⑮非特別にんげん

わたしの名前はかき。高校一年生。趣味は小説。主に書く方。

昨日わたしの自作小説がクラスの皆に晒された。正しく言うとわたしが自ら晒した。

わたしの学年には学級通信なる文化がある。担任教師が数名の生徒を適当に決めその生徒が各々B4のプリントの三分の一程度を締切までに埋めるというもの。長期休みを除けば毎月発行されホームルームの時間に配布される。新年度から半年間それとは無縁にいたわたしは今月になって指名された。必ず一人一回は当たるようになっているためそろそろかとは予測していた。大いに待設けていた訳でも嫌々であった訳でもなかったわたしは当たり障りのない学校生活のことなどを書こうと思っていた。しかし書き連ねるにつれ気が変わっていった。わたしの文章が小規模でも印刷されると思うとにわかな出来心が生まれてしまった。自分の文章を多くの人に見てもらえる良い機会なのでは、それにもしわたしが将来著名な小説家になったら才能の前兆として扱われるのではないかと。発企ほっきした瞬間わたしは完成しかけの事業報告のような文字列を消却し自家製のショートショートの導入を開始した。たかぶる創作欲に任せて書くとみるみる内に空白は黒く染まりあっという間に執筆を終えた。出来栄えに納得したわたしは翌日自信満々に浮かれながら原稿を担任に提出した。その日の心模様にかげりは一つとしてなかった。

一時の衝迫は厄災を招くことを知ったのは数日後だった。みなぎっていたはずの自尊心は時の魔力により段々とクラスメイトからの批難やあざけりに対する恐怖心へと形を変えていった。寝ても覚めても原稿のことでわたしの頭はうなされた。けれど返却を要請しようと決断して担任の元へ再訪する頃にはくに人数分プリントされていて手遅れだった。

恥辱の精神を噛み殺して臨んだ望まぬ昨日のホームルーム、わたしの切削したい拙作は案の定公開処刑の主格となり手段となり客体となった。よりにもよってわたしは官能小説を書いていた。深夜のそぞろな心情によりほとばしる女性間の愛の交遊を綴ってしまった。作品の内容自体には後悔していないけど易々と剔抉てっけつしたのはわたしの憐憫に拍車をかける甚大な被害だ。自害だ。知的好奇心を唆ったかは定かでないが満遍なく周知に行き届いたエロティックノベルはクラスメイトの注目と沈黙を買い「硴ってこんなやつだったんだ」というあわよくば賛否両論解釈次第の吐露を獲た。もし短編冒険譚を掲載していればこうはならなかっただろうよどんだ低気圧が教室中で脚光を産出した。浴びる側として負の供給過多にあるわたしは隣合わせの文章を前途多難の危機感とセットで難読したところ最近開催された体育祭の話題を取り上げていてよりわたしの著述が顕著となっていた。初心通り無難な道を往くべきだったと後悔することも無為なことが忸怩じくじたる念を誘う。

昨日の今日わたしの慚愧ざんきと対立した快晴の下、本心では言をまたたずに登校を拒んだ。だが母親に相談すればわたしの趣味嗜好の曝露が必至な上、自由闊達にサボタージュしても後に同類の運命が待っている。サクセスモードで親の好感度を上げていないわたしは仕方なく盲腸になるくらい断腸の決断で席に座り顔を伏せているのが現在だ。全員の失明を願うような一方通行のアイコンタクトがコンタクトもしていないわたしに刺さって痛い。タイの徴兵制並の緊迫を味わいながら入室した今朝以来微動だに動いていないし動かないし動けない。徴と微の漢字を入れ違えてしまったことにも気付けない。それは嘘だけどそれほど無関係な思惑を頭に取り込まないとやっていけない。周りではばたく日本語がどれもわたしへの誹謗中傷のように聞こえて怖くて怖くてタイ語で喋ってほしいと心の中で唱える。日本語がわたしの専売特許だったらよかったのにと今日より思う日はない。

昨日までわたしは奇をてらわない学生生活を営んできた。中学後半から書き始めた小説も女性同士の愛の研究も皆の闇に隠れて研鑽を積んできた。だけど隠伏も卓抜もしない一生徒として教室に溶けていた努力はこれで炭酸水の泡だ。本職の小説家だったらば恥ずることもないだろうが無名無職の民には乾燥した感想のみ与えられる。これからわたしは似非小説家被れの肩書きを担っていくのか。居心地も気分も悪い立方体の中で中退しない限り卒業まで。

