第2話 再会

「あぁ…?」

耳元でけたたましい電子的なアラーム音が響いた。ピピピピ、と規則的なリズムで高い音を発するスマートフォンを目を閉じたまま探り当てて直感のまま音を止める。

春というイメージが強くなりつつある三月の下旬。けれどもまだまだ俺にとっては布団が恋しい季節なのだ。体中を溶かすような微睡みに浸食されながらも、僅かな気力を振り絞ってディスプレイに目をやる。

よく考えれば現在は春休み期間真っただ中なので本来は目覚ましをセットする必要など無いのだが、それに気が付くほど思考回路は目覚めていない。極めて深刻である。

「もう六時か…。起きなきゃ、起きないといけねえんだよなぁ…。

じゃないと我が家の猛獣が――」

「おにぃちゃぁぁぁん!!!!!」」

「…厄日だ」

アラームの電子音が可愛らしく見えてくるほどの声量を放ちながらノックもせずに部屋に特攻してくるのは泉妻いずのめ家の猛獣(俺しかそう呼んでいないが)こと泉妻玲いずのめれいだ。

俺より二つ下の妹で部活に精を出す可憐な妹なのだが…

「うるさいうるさい落ち着けよ玲っ!近所迷惑になるっていつも言ってるだろ?」

男の俺とは比べ物にならないくらい華奢な肩に手を添え、腰を低くして視線を合わせながらゆっくりと聞かせる。

声が大きく、部活でも声を出して試合に臨むなどの良い面で活かされる時も勿論あるのだが、日常生活中に冷静さを欠いたときに俺の名前を呼びながら俺のところに特攻してくる癖があり、扱いには大変苦労をさせられる。

所謂典型的な『お兄ちゃんっ子』であり、症状は重度のものになっているというので非常に困る。別に嫌ではないんだけどね。

「ご、ごめんねお兄ちゃん。朝から急におっきな声出しちゃって…」

「いやいいよ。…大方引っ越してきたばっかで友達出来るのかな、とか心配してるんだろ?俺と違って学校の段階が変わるタイミングじゃないから馴染みにくそうではあるよな」

俺の言葉に玲は目を丸くしてきょとんとする。表情豊かで忙しいやつだな。

「おにいちゃんはいっつもお見通しだね、びっくりしちゃうや」

何年お前の兄をやってると思っているのだ妹よ、その辺認識してくれや。

「うん、実はそうなんだ。玲って結構人に囲まれているイメージあると思うんだけどずっとどんな言葉を選んだらいいか迷いながら生きてるの。

一回その状況から離れちゃうとまた作る気になれなくて」

本人も言っていた通り玲は結構気を回してしまうタイプで、とにかく角を立てないように表情と声音と俺より数倍良い頭脳でトラブルをのらりくらりとかわし続けて生きているのだ。当然そんな生活をしていればストレスも溜まる。

人間というものは一度ストレッサーから解放されると、なるべく近づかないように生きようとする。

玲にはその症状が現在発症しているわけだ。別に症状というほどでもないが。

ならばなぜ言ったし。

「まぁ、別に無理して作らなくていいんじゃないか?ここは田舎に近い土地だから高校も中学も建物一緒だし…。何かあったら前みたいに声かけてくれれば動くからさ。それに昔ここに住んでたんだから知り合いの一人や二人いるだろ」

俺達が数日前から住んでいる場所は実は俺が小学校三年生になるころまでは住んでいたことがある。父の仕事の都合で引っ越してしまったのだが、まだ顔を思い出せる人間は確かにいる。

特にはっきりと思い出せるのは今もなお胸の中にある存在…

「ねぇおにいちゃん!今日は昔の知り合いの人達のところに行ってみようよ!あんまり覚えてないカモだけどさ!顔だけでも見せておいたら思い出してくれるかもしれないでしょ?」

「おー…。だが確かにいいかもな。学校が始まる前に挨拶だけしておくってのもよいかもしれん」

思考を寸断される形で提案された内容だが確かに今のうちに声かけておくくらいすると学校でいきなり孤立することはなくなりそうだ。

「玲も付いていっていいよね?お兄ちゃんの知り合いなら玲の知り合いかもしれないし!」

「いいぞ別に。むしろコミュ力高い玲が居た方が俺としては助かる」

紛れもない事実だ。いくら昔の知り合いとはいえ、成長して姿も声も変わっている俺を見てピンとくる奴は少ないだろう。

人づきあいが苦手とまではいかないにしろ得意ではない俺が単体で乗り込むよりコミュ力高い玲を連れていった方が色々と便利なのだ。

俺と性別も違って女子だから相手が女子でも相手ができそうなのもいい。

流石に覚えてくれているかもわからない女子と一対一で会話できるほど心臓が強くできているわけではないのだ。

そして玲は玲で嬉しそうに華やかな笑顔を咲かせている。学校じゃさぞかしモテるんだろうなぁ。何故か外で部活をやっているくせに微塵も焼けていない透き通るような肌にはわずかに朱が差しており、陶磁器のような白さをより際立たせている。

