第2話

 思いのほかあっさりと癒守さんがわたしにお願いしたことから、別のイメージを持つ人もいるかもしれないので癒守さんのために弁明しておくと、癒守さんは一人息子の浸流君を溺愛している。そして、だからこそ、浸流君はわたしとお留守番なのである。

 今まで築いてきたわたしの信用で浸流君を任されたと声高らかに言いたいところではあるが、たぶん、癒守さんが自分の用事に浸流君を付き合わせるのが心苦しいと思ってのことだろう。

 弁明終了。


「あの、癒守さん」

 と切り出し、さっき褒められた時とは反対側の後ろ髪を擦って、続ける。

「あの、提案しといてなんなんですが、わたしの部屋少し散らかってて……」

 これは当たり障りのないウソである。

 実際のところ、わたしの部屋は極力自分で掃除するようにはしているし、たまに、見るに見かねた母親が掃除をしてくれてたりするので基本的にキレイである。

 家族にはわたしが腐女子だとバレているので、部屋に入られても特に気にはならないのだが、さすがに家族以外に、B Lに理解があるかも分からない人に対して、「わたしの部屋はB Lマンガやその関係のポスターがいっぱいで、とてもじゃないけど人をあげられる部屋じゃないんです!」なんて言えるわけもなく、それとなく、自分の部屋が人をいれることができる部屋ではないことを察してほしくてついたウソだった。

「……あー……」

 わたしの言ったことに、癒守さんは小首をかしげて少し考えた後、納得したように言って、わたしから視線を逸らした。

 あー……ってなんだろう。わたしは普段も掃除中も窓を開けることはあっても、カーテンは閉めっぱなしだから外から部屋の中の様子は分からないはずなんだけど……。そこらへん、わたしのミスはないはずだ。うん。家族には腐女子だとバレてはいても、近所にはバレていないはず。それともまさか、本当にわたしの部屋が汚いとでも思われたのだろうか。そんな部屋に息子を入れさせたくないとでも思われたのだろうか。

「たしかに、児輪囲ちゃんの部屋は、小学生には少しアレかもしれないわねぇー……」

 ん、あれ? なんだろう。なんか、わたしの部屋を見たことがあるような言い方だった? もしかして、わたしの趣味バレてた? えっ、バレてたとしたらいつから? あーっ、やばい。顔から変な汗出てきた。

 バレているかもしれないという動揺で、頭がカーッと熱くなってくる。

 考えろ、考えろ、わたし……。そうだ! 部屋になにがあるかという部分を伏せて訊けばいいじゃないか! 冴えてるー、わたし!

「癒守さん、えっと、わたしの部屋、見たことありましたっけ?」

 あー、言っちゃった。言っちまった。これでもう後戻りはできない。

 目の前の癒守さんはというと、わたしからの質問に対してなにかを数瞬考えてから手招きし、手で口を隠してわたしにそっと耳打ちした。

「つい最近、といっても、一週間くらい前のお昼時だったかなぁ。洗濯物を取り込むのでベランダに出た時に、児輪囲ちゃんの部屋の窓が全開だったの。その時にたまたま見ちゃってぇ……。たぶん、児輪囲ちゃんが自分の部屋の空気の入れ替えをしていた時かなんかに私がベランダに出ちゃったんじゃないかなぁ」

「…………」

 経緯の説明を受けると共に、自分の中にあった心象風景の壁にヒビがはいっていき、見ちゃったという告白に壁がガラガラと音を立てて崩れ落ちていく。

「ほんとにごめんねぇ」

 と、耳元から手を離し、手を合わせて謝るその仕草と声からは、見てしまって本当に申し訳ないという気持ちが感じ取れた。

「…………」

 落ち着け、わたし。こういうときは深呼吸だ、わたし。……おーけー、落ち着いてきた。ただ、バレていないという前提が崩れただけじゃないか、わたし。

 それにしてもだ。話を聞く限りだと、癒守さんがベランダからわたしの部屋の中を見たのが一週間くらい前のお昼。

 だけど、花粉症のせいで窓が開けられず、わたしが最後に部屋の空気の入れ替えをしたのは二週間ほど前だ。

 ということは、わたしの部屋の窓を開けっぱなしにした犯人は一人しかいない。

 許すまじ、母親……。

「……はい?」

 わたしの変化に気付いたのか、癒守さんはもう一度わたしに手招きをした。そして、先程と同じように手で耳を覆ってもう一度囁く。

「でもねぇ、安心して。児輪囲ちゃんがそういうのを読みそうには見えなかったから話をしなかっただけで、私も嗜んだことがあるから大丈夫よぉ!」

 む・し・ろ、肯定派よぉ! と言ってから、癒守さんは顔を離して親指を立てて微笑んだ。

「…………」

 なんということだ。こんなところに、こんな近くに同じような趣味(カップリングや受け攻め等の趣味が同じとは限らないので、あいまいな表現にしておこう)の仲間と呼ぶべき人がいたとは……。

 ああっ、お母様。あなたのおかげで、わたし、倉位野くらいの児輪囲こわい十五歳に、初めて趣味について話せる人が出来ました。

「……」

 折角だからここらで少し癒守さんと話をしたい気分だが、視線を感じた先を見やると、置いてきぼりになっている浸流君が、見るからにつまらなそうな、不満そうな顔でこちらを見ていた。

 ……あー、そりゃ、自分には分からないであろう話でも、自分の目の前で内緒話とかされたら嫌だよね。

 わたしの視線が浸流君に向いていることを察してか、癒守さんは「ごめんねぇ」と、浸流君の頭をくしゃっと撫でた。

 自分が放置されていた状態が解消されて頭を撫でられたことに、浸流君は子どもらしく嬉しそうな顔を見せる。

「それじゃあ、児輪囲ちゃん。外で遊んでてもらってもいいし、もし、家の中がいいならウチに居てもらっても構わないからぁ。浸流くん、鍵は持ってるわよね?」

「うん!」

 言いながら、浸流君はネックレスのように首から提げている紐を引っ張って、丸首のティーシャツの中から取り出した。

 その紐の先には、自宅のであろう鍵が通されている。

 おおっ、鍵っ子! なんだか、久しぶりに見た気がする。

 そういえば、わたしも昔はそうやって鍵を持って学校に行っていたっけ。今じゃ、財布を持って歩くのが当り前になったから財布の中に入れて持ち歩いているけど。

「ねえ、浸流君。おうちの中と外で遊ぶの、どっちがいーい?」

 百五十センチ前半の身長のわたしよりも低い目線に合わせて、屈んで尋ねる。

「んーとね、おうち!」

 元気よく言うそれは、子どもながらの純粋さ、元気さから出る、無邪気な言い方だった。

「それじゃ、もうそろそろバス来ちゃうからぁ。児輪囲ちゃん、浸流くんのこと、よろしくお願いねぇ」

 癒守さんはそう言って、もう一度浸流君の頭を撫で、肩の高さで手を振りながら、角を曲がって、高い生け垣の向こうに消えてしまった。

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