第3話 バッティングセンター

 あの加藤の塾へのお誘いマシンガントークが炸裂してから数日がたった。

 結局翔太は加藤の塾に通うことになった。

 週一回数学の講義を受けるという。

 この数学の講義は評判がいいと通っている友人は口をそろえて言う。

 だが翔太の場合、加藤のマシンガントークに打ちのめされただけだろうと、瑠璃は思っている。 

 もっと会話が上手になりたい、と加藤を見て瑠璃は思うようになった。

 そしてさらに、瑠璃の塾にも来ることになった。

 こちらは受験英語の講義だ。

 本人曰く、今まで野球一筋だったため、勉強が追いつかないという。

 本当は、翔太の母親が焦っているようだ。 

 でも、そのおかげで、週一回は翔太と一緒の塾から帰宅できるようになった。

 瑠璃にとって、翔太と過ごせる唯一の時間なのだ。

 以前はほとんど毎日、瑠璃と翔太は一緒に帰っていた。

 ふと思う。

 翔太はなぜ瑠璃と一緒に帰ったのだろう。

 一度だけ聞いたその答えは、「夜道でこけたら起きられへんやろ?」だった。

 でも瑠璃は今でも違う答えを期待している。


「今日の英語難しかった……瑠璃はどうやった?」

「うちも全然やったわ。 もっと勉強せなあかんって、ほんま思うわ」

 塾の帰り道、自転車を転がす翔太と瑠璃はゆっくりと歩いていた。

「そうそう、駅前にバッティングセンターができたって知ってる?」

 最近駅前に、複合スポーツ施設ができ、その中にバッティングセンターができた。

 一つの施設でいろいろなスポーツが体験でき、そこそこ評判がいいらしい。

「うん、知ってるよ。ほかにもフットサルのコートとかあるみたいやね」

「そうや、今から行かへん?」

「えっ、うん……じゃ、ちょっとだけ」

 翔太はうれしそうに微笑み、瑠璃をすっと持ち上げ自転車の荷台に座らせた。

「ちょ、ちょっと」

「ゆっくり歩いてたら閉まってしまうやん」



 こんな時間でもこのスポーツ施設は人が多かった。

 バッティングセンターは社会人が多く、以外に女性も多いことに気がついた。

 瑠璃は大人達を横目に、翔太について中に入った。

 翔太はここに来るのは初めてだと行ったが、何度か来ているかのような足取りで受付に進んでいった。

 翔太はここで利用するためのメダルを購入した。

 そしてすぐに140km/hと書いた札のかかっているところに入っていった。

 瑠璃はその前の椅子に座り、翔太のスイングを眺めていた。

 久しぶりのバッティングというが、一番速い速度のところでは、何回か空振りをして頭を掻いていた。

 それでも、何回かはバットに当たり大きく飛んでいったことに、瑠璃は感心した。

「すごい、こんな速い球打てるなんて。さすが四番やね」

「元、やけどね。練習もしてへんし、全然思うように出来へんかったわ」

 翔太は瑠璃の横に座り、買ってきた麦茶を飲み干した。

「そうや、瑠璃もせえへん?」

「何言ってんの? 出来るわけないやんか」

「一緒に入るから、ほらほら、立って」

 瑠璃は翔太に腕をつかまれ、一番速度の遅い所に入った。


 翔太は瑠璃の背後に立った。

 瑠璃にバットを持たせ、いわゆる二人羽織のような格好をして、瑠璃の手の上に翔太の手を重ねた。

 翔太の手は瑠璃の手を隠してしまうほど大きい。

 それに瑠璃は翔太に抱きつかれているような格好に見える、と思った。

「うわ、こんなん恥ずかしい……」

 瑠璃は顔が熱くなるのを感じた。

 だが瑠璃は素直に翔太に身を任せた。

 いつもなら杖がないと立つことも難しいが、翔太が支えてくれているととても安心した。

「力抜いて……」

 目の前のディスプレイ映された誰かわからないピッチャーが瑠璃を見ている。

 そのピッチャーがモーションに入る。

 瑠璃は少し緊張した。

「行くよ……それ」

 ディスプレイに映る映像に合わせ、その横の穴からボールが飛び出した。

 それと同時に翔太の身体が動く。

 瑠璃はただその動きに身体を任せた。

 意外にも翔太のスイングは優しかった。

 ゆっくりとスイングする割に、バットにちゃんとボールが当たる。

 少し重い感覚が手から腕に伝わる。

 さらにバットを振り切ると、ボールがはじかれた。

 そして瑠璃が思ったよりも遠くへ飛んでいった。

「すごい、楽しい!」

「やろ? ほら、また次ぎくるで」

 瑠璃は、十球ではあったが初めての経験に心が躍っていた。

 

