②ラブってる
「あーちゃんっ」
その声と共に飛び込んできたのは、イブ。
「な、何?」
漢字で書けば
「んー、今度の週末休みでしょ?」
わたしの肩に巻きついて耳元でそう言う。わたしより身長が高いから少し重い。
「そうだけど。」
「ならぁ、旅行行かないっ?」
突拍子もなく誘い文句を口にするイブ。断ると不機嫌になるから自然了解するしかないんだけど、どちらにせよ今週末は運良く予定が埋まっていない。
「いいけど、何処に?」
「
「巴山、町……って何処?」
「えーとね、調べたところによると、ホッキョクグマが有名な動物園があったり、桜の名所になってる公園があったりするんだって!」
わたしに絡みつきながらポケットから引っ張り出したメモ帳を読む。
「それって遠いの?」
「んーにゃ、割と近いよ」
なるほど。遠路はるばる外出することになったら考え物だったけど、それなら悪くない。それに動物園とか公園とか、久しく耳にしていない語感に釣られて興味も惹かれた。
イブが、回した腕を支点に足を擦り寄せてくる。わたしは彼女の屈んだ頭を撫でながら
「うん、いいよ。行こう。」
優しく語りかける。上半身の密着状態からいよいよわたしの膝に頭を埋め出したイブは、「やったぁ」と言って顔の半分を向ける。陽だまりを乞うネコのような仕草に、少し安堵する。
そうして、わたし達は一泊二日の旅行に出掛けることになった。
「朝早く起きた方がいい?」と聞いたところ「別にどっちでもいーよー」と軽々しく返答してきたその翌朝、結局いつも通りの時間帯に起きる。特に目覚ましを設定した訳でもないので当然と言えば当然だ。
隣の布団でぐーすか寝息をたてるイブの身体を揺らし、「むにゃぁ、もう食べられちゃうよぉ」と寝惚けるこいつに「食べられる側ですか」と内心突っ込みながら起床させる。立ち上がったイブに、外行きの洋服を用意して着替えさせる。提案したのはイブでも、わたしがイブを世話をするという関係は変わらない。それはわたしが望んでいることでもあるから、幸せだ。
適当なパンと野菜と、イブの好きなグレープフルーツジュースをテーブルに出して朝食の広げる。その間に着替えを終えたイブが寝床からとことこ歩いて、「おはよぅ」と目を掻きながら言う。「おー、おはよう」自分の分の飲み物を注いでいる最中のわたしはコップに気を配りつつ返す。
椅子に座って早速皿に手をつけるイブに呼応して、わたしも向かいの椅子に着く。
「その巴山町って所、行き方とか全然知らないけど大丈夫?」
「それはもう調べました!」
眠気から目覚めたイブが、朝から元気よく言う。
「電車?バス?」
「んーと、最初はバス、次に電車、合わせて一時間くらいかなぁ。」
一時間。旅行にしては近過ぎる距離だが、そのくらいがわたし達には丁度いいかもしれない。
「じゃあ道案内はイブに任せるよ。」
「任せろやい!」
胸を張って、そしてジュースを一気飲みするイブ。
「ぷはぁー!やっぱグレープですなー!」
唇に小さな泡を浮かべて振り切れる。
それじゃ葡萄だよ。
身支度も完了して家を出たわたし達は、近所のバス停まで徒歩で移動し、最寄り駅に到着した後、電車二本乗り継いで目的地付近へやって来た。途中、車内でイブがうとうとし始めて若干焦ったが、問題なく辿り着いた。
駅の階段を降りると、古風な雰囲気漂う町が見えてくる。古めかしい看板や材木の傷んだ割烹店などが連なり、全体的に茶色って感じだ。
ここまでは交通機関を利用してきたけど、この後はどうするのだろう。なるべくなら日の沈まない内に動物園に行っておきたい。そう思ってイブの方を向く。
するとイブは横顔を逸らしたまま、言った。
「あれぇ、場所間違えちゃったかもぉ」
「……は?」
「えへぇ、ごめーん」
悪気の濃度が低い笑顔で告白される。うわ、こいつやったなぁと思う反面、わざとではないだろうから怒るに起こりきれない。
「同じ名前の場所なんだけど、ここには動物園とかない!」
それはまた不運な。じゃあもうここにいる意味がほとんど無くなってしまったようだけど。
「でも、ここも何かの名所だってよ!」
携帯を操作しながら声を高くして主張する。
「何かって何よ」
「うむむ……花、って書いてある。花。」
「花?じゃあやっぱり桜か何かは見れるんじゃないの?」
「多分、そんな感じ」
両手で画面に触れるイブが頼りなさげに言う。
「まぁずっとここに居てもやることないし、町の散策でもしようよ」
「うん!」
その方針で一致すると、何処にあるか分からない観光スポット目指してのらりくらりと歩いていった。
