第2話北進する宗光。川を見据える古白

 三河湾の制海権を確保した戸田宗光は更なる勢力拡大を目論み、まず手始めとして目を付けたのが渥美郡の制圧。渥美郡は旧八名郡(主に石巻地区)を除く今の豊橋市と田原市の全域に位置し、当時今の田原市エリアを我がものとしていた宗光は兵を豊橋市内へと展開。文明7(1475)年豊橋市南西部に位置する老津町に位置する大津城に入ったのを皮切りに、2年後の文明9(1477)年には郡代一色正照を今の田原市南東部の大草に隠居させ、正照の養子分となることにより宗光は渥美郡を統治する大義名分を得るのでありました。

 一方その頃、牧野古白が本貫とする宝飯郡。今の豊川市エリアはどのような状況であったのか?と言いますと応仁の乱が終結した文明9(1477)年、時の将軍足利義政は細川氏の幕政復帰を画策。その一環として西軍側に属し、父祖の地奪還を狙っていた一色義直に三河の地放棄を条件に和睦。この結果、再び細川氏が三河を治めることが確認されたことに呼応した豊川市御津町にある大沢城城主・波多野全慶の手により義直に属していた一色時家は殺害。これにより三河における応仁の乱は終息を迎えるのでありました。ただこれにて一件落着となったわけではなく、明応2(1493)年。再び京の都で足利将軍家内の権力争いが勃発。この動きに機敏に反応したのが牧野古白。京を逐われていた10代将軍足利義材より三河における旗頭に任じられたのを契機に旧主・一色時家の仇。波多野全慶を討つべく立ち上がった古白は灰塚野合戦で全景を打ち破り宝飯郡内で確固たる地位を築くのでありました。

 この宝飯郡内における大動乱を尻目に戸田宗光は渥美郡を北進。郡境を流れる朝倉川南の丘の上に二連木城を築城。宗光はそれまでの拠点。田原城を息子の憲光に譲り、自らは二連木に本拠地を移すのでありました。このまま宝飯郡は牧野氏。渥美郡は戸田氏となればそこで記録に残る歴史は終わりを告げる。平和な時代に移行することになるのでありましたが当時の世の中はそれを許してくれる状況でなく。もっともそのような状況であったからこその宝飯郡の動乱であり、宗光の北進であったのでありましたが……。その切っ掛けとなったのが中央との絡み。偉い人たちが京の都でドンパチ(当時は銃火器は存在していませんでしたが)やっている。怖い人がいない隙を突いて、怖い人たちが京の都で忙しく。それどころではない状況を狙い。これまでは絶対に通ることのなかったような書類が、彼らの目が届かないことも相まって容易に承認されるようになったことを良いことに、自らが思うがままに振る舞うことが出来たのでありましたが。そう言ったかたがたが日本全国で一定の権力を握った。となりました場合。その後彼らはどのような動きを見せることになるのか?当然の如く更なる拡大路線へ向かうこととなる。そんな相手とこれから相対さなければならなくなる。しかも彼らはこれまでの主君とは異なり、京における地位には興味がなく、あったとしてもそれはその地位を利用するため。目的は実質的な利益である陸であれば土地であり、海であれば制海権。棲み分け出来る余地が残されていないもの同士の争いが待っている。しかも彼らはこれまで少なからず悪いことをして権力を掌握してきたのでありますから。これまでのような騙し方は通用しない。(自分も含め)厄介な奴らが豊川と朝倉川を挟む牧野氏と戸田氏以外にも当然の如くこの東三河の地を狙っている勢力は存在する。その人物とはいったい……。

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