15サンチなんだよっ!

奈浪 うるか

第1話

穏やかな陽射しと小鳥のさえずり。山の頂上だけあってそよ風というわけにはいかないが、背丈ほどの岩に登って弁当をひろげるのに困るほどでもない。


右手に保存性最優先の石のように固いパンをかじりながら左手で持った双眼鏡をのぞき込むと、登ることさえ考えなければこれまた穏やかそのものの山の景色が見える。


ちなみにここは最前線である。


双眼鏡に映った隣の山は国境の急流で隔てられた隣国にあり、おそらくは、向こうの山にもこんな風にのどかにこっちを監視しているやつがいるんだろうと思う。


おれの任務はこの基地の…なんだろう? 一応、指揮官でいいんだろうか?


そもそもここにはおれしかいない。


だいたい毎日、畑で取れる野菜で作ったサラダと切り取るだけで一苦労するパンとを携えて、山頂に突き出たこの岩に登り、防盾のごとき出っ張りの陰から隣山の様子を観察する。観察すると言っても向こうも素直に見えるようなことはしてないだろうから、岩山と大木と、たぶん観測所があるだろう山頂付近のわずかな平地が見えるだけ。幸か不幸か隣山のおかげでそれ以外の敵国領はほぼ見えない。よって監視対象は隣山に限られる。


耳元をぶん、と虫がかすめていった。


ひとしきりのんびりしたら、「本日も異常なし」と定形の報告を下界の本隊に入れて、畑仕事に向かう。そういう日常を今日ものどかに送るつもりでいたんだが、


突然そいつが現れた。


それをなんと形容すればいいのだろう?

7mといえば大人を4人継いだほどの大きさである。それが水平に浮かび、手をつかずに登るのが困難なほどの山肌を、わずかに揺れながらゆっくりと近づいてくる。それもヤジロベエがバランスを取るための長いだけのか細い棒などではない。


15サンチ砲。


砲身長7.6m,重量38トンというこの化物は最大射程18000mを誇る大砲で、分解して運搬することを前提とした山砲などの類ではなく、戦艦の副砲にも使われようかというおよそ運ぶことを度外視した巨砲である。それが穏やかな陽射しに鈍く光りながら、急斜面をゆらゆらと登って来るのである。


少しずつ、距離が近づくにつれてよくよく見てみると、それは、大人一人分程もない高さに、小さな影に支えられて浮いている。さらにその後方にはソリのようなものが山肌を穿ちながら、藁束で厳重に梱包された100ではきかない数の砲弾を満載して急峻な斜面を引きずられている。


その信じがたい光景よりもさらに信じがたいことに、小さな影には見覚えがある。


「や、やあ、ヤマザキ」


記憶が過ちではなかった証拠に、影はおれの名前を呼んだ。


「う、お、おま、クレハか?」

「久しぶりーなんだよー」


クレハは5年前の記憶の中と全く変わらない笑顔を見せて笑った。


卒業以来だ。


クレハは重戦車に匹敵しようかという大荷物をぶんと旋回させ、地響きなどさせることもなくゆうゆうと肩から地面に下ろすと、腰に結んだワイヤーをするすると手繰って、倉庫まるごと持ってきたかのような砲弾の米俵を満載したソリを斜面から引っ張り上げて陣地の平らな一角に落ち着けた。


あまりのことに、ただただ見とれた。


「み、みるんだよ! この強靭な肉体なんだよ! 胸だってけっこうある!」


卒業した5年前、まだ16才だったこいつはいまは20才を少し過ぎているはずだが、入学当時には年相応に小柄だった身長は、年齢のせいではなかったらしくいまだにそのままだ。身長のみならず卒業時も入学したときとあまり代わり映えのしなかった外見はいまだ子供と言っても通用しそうなままで、つまるところ、いまだに子供のような外見に胸だけが取ってつけたように約10年分の成長を主張している。


