秋の空

温媹マユ

第1話 夏の空

「今日のサヨナラホームラン、ちょっと感動した」

「ああ、自分でもびっくりした」

「この調子で夏の大会もがんばろ!」

「うん、そやね……」

「どうしたん? 急に止まって」

「今日誕生日やろ? これ」

「えっ、なに? プレゼント?」

「恥ずかしいから、はよしまって」

「なんで? わ、かわいいバレッタ。ちょっと待って……どうどう?」

「うん……似合っとるよ」

「ふふ。ありがと。初めてやね、プレゼントもらうの」

「なぁ瑠璃?」

「なに?」

「……いや、何でも無い。今日も遅くなったし、はよ帰ろ」

「ちょ、ちょっと待ってよー」


***


 マウンドの上でピッチャーが振りかぶる。

 比較的ゆっくりなモーションで腕から離れた白いボールがミットに向かう。

 そのままミットに収まるかとも思われたボールは、振られた金属製のバットに当たり、ショートに向かって方向を変える。

 方向を変えられたにもかかわらず、ボールのスピードはそれにも増して強くなった。

 だが、遊撃手の胸元に待ち構えられたグラブに飛び込むと、そのスピードは零になった。


 梅雨も明け、蝉が賑やかに鳴き出した今日この頃、野球部員達は夏休みに開かれる試合に向けて練習に励んでいる。

 瑠璃はベンチからその様子をビデオカメラに収めていた。

 やがて、太陽によって照らされていたグラウンドも、周囲に取り付けられた投光器の明かりに替わる。

 それでもまだ、瑠璃はビデオカメラに様子を収めていた。

 

