第3話

時を経ずして戦闘が始まった。


彼方のひろびろとした平原を我が国の大部隊が移動してゆく。隣山からも、敵本国からもすでにその動きは察知されているだろう。隣山に隠れた国境方向からも爆発音が鳴り始めた。主力はおそらく極力隠密理に国境に集結しており、一斉砲撃につづいて国境要塞に突撃を敢行する。


ここと隣山を隔てる河に沿い、隣山に続く崖上に築かれた国境要塞は我が国にとって永年の呪いであり、その長い歴史において、いまだかつて突破に成功したことがない。


あらゆる条件が同じであれば、いままでダメだったものは今回も同じ結果に至るのが道理である。つまるところ、今までにない要素、ここからの砲撃による後方指揮系統並びに補給線の破壊を期待しての作戦であると推察される。


しかるに、曲がりなりにもこの陣地の指揮官であるはずの自分には作戦の直前までなんの連絡もないということは、つまり自分やこの基地そのものは問題ではない。雲の上の人たちはこの小さな天才の特殊な技能に期待を寄せ、今回の一件を発案したに違いない。


***


米俵をむしって砲弾を取り出す作業が一段落して間もなく、無線機が鳴った。


クレハは内容を確認することもなく、


「じゃあ、始めよっかぁ!」


と言っておもむろに巨大な15サンチ砲をごろりと転がし、後部の閉鎖機を茶筒のようにカポンと開けた。そこに、さっき米俵から取り出しておいた金属のケースを開いて、鉄製の丸太のような、たぶん彼女より重いと思われる砲弾を大根かなにかのようにわし、とつかんで押し込む。次に横にあった装薬の缶をタッパーの蓋でも取るように指先で開け、中から枕のような装薬の袋をつかみ出して放り込んだ。閉鎖機を無造作に被せ、手で抑えたままひょいとかつぐと、


轟音が轟いた。


打ち出された砲弾は、隣山を遥かに飛び越えたらしく、数秒の後にその向こうの平野に爆炎が上がった。


どういう理不尽な物理法則によるものか、その小さな体は発射の反動に飛ばされることもなく、クレハはもう次の砲弾を装填していた。


人間というのは恐ろしいもので、この人間離れしたクレハの所業にもすっかり慣れてしまった。もしかすると、こいつならそのぐらいの非常識はありうると受け入れているだけかもしれないが。


まるで雪合戦でもするかのような手軽さで数トンの砲弾をあっという間に隣国に打ち込んでいく。隣山の背後には黒煙が立ちこめ、かなりの規模の火災が発生していることがうかがえる。


やがて、この山にも散発的に榴弾が飛来するようになった。当然ながら、発射地点に気づいたに違いない。しかし、平地から遥かな距離を超えて飛来する砲弾は、どういう事情かよくわからんがあのへんから射ってきてるからとりあえず撃ち返しとけと言わんばかりの粗雑さで、ほとんど民家とかわらない大きさのこの基地に損害を与えるには精度を欠いていた。


クレハは15サンチ砲をまるでバズーカのように扱って、敵国の平野部に砲弾を送り続けている。どういうカラクリなのか、前線部隊からの無電通信を時折聞きながら、はるか20km先に精確に有効弾を送り込んでいるらしい。


1個50キロの砲弾は生身の自分にはいささか重荷ではあったが、それでもケースから取り出して信管を装着し、クレハの決して長くない手の届くところに並べるくらいのことはできる。


砲弾は順調に減っていき、それに従って敵の砲撃がやや緩慢になって来た。効果があったということだろうか。


最後の装薬を装填して轟音を轟かせると、クレハは巨大な砲身をよいしょと下ろし、うーんと伸びをするとこっちに首をひねってニカッと笑った。


顔の右半分が煤で汚れている。


装薬と数があっていなかったらしく、何発か余った砲弾から信管を外そうと身をかがめた時。


突然目の前が光った。遅れて轟音が沸き立ち、陣地沿いの崖下、敵国側の斜面が炸裂した。


「近い!」


パラパラと土の欠片が降ってくる。頭をかばっていた手を下ろして見回すと、元いた場所から数メートル離れたところに倒れているクレハが見えた。


「おい! クレハ!」


あわてて駆け寄り、小さな体を抱き上げる。


50キロの砲弾の反動を受け止めていたにしては以外と軽い。女の子の、体格相応の重みがふわりと腕に乗った。しかし、指先にさわるクレハの腕はなにか、絹か、樹脂を触るような感触で、固くはないが人の肌ではなかった。いや、今は謎の技術に驚いてる場合ではない。息はしている。大きな外傷もない。気絶しただけのようだ。やることはやった。後は速やかに身を隠して、生き延びないと。


辺りを窺うべく視線を回すと、隣山の頂が微かに光ったと思った。観測されている!


