⑪レムノンレム

電車で温まっているのはどうしても眠すぎて目を瞑ってしまう。一人で帰るのが数ヶ月以来で、体の節々から倦怠がなびく。端の席だと壁に寄りかかれるから、その安定に甘えている。視野があやふやな黒さに映されると、生きることを中途半端に手軽だと思い至るようで心残りが生まれる。電車と心境と、空模様の雲行きが測りきれない。最寄駅には慣れ親しんでいても、そこまでに何が出来るかを追求しないと、総括として電車にしてやられることに決定付けられる。さらにうっかりして終着駅まで陥ってしまうならば、代償は数十駅分の抑圧された時間となりうる。最悪だけは選択してはならないと明らかに知っていても、朧気に扱っているこの心理は決して保つべきではない理想に気を配るのみで、向上心と猜疑心の分量が足りない。まさにゆるやかな死へ生きている蝋燭に似て仕方がない。炎で自分を照らしていた思い出を胸に、記憶が焼けて空気に変わる。放浪したのは消えて見えない重さと言えるだろう。もう実感できない過去に縋る方法を大事にとっておくことが、今できる単純な仕事だ。どうか無職だと浅はかに仕立てないでほしい。必ず最低限は守り続けているゆえがある。思いつきの利益を果たしている現状がある。本来の計算ができていないという原因で、眠りたい気分に構うことになっているのもまた状況の内だけれど。

噛み合わない。理由と結果、理想と現実、努力と実益、計画と実行、心情と心情。見当たるものは、入れ違うものばかり。咀嚼して嚥下して消化するには諦めが必要な毒に塗れている。健康な関係は顔を出してくれないのか。全部の方向が一緒になって、統率のとれた動きを魅せつけてやれるのは、常に一定であることと等しくなければならない。肋骨あたりが不協和音とともに機能するのは、苦しみか喜びかで分けるなら当然苦々しい。食べられると勧められた小刻みに震える虫を歯で切断したら、表面から染みてくる僅かな肉汁が濃厚な絶望の味を確かめさせてくれるような、そんな苦渋の様相だ。

冷静に把握できても、行動には熱が不可欠となる。それにも関わらず、頭とその他を繋げるのに要する熱量を調達できていないのが現在だ。冷めた意思はそのままでは氷になる一方でしかない。立ち上がる力を分け与えてほしいのに、電車は無関係な存在で満たされた箱船に過ぎない。知を尊重する観念に、個人的高みが居座る、隠れて動かぬ証拠を、それこそ思い知った。知った上で、電車の中ではどうしようもない。これから生かす場を設けることができればいい。そうだ、明日にでも。

でもここではもう無理だ。無理矢理も通じない。環境に依存するのもまたどうにもならない一つの運命だ。次回、できるだけその宿命に抗うために、こうして休まさせてもらおう。

眠って温めたご存知な。眠って温めたご存知に。

眠って温めたご存知ぬ。眠って温めたご存知ね。

眠って温めたご存知の。

ねむな私に閉じ込めて、起きた私を温存しましょ。

朝が涼しげだと気持ちが昂るでしょうし。

さぁ。

うと、うと。

ノ、

ノンレムす、

……っ。

おや、着いたのか。

なんだ。

就けなかった。

これが電車に揺れる現代人の典型か。

大人しく家に帰ろう。

受け入れるだけの安全な部屋に。


駅からふらふらと酔っ払う素振りで歩いた。昼間から大げさな素行を散りばめれば、いくらか自分を表に写し出せると向こう見ずに考えたから。小さな輝きを一瞬でも見せたい。誰もいなくても自分はここにもそこにもいる。真上から客観的に眺めていたいものの、範囲が窮屈なのはどうしてかな。やむを得ずとして、眼の焦点をあっちこっち飛ばすのがせめて情趣に基づいている。視野が広がって薄まってぼやけて何も見えない。音も聞こえない。息はできてる。足も働いてる。丈夫なココロとカラダ、私のお気に入り。保存して繰り返して、保存して繰り返して、たまに保てなくなってそれでも繰り返して、半歩ずつ前を向いて、そうしていると部屋に入れた。場所が愛おしい。だからここでは生き急がなくて住む済む。民俗が普及しない母なる土地で、私は深呼吸をしてみる。味を占めている空気が電車とは違う性格で甘酸っぱい。愚痴と過労で下ごしらえされた社会の縮図を忘れさせてくれる。毎日過ごす施設というのに、懐かしさが優しい。

繊細さが宿っているわけではなくても、度量があることで安心できる。「認める」ことの在り方を学んだ気がした。そんなんだから「認めない」家の外は無視したい。笑わせる影響力もありやしない。

私の住所の効力には、思わず笑みがこぼれるけど。

少し笑顔になったから、疲れた。

体力も気力も省かれた私の経路は自由の先。

身を任せよう。心を預けよう。

制服のまま、お布団に引きこもろう。

そうして見えてくるものはない。

見えなくなる、この上ない。

見たくない、この上なく。

上を目指して下で屈伸しているんだ。

寝返りでホームランを討つんだ。

ねんねんころり。

うと、うと。

すや、すや。

ぐぅ、ぐぅ。

ノン、


ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすぃ


……月が眩しい。

朝早くは、夜だから。

まだ見ぬ日の出に準備して、私はお風呂に入ろうと。

髪を乾かそうと。

一杯の緑茶とおにぎりを飲み込もうと。

喉をつまらせながら明日に備えた。

まだ寝足りない。


土曜の朝、目覚ましい桁たましさが静かな布団を乱してきた。何もする気になれないから、しばらく鳴らせておいた。反復を待ってようやく止まない雨の心苦しさに自覚して、終止符をった。晴れ晴れとまではいかなくとも、義務と権利の優劣はついた。昨日から着こなしている指定の服を引き続き纏い、放置したカバンを拾い上げて、意地の悪い角度が照りつける街中へと強いられる。スーツで元気な社会人を覗くと、何気ない世界の差異を感じる。日常からして態度が行き届いているのは疲れるだろうに。ゆっくりと波のある半径の中で鋭い武器を手にしているのを目指して息を吐くと、疲れない。

