第1章 天上の霧

第1節


 あなたとよく似た子に、会ったことがあるわ。

 今から2980年前のことよ。




 ――天上の霧




 宇宙暦3050年10月2日。

 あの日、私は侍女のいのりを連れて、朝からずっとお庭で雪遊びをしていたの。

 昔から気が済むまで止めない性質だったから、飽きた頃にはもう太陽神を乗せた馬車が頭の上にいらしてたわ。

 4歳の傍若無人な私に始終付き合わされていた18歳のいのりはずいぶん迷惑だったでしょうね…。

 このアルツェフィアにある霖狼国りんろうこくは年中冬の国。雪なんて見慣れてるっていうのに。




 そんな私が遊び疲れてお城へ帰ったら、何故だかわからないけどみんなが泣いてたの。

 それはもう、みんなよ。料理長のおじさまも、下働きのねえやたちも、執事のじいやも、お祖母様の妹君の…あの強情な薇弥らや様ですら泣いてらしたんですから。


 どうして泣いているのかと私が聞いても、みんなはただ「王女様…。ああ、お可哀想に…」と言うだけで理由は教えてくれなかったわ。

 彼らの憐憫の情を理解するには幼すぎた私は、みんなが私に意地悪をしていると思ったの。だから…お優しい扇弥せんやお母様ならきっと教えて下さると思って、すぐにお母様のお部屋へと向かったわ。雪で作った狼も見てほしかったしね。


 お母様のお部屋は相変わらず薄暗くて、少し寒かったわ。いつもお医者様がカーテンを閉めて、空気を入れ換えるために窓を少し開けてらしたから。

 でも、お母様はいつもと少し違ってた。私が会いに行くと、どんな時も笑顔で迎えてくださるのに…まだ寝ていらしたの。お顔に綺麗な白いハンカチのような布を被って。


 今日はずいぶん具合がお悪いのかもしれないと思って、物分りの悪い私もさすがにお話しするのは諦めたわ。


 お母様のお部屋は相変わらず広かった。本棚には占いや神話に関する難しい本がいっぱい並んでいたわ。

 でも、何か変なの。いつもいる侍女たちがいないんですもの。


「みんな…。誰も…いない、の…?」

 驚くのも当然だわ。お母様は女王だっていうのに。お部屋に人がいないなんて…本当に驚くべきことよ。


 でもね、そこに言葉があったの。

「失敬な…俺が、ここに居る」


 声のした方を見ると、男の子がいたわ。

 紺色の髪の私たちからすれば珍しい、艶艶した黒い髪の子だった。

 お母様のベッドの横の…いつもお医者様が座ってらっしゃる椅子に、彼は座ってたの。

 見たことがない…綺麗な子だった。私、一目で夢中になったわ。


「あなた…いつからそこにいたの?」

 私はなんとなくそう聞いた。


「ずっとさ。あんたが気づかなかっただけだ」

 その子は呆れた様子だった。


「ねぇ、名前は?私は霧弥きりや!あなたは…?」

「名前は……失くした」

 私はその言葉の意味が理解できなかったの。だから…彼の名前を“なくした”だと思った。


「なくしたお兄さま、おいくつなの?私は四つ」

「俺は…見た目年齢は九つ」

「なら私より五つ年上ね!」

 私が得意気に答えると、彼は初めて笑ったわ。

「もう計算できるのか…。偉いな」


 その笑顔より美しいものを、私は今も見たことが無いわ。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る