第2話 かわらない二学期

 夏の大会が終わった。

 それと同時に、三年生は選手を引退する。

 そして彼らは、これから受験という荒波に立ち向かうことになる。

 もちろん全員が大学を受験するわけではないが、瑠璃を始め、ほとんど全員が進学を希望している。

 

 瑠璃は夏休み中、涼しい図書館で友人と勉強をしたり、塾の自習室で一人勉強をしたりと、ほとんど勉強に時間を費やした。

 成績は特に悪くは無いが、クラブ活動があったため、多くの時間は勉強に割けていない。

 模試などの結果から焦りを感じていたこともあり、夏休みは勉強三昧だった。

 それでもクラスメイトが誘えば、カラオケや夏祭りには少しは顔を出した。

 数少ない友人達と過ごす時間も、今まではあまりなく、これからもそれほど無いだろうと思っていたからだ。


 夏休み中、翔太に会うことはほとんど無かった。

 会いたいと思っても、塾と図書館では翔太に会うことはない。

 電話でもしない限り声を聞くことが出来ない。

 コンビニでたまたま出会うと、本当にうれしかった。

 必要以上に長話をした。

 そんな些細な出来事が瑠璃にとって幸せだった。 


 そして二学期。

 夏休み前とほとんど変わらない毎日。

 変わったことは、野球部の練習に行かなくなったことだ。

 放課後、学校に残ると外から野球部の練習が見える。

 それを見るとさみしくなるため、いつも最後の時間が終わるとすぐに塾の自習室に向かった。


 そんな毎日を過ごし始めた頃だった。

 放課後、進路指導室によった帰り、時間が遅くなったことで三年生はほとんど校舎にいなかった。

 昇降繰りに方へ向かって歩く途中、少し前の階段から声が聞こえた。

 瑠璃はその声から、そこにいるのは翔太だと気づいた。

 そして歩みを止めた。

「俺は……今はまだ誰とも付き合うつもりないんや……ごめんな」

「ううん、そんなことない。うちが一方的にこんなこと言って……ごめんな。で、でも、またもう一回告るから」

 言葉が終わると同時に、一人の女子生徒が階段を駆け下り、昇降口に向かった。

 ふと女子生徒が振り返ると、その目と瑠璃の目が合った。

 だが、女子生徒は何も気にする様子もなく、そのまま走りすぎていった。

 しばらくして翔太も降りてきたが、少しうつむき加減で瑠璃に気づかず帰って行った。

 瑠璃の心臓ははち切れんばかりに鼓動を打っていた。

 人の告白を聞いたのは初めてだった。

 それよりも翔太が告白された事実を知ったことで、自分自身がふがいなく感じた。

 このままでは、いつか翔太は誰かと付き合うだろう。

 その相手が瑠璃以外の誰かであると思うと、目から涙がこぼれてきた。

「うちは、どうしたらいいんやろ……」

 その小さな言葉は周りの大きな騒音にかき消された。


***


「おはよー」

 次の日、登校した瑠璃をクラスメイトの由香が待ち構えていた。

「瑠璃!」

 由香は瑠璃の前の席に座ると小さな声で話し始めた。

「うちさ、昨日見てん。びっくりせんといてや。松田くん、浮気しててん」

「は、はぁ? 何言ってんの?」

 微笑む瑠璃の顔と血相を変えた由香の顔はあまりにも対照的だ。

「だって昨日階段で、隣のクラスの子と密会してるところ見たんやから」

 瑠璃は昨日のことと聞いて、あの告白を思い出した。

 由香も瑠璃の知らないところで見ていたのだろう。

「翔太くんかって、女の子と話すことぐらいあるやん。それに浮気って何?」

「瑠璃がいながら、ほかの子と密会なんかしらたあかんやんか! こんなかわいい彼女ほっといて」

「はぁ? うちらそんなんちゃうし。初めて聞いたわ。なんでそうなるん?」

 興奮する由香を傍目に、瑠璃は少し冷めていた。

 多分、昨日の告白を見たせいだろう。

「えっ? みんな松田くんと瑠璃は付き合ってるって思ってるで。少なくともこの辺は」

 少なくともこの辺とは、由香の特に仲のいい二、三人のことだろう。

「ほんま、ちゃうし……」

