第2話

国境に近いこの山は岩石質で、切り立った崖ときつい斜面で構成されており、登ることが極めて難しい。つまりは天然の要害であり、そういう観点からは戦略的拠点でありうる。しかしながら、ものごとには限度がある。そういった拠点とするには登頂があまりに難しすぎた。


現在、我が国は隣国と十余年にわたり戦争状態に有る。いや、有史以来、ほぼずっとといったほうがいいかもしれない。時に激しく戦い、時に休戦しながらそれは続いている。


現国王は皇帝を名乗り、周辺地域に覇を唱え、…平たく言えば我が国は現在バリバリの軍事独裁国家である。国はそれなりに豊かであるが、その豊かさは主に軍事事業に使われ、国民は兵役に怯えながら質素に暮らしている。


国境を超えて敵国側にも、まるで双子のような山がある。高さは同じくらい。形も似ている。もしもこの山がなければ、隣国の平地が一望できるこの山は、敵国内に監視の目を光らせる重要拠点であっただろう。しかしながらこの隣山のおかげで、ここの戦略的拠点としての価値は敵国がこの双子の山に設置した双子の観測所を観測することに限られてしまっている。


まあ、それはお互い様で、こっちの山がなければ隣山は我が国の首都を一望できるのだが。


現代の軍備をもって考えれば、この山は敵国のアキレス腱とも言える国境要塞の背後の小さな平地に砲弾の雨を降らせる恰好の位置にあるのも確かである。もし、この普通に登ることすら難しい岩山の上に砲弾と、そもそも砲を運び上げられればであるが。


そんなわけでこの重要拠点になりそこねた隣山観測陣地は、大規模な工事により道路が開削されるといったこともなく、通信機と双眼鏡と、廃物利用のロートル兵で運用されて今に至っている。


おれがここに来たのは3年ばかりも前だ。


当時は五人ばかりの部下がいた。しかし、うち二人は着任前後に脱走し、三人はいろいろと不調を訴え後送された。それ以来兵員の補充もなく自分ひとりである。

週に一度、ゴウリキと呼ばれる山岳兵が補給物資を運んでくる以外はほとんど人と合うこともない。日に一度の「本日も異常なし」という定形の定時連絡を無線で行う以外は特に定められた任務もない。いや、隣山の監視とか有るには有るのだが、別にやらなかったからと言って誰も見ていないし、確認のしようもない。


まあ、普通の人間には耐え難いのかもしれない。わずかな傾斜地に珍しい野菜を植え、こればかりは限りなく入手できる木材を思うままに加工する毎日を楽しめる自分以外は。


もちろん、戦略的優位を目的とし、隣山の占拠を狙う作戦は過去に何度も発起された。しかしながら、かの双子殿はここ同様に登坂困難を極め、いまだその試みは成功していない。先方も似たような状況で、何度かここを攻撃しようとしたことがあるそうだが、五合目までも登らないうちに立ち往生し、駆けつけた援軍に追い返されたと聞いている。


もし仮に、首都が陥落することがあっても、ここばかりは安全であるといえるかもしれない。また、都にあって質めんどくさい軍の人間関係や、前線にあって、無為な出撃に一喜一憂するのに比べれば極楽と言ってもいい。


とは自分の感想である。


おれがこの人里を離れきった山の陣地を一人護ることになんら苦痛を感じないというのは、単に自分がこの陣地と同程度には人里を離れきった山中の出身であるというだけのことかもしれないが。


富国強兵を唱えるこの国では、歩きはじめて3年に満たぬ子供を10km先の学校に通わせ、少しばかり物覚えが良いからとて生活費を与えて都の大学に通わせる。5年前まで、自分も首都にいた。陸軍大学校というのはある意味総合大学である。文理の汎ゆる学科が集い、あまつさえ通常の大学には存在しない学科も設置されている。


そこでクレハに出会った。


秀才と天才の違いとは何か。秀才は良くも悪くもなにかしら世の役に立つが、天才はしばしば災厄である。20才という少しばかり大学に新入するには遅れた自分とは異なり、本来なら中学校に進むべき年齢で同級生となった彼女は年齢の通りに子供らしく、好意的にとれば純真、素直にとればわがままで、在学中、実に煩わされた。