普遍で大勢の勢力が妨げてくるから、疲れる。意識して訳が分からなくなって自滅する。慣れてしまうと、自然と滅亡の惰性に促される。

私はどっちだ?意志が、なのか、意思に、なのか。いつか主語の座を譲ってしまうのか。

諦めたくない。

し、

眠たい。


二つを乗せた天秤は、寝た。

まず電車で。

そして机の上で。

今更途中で起きたりなんて。

するまでもなく熟した。

私の腕が愛しい。

レムもノンも友達だよ。

私の生ける軌道を逸らそうとしてくる一般人と違って。特にクラスの。


帰り道、少しすっきりした視界に、彼女が映り込んできてくれて、もっとすっきりした。そう、これがいつもの日課だ。二人で並んで地面を蹴る感覚。一人では昨日のように矛盾を抱える時もあるのに対して、彼女と一緒だと違和感を感じる暇さえない。彼女のことを気にすると、蓄えていた眠気も散り散りに失せる。感情が最善に尽きるのだから、理論も疑惑も隠せる。それでいいと、彼女は思わせてくれる。気だるげな一人とは違う。彼女は、私の栄養だ。彼女のためなら、私の主導権を渡してもいい。

自分独りだと自分本位の傾向があるし、今までそうしてきた。それは変わらない。しかしそこに、彼女のため、という原理があることで私の怠慢は軽くなる。

できるなら、彼女に私の時間の全てを委ねたい。

私の内心を知る由もない彼女は、会話を交わすと招き猫みたいに笑う。福を呼ぶ美しさを見た。

こんな些細な事で、私は彼女との惹き付け合う接触が、永遠だと願う。

傷が付かないでいて。優しく私を温めて。

私が彼女に助けられているように、私も彼女に何でもしてあげるから。

二人で助け合っていこう?

近い距離でいよう?

伝えたくて、彼女に擦り寄る。

電車の席は狭いから、言い訳にできる。

もはや、車内に人がいることなど意識の外野に投げていた。

そうしたら、彼女が挙動不審に顔を向けてきた。

何だろうと思案する間もなく、


このあと家に来ない?と耳打ちしてきた。


彼女のくすぐったい小声が耳に反響して、最初は理解が右往左往した。

しかしすぐに漠然と意味を掴む。

数年間帰宅をともにしてきた私達だが、今までお互いの家に寝泊まりしたことは無かった。何となく避けていたような気もする。それはきっと、私も彼女も、徐々に感じ始めていたからだ。相思相愛、なのではないかと。でも言ってしまうと、二人の均衡が崩れると恐れていたんだ。

そして今、彼女の誘いを聞いて予想から確信に変わった。

彼女も、私を必要としていてくれたんだ。

だったらもう遠慮の余地はない。私からも、もっと沢山の気持ちを授けよう。

決心と同時に、彼女の絞り切った勇気にも、清々しく、疑いもなく、嬉しいと思った。


夕方、彼女の家に着くと、すぐさま部屋に案内された。

初めて見る彼女の生活感に、感動を覚える。これまで知らなかったことが恥ずかしいほどに。

私の部屋と特に違うのは、布団を敷く形式ではなくて予めベッドが設置されているという点か。あとは全体的に小綺麗で質素だ。

彼女らしいなと感心していると、その彼女が突拍子もなく襲い掛かってきた。


……えっ?


彼女は私をベッドに押し倒すと、いそいそと制服を脱ぎ始めた。私の体の上で、熱を帯びながら次々に脱衣を繰り出す。あっという間に上半身の下着以外が素肌で満たされた。

家に誘われた時点で、まさか、まさかとは予期していたけど……。本当にそれが現実になるなんて。

驚きと興奮で汗が出てきた。私だって、彼女に迫られて平静でいられるような鈍感でも無関心でもない。焦りや喜びが膨らんでくるのは必然だ。

気温も体温も駆け昇るようで、彼女の熱と私の熱の区別がつかなくなる。友達として交わってきた過去とは大きな隔たりがある交わりだ。

彼女は下半身も下着になると、乗っかって身動きの取れない私の服も取り払おうと試みてきた。抵抗するはずもなく、以前夢見ていたように彼女に身を任せる。私の制服のボタンを外す度に揺れる彼女のふくよかな体が、可愛らしくて、柔らかそうで、触ってみたくなる。少し頑張って腕を移動させ、手の平で彼女の感触を味わってみると、予想以上に気持ち良かった。彼女も快感だったのかこそばゆかったのか、普段出さない声を出した。余計そそられた。

二人の気分が最高潮へと傾いていき、私の制服を半端に脱がせた彼女は、我慢できないとでも言うように唇を近付けてきた。

私の唇と、彼女の唇が、あらゆる距離を縮めている。それらが一つになったとき、どうなるのかは予想だにしない。

私はその未来を求めて、彼女を求めた。

狭く、短く、近くなり。

口付けの方程式が完成した。

重ねた彼女と私の一部は、しっとり濡れて心地が良かった。


心地良すぎて、眠ってしまった。


あぁ。

うと、うと。

すや、すや。

ぐぅ、ぐぅ。

ノン、


ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん

レムすいみん

ノンレムすいみん



……窓から覗ける朝日が痛い。



私の主導権は、どれだ?

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