずぎっと、しみた。が、同時に、凄まじく喧しかった大砲の音が、抑えられた。

 海中は、ぞっとするほど透き通っており、文之進は、大きな木片の下に身を隠した。

(指揮官が乗ってる船は、一番、奥か)

 他の破片に紛れ、文之進は泳いだ。頭の上半分のみ、海面に出して。

        4

「あの人は、馬鹿ですか!」

 カテアは壁を蹴りつけると、ありったけの憤りを込め、怒鳴り散らした。周囲の乗組員は、全員、戦々恐々とした様子でカテアを見守る。

「まったくもって、度し難い。どうして、わざわざ死にに行くような真似を? 自殺行為です! 犬死にです! 意味なんて、一切、ありません! なのに、なぜ……」

「あひゃひゃ、そんなの、単に、難訓ちゃんが暴れたかったからに決まってるじゃん」

 取り乱したカテアを、ヤズが嘲笑った。釣り竿を強請(ねだ)ってきたときのような、覚束ない言葉遣いではなく、流暢な喋り方で。

 カテアはヤズに向き直り、問い質した。

「どういうことですか。冷静沈着なトウコツが、ただ暴力を振るいたいがために、無為な行動をしたとは、思えません」

 すると、ヤズは片眉を吊り上げ、ますます面白がった。

「をやをや~、檮杌って渾名の意味、分かってないのん? 難訓ちゃんの本性はねー、残忍で凶悪な、根っからの暴れたがりなんだよ。恩義や忠義なんて、建前、建前」

「そんなはずが」

「御せないよ。カテアちゃんに、アレは」

 ヤズは、笑みを不気味に歪めると、トウコツを『アレ』呼ばわりした。いつもの無邪気なヤズの態度とは、あまりに違うため、カテアは戸惑いを隠せなかった。

「やたら怒ってるのは、心配の裏返しっぽいから、教えてあげる。敵が多いほど、難訓ちゃんの強さは発揮されるんだよね。私たちが相手したときも、滅茶苦茶、厄介だった」

 ヤズは鼻を鳴らし、憎たらしく、自分の経験を語った。トウコツに対する不安など、微塵も感じられない。

 しかし、当然ながらカテアは、安心などできなかった。

「分かりません。まともに一対多で戦って、勝てるわけが――」

 そのとき、連絡係が息を切らせて、カテアの近くに駆けてきた。

「船長、海軍が大変っす!」

「何を、今更。引き返さなければ、あと少しで逃げ切れますよ」

 カテアは諭したが、連絡係は激しく否定した。

「ち、違うんすよ。連中が、突然、同士討ちを始めたんす」

 棍棒で殴打されたような驚愕が、カテアを見舞った。

 そういえば、先程から、砲撃が近くで一発も響いてこない。射程から遠離ったのだとしても、不自然だ。

 一方、全てが予測済みだったヤズは、釣り竿を肩に載せ、堂々と船長室の出口に向かった。

「さあて、と。難訓ちゃんの散り様を、この目で拝んでみよっかなん。カテアちゃんも、一緒にどう?」

「……すみません、皆さん。少し、空けます」

 混乱の極致に達したカテアは、ヤズに誘われるまま、甲板を目指した。

 慌ただしかった船内は、いつの間にか静まり返っている。まるで、海賊船から幽霊船に鞍替えしたかのように。

 甲板に出ると、後方で乗組員たちが、順々に望遠鏡を回し、呆れ顔を増やしていた。船の横側に寄ったカテアは、自前の双眼鏡を覗き込み、戦慄した。

 本当に、海軍が互いの船を、間近で撃ち合っていた。帆柱がへし折れたり、帆に大穴が空いたりで、沈没までには至っていないものの、どの軍艦も、こちらの追跡は不可能の状態となっていた。

