⑫ミス-Ms.


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 わたしには女の子同士の恋愛が真実で、恋愛とは女の子同士の関係のみに定義されるという信念がある。巷ではそれを「百合」や「ガールズラブ」と呼ぶが、わたしに言わせれば「百合」は「恋愛」で、「ガールズラブ」は「ラブ」そのものに一致する。わたしからすると、男女において恋愛と呼ばれているものはそもそも恋愛ではないのだ。本来は「愛は性別に関わらない」という命題を理屈で用いれば、男女でも恋愛と認めてもいいはずだが、現実はそんな綺麗事では片付かない。男女同士で下心無しに関係が進むわけなかろう。

 特に男。最初はにこにこ仮面を覆った人相を垂れ流していても、しばらくすれば必ず利己的で暴力的な本質を見せびらかしてくる気持ち悪い人種、それが男なのだ。これが男女差別だと言うのならそうほざいていればいいさ。偏見だと声を大にすればいい。そうしたとしてもわたしには、建前で精神的平等を謳っている、本質が肉体的不平等な歩く肉にしか見えない。所詮肉体の奴隷に過ぎない動物人間なんだよ。それを肯定するくらいなら、わたしは偏っていたい。世間の常識とわたしの常識は違っているのが正常だ。

 別にわたしが具体的に何かされた訳ではないのだが、周囲の人間を見るとこのように男女関係の気持ち悪さを強く意識する。男が、この世の多数派であることをいいことに何しても許されるという軽薄な口調で、発言を小説化したら際立ちそうなつまらない話題を創り出して、女子がそれに対して声の周波数を高めて媚びた反応を返し、男が三流以下のツッコミを繰り出すという殺風景なさまを不本意にも眼中や耳に入れてしまうと、食道辺りで黒い煙が広がるような気分になり、吐き気を催す。実際に吐いたことも幾度と無く経験がある。それが一日続くとなると、わたしの精神も疲弊して段々と無感動な苛立ちへ変質していく。

 だから教室は地獄だ。共学になんて進学しなければよかったと心の底から後悔している。わたしのいるべきところはここではない。話題が概ね男女の話で占められている低俗で野蛮な空気感などではなく、もっと知性があって、穏やかで、大人びている雰囲気のある空間に滞在したい。そしてできれば、女の子同士の関係が密接であると尚良い。

 具合が悪い異性関係とは異なり、同性愛は生物学の一般論を勇気を出して乗り越えてお互いを大切にすることで成立するので、果てしなく尊い感情、関係だと思う。精神的に高位にあり、実に人間らしい行為だ。もちろん肉体的に同性を欲しているケースもあるだろうが、それを気持ち悪いだなんて全く思わない。これは男女関係が最悪の不快感を与え、かつ社会常識、一般常識と固定化していることへの反抗心や拒否感と相対的に、精神のみならず肉体を伴う同性愛にも許容や理解を得るというのもあるが、何よりもわたしの個人的趣向が主たる理由だ。女の子同士の関係は、綺麗で、美しくて、可愛い。柔らかい体や心は癒しの表象、ひいては愛の象徴だ。

 もう一方の男同士の関係も、わたしとしても理解や納得はできるし、尊重されるべきだとは思う。男女における男の存在とは訳がちがう。女の子同士の関係と同様に尊いにちがいない。しかし、それがわたしの琴線に強烈に触れたりはしない。好んで調べたり、共感できたりはしない。だから究極的に言うならば理解も納得もできていないと追求する余地もある。決して否定しているわけではないし、否定するはずもないが、ただ大きく肯定するにはわたしの体質が合わないというわけだ。もしわたしが男同士の関係を好んでいるような別世界が存在するのならば、今のわたしをもったいないと表現するかもしれない。その可能性を認める程度の関心しかわたしは持っていない。