「翔太くん、楽しかった。ありがと」

「無理矢理付き合わせたようなもんやけど、よかったわ。またこよな」

 瑠璃は大きく頷いた。

 今からでも次の機会がきてほしいと思った。



 だが、そんな毎日がいつまでも続くわけではなかった。

「明日から文化祭の準備が始まって、それも毎日。大変やわ」

 塾の帰り道、もうすぐ瑠璃の家に着くかと言うときに、翔太が話題を変えた。

「文化祭の準備? もしかして実行委員になったん?」

「うん、まぁ。最後やし思い出にやってみようかと思って」

 翔太は頬を掻きながら笑って見せた。

「うちのクラスは誰もやる気がないみたい。結局学級委員が掛け持ち。翔太くん、すごいね」

 瑠璃の言葉に、翔太が照れているように見えた。

「もう一人は誰なん?」

「え、ああ……」

 少しの沈黙、瑠璃は嫌な予感がした。

「……加藤」


 衣替えが終わり、秋の気配を感じられるようになった頃、文化祭の準備も本格的になってきた。

 今までは実行委員が主に活動をしていたが、クラスの準備も始まった。

 その辺りから翔太は、英語の講義も遅刻をしたり欠席をしたりするようになった。

 『最後の文化祭』と言われては、瑠璃は応援するしかなかった。

 だが、心に引っかかるものはあった。

 当の瑠璃は文化祭には一切タッチしていない。

 瑠璃のクラスはお化け屋敷をすることの決まり、文化祭実行委員兼務の学級委員と一部のメンバーが張り切って準備をしている。

 多分瑠璃は当日の受付かその当たりの仕事だろうと思っている。

 まともに立つことが出来ないお化けがいても全然怖くないだろう。


 文化祭という行事自体、三年にもなれば受験があるため余り力を入れない。

 だが、翔太のクラスはそれなりに本格的な演劇をするらしい。

 演劇は練習が大変だと思う。

 それに加え、実行委員をする翔太は文化祭が終わるまで自由な時間はなさそうだ。

 だからわかっていた。

 塾に来ることが難しいことを。

 瑠璃が翔太にあまり会えないことを。

 

「瑠璃? 最近松田くんってあの加藤と一緒におること多いな」

「由香はしらんかったん? 加藤さんも文化祭の実行委員らしいよ」

「そうやったん? それにしてはあの加藤、下心丸出しやで。いつもべったり。絶対に松田くんになんかしとるよ」

「なんかって何よ」

「それはうちの口からは言えへんわ」


 文化祭が近づくにつれ、準備も活発になる。

 それに伴い、嫌でも翔太と加藤が一緒にいることろを目にすることが増えた。

 瑠璃の目には、二人はとても楽しそうに見えた。

 最後の文化祭準備を楽しんでいるのか、それとも……


 それでも瑠璃は週一回の翔太に会える日を楽しみにしていた。

 塾の講義にさえ来てくれれば、一緒に帰ることが出来る。

 話も出来る。

 運がよければ、またバッティングセンターに誘われるかもしれない。

 そのときはもう少し、加藤のように大胆になれたらいいな、と心で思っていた。


 もちろん、塾で待つだけではなく、学校内では会おうと思えばいつでも会える。

 電話をすれば声も聞けるだろう。

 だが、瑠璃はそれが出来なかった。

 瑠璃はわかっていた。

 ただ今の関係を崩したくないことで、臆病を演じていることを。

 だから出来ないのではなく、自分から何もしない、ということをわかっていた。


 そして瑠璃の家で、やっとコスモスが咲き始めた頃、文化祭がやってきた。

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