第3話 心地よい喧騒

「ごちそうさまでしたっ!」

「はいはい、お粗末さまでした。どうかしら彩羽ちゃん。お口に合った?

急な話だったから私たちの普通の食事と変わらないものしか出せなかったけれど…」

「いえいえ粗末だなんてそんな…。相変わらず夕希のおかあさんの料理はおいしいです。あ、この魚の煮つけのレシピ伺ってもよろしいですか?」

彩羽も交えた朝食を終えた俺たちはお茶を飲んで一息ついたり新聞を読んだり談笑したりと思い思いの時間を送っていた。

隣を見れば母さんと彩羽が何やら話しているのが聞こえてくるが、どうやら料理のレシピなんかを聞いているらしい。それを熱心に彩羽はメモを取っているようだ。

「彩羽は絶対いいお嫁さんになるよなぁ」

これだけ熱心に料理の研究をしたりしているところを見ると家事全般が得意なのだろう。じゃないとここまで熱心に料理の話を聞いている余裕なんてない。

こういうお嫁さんがいたら人生はさぞかし楽しいものだろうなぁ。

誰にも聞こえないように漏らした独り言だったつもりなのだが…俺の言葉に母さんは反応する。彩羽には聞こえていなかったようだが。

「よかったわねぇ夕希。こんなかわいいお嫁さんがいて…幸せ者ね」

「な、ななな何を言ってるんですかお義母さん!?」

言いやがった。

それに実はノリノリなんじゃないのかな彩羽。お義母さんって呼んじゃってるよ昔から気が早いやつだな。

耳まで真っ赤にする彩羽は目をぐるぐる回して困惑している。別に俺の嫁なんて言ってないんだけどなぁ。母さんが余計なこと言うから…。

「でもでも…十分お嫁さんに来てもらっていいレベルまで技術あるのよねぇ、冗談抜きで。

ホントに結婚しちゃったら?お母さんも向こうのお母さんも異論なしっていう会議の結果があるし、玲とも仲がいいから一緒になってもらうと色々都合がいいのよね。

あと孫も抱いてみたいし」

「「何言ってるんだよ(ですか)!?」」

「ほら息ぴったりじゃない。お似合いねぇ」

母さんの孫発言に対してシンクロした俺たちを油断ない笑顔で冷やかす母さん。

ただ俺が一番恐怖しているのはお似合いといじられたことではなく孫を抱いてみたいという願望を否定しなかった点だ。母さんは本気になってると話題を逸らして意識を向けないようにする癖があるから冗談抜きで媚薬でも盛られるんじゃないか。

怖すぎる。母恐るべし。キメセクってすごいらし…いや、この話はやめにしよう。

「そのために必要なことがあったら何でも言ってちょうだい。お母さん、彩羽ちゃんのためならいろんなこと教えちゃうわ。料理から裁縫、お掃除に洗濯はもちろん…」

あれ?案外普通のことを言うんだな、と肩透かしを食らったような感覚に陥る。先ほどまでなかなかぶっ飛んだ話をしていたから頭から抜けていたが母さんは基本的には常識人だ。知識人でもあるが。

適当なことを言うときもあるが、それを除けば頼りになる人間だったことを思い出す。

俺も母さんにいろいろ教えてもらおうかな。特に料理は男でも覚えておくに越したことはないし…。一人暮らしする日が来たらきっと役に立つ時が来るだろう。

情緒不安定の妹を実家に置いたまま独り立ちするのは無理がありそうだが。

「その先はちょっと夕希には聞こえないように…彩羽ちゃん、耳貸して頂戴」

「は、はい?分かりました、少々お待ちを」

言いかけていた言葉を飲み込むかのように母さんは一旦口を閉じる。ちょいちょい、と手で招くような動きをしながら彩羽に席を立たせ、自分の隣まで呼び寄せた。

その手で今度は耳を覆うように囲いを作り、外に声が漏れないようにしてから何やら話し出す。隣に座っていた彩羽がテーブルをはさんだ向こう側に移動してしまい、会話が聞き取れない俺は、じっと話が終わるのを待つほかない。