 話を元に戻すと、わたしは百合を信じている。好みという感情の面からも、理性の面からも。百合が生きる意義なので、百合の概念が無くなったらわたしも亡くなると思ってくれていい。可愛い女の子と可愛い女の子、可愛い女の子と恰好いい女の子、明るく活発な女の子と冷静で落ち着いた女の子、怠惰な女の子と世話焼きな女の子、過去を引きずる女の子と未来を照らす女の子……組み合わせは限界が無い。無限な世界だから、一生信じていられる。

 学校からの帰り道を歩いていると、ときどき思うんだ。

 わたしが百合を愛しているわたしでよかったって。

 確かな百合道を歩けているんだって。

 そんなわたしも、わたし自身好きだ。


 ある日。

 学校の空気に耐えきれなくなったわたしは、とある女子高に転校することに決めた。家族への説得や転校の手続きには苦労したが、なんとか決行に踏み切れた。あのままあの学校に残っていたとしても、ほどなくして不登校になるのは目に見えていたから、これは有意義な選択だと確信している。何と言っても女子高だ。百合が溢れていないわけがない。待ちに待ったリアルな百合が生で見られるはずだ。

 そう、今まで色々御託を並べてきたが、実はわたしは実際に女の子が女の子と交際しているのを目にしたことがないのだ。だからこれまでは次元を一つ下げた世界の百合を享受したり、インターネットで現実の百合の動画やニュースを見聞きすることで心に栄養を与えていた。飢えをしのいでいた、とまで言える。現実に経験がない原因は同性愛が浸透していない現状にあるだろうが、女子校は比較的期待していいと思われる。多くは友達として生徒と接する生徒でも、中には友達という薄い枠には収まらない鼓動の高鳴りを抱いてしまう相手を持つ生徒も必ずやいるだろう。友達として腕組みしたり昼休みに食べさせあいっこしたりしても十分百合なのだけれども、会話の中で一回でも「彼氏」に関連する発言が出てくるとわたしは嘔吐感に満たされてしまうので、出来れば重厚な愛を秘めている百合に出会いたい。良い百合を遠くの席から眺めていたい。近寄って邪魔をしてはいけない。わたしは"傍観者"なのだ。

 転校初日。わたしは今まで通り可もなく不可もない風貌で見慣れない校舎に入った。この時点で以前の学校とは大きな相違があった。前は校舎の正門と教室の中間地点ですでに五月蝿い話し声の断片が押し寄せてきたが、この学校はどこまでいっても静かな空気が続いている。この校舎が静寂に包まれたコンサートホールだとすると、あの校舎は家畜のひしめいた動物園だ。飼育小屋だったらいいものを、自由な暮らしを許されている施設だったから困っていた。けどもうその暮らしに巻き込まれることもない。新たな生活に希望を胸にし、教室の前までやってきた。ここにきても未だに静けさを感じる。素晴らしいことだ。

 しばらくすると担任の先生が現れて、教室に入ったら軽く挨拶と自己紹介をするように言われた。女の先生なのかと、再び好感度が上がった。

 授業開始に迫ってきたので、教室の扉を開けて数歩進み教壇に上がる。何人かが小鳥のさえずりのような小声で会話を楽しんでいたようだが、わたしが入るとそれも収まった。教卓の後ろにつき、全体を見渡してみる。分かりきったことだが知っている顔は一人もいない。でも初対面特有の恐怖は感じなかった。みんな穏やかそうな表情で、心做しか吸う息の温かさを覚えた。新鮮な安心感に巻かれて、緊張などしなかった。

 無難な挨拶と自己紹介を終えて、担任に伝えられた席へと向かう。教室の後ろの壁に面した席だったので、目立たずに済みそうだ。周辺の子たちがちらほらとこちらを見ているが、わたしから積極的に話しかけることはしない。わたしが過度に関わることで百合の原石を乱すことなんてあってはならない。

