三州錯乱

俣彦

第1話応仁の乱

 応仁元(1467)年。室町幕府内部の権力争いが表面化。京の都は将軍足利義政の弟・義視を担ぐ細川勝元の東軍と、義政の子・義尚が頼みとする山名宗全率いる西軍との間で睨み合いが続くのでありました。この時、三河の国の守護に就いていた細川成之は東軍の重鎮としていくさに参加。この動きを見て西軍に参画し、成之と相対したのが一色義直。この両者には浅からぬ因縁が存在するのでありました。

 元々の三河の国の守護を務めていたのは一色氏のほう。足利氏の一門であり、室町幕府の侍所。京都の統治と警察を主任務とするこの部署の長官を輩出する名門一色氏が代々まとめていたこの三河の国でありましたが、永享12(1440)年に当時の三河守護一色義貫が時の将軍・義教の命により大和の地で殺害され。空席となった三河の国守護の地位を手に入れたのが幕府の管領。天皇に対する関白とも言える地位に君臨していた細川持常。その持常の死後、跡を継いだのが東軍として参戦している細川成之。

 その成之に挑む一色義直の父親が27年前大和の地で敢え無い最期を遂げることとなった義貫。この京における争いは三河の国にも波及。守護・成之の三河不在時の代理である東条氏など守護方と、一色と縁の深い武士との間で紛争が巻き起こるのでありました。しかしこの争いは、応仁の乱と呼応して初めて。と言うわけでは必ずしもなく、成之が守護に就いてからと言うもの。彼の統治を善しとしないものが現れ、額田郡では徒党を組んでの反抗。成之自らが鎮圧に乗り出すも額田の武士たちは主家から離れる牢人となり各所でゲリラ戦を展開。成之を悩ませるのでありました。そこで目を付けたのがその額田郡内で大きな力を持っていた松平信光。成之は、その信光の主人である幕府の財務長官伊勢貞親を介し、鎮圧を依頼。見事駆逐に成功した信光には反抗部隊が所有していた現在の幸田町深溝の地が与えられ、その後。東軍方として応仁の乱に参戦し、三河復権を目論む一色氏を撃破。余勢を駆って西軍側に属した安祥城を攻略。その後、政略結婚を駆使し岡崎城を手に入れるなど松平氏発展の礎となったのが西三河での動き。

 一方、東三河のほうも守護交代の混乱に乗じ、影響力を強めるものが現れるのでありました。

 その一人が戸田宗光。額田郡内における混乱の収拾にを悩まされた細川成之が伊勢氏を通じ松平信光に依頼した際、同様の文書が送られたのが戸田宗光。今の名古屋市中川区富田町にルーツを持つと言われている戸田氏は、その地勢状。海との関りが深く、知多半島。更には渥美半島に進出。宗光の頃には内陸の額田郡内で代官職を得るなど勢力を拡大。乱の鎮圧を依頼されるだけの力を持っていたのでありました。乱の鎮定後、宗光は碧海郡の代官を務める一方、渥美半島に入り、それまで伊勢神宮の所領とされていた渥美半島を横領。これに困った内宮のトップより、

「寄進と言う形でも構いませんので……。」

と泣きが入る始末。宗光の勢いは止まらず羽豆ヶ崎の両陣を経、知多半島を制圧するなど三河湾の制海権を完全に掌握するのでありました。

 もう一人が牧野古白。額田郡における反乱に対し守護・成之が最初に鎮圧を命じたのが東三河に拠点を構える牧野氏と西郷氏。両者は反乱部隊の拠点・今の岡崎市井ノ口町の攻略に成功。ただその際、有力処を取り逃がし、ゲリラとなって活動を続けたため成之は、より大きな力を持つ松平氏と戸田氏に鎮圧を依頼することになったのでありましたが。その牧野氏は元来一色氏の家臣。守護は変わったとは言え、三河国内から完全に一色氏が滅びてしまったわけではなく、それが元になっての反乱でもあるのでありますが。一方、上手に世渡りすることによって力を蓄えるものも現れ、その代表的存在となったのが今の豊川市に拠点を構える牧野氏。その中心に居たのが牧野古白。

 戸田・牧野両氏が東三河に影響力を保持する中、時代は戦国の世を迎えることになるのでありました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る