 瑠璃はそうだったらいいなと思いながら、正直に否定した。

「でもそうやとしたら……あ、松田くんや」

 由香の視線の先を見ると、鞄を持ったままの翔太がこちらへ向かってやってくる。

「とりあえず、がんばってな。うちはいつでも瑠璃の見方やで」

 ひらひらと手を振る由香を横目に、何を頑張るんだろう、と瑠璃は不思議に思った。


「瑠璃、おはよう。ちょっと相談があんねん」

「翔太くんおはよう。どうしたん?」

 由香の入れ替わりに翔太は瑠璃の前に座った。

 幸い、瑠璃の前はギリギリまで登校してこない。

 今日は朝から翔太に会えるなんて、瑠璃はうれしかった。

 練習がなくなってから、クラスも違う翔太とはほとんど話すことがなくなったからだ。

「最近おかんが塾に行けってうるさくって。そんでこれ」

 翔太は鞄の中から大きな封筒を取りだした。

 その封筒の中を全部出すと、机の上に並べた。

 瑠璃は一冊のパンフレットに目をとめた。

「これってうちの塾やん」

「うん。家の近くで今から入れる所って言ったら、ここしかなかって。どんな感じか聞きにきてん」

 隣で由香のにこやかな視線を受けながら、瑠璃が塾の説明を始めた。


 だが、すぐに教室の扉が勢いよく開く音が聞こえた。

「松田くん、塾探してるんやって?」

 確か彼女は三組の加藤さんだ。

 加藤は急いで翔太の隣に立つと、机の上にあるパンフレットのさらに上に、新しい塾のパンフレットを広げた。

「あっ、加藤さん。あちゃー。誰がしゃべったんや……」

「うちの塾においでよ。もちろん今からでも大歓迎。松田くんやったらパパも……ううん、今日一回見においでよ。蒼井さんも一緒に来る? あ、ごめん、蒼井さんはもうほかに通ってるんやんね」

 瑠璃は思い出した。

 加藤の父はこのあたりで塾を経営しており、学内で塾に入りたいという生徒を見つけるといつも勧誘しているのである。

 その勧誘がかなりしつこく、意に反して入塾したものも少なくない。

 その情報を知ってか、翔太は加藤に知られたくなかったのだろう。

 その後も加藤のマシンガントークが炸裂し、ホームルームが始まるまで、翔太と一緒に話を聞かされた。



 授業中、瑠璃は昨日からの出来事を思い出し、考えを巡らせていた。

 翔太が告白されたこと、塾に入ろうとしていること。

 瑠璃にとってどちらも意外であったが、本来必然であったのかもしれないと。

 翔太は野球部の主将という知名度があり、さらに高校生らしい爽やかなかっこよさがある。

 女子達に人気があってもおかしくない。

 ただ近くにいすぎた瑠璃は、そのことに気がつかなかっただけだ。

 塾に入ろうとしていることも、野球部の練習であまり勉強が出来なかったと思えば、大学受験を控える今、勉強に時間を割くことは必然だ。

 それに対し瑠璃はどうだろう。

 足が悪いせいもあり、社交性は最低限。

 ルックスはどうだろう。

 こればかりは男子聞かないとわからないが、聞けるはずもない。

 成績は今のところ普通ランクは維持している。

 狙う大学によってはさらに成績を伸ばす必要を認識している。

 だが、それだけだ。


 もし翔太がほかの女子と付き合ったら。

 瑠璃は身震いがした。

 昨日確かに、翔太は受験が終わるまでは誰とも付き合うつもりはないと言っていた。

 受験が終われば誰かと付き合うのだろうか。

 誰かとは誰だろう。

 瑠璃ではない誰か。

 翔太が誰とも付き合わなくても、卒業してしまうと……翔太とも離れてしまう。

 でも。

 思いを伝える方がいいのだろうか。

 当たり前だが、うまくいく保証もない。

 片思いのままいる方が傷が浅いのかもしれない。

 これからどうすればいいのだろうか。

 考えても答えは見つからない。

「ふぅ……」

 瑠璃は小さなため息とともに、教室の天井を見上げた。

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