 そう思っていたが、とある一人が喋りかけてきた。その子の名前は愛奈あいなと言った。愛奈はわたしがどこから転校してきたのか、教科書は持っているのか、授業はついていけそうか、などと様々な問いかけや手助けをしてくれた。おかげで初日から困ることは一つもなかった。それに愛奈がきっかけで席の周りを始めとする、他の子たちもわたしに話しかけてきてくれた。女子校にわたしという共学の異分子が交じることについて危惧してはいたけど、みんなの優しさや気遣いがかつてないほど心に染みたので、大人しく受け入れることにした。特に愛奈の心遣いが嬉しかった。久しぶりに、学校が楽しい空間だと思えた。転校して、本当に良かった。


 それから数日経ち、わたしはクラスの影になるわけでもなく、目立ちすぎるわけでもなく学校生活を過ごしていた。元々淑やかな校風だから、影も何も無いといえば無いのだけど。それでもクラスの中心的な存在の人はいる。愛奈はそれに値するようだ。授業中は流石と言えるほど静謐だが、休み時間になると愛奈は色んな人のもとへ訪れ、決して軽骨ではない気さくさで対話を交わしている。わたしにも同様にしてくれる。というより、これは周りの子から聞いたことだが、わたしに接している時間は他の子より長くて、頻度も高いそうだ。それが本当かは定かでないけど。

 友達との触れ合いもいいが、わたしの本来の目的の一つも忘れてはいない。そう、百合だ。女の子同士の交際だ。

 なんとこの間、わたしは一組の百合カップルを恐れ多くも発見してしまったのだ。しかも驚くべきことに、同じクラスの二人だった。わたしたちは昼休みの時間になると、皆思い思いに誰かと、または一人でどこかへお弁当を持ち出して食べるのだが、この学校には園庭のような広場があるので、そこで食べる人が多い。広場は植物の緑の色合いが印象強く、アクセントとして白く輝くベンチや装飾に備えられた噴水もある。ベンチは二人で座るのに丁度いいので、自然と二人組が出来上がるようになる。広場の存在に初めて気がついた時、わたしはこれ以上に百合カップルが見られる機会に富んだ場所は無いだろうと興奮して、それ以来毎日広場の隅っこでお弁当を食べていた。そしてある日見つけたのだ。食べさせ合いくらいなら割と頻繁に散見されるが、その二人は更に上をいく行為をしていた。一人がデザートの苺を口にくわえて、もう一人に口移ししていたのだ。しかも唇から苺の甘い果汁が漏れるのが分かるくらい、かなりディープな動作だった。単なるキスよりも甘々だった。この光景に圧倒されたわたしは、昂りのあまりしばらく身体が硬直してしまった。今まで見てきたどの百合よりも間近でリアルな出来事だった。その後の授業でも教室にいる二人の様子が気になって勉強どころではなかった。二人の関係性を密かにもっと追求したいところだ。


 熱心に観察を続けていると、この二人以外にも校内には数組の百合カップルが成立していることが分かった。進展度の低いペアから、先のようにレベルの高いペアまでいるが、わたしの勘違いということはないはずだ。現実に見取るのは経験が浅いとしても、わたしの百合への熱意、そして誠意まで浅く見積もらないでほしい。確実に、この学校には百合カップルがいるのだ。人目を忍んで付き合っている場合も考慮すれば、さらに数は増えるだろう。考えるだけで心が沸き立つ。


 あぁわたしはこの学校が大好きだ。この教室が大好きだ。何と言ったって、百合が大好きだ。最高だ。

 そんな充足感を暢気にも感じていたら。


 今日の放課後。

 普段見せない緊張した顔の愛奈に呼び出されて。

 誰もいない教室で、「好きです」と言われた。


 頭がベンチみたいに真っ白になった。黒目が白目になっているのではと疑うほど、風景が白さに占められた。愛奈が「初めて見たときから好きでした。一目惚れでした」とか何とか言っているけど、頭に入らない。脳が働かないから、感情も上手く繋がらない。過去を受け止めることしかできない。告白、されたことは認識できたけど、その次に神経が反射されない。わたしは、どうなっているんだ。分からない。どうすればいいのか。分からない。どうしたいのか。分からない。どうするべきなのか。分からない。わたしは今、何を思っているのか。嬉しいのか、悲しいのか、楽しいのか、腹立たしいのか、慌ただしいのか、馬鹿らしいのか、苦しいのか、喜ばしいのか、悔しいのか、素晴らしいのか、悩ましいのか、清々しいのか、鬱陶しいのか、騒々しいのか、心地良いのか、気持ちいいのか、気持ち悪いのか、機嫌が良いのか、機嫌が悪いのか。

 わたしの感覚は、どこにいく?

