第3話

「コーヒーとココア、どっち飲む?」

「んじゃ、ココアで!」

 ソファーに座って待つわたしへの問いに、声のした方、ソファーから二メートルほど後方のオープンキッチンを振り返って即答する。

 お互いの身長が低いせいで、ここからではオープンキッチンに立つ浸流君の顔はよく見えないが、食器棚を開けたりなんだりしている音に迷いが無く、テキパキできていることから、よく手伝いをしている雰囲気がうかがえる。

 座っててよと、一応客扱いされた手前、無碍むげにするのも悪いかと、とりあえず、物が割れたりといった音がするまではこのままでいる、その予定でわたしは聞き耳を立ててソファーに腰を掛けていた。

 だが、どうやらその心配も杞憂だったらしく、浸流君はお盆に飲み物を載せて持ってきてくれた。

「けー姉ちゃんってさ、高校生にもなって、まだコーヒー飲めないの? だっさ」

「うっさい」

 持ってきて早々、この悪態である。

「それじゃ、浸流君はコーヒー飲めるっての?」

「あったりまえじゃん」

 だっさ、とわたしに言うくらいなのだから、それこそ当たり前の話だが、今の小学生はコーヒーを飲めても当り前くらいのレベルらしい。ぐぬぬ……。

 浸流君は持ってきたお盆をテーブルの上に置いてぐるっとテーブルを半周し、人一人分を空けてわたしの隣に座る。

 お年頃なのか、隙間を空けずに隣りに座るのが少し恥ずかしいみたいだ。

「……これはなあに?」

 お盆に載せられたカップに不手際があったり、わたしに対する嫌がらせがあったわけではない。むしろ、溶け残りをかき混ぜるスプーンまでついている気の利きようだった。つまり、なにが言いたいかというと、カップとスプーン以外に載っていた蓋のついた入れ物、某クマが蜂蜜を入れておく壷を模した物が何なのか、それが分からなかったのだ。

 気になって、その蓋を手に取ってみようとするが、横から浸流君に入れ物ごと掻っ攫さら《かっさら》われた。

「けー姉ちゃんには必要の無いものだよ。それとも、まさかココアに入れるの?」

 心の底から、考えられないという顔で言う浸流君。

「これは、ほら、砂糖だよ、砂糖」

 言いながら、蓋を開けて三、四個コーヒーに入れてから渡して見せてくれたそれは、間違いなく角砂糖だった。

「コーヒー飲めるとか言っておいて、結局そんなに砂糖いれるのかよー。だっさとか言われてイラッときたけど、既に牛乳入ってるのは見逃してあげたのに! それでコーヒー飲めるって言うなんて、片腹痛いわー!」

「うるさいなー。二択でココア選ぶ、けー姉ちゃんにだけは言われたくないし!」

 憎まれ口をたたき、スプーンでコーヒーをかき混ぜる。それから、かき混ぜたコーヒーを口に含み、カップを置いて浸流君はソファーに背を預けた。

「……」

 一応言っておくと、この目の前、正しくは隣にいる少年、深水浸流君は同じ名前の新キャラとかではなく、素になって、言葉遣いと雰囲気が若干変わっているというだけで、外にいた子どもと同一人物である。

 外にいた時のあれは、理想の良い子という評判でいるため、病院通いの母親である癒守さんに心配を掛けないための演技だった。ただそれだけのことだ。

 この歳で、わたしの前とそれ以外の人の前とでキャラクターを使い分けているのだから、大したものだ。

 素の浸流君を知るまでは、きちんと挨拶をする良い子という、近所の人となんら変わらない印象を持っていたのだが、遡ること二ヶ月前。

 わたしが中学校から帰宅中。たまたま一人で帰っている浸流君を見つけ、驚かせようと気付かれないように早足で追いかけ、あと数メートルという距離まで近付いた時に、「はぁーッ、なんかもう、この良い子キャラめんどくさいなー……。いっそ、このキャラやめちゃおうかなー」と、ため息と独り言を吐いているのと、使い分けをしている理由を聞いたのが、浸流君がわたしの前でだけ素でいるということになったきっかけだった。

 独り言を聞いてショックではあったし、だれかにこのことを言っちゃおうかなーと思ったこともあったけど、浸流君が頑張って築いてきたイメージであるし、別に浸流君が嫌いというわけでもないので、素は年相応の生意気な子だと広めたりすることもせず、癒守さんも知らないであろうこの秘密を守っている。

 あと、だいたいの人は分かっているとは思うが、ついでに説明しておこう。

 浸流君が言う、けー姉ちゃんというのはわたしのことだ。

 今まで、倉位野児輪囲という名前であるのを嫌だと思ったことはなかった。

 だが、近所の年下の子に呼ばれるとなったときに、倉位姉ちゃん、児輪囲姉ちゃんと呼ばれると、暗いだの怖いだのと言われているようで嫌だったので、イニシャルに姉ちゃんを足して、そう呼んでもらっている。