少なくとも前の学校じゃ玲の話題は俺達三年生の間でも上がってた。それが一年生の間じゃ結構な頻度で上がるだろう。間違いなく目ざとい連中は放っておかない。

「そーだおにいちゃん、お母さんがご飯だからおいでーって。一緒にいこ?」

導かれるまま玲の後に続いて部屋を出る。ライトのスイッチは…もともと電気はつけていなかったので今は消す必要はないな。父がこの土地に買った一軒家の二階部分に俺の部屋は位置しており、玲は俺の下の階に部屋を持っている。

玲曰く、お風呂に近いと便利だし、階段を上り下りするのが面倒くさいとのこと。

譲った俺も俺なんだけどさ。

ファンシーな柄のピンク色のプレートがかけられた部屋の前を横切るとリビングへと続くドアがある。可愛らしく丸みを帯びた文字で『れい』と彫られている。

手先も器用なんだよなぁこの妹。万能かよ。

我が家の朝は早く、ガラスの向こう側では母親と思しき女性のシルエットが忙しなく動いており、食事が完成したことが分かった。

そのドアノブを手に掛けて押し開くと、若干暗かった廊下とは対照的にシーリングライトの電子的な光に照らされた広いリビングが目に飛び込んできた。

「おはよー夕希。まずはちょっと質問があるんだけど良いかしら?」

「…?どうしたんだよ母さん、朝からどうしたんだよ。質問されるようなことはないはずだが」

如何にも若妻といった雰囲気のこの美人は我が母親である。まず見た目に関して一般人ならツッコミを入れたくなる。

見た目がどう見積もっても二十代前半なのだ。人によっては未成年にすら見えるとの噂。そしてそういわれるとそう見えてしまうから不思議だ。

だがそれはあり得ないのだ。俺の年齢は十五。だから見た目通りの年齢だとするならば八歳とかそこらの年齢の時の子供になる。

ギネスに載ってる最年少記録は六歳いかないくらいだったらしいから理論上は可能なんだろうが親父は普通に年を重ねている印象で、年齢は今年で四十歳。

十五の息子を持っているのであれば十分若い年齢であるのだが、それでも母さんと並べて考えると違和感が残る。若々しすぎですお母様。

年齢を聞いてもいつもうまく質問をはぐらかされるので結局年齢や身長など細かいデータは取れずじまいである。おかしいだろ絶対。

そんな美人なお母さまは怪訝な顔つきをした俺に対してその質問とやらをぶつけるようだが…。全く心当たりがない。

ただ質問と言っても昨日何時に寝た?とかそんな他愛ないものかもしれない。気にし過ぎるのは体にも毒だと聞いたことがある。

「いつ連絡とったのかな『彩羽いろはちゃん』と。私が彩羽ちゃんのおうちに電話かけたら『もう既にそっちに行きましたよ?』って言われちゃったわよ」

彩羽、彩羽…聞き覚えのある名前だが…どこで聞いたんだったか…。

「って、彩羽…ってあの彩羽か!?十六夜さん家の!?」

思い出した。むしろなぜすぐに出てこなかったことに違和感すら覚える。

「ほかにどの彩羽ちゃんがいるのよ…。少なくとも夕希の知り合いじゃ一人のはずだよ」

まさかの予想外の事態だ。

こちらから出向こうとしていた矢先に…予想外すぎる。勿論連絡なんてとってないしよくよく考えれば連絡先しらないや俺。今度もらっておくか。

十六夜彩羽とは俺が昔一番仲良くしていた人間で、俺の初恋の相手でもある。

俺のような色が抜けた茶髪ではなくて日本人らしい黒髪。瞳はやや蒼が入った深い黒…と鮮明に容姿まで思い出せる。

「夕希と彩羽ちゃんを会わせるといっつもべったりしてるからタイミング見て彩羽ちゃんに教えてもらおうと思ってたのに…」