身を乗り出して聞くという手段もありだが怒られそうだしな。

そわそわしながら待つ。

「そ、そんなの私には早すぎましゅっ!?」

なんだよその慌て様は。蒸気が噴出するんじゃないかってくらい顔真っ赤だぞおい。

母さんも何吹き込みやがった。余計なこと教えてダークサイドに落とすんじゃねえぞ。頼むぞ割とマジで。俺の心のオアシスなんだからな。沼に変えるなよ。

その母さんは素知らぬ顔で鼻歌なんて歌ってやがる。呑気な人だ。

前言撤回。全く常識人じゃないわこの人。




「ねぇねぇ夕希。今から時間いいかな?結構時間もらうことになるけど…」

しばらくテレビを眺めたり本を読んだりして時間をつぶしていると、隣の彩羽が声をかけてきた。何かに誘われているようだが…。

「ん…?別に俺としては構わないけど何をするつもり?彩羽が何かするなら手伝うけど」

「あぁ、いや、そういうんじゃなくってね?夕希ってさ、この街のことあんまり覚えてないでしょ?ちっちゃい頃しか住んでなかっただろうしさ。もしよかったらなんだけど…案内しようかなって。今言ったように夕希さえよければなんだけどね」

「案内…町を、か。うん、いいね。お願いしようかな。俺としても覚えてないとこや記憶が曖昧になっているところがあってさ。

と言っても彩羽と遊んだ記憶はしっかり頭に残ってるから安心していい」

正直に言うとありがたい話だ。確かに生活に困らない程には地形は覚えているし、万一現在地点や行き先が分からなくなったとしても今の情報技術ではGPSを用いたマップ機能がスマートフォンで実現できる。余ほどのことが無い限り支障が出ることはないだろう。

――けど、それはあくまで誰にでも平等にある情報という概念に留まる。俺たちにしか存在しえない『思い出』という概念。それに照らし合わせて見れば景色は何倍にも美しく、色鮮やかになる。

思い出と照らし合わせながら昔過ごしていた土地を散歩がてら実際に歩いてみるというのは助かることかもしれない。

「…よしっ」

「ん?何か言ったか?悪いが聞き逃した」

「べ、別にっ何でもない!ささ、そうと決まれば善は急げ、だから速やかに外出用の服に着替えて!」

「日本には急がば回れ、急いては事を仕損じる、といった言葉もあるけどな」

日本の言葉はよく考えればどっちが正しいんだと疑問を提唱したくなるものも少なくない。他にも『二度あることは三度ある』と『三度目の正直』という言葉が挙げられる。

そんなどうでもいいことを彩羽に語りながらも部屋に押し込まれて着替えさせられる。なんて横暴な。

…まぁ、いつまでも悪態を垂れているわけにもいかないのだが。そんなわけで俺は部屋着から外出用の服に着替える。流石に部屋の中まではついてこなかったが部屋の前で待たれていると落ち着かない。女の子が近くにいる状態で着替えるなんてのは中々無いことだからな。玲は別だし。

それだけでも心底落ち着かないのに、時折声をかけてくるしドアでも開けられたら笑えない。ちなみにそんなことは起こらなかった。よかった。

選んだ服装は…ワイシャツに灰色のカーディガン、下は白と青のベルトで留めたジーンズというよくある格好だが特に他に何も合わせ方が思いつかなかったというのが正直な感想。普通でいいんだよ普通で。

「悪いな待たせて、急いで着たからどこか変なところがあるかもしれん。大丈夫そうかな?」

俺が声をかけると花が咲いたような笑顔を浮かべながら俺の胸にすり寄ってくる。

やめてくれませんかね、俺女性への免疫が薄いんですが。

向こうでもそれほど女子から人気があったわけでもないし、何故か彩羽の事しか頭に浮かばなかったから、彼女を作ったという経験もない。

あまりに色恋沙汰のうわさがなさ過ぎて同性愛者説が流れたほどだった。同性愛が悪いとは言わんが俺は断じて違うからな。

そんな俺をよそにすんすん、と犬がするように鼻を鳴らしながら俺の匂いを嗅いでいる。非常に落ち着かんし見られたら少し言い訳が難しそうだぞ。

「うんっ!かっこいいよ夕希、すごく似合ってる。よく見るモデルさんみたいだよ」

「気持ちはうれしいんだけど、ちょっとほめ過ぎだよ。俺には彼らほどの美的センスは無い」

しばらくして満足したのか、満足していないのか名残惜しそうに俺から少し距離をとり、今度はべた褒めに入った。

ただ俺が今そのべた褒めに対して答えた事は嘘偽りのない本音である。普通でいいんだよとか服選びの時心の中で言っちゃったしね。見た目が他より劣っていると感じたことはないが別段優れたとも思ったことのない俺としてはなんだか妙に居心地が悪いというか落ち着かないというか…。