嫌だ。嫌だけどそれ以上に嫌なのは小説に対する無反応。先刻から鼓膜でヒアリングするのは小言を添加物としてのわたし本体への蜚語ひご。ジャンルを差し置いても文章の質や物語性に関わる科白が極少過ぎる。罵るにしろ万が一讃えるにしろ記録化された思想の結晶を見て欲しいのにどうして生身のわたしへ槍先が向けられるんだ。第三者視点の拠り所は数ヶ月で馴染んだ外観のわたしにしか臨まないのか。

切り捨てれば小説なんて誰にも書ける。いくら文体が独創的だからって所詮限定された文字しか使えない。絵画や音楽とは違う。だからわたしの数千字なんて人体が呼吸をすることと同一視されているのかもしれない。微々と風変わりな呼吸を。これが名の知れたクラスの中心人物のような立ち位置だったらリアクションは膨潤だったはずだ。ポジティブな盛況かネガティブな酷評が何れにせよ夥しく涌いていただろう。実状のわたしと断絶した仮想図。その切れ端に回転の前輪を巻き添うと鬱屈に暗転する。落ち込めた酸素を壊れる心拍で吸う。

何で、何で。何でわたし何もできない。何でわたし何もない。何をしても何もしてない。わたしには世間に多くの人にわたしの全てを伝えることができない。面白くなく面白くなくもない。素通りされる木。分からない。分からない分からない。何で。分からない何分からない。何分からない何も分からない。何分からない?分からない??人が何を考えているのか分からない。人に分かられるのはどうやるのか分からない。わたしが何で分かられないのか分からない。わたしと人の違いが分からない。わたしの考え方が人の考え方と違う理由が分からない。わたしが言うこと書くことに人が目もくれないことが分からない。どうせこんなこといっても何も変わらないのが分からない。分からないと言っても人は分かろうとしないのも分からないし分からないのも分からない。人はわたしらに何を思い何を感じ何も言わないのかも言わないのが分からない。認めて欲しいと思っているのかも分からないけど見られないのはもっと意味が分からない。意味も意図も意義も意識も分からないから人のことが分からなくてわたしもわたしで何が何だか分からない。人が何かしか喋れないだって人のことが分からないから人みたいに話せないか意味分からないから。分からないからわたしの現実と人のこと。分からないよ人が分かって欲しいよ人に。分からないよ何で分からないのか。分からない分からない分からない分からない。分かってもらいたいわたしのことを。人から分からない。人に分かってもらいたい。人に見てもらいたい。人から評価をもらいたい。有名人ばっか見てないでよ。有名なことに何の価値が眠っているの。有名になりたくないよ。なれもしないよ。人生が語っているよ。

特別になりたい。でも特別になれない。自分が特別になれない未来を想像して、泣きたい。苦しい。死にたい。死んだら誰か見てくれるのかな。読んでくれるのかな。読まないかな。そりゃそうだ。死ぬだけか。それもいいかな。その方が楽そうだよ。

「ねぇ、硴さん。」

涙が虹む。木に橋かかる。泣いちゃった。軽くだけど。水滴。悲しい水滴。苦しい。悲しい。死にたい。死にたい。死にたい。死にたい。逃げたい。寂しい。虚しい。心の中。寂しい。虚ろ。掴めない。消える。消えたい。泣きたい。そうだな。泣きたい。泣きたい。涙が出て。出せば少し楽に。良い。だから。それが。それじゃ。それしか。そして。霞む。濡れる。揺れる。ぼやける。悲しい。悲しい。貧しい。乏しい。このまま垂れ流したい。濁流に潰されて全ての物事が破滅して解決してくれる。わたしの内側はいつもこうしてこうやって

「硴さん?」

……あれ、何か言った。声が来た。わたしに。話しかけられないわたしに何か。言う人?話しかけることがないわたしに話かけらるれ?

数時間ぶりに顔を上げると、隣の席の子だった。

「何かみんな微妙な雰囲気になってるけど」

教室の四隅を見回してそう言って。

言った。

「私は硴の書く文章、好きだよ。」

続けて

「とってもエロくて。」

黄泉よみさんが言ってくれる。

どんな気持ちか分からなくなった。

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《七月編》百合短編集 いろいろ @goose_ban

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