「ちょっと待て母さん。彩羽の連絡先なんて俺は持っていないぞ。母さん同士がいつも連絡とってたから母さんは知っているだろうけどさ」

ちっちゃい頃はお互いの家に赴いてその場その場で予定を取り付けて遊んだものだった。たまに向こうの家が俺の家に預けにきたりにして部屋で遊んだ経験もある。

「そう、ねぇ。私たちは連絡先知ってたけど夕希には言ってなかったものね。でもおかしいわね、じゃあ何で彩羽ちゃんはわかったのかしら」

「彩羽おねえちゃんが来るってホント!?嬉しいなぁ、彩羽おねえちゃんきっと美人になってるんだろうなぁ。楽しみ!」

玲が目をキラキラさせて輝いているように見えるほど嬉しそうにしていると少し兄としても微笑ましくなる。

彩羽が美人になっているであろうことは想像に難くない。小学生の時点で俺が一目惚れするくらい可愛らしかったのだから成長した今、美人になっていない訳がない。

よく見れば食卓には五人分の食事が並んでいた。もともと四人分の食事だったろうに急に増えても対応できるのか…。この辺の要領の良さは俺じゃなくて玲の方に受け継がれているようで誠に遺憾だが気にしてもいられない。

そこで気が付いたのだが、いつも俺と玲、母さんと父さんが机を挟むようにして食卓を囲んでいるのだがいつも俺が座っている椅子の横に新たな椅子が置かれているのが見て取れた。

箸の色や長さから見て母さんでも玲でもなさそうだ。ということはつまり彩羽のものでは…?朝から凄まじく難易度の高い状況に俺は遭遇しているのではないかこれ。

「でも来るにしたって朝早くから来なくていいのに…。まだ六時過ぎだぞ早起きしすぎだろ。というか何処から情報漏れた」

「それだけ夕希に会いたかったってことじゃないかしら。いいわねぇ若いって」

「母さんの口からその言葉が出ると毎回若いっていう言葉の定義を見失いそうになるんだよなぁ。やめて」

想像してほしい。優し気な印象をもたらすたれ目とそれを彩る泣き黒子。胸は男性の理想像みたいに大きく、ゆったりとしたその佇まいは男性だけでなく、人類全員を包み込むような莫大な母性に満ち溢れている二十代前半の女性。

そんな間違いなく行く先々で声をかけられそうな女性の口から『いいわねぇ若いって』なんて言葉が飛び出しているところを。

脳内に疑問符が三つくらい浮かび上がったに違いない。少なくとも俺なら上がる。

「もう…褒めても何もでないわよ?お母さんを口説く暇があったら彼女の一人や二人作ってきなさいな」

「いや二人は作ったらだめじゃないかな、明らかにそれ二股だよね」

人間としてやってはいけないことなんですよねぇそれ。

「細かいこと気にしてるとモテないわよ夕希。男はもっと大胆でなくっちゃ」

『二股』を『細かい事』と呼ぶあたり変なところで雑だな家の母親は。手先も器用で容姿も端麗。学校の教員免許を取得する程頭が良く、教えるのも上手。

でも恋愛に対しては雑。超雑。

父さんがまともな人間でよかったとつくづく思う。変な男に捕まってたと思うと…その先は想像したくない。


ぴんぽーん。

もしかしたら…という想像で頭を悩ませていた俺の意識を引き戻すように玄関のチャイムが鳴った。十中八九彩羽だろうが、もしかしたら朝早くから来る宅配便の類かもしれん。夏休みだからありえないこともない。…いやねえわ。

恐る恐るドアののぞき穴から外側を覗き見ると――居た。白を基調としたふんわりしたワンピースに薄手のパールピンクのカーディガンを羽織り、鍔が広い白い帽子を頭にのせている少女が。春を体現した妖精みたいな印象を与える少女は