とまれ、褒められること自体は嬉しくはあるので表情は自然と明るくなる。どうせお世辞だろうが。

「そうかなぁ?夕希はもっと自分に自信を持っていいと思うんだけども。顔立ちだって整ってる方だし優しいし面白いし…」

「誠に遺憾ながら俺はそこまでハイスペックじゃないぞ。そんなんだったら俺は普通の中学生なんてやってなかった」

残念ながら彩羽の言うほど完璧人間ではない。ほんとに残念だが。

だがこれだけべた褒めされている以上、言って聞かせるのは不可能ではないにしろ時間がかかってしまうものだろう。

なのであまり強くは言わず、彩羽と一緒に階段を下り、机の隅に置いておいた腕時計を左手首にしてから玄関にて靴を履く。クリーム色のスニーカーでいいかもう。細かいことは知らん。というか迷うほど靴ないし。

「んじゃ行ってくる。もしかしたらお昼どこかで食べてくるかもしれないからその時は連絡するよ」

「待ってー!玲も行く!」

…忘れてた。コイツも連れていくって約束しちまってたなそういえば。

意気揚々とはしゃぐ玲を見ていると今更二人で出かけるなんて言うわけにもいかない。一人身内を連れていくことにはなるが、こいつも連れていくか。

一人考えを改めている俺が頭の中で情報の整理をしていると、隣の彩羽がピクリと動いたような気がした。…おこってるんかな。

「…おや、そういうことでしたか彩羽お姉ちゃん…。致し方ない、今回は玲はお留守番で勘弁してあげます。一つ貸しですからね」

一方玲は急に何やらその彩羽とアイコンタクトを交わしながらつぶやき始めた。俺の理解しえない言語や信号が飛び交っているのかもしれない。何がどう致し方ないのかは知らないが、話の内容を聞くにどうやら今日は付いてこないらしい。俺としてはどちらでもかまわないのだが…。なんだか玲が少し達観したような目をしてやがる。初めて見たぞそんな顔。