「けー姉ちゃん、いつまでその壷持ってるの? どっかのクマみたいだよ?」

「もう、女の子に対して失礼な! わたしはあんな下っ腹出てない! むしろ、スマートな部類だよ!」

「うん、うちのお母さんより……その、スマートだよね」

 わたしの一点をチラッと見て言う浸流君。

「ちがう! 癒守さんがボンキュッボンなんだよ! あれが成長した女の子の平均だと思ってたら、いつか浸流君は痛い目見るよ! あと、わたしは成長がスロースターターなだけ! ってか、そんなことを言うのはセクハラだよ!」

「無邪気で純粋な小学生の言うことだからって許されることもあるんだよ? けー姉ちゃん」

 なんか、満面の笑顔で小学生にいさめられた。

 くそっ、さすが近所の老若男女を欺く《あざむ》くそがき。小学生なのを有効利用するなんてやるじゃないか……。言うだけ、わたしの方が不利じゃないか……。

「で、けー姉ちゃん、なにすんの?」

「ナニすんのって、やだもう、浸流君のえっち!」

「……はあ? なに言ってんの?」

 あれ? 「バ、バカじゃないの? そんなことしねぇし!」とか言いながら、顔を赤らめたりする男の子というのを期待していたのに、浸流君は、心底意味不明という目をしている。

 うーん、訴える場のないセクハラをされたことに対して下ネタで反撃したのに、向こうがその下ネタを理解していないとは……。小学生にこの下ネタは高度過ぎただろうか。

 はぁーッ、浸流君が理解していようがいまいが、どちらにしても、こんな反応されたんじゃ居た堪れねぇー。

 あっ、そうだ。居た堪れないとか言ってる場合じゃない。もし、子どもの好奇心でさっきのやりとりの意味を尋ねられたら、それはそれで答えに困るな。その前に、なにか、なにか別の話題に変えられるものはないだろうか。

 あまりキョロキョロして焦りが気取られないよう、眼球だけを動かして周りを見る。

「あ、あのさ、あのテレビの下にあるのってゲーム機だよね? あれの二人プレイ用のソフトって持ってる?」

 質問に質問を重ねて正面にある機械を指差す。

 あれなら、話題も変えられるし、これからなにをするのかという質問に対しても適当な回答のはずだ。

「持ってるよ。コントローラーも二つあるし。ゲームする?」

「そっかそっか。それじゃあ、ゲームして待っていようか! どんなゲームがあるの?」

 よしっ、話題をそらせた! 成功した! と、心の中でガッツポーズを決めながら、テレビの前に移動する。

 しゃがんでテレビ台を覗くと、ゲームソフトはゲーム機の横に置かれた透明なアクリルケースの中に入っていた。

「……? 浸流君、分けて!」

 勢いでテレビの前に来たけど、わたしにはどれが二人でできるゲームなのか、見ても分からなかった。なので、アクリルケースごと取って渡し、一人用とそれ以外のものを分けてもらう。

「おぉー!」

 自分の家にあるものだからだいたいを把握しているのだろうが、その識別の早さは、さすがは友達とゲームをしていることが多いであろう小学生! というくらいの早さだった。

「ケースの中に残したのが一人用で、あとは人とやるやつだけど、どれやる?」

 そう言う浸流君が分けた数本の多人数用ゲームは、タイトルが見えるように律義にキレイに横に広げられていた。

「ふむ」

 この中だと、どれがわたしがやったことがあるものだろう。どうせやるなら、浸流君にゲームシステムなどを一から説明してもらわないゲームが望ましい。

 けして、年上の威厳のためとかではなく。あ・く・ま・で、家でそこそこやっているであろう浸流君が退屈しないようにするために、だ。

「……これがいい!」

 言って、わたしが手に取ったのはアイテムを使って対戦相手の邪魔をしてゴールを目指すレースゲーム。

「んじゃ、それで」

 浸流君にパッケージごと手渡すと、パッケージからソフトを取り出して淡々とゲーム機にセットしていく。

「……」

 わたしなんかは、ゲームをやり終わってもソフトをそのままゲーム機に入れっぱなしにしてしまったり、別のパッケージにソフトを入れてしまったりする方なのだが、浸流君は本当に律義な子のようで、そこらへん、わたしよりもしっかりしていた。

「あーとーはー、テレビの電源いれてー、入力をいじってー、はい、終了!」

 と、行動をリズミカルに言いながらリモコンを手に取り、黒かったテレビの画面をドラマの番宣、パッケージの絵の画面の順に切り替え、コントローラーを二つ持って先にソファーの方に戻っていった。

「一応、はしにっ、と」

 小声で言って、アクリルケースをテレビの下に戻し、横に広げられた多人数用ソフトを邪魔にならない位置に積んでからわたしもソファーに戻る。

「はい、コントローラー。一応説明しとくと、このボタンがアクセル。ここがブレーキ。それでこっちがアイテム使うとこ。左右の操作はこれね。使うボタンはこんなもんだけど、大丈夫そう?」