町に出てから約二時間が経った頃。わたし達は近場の公園のブランコでぐったりしていた。
「全然花なんてなかった……」
「本当だね……」
あれからずっと観光できる施設を探して歩き回ったけど、結局それらしき建造物や空間は何一つ見当たらなかった。見晴らしのいい場所とか、絶景が眺められる高台とか、そういう要素すらなく、平坦な時間だけが去っていった。動物園に湧いていた数日前のわたしが遠い。
この公園も四方の内三方を建物に囲まれていて閉塞感がある。設置された遊具は今わたし達が乗っているブランコと鉄棒、それと遊具かどうか微妙な砂場と椅子しかない。子供の姿も見えない。
さてどうしたものか。ブランコに揺らされながら考えていると、フェンスの切れ端から夕日が顔を出す。もうそんな時間かと思い、ブランコが止まった状態のイブに提案する。
「もう、休まない?」
いい時間な上、散策に酷使した足腰が疲労感でいっぱいだ。この傷んだ板よりもっと安定した場所に座りたい。
「今も休んでいるよ?」
そう言うイブは小学生児童のように疲れを知らない様子だ。そのありあまる元気が少し羨ましい。
「そうだけど、そうじゃなくて……ホテルに行かない?」
「お、そうきましたか」
イブが左手に右手を乗せて合点をアピールする。
「予約とか済んでるんでしょ?」
事前に確認していたことを、もう一度確認する。
「もちのろんだよっ」
今度は自信ありげに胸を張って言う。身体的にも胸を強調してくるから何となく目のやり場に困って、ついブランコを大袈裟に振ってしまう。
「案内できるよね?」
地面のマットにざざざと足を擦らせて、イブを見据える。
「任せろやい!」
わたしに向けて明るく言い放つイブ。イブの任せろやいは比較的信用できるから、わたしも安心する。あー、早くベッドで落ち着きたい。
「じゃ、行きますか」
「レッツゴーっ」
ブランコを離れたわたし達はイブの決めた宿泊場所へと歩く。
公園の出口を越える時、ふと後ろを振り返って、わたしはもう子供じゃないんだなぁと、何気なく思った。
ほの暗くなる空と比例するように沈んでいく町の色に沿って、幅の狭い街道を進む。老舗風の料理店や地元人気の高そうなスナックを横目に、一軒また一軒と建物を通過する。公園からだと遠くなるが、駅には遠回りに近付いている道を開拓して十五分後、イブの動きが止まる。
「ここだよ」
イブが指し示すのは、縦長に伸びた施設。見る限りここ一帯の中ではかなりの高さ誇っている。入口横には英語で書かれた看板があるが、日本語専門のわたしには読めない。
「やっと着いたぁ」
何はともあれ休息できることに安堵して、思わず声を漏らす。ついでに身を屈める。
入口側に近付き、携帯と看板を交互に見るイブは、「ここら辺には他にも同じようなのあるけど……うん、ここで合ってる」と確信を得て、膝に手をついたまま固まっているわたしを呼ぶ。足裏から抜けていくような疲労感を抱えながらイブの元へ歩き、二人で中へ入った。
自動ドアを跨ぐと、いきなり視界が大画面に占領される。「いらっしゃいませ」と歓迎するフロントの背面に、巨大なパネルのようなものが掛けられている。その意味を理解するより先、パネル板の大きさに単純に驚く。ここはもしかすると高級ホテルか何かなのではと思い隣を伺うと、イブは何故か頬を赤らめながらフロントのお姉さんに予約客である旨を告げている。イブのそういう表情は珍しいので、やはり何か訳があるのかと思い、改めて目前の画面を注視する。
すると、その画面が多数の枠にコマ割りされていることに気付いた。コマにはそれぞれ部屋の内装写真が掲示されていて、上方になるにつれ装飾が豪華に光っている。さらによく見れば、隅の方に各部屋の料金らしき数字が表記されている。全体的に言って、わたしの知っているホテルの形式とは違う。不思議に思いながら観察している内に、イブは手続きを済ませらしく、わたしの方を見る。じっと見つめて、何か言いたげにする。
すると、フロントのお姉さんが言う。
「素敵な夜をお過ごしください」
その言葉が耳に入った時。
ようやく、察する。
同時に、顔が熱くなる。
「ここって……」
「あーちゃん……行こ?」
イブの手が強引にわたしを引っ張り、奥のエレベーターへと向かう。
わたしは頭がパンクしそうになりながら、イブに従う。
……このホテル。
ホテルはホテルでも、ラブホテルだ。
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