そもそも科学者とか技術者とかいう連中はあたまがおかしい。彼らは理論上存在しうるものは存在すべきという歪んだ価値観の信者である。のみならず、存在せしめることに情熱を傾ける。実に、理解しがたい。


遺伝子操作により生体から機械部品を創り出すというおよそ意味の分からない研究の分野において幼くして天才の名をほしいままにする彼女だったが、その行動は奇矯であり突飛であり、周辺にいる者とっては厄介でしかなかった。


卒業の時、未だ未成年であった彼女はしこたまに酒を飲み、おれの腕に絡みついて何かよくわからないことをわめきながら泣きちらした。今は軍と国家の中枢にいると聞いている。国家にとって災厄で無いことを祈る。


自分はと言うと、一応准士官扱いでいくつかの戦地を転戦し、結果、指揮官としては「D2」という判定をいただいた。


D2とは、どうしても人がいなければ使っていいという意味であり、平たく言えば解雇通知である。我が国において陸軍大学出の解雇というのは故郷に帰っていいよという意味ではない。士官としては使えないから兵隊に格下げだ死ぬまで鉄砲かついで働けと言う意味である。


とある前線の、硝煙のニオイが立ちこめる陣地で不衛生極まりない二段ベッドの下段に寝起きして数ヶ月、これはいよいよ自分の寿命も怪しくなってきたかと思い始めた頃、転属命令がやってきた。


こんなことは稀だという。


任地はここ、国境の辺鄙極まりない基地での敵国監視。もしかすると同じく辺鄙極まりない山中出身という経歴と、唯一Sという最高評価をもらった注意・観察力によるものかもしれない。


そうして、このままずっと、のんきに朽ち果てていけるのかと思い始めていた、そんなある日、無線装置が鳴った。


珍しい。いつ以来だろう? おおよそこちらから定型文を送る以外にこれが鳴ることは実に稀であり、しかも


「暗号電文?」


暗号電文など、先年に皇太子が不祥事を起こした件に関して一切のコメントをすることを禁ずとか言う不可解な命令が来て以来だ。この地において皇太子の不祥事などそれが初耳であり、いまもってその内容を知らないし、コメントしようとて、相手には虫や山鳥しかいない。


引き出しから暗号帳を取り出す。使い方を思い出すのに寸刻を要した。そして一文字ずつ、解読用紙に写しながら、徐々に驚愕した。


「コウセイハツトウ。エンホウシンチセッチシュンヒヲメイス」


暗号電文は濁点に対応しない。技術的には何の問題もなく対応可能なはずである。


こうしたことは我が軍の常であり、おかげで規模において劣る隣国が独立を保っていられるのかとも思う。伝統を重んずるとは何と不合理で、また嫌がらせなことか。


「攻勢発動。遠砲陣地設置準備を命ず」


その短い電文はいくつもの驚きと疑問を投げかけた。


攻勢発動―大戦力を集中した攻撃作戦を実施する―は特に問題ではない。どこの誰とも知れぬ雲上の某の気分で突然にやってくるものである。およそこの国にいけとし生けるものの殆どの運命に決定的な影響を持つにもかかわらず気に病む意味がないことは、およそこの国にいけとし生けるものの殆どが認識している。


遠砲とは遠距離砲のことであり、戦略的観点から解釈すれば敵前線陣地の後方に砲撃を加えるに足る大口径砲をこの陣地に設置し、支援砲撃をするということである。


ここで有史以来の疑問が再び投げかけられる。


どうやって持ってくるつもりだろう?


確かに大口径砲であればここからかの双児山を飛び越し、敵前線陣地あるいはその後方の指揮所や物資集積地に砲撃を加えることができる。その効果は計り知れない。問題は射程距離であり、隣山まで10kmと少し、それを飛び越えて陣地に砲撃を加えるには人力で移送可能な7.5センチ程度の山砲では足りない。およそまれな山育ちである自分や、ほとんど人外なゴウリキでなければ到達し得ないこの陣地にどのようにしてそのような代物を持ち込むつもりであろうか?

大口径砲を運用しようと思えば少なくとも砲兵小隊と、40トンの大砲、そしてひとつ50kg近い砲弾を相当量供給する輜重が必要である。


以上がクレハと15サンチ砲を目にするまでの、自分とこの国、そしてこの陣地の状況である。


つまりは、それらが、1人の少女によって想像を絶する方法で持ち込まれたということを意味する。

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