「このボタンがアクセル。ここがブレーキ。こっちがアイテム。左右操作がこれ。で、合ってる?」

 確認で、コントローラーを手に持って見せながら、言われたとおりにボタンに指をのせていく。

「うん、合ってる合ってる」

 わたしの手つきと間違いがないのを見て、浸流君はテレビの方に向き直って色々とレースのルールなどの操作をし、キャラクターはお互い、自分が好きなキャラクターを選ぶ。

 もちろん、コースは平等にランダムだ。

「ふふふ、浸流君。負けても泣かないでね!」

「はあ? 泣かないし。ってか、負けないし」

「はいはい」

 口ではなんとでも言えますよと、おざなりな対応で返す。

 挑発されてやる気になったのか、浸流君のコントローラーを握る手が少しだけ強くなる。

 あらら、むきになっちゃって……。いくら良い子の振る舞いが上手くても、御し易くて分かりやすいなー、小学生。

 浸流君のゲームの実力は分からないが、なんの勝算もなく挑発したのではない。

 わたしにはこのゲームで勝つ自信が少しだけあるからしたのだ。

 一つ前のハードのソフトでとはいえ、このゲームを極めたと言っても過言ではない友達の家に行って互角の勝負をするまでになった。勝つためのセオリーくらいは把握している。

 ふふん、三年前まで幼稚園に通っていた子どもと三年前には既に中学生だった大人の違いを見せてやろう。

 テレビのスピーカーからレース開始前のファンファーレとスタートのカウントダウンが鳴る。その中、再度、浸流君の方を向いて、負けたときにどんな反応するだろうかと予想する。

「……」

 浸流君の性格から、人に泣き顔を見せるということはしないだろう。だとしても、負けるのが快い人間などいはしない。それが小学生ならなおさらだ。

 とりあえず、最初の一回くらいは少しだけ手加減して相手をしてあげて、「いやー、負けちゃったなー。もう少しで勝てそうだったのに、浸流君はゲーム強いなー」「へへへ」「よーし、次は勝つぞー」みたいな流れにしよう。これならスムーズに留守番を終えることができるだろう、うん。

「…………」

「……なに? けー姉ちゃん」

 わたしの視線に気付いたようで、浸流君は画面から目を離してこちらを向いた。

「いやいや、なんでもないよ」

「ふーん、なんでもないならいいけど。って、ああーっ! けー姉ちゃんのせいでスタートダッシュできなかったじゃん!」

「わたしのせい!?」

 テレビ画面に顔を戻して急いでアクセルを押すが、既にCPUキャラクター達が続々とスタート地点から発車して、ようやくスピードが上がり始めたわたし達のキャラクターを追い越していく。

 レース開始早々、先頭集団から取り残されたわたし達のキャラクターは、どちらかをビリにさせるべくのデッドヒートをしながらのスタートとなった。

 そして、レース開始から数分経って最終ラップが終わる頃、わたしがゴールする頃には、隣は一位でゴールし、既にコントローラーを握っていなかった。

「けー姉ちゃん、まだ?」

「あと少し待ってて! ……ふぅー、ゴール!」

 プレイヤーの二人がゴールしたことで画面の中ではレースが終了し、画面が切り替わって、順位によって加算されるポイントが各々に振り分けられていく。

 当然ながら、四位のわたしは一位よりも高いポイントであるわけもなく、最初のレースなのでポイント合計順位はゴールした順位と同じものになった。

「ねえねえ、負けても泣かないでね?」

 ゲームを盛り上げるために自分が言ったこととはいえ、ドヤ顔でそれを言われるほど、腹の立つことはない。

「う・る・さ・い! 四コースで終わりだから、あと三コースあるし!」

「あのさ、手ぇ抜かなくていいからね?」

「ぐぬぬ……」

 生意気に強者の余裕がみえる、かっこいいセリフを言いおって……。

 レース始めは手を抜いて、「うふふ、やったなー」みたいなノリでゲームをやっていたが、途中からは手を抜かないでやっていた。

 ……それで、この順位かー。

「たまにこのゲームをオンラインでやったりするんだけどさ、オンラインって、相手が子どもだからとか関係なく負かそうとしてくるから、自然にゲームが強くなるんだよね」

 うー、くそっ、自分より半分くらい年下の子に強さの秘訣を教えられてしまった。

 最近はB Lノベルゲーだの、読み進めるゲームばかりをやっていたからか、たまにこういう対戦するゲームをやると、こう、心の奥底が熱くなってくるなー。

「次は、次こそは浸流君に勝つから! ほらほら、次のレース始まるよ!」

 テレビの画面は順位の表示から変わり、先程と同じようにスピーカーから音が鳴り出す。

「今度はさっきみたいに余所見なんてしないからね! けー姉ちゃん、もっと一位になるのが難しくなるんじゃない?」

「このっ、言わせておけば……。今度こそ! 今度のコースはイケル気がする!」

 それから十数レース。

 わたしが浸流君の前に出てゴールした回数は、浸流君が前に出てゴールした回数より少ない数で終わった。

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