 今はまだ決まらないようだ。

 だから、愛奈にはそのままその旨を伝えた。固まっていた愛奈はいつもの顔と物腰に戻って、微笑を浮かべながら了解してくれた。その微かな仕草が目に映ると、やっぱりいつもより無理しているように見えた。わたしが、無理をさせてしまった。

 そう分かっても、わたしの気持ちは掬い出せない。

 わたしの精神、見失った。

 探し出せるかな。

 不安だな。

 だって。

 だって、生きてきて愛を与えられることなんて無かったから。



 別に愛なんて欲しかったわけではない。それは生まれたときから男女関係が真実だと詐称されてきたから。物心ついたときから恋愛に違和感を覚えていた。それは精神が成長するにつれて解消されていった。「百合」を知ることで。「百合」こそがわたしの信じるべき愛だと気付いてからは、自分の愛には興味が無かった。強いて言うなら「百合」そのものを愛していた。自分と他の人間の間に情が生まれることは考えすらしなかった。たとえ自分が性別上、女だとしても、「百合」の当事者になるとは思わなかった。

 しかし現実に起きた。「百合」の外側にいるわたしを、愛奈が「百合」の内側に誘い込んだ。

 それならばわたしはどうするか。悩みに明け暮れて思索の殻に閉じこもり、結論が姿を現さない。

 分からない。考えても分からない。

 だけど、一つだけ分かることがある。

 いや、分かったことが生まれた。


 今現在。

 わたしは愛奈に告白されて、とっても欲情している。





 んっ、んっ、はぁっ。


 ……………………………………………………。


 ……死にたい。泣きたい。死にたい。

 どうしてわたしはこうなの?

 もういやだ。いやで、気持ち悪い。一体わたしは何者なんだ。今のわたし、誰だったんだ。消えていてよ。死んでよ。現在時制のわたし、馬鹿みたいに生きてるなよ。わたしなんか、意気地の抜けた人間ロボット。自然の摂理の奴隷。道理なんて断ち切れよ。かつての幼稚で低俗で動物な教室の奴らと変わらないではないか。同族になるのならば死んでしまいたい。愛奈に、愛奈たちに顔向けできない。「百合」をわたしで汚したくないのに。わたしなんか「百合」に相応しくないのに。欲望に抗えないわたしなど。わたしの中の醜いわたしが憎い。本当は内部と外部に分割するまでもなく、全部わたしだということも分かっている。その認識も甘くてとろけて死に値する。価値観を幾重にも捻じるなんて。自ら進んで不正解を望むなんて生きてる意味を考えろわたし。日頃わたしの信念が大好きなわたしはどこに隠れてしまった。わたしはわたしを信じているんじゃないのか。死にたいと思うのはおかしいことじゃないのか。人間と言えども矛盾の塊が腫れ上がり過ぎて、心が、心が、狭い。窮屈だ。

 わたしはもう、人間でありたくない。わたしが生きるにはこの肉体は不都合過ぎる。肉体から解放されたい。死にたい。でも、生きたい。純真なわたしの精神だけを取り出して残して。囚われた生理現象を切り捨てて。身体から欲望を削除して。誇らしい自己に統一させて。愛の真実を、貫かせて。

 ……わたしの。

 わたしの矛盾を、なくしてください。

 どうにかしてください。神さま。精神さま。マリアさま。助けて。

 いつか絶対、わたしはわたしを間違えないから。


 そしたら、愛奈に言えると思うんだ。

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