やばい。もしかすると隣山からの観測で命中精度が上がった結果が今の着弾かも知れない。思う間もなく頭上を砲弾が通過し、今度は反対側の斜面に炸裂した。おもわず小さな体を抱きしめる。


弾着が挟叉している。このままでは危険だ。


「お嫁さんだっこ! お嫁さんだっこ! やったー やったー」


そんなおれの気持ちなどたぶんつゆも知らず、目を覚ましたのかクレハがいきなり首に抱きついて来た。


「こら! それどころじゃないだろう」

「えー」

「観測されてる。いそいで防空壕へ!」


隣山を指差して叫んだ。いつ命中弾がくるかわからない。集中砲撃されれば手作りの防空壕がどれほどもつかはわからないが、装薬が尽きてしまっては反撃の手段はなく、防空壕に身を潜めて祈るより他にできることはない。


クレハは不満そうな顔でぴょんとおれの腕からとび降りると、隣山の山頂をキッとにらみ、余っていた砲弾をぐしっとつかんだ。


「こら! はやく防空壕に」


装薬の缶を積み上げた上に砲弾をティーアップし、さっき下ろした15サンチ砲の砲身を逆さに持って、ビシリと隣山の山頂を指した。


「せっかくのお嫁さんだっこをじゃまするやつは許さないんだよ!」


38トンのドライバーを大きく振りかぶって、音もなく加速し、スイートスポットを砲弾に直撃させる。


おれのすぐ横を衝撃波が通り抜け、積んであった砲弾ケースを吹き飛ばし、大木をしならせて行き過ぎる。中空に舞う金属製のケースの中を、続いてものすごい金属の打撃音が届いた。微かに開いた目の端に放物線を描いて飛んでいく砲弾がちらりと見える。


数瞬の後、隣山の山頂付近で大爆発が起こった。


「つーづきー! つーづきー!」


自分が隣山に引き起こしたことなどすでに気に留める様子もなく飛びついてくるクレハをつかみ取って脇にかかえる。


「ちがうーぅぅぅ! お嫁さんだっこだよぉー!」


この状況でも構わずにじたばたと騒ぐクレハにかまう余裕などなく、急いで防空壕に逃げ込んだ。入り口を閉じ、地中深く穿った奥の空間に身を潜める。ほどなく、戦線に決定的な打撃を与えたチビ魔人はおれに抱きついたままスースーと寝息をたて始めた。


みると頬に傷があり、血が乾きかけている。救急キットの消毒綿で微かに触るように拭ったが、少し薄くなっただけで落ちない。もう少し押しつけると、押された頬は人の柔らかさでぷるんとふるえた。


着弾の音はその後も断続的に聞こえてきた。しかし、あの2発ほど近くに落ちることはもうなかった。


***


結果から言うと、攻勢は半ば成功し、半ば失敗した。


砲撃の効果もあってか敵国境陣地は瓦解し、我が国軍は史上初めて敵国深く攻め入った。しかしながら歴史上それほど深く攻め入ったことなどかつて経験がなく、案の定と言うべきか兵站が続かなくなり、数週間のうちにはほうほうの体で撤退した。


この攻勢の結果、両国は激しく疲弊した。しばらくは戦争どころではないだろう。経済は乱れ、物資も不足していると言うから下界の市民生活はそれなりに大変そうだ。


それに比べれば、ここはあまり変わらない。変わったと言えば、規定外使用とその後の敵の砲撃によって15サンチ砲は破壊されたものの、「砲架」だけは無事生き残り、極めて元気に今日も畑の世話をしている。