 信じがたい光景に、カテアもまた、他の乗組員たちと同様、言葉を失った。

「鵯越の逆落としもさー、平家が内部の裏切りを勘繰って、疑心暗鬼になったから成功したんだよねー。だから、奇襲は有効なのよん」

 ヤズの解説は、カテアには皆目、理解できなかった。

 しかし、カテアは厳然たる事実として、受け止めざるを得なかった。トウコツが、船の足止めを見事に成し遂げた結果を。

「どこですか? トウコツは、どこに……。ああ!」

 望遠を最大にし、カテアは探し当てた。

 ちょうど、一番立派な軍艦の帆に火が付けられ、その真下に、トウコツの姿があった。

「早く逃げなさい! もう充分です!」

 カテアは、胸に込み上げる不思議な熱を、声にして吐き出した。聞こえはしなかったはずだが、トウコツは踵を返し、船の端に急いだ。

「そうです、早く海に。この辺りなら、島も近い。後で、ちゃんと拾ってあげますから、どうか――」

 ところが、祈りにも似たカテアの願いは、届かなかった。

 トウコツの身体を、いくつもの銃弾が貫いた。トウコツは、糸の切れた人形のように、力なく海に落ちた。

「そんなっ、トウコツ」

 失意に苛まれたカテアは、双眼鏡を落とし、膝を折った。周囲の乗組員たちも、悲痛な面持ちで頭を垂れた。

 さすがのヤズも応えたのか、いつの間にかカテアの視界から、いなくなっていた。

        5

 自分でも、死んだかな? と、文之進は思った。が、不思議と生きていた。

 流されるまま、漂着した場所は、名も知らぬ小島だった。美しい海と空、加えて、失血から来る猛烈な気怠さは、まさしく天国にいるような心地であったものの、擦過傷、打撲傷、切傷、銃傷による四重苦は、現にいる何よりの証だった。

 浅瀬から砂浜までは、どうにか辿り着いた。しかし、水中から出た途端、身体は石を載せられたように重くなり、文之進は大の字に寝転がったきり、動けなくなった。

 憂さは晴らせた。悔いはない。たとえ、何様であろうと、親しい者を傷付けようとする連中を、文之進は許せなかった。

 守れないぐらいなら、理性など不要。乱暴者と詰られ、蔑まれても、喜んで受け入れてやる。

 かつて、師を失った無念が、強迫観念として、文之進の胸中を支配していた。

「カテアたちは、無事に逃げ果せたかな? 俺より酷い怪我の奴が、いないといいんだが」

 戦いによる疲労困憊と、暖かで平穏な陽光は、睡魔を呼び寄せた。強い痛みにも勝る、激しい眠気だった。

 ひょっとしたら、眠りに落ちた途端、お迎えがやってくるかもしれない。文之進は不吉な考えを過ぎらせたが、無理に意識を保つ気には、なれなかった。

「存外、悪くないかもな。少なくとも、打ち首や切腹なんかよりは、断然……」

 もはや、独り言すら億劫になり、文之進は微睡みの中で、目を瞑った。

 と、そこへ、

 ふに、つっつっ。

 不意に、何者かが、文之進の頬を突(つつ)いた。

「誰だ? 俺の永眠を邪魔しようとするのは」

 文之進は面倒臭さを堪え、目蓋を開いた。

 十歳ぐらいの、浅黒い肌をした少年が、好奇心と警戒心の混じった目で、小枝片手に、しゃがみ込んでいた。

「ジブンこそ、誰や?」

 大和言葉だった。よく見ると、肌は日焼けで黒いものの、顔つきは文之進やヤズと同じ東洋系。最近、異人の顔ばかりを拝んでいたため、なんだか親近感が沸いた。

 この辺りの出身ではないのか?

 他に人はいるのか?