野戦服のズボンにタンクトップという叩き上げの歩兵のような恰好をしているにもかかわらず、およそ軍人には見えない。


「どういうことだ?」


言っていて自分でも何について尋ねているのか釈然としないが、他の言葉が出てこない。


「んー、命令こなかったかなー?」


一瞬忘れていたが確かに暗号電文で命令が来ていた。一読して対応に戸惑うものだったのでどうしたものかと思っていたのだが、これはあまりに予想外だ。


「いーもん持ってきてあげたから感謝するよーに」


クレハは15サンチ砲をポンポンと叩いた。


「持ってって、確かに持ってきたけど、いや、そもそもなんでそんなもん持てるんだ? おまえ、なん、どうなっちまったんだ?」

「ハイパーバイオサイバネティクス。ふふふ、ボクの理論の中間発表なんだよー」


クレハは砲弾をケースごとくるんだ俵をを3つばかりひょいひょいと取り上げると、目線を動かすこともなくお手玉を始めた。


合計150キロ近い金属と爆薬の塊が宙を舞う。


「ど、お前まさか」

「学術的な用語で言うと、骨格と神経及び運動組織を機械及び生体強化部品で構成する技術、かなー」


ありえない。理解を超えていた。


人の形をしたものが到底人ではありえない力を持つことに。

いや、そうじゃない。


戦争のために人の体を取り返しのつかないように変えてしまうことに。

いや、違う。


「おま、女の子が、自分の体をそんな」


おもわず口からそんな言葉が出た。


クレハはとても妙な顔をした。びっくりしたような、してやったりと言うような、もしかすると喜んでいるように見えなくもない。


「…それって、もしかして、もしかしてもしかして、残念がってくれてるのかな?」

「な、調子に乗るな」

「ふっふっふ、手遅れなんだよ。ヤマザキはボクが人の体を捨てちゃったことに失意を覚えているよね? つまりー」

「な、なん」

「つ、つまりつまりー、あれだよ、キミはボクに…欲情しているねっ!」

「お、お、お、おまえな!」

「安心するんだよ。そういう部分はちゃんと維持しているんだよ」


真っ赤になりながらとんでもないことを口走りやがったが、なんだろう。悔しいことに心の中を安堵としか思えないものがよぎった。


「そ、そそそれより、なにかゆーことはないのかな?」

「へ?」

「5年ぶりにボクと会ったのになにかゆーことは無いのかなって聞いてるんだよ?」

「いや、驚くほど変わってないな」

「き、キミはフシアナ君だねっ! いったいどこを見て欲情したのかなっ!」


クレハは怒りながら腰に手をあてて胸を張った。ダークオリーブのタンクトップの胸の部分に白抜きで書かれた「15サンチ砲砲架」という文字が横に引き伸ばされている。


「こういう時はきれいになったとか大人っぽくなったとか言うのがジョーシキだとボクは思うんだよ?」

「それならそうと先に言っておいてくれ」

「そういうズルはいけないんだよ? でもズルをしないとジョーシキができないからキミは、…そーだ、思い出した。ボクはキミに言いたいことがあったんだよ」

「なんだ?」

「キミはせっかくのボクのお誘いを無視して出ていっちゃったよね? どーしてかな? どーしてなのかな?」

「なんの話だ?」

「学校の! 卒業の時の! うー、さてはすっかりぽっきり忘れちゃってくれてるね!」


あ、そういえば。卒業の少し前、大学の付属研究施設から研究支援の名目で大学に残らないかという問い合わせがあった。


「あ、あれお前か!? 工具一体型人間開発の被験者とかなんの嫌がらせなんだ?」

「そ、それはそのあの…あれだよ、キミがカンナやノコギリを持ち替えるのがたいへんだというからー」

「お前やっぱり頭おかしいだろ!」

「ひ、ひどい言い草なんだよ! どうしてそんなにコミュニケーションスキルが全滅なのかな。そんなだからボクが」


確かにおれはどうも口の利き方に問題があるようだ。

おれと話をした女はだいたい泣き出すか怒り出すかであり、男はいつの間にかいなくなるか、場合によっては殴られる。


「ボクがここまで来たんだよ」


クレハはこちらを見たままお手玉をひょいひょいとソリに戻し、また不自然に胸を張った。

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