しばらく穴から見つめていると落ち着きなくそわそわし始め…辺りをぐるぐると見回した後、その少女はもう一度チャイムを鳴らした。

「や、やっぱり朝早すぎたかなぁ…。出直そうかな、迷惑だもんね…」

ドア越しにかすかに聞こえた声に胸が高鳴るのを感じた。

あの頃と何も変わっていない、彩羽の声だ。その彩羽がそこにいる。

こんなところで迷ってる場合じゃねえな。朝早いとはいえど女性を屋外に放置しておくわけにはいかない。

「はいはーい、遅くなってすまん。

――よぉ、久しぶりだな、彩羽」

努めて明るい印象を張り付けながら手をひらひらと振りながらドアを開けてその向こうにいる少女と対面する。

驚いたような顔つきでこちらを仰ぎ見る少女はやはり紛れもなく彩羽だった。

「あのっ…もしかしてゆう、き?」

他に誰がいるんだようちに。父さんが若返りでもしない限りありえんだろ。

「あぁ。俺が泉妻夕希だが。まぁ無理もないか。何年も会ってないし声も変わったから一目じゃわからんだろうし」

俺が自分の名前を伝えて彩羽の瞳を覗き見ると、慌てたように瞳孔を開いて恥ずかしそうに目を逸らす。こんなに奥手だったかなこいつは。

結構ぐいぐいきて俺を困らせてくるタイプだったような印象があったのだが。

「よかった、ぁ…夕希にまた会えたぁ…!うっ、あ、あああ…」

っておいおいおい。急に泣き出しちまったぞオイ。何をしたって言うんだ俺が。

自分に非があるなら謝れば許される場合があるけど、今回の場合の様に何が悪いかを理解していない状況で謝るのは下策中の下策だぞ。

どうするよ俺。女の子の涙を止めるような気の利いたこと言える人間じゃないぞ俺は。

だが――こともあろうに彩羽は戸惑う俺の背中に手を回してきて…ぎゅっ。

そのまま俺を抱きしめたのだ。朝早くとは言え住宅地で。その姿は人によっては仲睦まじいカップルに見えたに違いない。

よって俺がとるべき行動は一つ。なるべく穏便に彩羽を俺から離れさせること。

「お、おいやめろ…!くっつくな、人に見られたらどうするのさ…」

俺が必死に離れるように、という旨を込めて抗議すると…何故だ。

何故そのまま抱きしめる力を強くする。理解できん。

「ふふふ…昔の夕希とほんとに変わらないなぁ。やさぐれてたらどうしようかと思ったけど、よかったぁ。変わってなくて」

無理に引きはがそうとも思ったが、俺の胸に顔をうずめる彩羽はとても幸せそうで引きはがすのはどうにも忍びない。

だがいつまでも玄関先でこうしているわけにもいかない。

彩羽のバニラみたいな甘い香りが鼻孔を擽り、理性が溶けていくような錯覚に陥りだした。玄関先で完璧に理性が溶けてみろ。警察が飛んでくるぞ。

「とりあえず立ち話も何だ、入りなよ」

「そ、そうだね。お言葉に甘えて、お邪魔しますっ!」




そういって玄関から家に入ってきた彩羽は…抱きしめた状態こそ解いてくれたものの、俺の右腕にしっかり抱き付いたまま頬に顔を寄せてくる。身長差があるせいで肩くらいまでしか来ていないのがせめてもの救いだ。

これが実際に頬と頬がくっつくようになっていたらいろいろとまずいことになっていたに違いない。

「あらあら…お熱いわねぇ。明日はお赤飯かしら」

何言ってんだよ母さん…。遠回しに容認してるんじゃないかそれ。

何をとは言わないが。決して言わないが。

「わぁ…彩羽おねえちゃんやっぱりもっと可愛くなってる!おにいちゃんにはもったいないくらいだよぅ。――おにいちゃん!幸せにしてあげてね!」

玲、お前もお前で何を言いだすんだよ。そして声がでかくなってる。テンションが上がっている時の癖だな。

「玲ちゃん…?大きくなったね玲ちゃんも、そっかぁ。あれから六年くらい経ったのかな。私なんかより玲ちゃんのほうが可愛いよ。

あ、あと!私はもう十分今の状況で幸せだからっ!」

わたわたと最後慌ててしまったことにより今少しだけ積み上げたお姉さんらしさが失われてしまった彩羽。根本的にお姉さんキャラは向いていないと思うぞ。どちらかというと小動物的なイメージあるし。けれどもそんな彩羽を横目で流し見れば、とっても嬉しそうに笑っていた。表情が豊かで忙しそうなやつだ。

どうやら幸せというのは本当らしい。俺なんかと一緒にいてどうして幸せなんだかわかったものじゃないが世の中には不思議な感性を持つ人間もいるんだな、ということで現時点は納得しておこう。

俺の思考回路じゃ幸せなんて結果は幾万回やったとて算出されることはないだろう。出たら俺はナルシストになってしまうかもしれない。俺のキャラクターがブチ壊れてしまうのでぜひやめていただきたいところだ。

そんなこんなしている間に俺の隣では彩羽の帽子の取り合いが始まってしまった。油断も隙もありはしない。

パッと見、仲の良い姉妹のようにも見える二人は…多分波長が合うんだろうな。あんまり結託されて彩羽に俺の情報を漏らされるとかされたら厄介だけど、変にギクシャクされるよりずっといい。






そんな光景を俺は呆れた目で、微笑まし気な目で、楽し気な目で見守る。

きっとこれは俺たちの物語の序章プロローグに過ぎない。


俺の青春はここから始まるんだ。

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