「瑠璃、今日もありがとな」

 練習が終わると、野球部の主将である松田翔太が瑠璃の待つベンチへやってきた。

「うん、練習お疲れさん。今日もナイススイングやったね」

 翔太は少し照れた様子を見せながらも、瑠璃の元へ手を差し出した。

 瑠璃は持っていたビデオカメラをその大きな手に渡した。

 翔太は持っていた鞄に大切にしまうと、もう一度瑠璃の元へ手を差し出した。

 瑠璃はその手を取り、ベンチから立ち上がった。

 そして、翔太が持ってきた杖に持ち替えた。


 瑠璃は野球部のマネージャをしている。

 野球部のマネージャは数名いるが、三年生は瑠璃一人だけだ。

 瑠璃は足が悪い。

 一年生の時に交通事故に遭い、幸い足の骨折のみで事は済んだ。

 だが、今もなお杖がないと歩くのがつらい状態が続いている。

 医者はしばらくリハビリをすれば治ると言っていたが、瑠璃はその言葉に疑問を持っていた。 


「翔太くん、明日の土曜日やけど、うち病院やねん」

「そっか、ええよ。明日のビデオは誰かに任せるし、大丈夫やで」

「うん。ごめんな」


 グラウンドで練習をする部の中で、いつも野球部が最後だ。

 野球部の連取が終わると投光器が消される。

 小さな町のグラウンドは、月や星の明かりでもそれなりに歩くことが出来る。

 それでも足の悪い瑠璃にとって少し恐怖を覚える。

 だが、自転車を押した翔太が隣にいるだけで、こんなくらい所でも歩くことが出来る。


 翔太は校門の先にあるバス停まで瑠璃を送り、瑠璃を見送ると猛スピードで自転車をこぎ出す。

 そしてバスを追い抜いていく。

 瑠璃はその姿をいつもバスの中から眺めている。

 瑠璃は昔、なぜバスを追い抜くほど飛ばすのかと聞いたことがある。

 翔太はただ足を鍛えるため、となんとも馬鹿馬鹿しい答えだった。

 そして、決まって瑠璃の降りるバス停で待っている。

「今日も俺の勝ち」


 だが、そんな毎日もいつかは終わりを迎える。

「プレイボール」

 けたたましいサイレンが鳴り響き、野球部の最後のトーナメントが始まった。

 一回戦。

 対戦相手は昨年の優勝校である。

 瑠璃はなんとか勝ちたい思いもあり、この巡り合わせを大変恨んでいた。 

 瑠璃は三塁側応援席で二台のビデオカメラを操っていた。

 一台はバッターボックスの固定撮影用カメラ。

 もう一台は翔太を追いかけていた。

 もちろん、この二台とも翔太が用意したものだ。

 同じ野球部の一員として、瑠璃はグラウンドをかけるナインをカメラに収めていた。


 そして、零対零で迎えた九回。

 両校の応援が激しさを増す。

 翔太達が守りにつく中、ノーアウト一、二塁。

 リードが大きい。

 セットポジションから投げられたボールは、バットに勢いよくはじかれ、ワンバウンドで一塁手のミットに収まる。

 打者より早く一塁手がベースを踏む。

 ワンアウト、二塁、三塁。

 そして迎えたバッターは四番。

 瑠璃は額の汗を首に掛けたタオルで拭きながら、大きく深呼吸をした。

 ここで捕手が審判に何かを伝える。

 するとマウンドに守備全員が集まった。

 瑠璃には何を話しているかわからないが、心はマウンドでみんなを励ましていた。


 そしてゲーム再開。

 セットポジションから投げられたボールは本当にまっすぐ捕手に向かっていく。

 だが、大きな身体から振り回されるバットに当たったボールは、大きく放物線を描き、翔太のグラブに向かって飛んでいく。

 そのボールが翔太のグラブに収まると同時に、流れるような動作で取り出したボールを捕手に向かって投げる。

 また、それぞれ走者も翔太のグラブを合図に、お互いの目的地に向かって全力疾走する。

 学校一の強肩である翔太が投げたボールは、投手がつなぐことなく捕手に向かう。

 ピッチャーマウンド付近でボールがワンバウンドしたとき、走者は両手を伸ばして空を飛んでいた。

 そして、ミットにボールが収まったときには、三塁手はホームベースに着地していた。


 そのまま一点の追加で九回表は終わり、翔太達の攻撃になった。

 瑠璃は強豪校相手にここまで健闘するとは、実は思っていなかった。

 だが、相手をここまで抑え込んできた翔太達に希望をもっていたのは間違いない。

 一勝してほしい。

 瑠璃は思い出した、いつだったか翔太が言っていた言葉を。

 トーナメントでは一回でも負ければ終わり、優勝するには勝ち続けなければならないと。

 強豪校相手に笑われそうな言葉だが、ここで負ければ、瑠璃達は引退だ。


 だがあっという間にツーアウト。

 そして迎えた打者は翔太。

 瑠璃は心臓が飛び出すかと思うぐらいドキドキしていた。

「翔太くん、がんばって!」

 瑠璃は着けていたバレッタを外し、両手で握りしめる。

 十五センチほどある少し大きめのバレッタは、瑠璃の誕生日に翔太から送られたもの。

 バレッタを持っていると、翔太に思いが届くような気がした。

 瑠璃のまなざしは翔太を離さない。

 投手は振りかぶり、ボールを投げる。

 翔太は一球目を見逃す。

 ボール。

 捕手から投手にボールが送られる。

 少しの間。

 瑠璃の緊張がピークに達する。

 再び投手は振りかぶりボールを投げる。

 軽く左足を引いた翔太は、思い切りバットをスイングさせた。

 その瞬間、甲高い金属音が鳴り響き、ボールは大きな放物線を描いた。

 瑠璃はとっさにそのボールの行き先を追う。

 視界の端の方では、翔太が全力疾走する姿が映っている。


 バシッと大きな音が聞こえたとき、瑠璃の目から涙がこぼれていた。



 帰り支度を整えた選手達は、バスの中で出発を待っていた。

 瑠璃は一番前の席に座り、みんなとともに監督と主将を待っていた。

 しばらくして二人が乗り込むと、翔太はすぐに一番前の席、瑠璃の横に座った。

 そして、早速監督から厳しくかつ優しい総括があった。

 選手達は思うことがたくさんあるだろう。

 瑠璃もマネージャとして悔しさはみんなと同じぐらい持っていた。

 せめて一勝したかった、でもグラウンドに立っていない自分自身がそう思うのはいささかおこがましく思った。

 隣に座った翔太も俯いたままだった。

 バスが動き出すと、一時間ほどで学校に到着する。

 瑠璃は窓の外を眺めながら今日の試合を思い返していた。

 ふと肩に何かが乗りかかった。

 振り向くと翔太の頭が瑠璃の肩により掛かっていた。

 疲れていたのだろう。

 緊張もしただろう。

 バスの揺れに安心したのか、翔太は小さく寝息を立てていた。

 

 瑠璃はふと隣に座る翔太を見て、今までを思い返した。

 今までグラウンドで選手としてここまでやってきた翔太。

 昨年の夏、主将を任され、チームを引っ張ってきた翔太。

 筋肉ムキムキでかなり汗臭い翔太。

 そして今瑠璃の横で眠っている翔太。

 瑠璃は改めて自分自身の気持ちを感じた。

 

 瑠璃は今、恋をしています。

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