 様々な疑問は、とりあえず脇に置いて、文之進は名乗った。

「俺は、文之進。見ての通り、怪我で動けぬ身だ」

 痛みのせいで、文之進の息は途切れ途切れだった。

 無害だと判断されたのか、少年は表情を緩めると、小枝を捨てて、文之進の顔や頭、服に付いた砂を、手で払ってくれた。やけに親切な子供だ。

「ブンノシンか。ワテ、ナオキ。ナオキっていう」

「かたじけない、ナオキとやら。俺も、好きで小汚い格好を、しているわけでは、ないのだが、今は生憎と、腕一本、まともに言うことを、聞いてくれなくてな」

 文之進は、痛みに悶えながら、なんとか笑って誤魔化そうとした。しかし、子供騙しは通じず、ナオキに不安げな目をされた。

「ブンノシン、キズだらけやな。ワテの家行って、休むか?」

 不用心な。しかし、優しい子だ。

 ナオキの気遣いを、文之進は嬉しく思った。

「有り難い、申し出だ。しかし、お前一人で、俺を運ぶのは、無理だろう。気持ちだけ、頂戴しておく」

 文之進の遠慮を、ナオキは笑顔で打ち消した。

「心配あらへん。おーい、オマエら、こっちに来んかい」

 ナオキが島の林に向かって、声を掛けると、奥から、ナオキと同い年ぐらいの童たちが、ぞろぞろとやってきた。

 皆、この辺りの民族衣装を纏っていたが、面立ちは揃って東洋系であり、大和言葉を発していた。

「その兄ちゃん、悪いヤツとちゃうんか?」

「そうや、きっと、そうやわ。大人のひと、呼ぼ」

「いや、なんかもう、くたばりそうやし。ほっとこうや」

「血だらけで、なんか、こわいわー」

 ナオキの仲間たちは、大半が文之進の救助に、否定的な見解を示した。酷い言い草ながら、実に子供らしい、素直な意見だ。

 ナオキは眉を逆立て、仲間たちを叱りつけた。

「オマエら、シュウドウインで習わんかったんかい? 困っとる人を助けへんヤツは、あかん。バチがあたるで」

 仲間たちの前では、ナオキは妙に大人ぶっていた。おそらく年長者で、皆の纏め役なのだろう。

 ナオキの仲間たちは、決まりの悪い様子で顔を伏せ、黙り込んだ。

「ほな、手伝ってんか。みんなでやったら、楽勝でブンノシンを運べる。どないした? なんで、返事せえへんのや」

「あまり、友人を脅かしてやるな。俺なら、平気だから」

 必死に協力を呼びかけるナオキを、文之進は諫めた。文之進に向き直ったナオキは、声を荒げて反発した。

「平気やない! ワテはブンノシンを助けるんや。エスクリマのつかいては、困っとる人を見捨てたりせえへん。大人だって、助けれるやさかい」

「えす、くりま?」

 ナオキから、不思議な単語が飛び出した途端、ナオキの仲間たちは顔色を変え、騒ぎ始めた。

「ナオキの言う通りやな。ウチら、こないくたばり損ないに怖がるほど、弱ない。エスクリマ、教わっとるんやし」

「ほんまや。いざとなったら、いてまえば、ええねん」

「みんなで懸かれば、いけるやろ」

「村まで行けば、大人も、ぎょうさんおるし」

 かなり物騒というか、不穏な台詞が、混じって聞こえた。だが、どうやら、ナオキの仲間たちは、ナオキの提案を呑む気になったらしい。

 機嫌を戻したナオキは、人差し指を一本、突き立てた。

「決まりやな。ほな、いつもの、やるで」

 寄り集まったナオキの仲間たちは、一人ずつ、ナオキの人差し指に、自分の人差し指を合わせた。

 続いて、全員の掛け声が響いた。

「「まいど、おおきに! よろしゅう!」」

 いったい、どういう風習だ?