「あらら、再会して早々デートかしら…お熱いことねぇ。朝帰りになってもおかあさん許してあげるから楽しんでおいでね」

「や、やめてくださいよお義母さん!!!朝帰りって…私たちそんな歳じゃないです!」

そんな歳だったら何をするんですかねぇ…。思わず困惑してしまう。だが深くは考えてはいけない。経験則的に。

慌てると何かを隠すことがめちゃくちゃ苦手になるらしいな。その辺も昔から変わっていない彩羽らしいところと言えばそうなんだが。

隣で顔を真っ赤にして慌てふためく彩羽をよそに、母さんに手短に帰宅時間を伝える。この辺も俺がカバーしてやらねば。

「流石に夕方ごろまでには戻るよ。遅くなっても迷惑だし」

「そう…?お昼はどうするのかしら。外で食べてくるの?」

「あぁ、それならたっつんの家が定食屋さんしてるのでそこにしようかな、と。顔合わせもできますし、顔なじみだったと思うので安くしてくれそうです」

「たっつん…うん、そうね、竜宮たつみやさんのお家はお店だった記憶があるわ。私や玲、夕希も何度かお邪魔したことがあったはず」

竜宮、という名前に反応して記憶が僅かに蘇る。竜宮さんのお家の子、竜宮樹たつみやいつきくんが俺や彩羽と同級生で、よく遊びに行ってたりしてたんだっけ。

その樹というやつは分かりやすく言うと悪友である。

今回の場合、文字通り悪いという意味で使っているわけではないのでその辺は大丈夫。…やんちゃは結構してた部類だけどな。

海に潜って魚手づかみしたり学校さぼって遊びに行ったり…怒られたこともあるが一緒にいて飽きる人間ではなかったのは確かだ。

なんだかんで情に厚いやつだったし。

「もう連絡はしてあるので大丈夫です。私たち二人を迎え入れる準備をしてくれるそうなのでご心配なく。

それでは、失礼します。朝ごはんごちそうさまでした」

事務的な挨拶を終えて俺の方に向き直った彩羽。俺にだけ見えるように何故かいたずらっぽく微笑んで玄関のドアを開けて、外に出る。

というか俺が時間あるよって言わなかったらどうするつもりだったのかすごく気になるのだが。一人でご飯でも食べに行くつもりだったのかな。

それに今見せた笑顔の謎も解けない。特に意味はないとかいうオチなら全力でキレる。

「?」

いろんなことを訝しみながらも外に出ない訳にもいかないので、後に続いて外に出る。

一度足を踏み出すと…そよ風が頬を撫でた。空には雲がほとんどなく、水色の空がどこまでも気持ちよく澄み渡っている。

気温は寒くはないけれども暑くもない最適な気温。一年中この気温にならねえかな。

なったらなったで生活にも支障が出るけどさ。主に食べ物とか。

がちゃり、と音を立てて背後でドアが閉まる。朝を知らせるかのようにチュンチュンと鳴きながら飛び回るスズメが心をより穏やかなものにさせた。

「さて、と。まずは何処から行こっか、川かな?海かな?山かな?」

「都市部から離れた場所じゃないと聞けない選択肢でどれも魅力的だな。

…じゃあ山かな。山で頼む」

「了解っ!じゃ、行こ?」

行き先を指定すると、嬉しそうにはにかむ彩羽。うむ。絵になるなぁ。

絶対学校じゃ男子にモテまくりだろう。こんなに可愛い子を放っておくなんて誰にもできないと思うんだ。写真かなんかにして部屋にでも飾りたい気分。

「あぁ、頼むよ彩羽」

「うんっ!」

また一つ屈託ない笑顔を浮かべながら頷いた彩羽は――あろうことか腕を絡めて手を握りしめてきた。しかも俗に言う『恋人繋ぎ』ってやつでは…。

甘いバニラみたいな香りと一緒にやわっこいこの年頃の少女特有の感覚が服越しにでも伝わってくるせいで、否が応でも心拍数が跳ね上がる。

非常に落ち着かん。誠に落ち着かん。早急に解消を――

「…やっぱり、私じゃ嫌かな?魅力的じゃ、ないかな?」

――できるわけないよなぁ。

「そんなわけないだろ…ただほら、あまりに魅力的だからさ、彼氏の一人くらいいるでしょ。そいつに申し訳ないなぁ、と」

とりあえず口から出まかせを言っておこう。嘘ではない。けど先ほど思っていたこととは違うからセーフですよね?許してね神様。

ただそれはそれとして、恋人がいないわけがない。人懐っこくて、明るくて、可愛くて。それだけで男子の視線は独占状態だろう。

「か、彼氏なんていないよ」

「うっそだろオイ。あれか?今はいないってやつか」

俺の再びの問いかけにも首をぶんぶん振って躍動感溢れる否定の動作。髪の毛がバシバシ当たるんでやめてください地味に痛いんです。

「違う違う…確かに声をかけられることは少なくないけどっ!一度も作ったことありません!ただ…」

「ただ…?」

「何でもないっ!ただ一つ言えるのは彼氏なんていないよっ、好きな人はいるけど、さ。でも本人は気が付いてないと思うんだけど」

「ふぅん、へぇ」

「何よ」

「残念だなぁ、と」

「何でよ」

「食いつきすぎだろおい頬を寄せてくるな落ち着かない」

男子皆にこんなことしてるのかよこいつは。勘違いされるのでやめたほうがいいと思います。俺でも勘違いしそうだもの。

「むぅ…まぁいいよ。今度気が緩んだ隙にさっきの反応の理由を聞いてやるんだから…」

「常に緊張感を持って行動しようと思います」

「余計な心構えは持たんでよろしい」

「なんだよそれ…っ、はは、ははは」

「何よ…ふふっ」

結局腕を絡めたまま少し遠くに見える山に向けて歩を進める。

仲の良いカップルみたいに見えるんだろうな、なんて思いながらも笑いが止まらない。

…楽しいな。

しばらく心の底から感じていなかったその感情はあっさりと彩羽という少女によって呼び起こされた。

きっとそれは会えない期間が長くなって、彩羽のことを思って、彩羽のことを想像して…俺の中で彩羽の存在が大きくなった結果だろう。

だからこそ、意識してしまう。異性として、一人の女の子として。

類稀なる魅力を持った少女がこうして俺と仲良く歩いてくれるのは恐らく昔の顔なじみとしての使命感によるものに違いない。

そうでなければ冴えない男子中学生…もう高校生になるか、ともあれ冴えない高校生である俺に構う必要などないはずなんだ。

意図せずして生まれた俺の好意的な感情が軋轢にならなければいいけどな。


楽しさと恋愛的な感情が入り混じる、俺の新たな生活が、始まる。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る