かつて芋と豆がなっていた畑には、いままで見たこともない草が生え、その正体を想像し得ない機械部品のような実をつけるに至っている。


「おまえ、ここに居座ってて大丈夫なのか?」

「ボクは軍の帳簿の上では十五サンチ砲砲架なんだよ? 十五サンチ砲が破壊された時点で欠損扱いに違いないからどこで何してても誰も気にしないんだよー」

「しかしおまえどう見ても軍事機密だろ? 偉い奴らがほっとかんのじゃないのか?」

「ふっふっふ。ボクの計画では生体部品から作られた15mの巨大ロボットが大砲を運ぶ作戦になってるんだよ。プロジェクトも、記録も、全部ぜーんぶ、嘘!」

「軍を騙したのか? …おまえすげえな」

「それに、最高機密の世界では研究員が一人ぐらい備品に入れ替わっても誰も不審に思わないんだよ?」


そういうもんか。いや、それならいいんだが。


でも、こいつはそもそも研究のために大学に、研究所に来たんだろうに。


「それにおまえ、研究…するのに軍の研究所にいたかったんじゃなかったのか?」

「もうあの臭いハゲや臭いデブや子汚いヒゲどもと機密があーとか根回しがどーとかいって暮らすのはもう嫌イヤイヤなんだよ」


以外な発見だ。やはりこいつも普通の感覚というものも持ち合わせていたらしい。いままでこいつの考えてることなど理解できるはずも無いと思いこんでいた。


「ボクは研究は楽しいけど、研究してれば満足な変態ではないんだよ? 楽しく研究して楽しく暮らしたいんだよ!」

「そ、そうか」


まあ確かに軍の中枢なんてとんでもない連中と機密だ謀略と堅苦しい生活なんて楽しくはないだろうな。なんだかこいつが、なんだろう、いまさら人間ぽく思えてきた。


「キミがいたから大学では楽しく暮らしてたのに、あんなに楽しかったのは生まれて初めてだったのに!」


楽しんでいただいてたか。それはまあ、なんだ。よかった。


「キミはいくらでもいくらでもボクの言うことを聞いてくれて、いくらでもひどいことを言って、あう、ひどいことは言わないほうがいいんだよ? でも、」


目の前をぶんっと通り過ぎた虫をクレハがぱしっとつかんだ。


「それでもボクの話をずっと聞いてくれるのはキミだけだったんだよ」


おれにずっと話し続けたのもお前だけだけどな。


「キミはいろいろと向いてないからいずれ前線に送られてチーンなんだよミエミエなんだよ、それはボクはとても、とっても困るんだよ。死にそうに困るんだよ。だから大学においておこうと思ったのに勝手にでていくからー」


ちょっとまて。おれの心配してくれてたのか。てっきり気軽に改造されるのかと思ってた。


「死なないようにするのはすごくすごーく大変だったんだよ。ハゲにお願いしたりヒゲにお願いしたり」


それって、もしかしてその後もおれのためになんかしてくれてたってことか?


もしかして、この基地に送られたのは…どうも情けないことに、おれのこの平和な5年はこいつの掌の上で暮らしていたようだ。


「やっとここに来れた。5年も、5年もかかったんだよ! 17才のボクも、18才のボクも、ずっとずっと見ててほしかったのに!」


またやつは口をへの字に曲げて、顔を真っ赤にしながら胸を張った。タンクトップには大きく「十五サンチ砲砲架」、あと、型式、製番が書かれている。


「もはやなにが十五サンチなんだ」


いや、お前ぜんぜん変わってないから安心しろと言おうとしたが、なにかそのまま発言することに言い知れない悪寒を感じて、なにげなくそんなどうでもいいことを口走った。


するとなぜかクレハはこちらに向き直り、軍手のままでその幼い顔に不釣り合いな胸をギュッと寄せた。


「し、Cカップなんだよ」


だからどうした。という顔をしたら、


「Cカップだって言ってるんだよ?」


なぜか不機嫌な顔をした。


「おれはなんで怒られてるんだ?」


「分からないおバカさんは罰として今日はお嫁さんだっこで帰ることー」


全身で、飛びついてきた。


どうやらこののどかな山の頂にも、新たな皇帝が降臨してしまったのかもしれない。

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15サンチなんだよっ! 奈浪 うるか @nanamiuruka

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