 文之進が訝ったのも、束の間、ナオキたちは一斉に駆けつけ、軽々と、文之進の身体を持ち上げた。

「おわっと。力持ちだな、お前たち」

「おまじない、やったったからや。そぉれ、行くで!」

 ナオキたちに担がれ、文之進は勢いよく、島の奥へと連れ込まれていった。

 身体の所々が擽ったかったり、痛かったりで、本音としては、今すぐ降ろしてもらいたかった。

 しかし、文之進に抵抗する体力など、あるはずもなく、なされるがままに、身を任せるしかなかった。

        6

 海賊船、ロイヤル・フォーチュンⅢは、昼間の騒動が嘘であったかのように、静かな夜の海を渡っていた。

 月明かりの下、所々が無惨に損壊した甲板の上で、カテアは一人、酒瓶を傾けた。既にこの世を去ったであろうトウコツに、愚痴を浴びせながら。

「まったく、生き急ぎすぎですよ、トウコツさんは~。貴方という人は、命を何だと思っていたんですかねぇ? 部下たちの溜飲が下がっても、士気まで一緒に下げられたら、迷惑なんですって~、め・い・わ・くぅ! 本当、嫌な死に方しやがってぇ~、あにゃろうめが」

 酔った勢いで、段々と無遠慮になり、呂律も回らなくなってきた。それでもカテアは、構わず飲みまくった。晴れない鬱憤を、少しでも紛らわせたくて。

「だいたい、なんで最後の最後で、撃たれたりしたんですかぁ? 砲撃を掻い潜れたんなら、銃の射線にだって、気を配れたでしょうに」

「死んだ振りしたかったから、かな。たぶん」

 カテアの疑問に、答える者がいた。

 ヤズだった。トウコツがいなくなって以降、姿を消していたヤズは、星空を仰ぎながら近付き、カテアの正面に座った。

 死んだ振り? まさか、トウコツは生きて?

 いや、ありえない。ありえるはずがない。

 カテアは必死に頭を振り、ヤズの憶測を、淡い希望を否定した。

「トウコツさんが、わざと撃たれたって言うんですかぁ? 冗談も、大概にしてくださいよぉ。トウコツさんが、いくら強靱でも、身体中を穴だらけにされたら、助かりませんって」

「難訓ちゃんは生きてるよん」

「いいえ、亡くなったんです! 認めたくはありませんが!」

 平然と宣うヤズに、カテアは意地になって怒鳴った。しかし、ヤズは怯まず、天を指差して微笑んだ。

「星が教えてくれるんだよね。四凶の命は、潰えてないって」

「馬鹿馬鹿しい。何を根拠に持ち出すかと思えば、占星ですか」

 すっかり酔いが醒めたカテアは、一気に捲し立てた。

「方角を知るには、多少、当てになりますが、人の生き死にに、星は関係ありません。迷信に縋ったところで、救いなど、ありませんよ」

「ほーう、言ってくれるねー。カテアちゃんこそ、難訓ちゃんを諦めきれないから、飲んだくれてたんでしょー?」

 虚を突かれ、カテアは言葉に詰まった。ヤズは肩を竦め、「自覚してなかったんだ」と、呟いた。

「分かるよん。私だって、難訓ちゃんに惹かれて、従いてった身だもん。どこか別のところへ、連れてってくれそーな相手だったからさ」

「ヤズさん……」

「でも、昼間にも忠告した通り、難訓ちゃんは誰かに扱えるよーな人材じゃないと思うよー。カテアちゃんだって、きっと、持て余しちゃうのが関の山だって」

「ワタシは、トウコツさんに未練など……」

 困惑し、俯くカテアの手から、ヤズは酒瓶を取り上げた。

「浅き夢見じ、酔ひもせず、ってね。嘆いてばっかりいないで、カテアちゃんは、どうしたいのか、真面目に考えてみなよ」

「何を、偉そうに」

「なっははー、私を睨んだって、答なんか出ないよー」

 ヤズは軽佻浮薄に告げ、立ち去った。胸中に靄の掛かったカテアを、甲板に残して。

「ワタシに、どうしろと。いえ、ワタシは、どうしたいんでしょう?」

 根っから律儀なカテアは、一晩中、悶々と自問し続けた。

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