クロルのコミュ障大脱走

 記憶、感覚、感情。

 王の遺産の加護が消え、今まで抑えられていたものがすべて開放された。


「……う、おぇぇ」


 空っぽのお腹から胃液が逆流する。

 動悸が激しくなり、頭痛は悪化し、悪寒が走る。

 体中が痛み、眼の前が赤く染まり、姿勢を保てない。


 自分の戻したものの上に倒れるも、そんなことを気にすることもできない。


「あ、あああああああ」


 遠目に見えるメロディアとセレスタとアスカとマリオンとユリアが、私を殺しにくると錯覚。

 すぐにでも立ち上がって、私を罰するのだ。


「うああああぁああぁぁぁぁぁああぁあああああああああああああぁぁぁぁああああぁぁぁぁああぁぁあっ、あ、あああ、ああああああ、あ…………」


 怖い、怖い、怖い。

 首環のチカラは、私の感情を制御していた。

 失って気づく。

 気絶した仲間が、動いた気がした。

 逃げなきゃ。

 殺される前にラクにならないと。


 自分の首を締める。

 ついさっきまでは、自分で自分の首を折るだけのチカラがあった。

 でも、今は、苦しくなって咳き込んで手が解けてしまう。

 舌を噛み切ろうとしても、痛くて思いきれない。


 痛い。

 痛覚軽減自動回復が失われ、痛みは痛いままで体はそれから逃れようとする。

 今までのダメージがフラッシュバックし、自分が自分でなくなる痛みと恐怖が一気に返ってくる。


 怖い、痛い、苦しい、怖い、痛い。


 抑えられていたものがぐるぐると、無限に巡る。

 心が壊れそうになっても、絶望に叩き起こされ、悪夢を見せられる。


 何回も死んだ。

 マリオンに殴り殺され、焼かれ、潰され、体を引き裂かれ、内臓をばらまき、あらゆる方法で殺された。

 骨がばりばりと砕け折れる音焼かれた肉が徐々に自分の意思で動かせなくなっていく感覚皮が関節がありえない程伸びてぶち切れた光景体から外れかけたパーツが風に晒され冷えていく感覚。


 ユリアに生きたまま血を吸われ、四肢を食われ、ちぎり取られ、それを自分でも食べさせられた。

 他人に一部を食われ自分で自分を食う喪失感嫌悪感肉の味血の味中身の構造赤い肉黄色い脂垂れ下がる管歯ざわり食感生温かさ喉越しにおい。

 全てが鮮明でもうお腹に無いはずのモノを吐き出そうとする。


 エリスに首を切られ、意識があるまま神経を破壊され、腹を切開され、蠢く内臓がいじられるところを見た。

 首から下の感覚が一瞬で消えて体は自分とつながっているハズなのに自分で動かせなくて勝手にぴくぴくぴくぴく痙攣して切られてもなんにも感じなかったけど自動回復で感覚が戻ってきてお腹の中を手でかき回される違和感が痛みに変わってきてそれを動かずに眺めている。


 その痛みが、記憶が、痛覚軽減のフィルターを通さずに蘇る。


「ぎぃ、だずげでぇぇぇぇう゛ぅうぅぅぅぅぅぅぅぅう!」


 仲間だと思っていた人々の、真っ黒に染まった瞳、瞳。

 這いつくばって、もがき転がって、逃れようとする。

 無意味に振った手の先に、硬い感触。

 精霊が消え抜け殻になった魔剣。


 無我夢中でつかみ、予想外の重さに滑り落とす。

 震える手でなんとか剣を立て、刃と首の位置を合わせる。


 これで逃れられる。

 早く。


 血が抜けて体が冷え、全てが闇に閉ざされる感覚を知っている。

 死を迎えるまでの永遠の時間を、孤独感と恐怖を知っている。

 怖い。


 呼吸が早く浅くなっていく。

 焦りが増し、冷や汗が垂れる。


 歯を食いしばって、息を止めて、――ッ。






「はい、ストップ☆」


 支えにしていた剣を取り上げられる。

 腰まで伸びた金髪アスカが視界に入る。


「ひ……ぃ、嫌……」


 殺される。

 欲望のままに苦痛を与えられ、生命を冒涜しつくされて死ぬ。


「怯えるリルたんもかわいいー」


 アタマをなでられる。

 相手の目を見るのが怖い。

 漆黒に染まったそれが私を見下しているのだろう。


「王の遺産が揃うと仕掛けが解けるなんて、見ない間におもしろ機能がついたんだね」


 やられるよりも先に死のうと刃に手をかけるが離される。

 剣を軽々と持ち上げて肩に担ぐ姿はチカラの差の表れ。

 そのチカラでいとも簡単に四肢から順番に切り落とされるイメージが見えて。


 必死に逃げ出した。

 草をつかみ木の根をつかみ動こうとしない脚付き胴体を引きずって少しでも距離をとる。

 後ろからの足音から離れるためにもっと手を早く動かすと滑って全然進めなくなってしまう。

 爪が剥がれ血がじわじわと滲みそこから土が入って滲んで痛い。

 痛くて次の手が出ない。

 簡単にくじける私。


「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 痛む指をおさえて迫る足音に謝るしかできなくて。

 でもすぐ近くまで来ると音だけじゃなくて振動も伝わってきて、言葉が途切れてしまった。


「それがリルたんの本性なのかな? 装備があった時のキミは別人だったのかな? ふふっ」


 顔に影がかかる。

 降りてくるその手から逃れる術はない。

 魔法で顔を焼かれのるだろう。

 普通に首を締めてくるのかもしれない。

 ぎゅっとまぶたを引き締め、身を縮めて。


 しかし苦痛はいつまでたっても降りかからず。

 アスカの指が、私の目元にあてられ、拭われた。


「キミは悪くない」


 そう言って私を油断させてから突き落とすんだ。

 一切信用してはいけない。


「なにもしないよ」


 耳を塞ぐ。

 歯を食いしばる。

 駆け引きはいいから早く終わらせてほしい。


 ……しかし私の手は簡単にのけられて、アスカのため息が耳にかかった。


「しょうがないなあ」


 気配が耳元から離れる。

 しかしまだ側に立っている。


「……強さとは、研鑽の上に築かれるべきもの。リルたんは弱くて当たり前。何も悪いことなんて、してないんだよ」


 胸の下に手を差し込まれ、体を起こされた。

 髪や服についた砂が、強風の魔法で吹き飛ばされ、粉塵が舞う。


「――メトリィはエルフィードに、真の強さを与えぬよう、偽りの強さを与え、そしてエルフィードは最期に狂ってしまったの」


 薄目で確認したアスカの瞳。

 その瞳は闇に染まっていなかった。


「ねえ。本当のキミは、どうしたい?」


 ——。


「アリアと、平和に暮らしたいだけだったのにぃ……」


 強く。

 ギュッと、抱きしめられた。




・・・・・・・・・・・




「でもあたしはリルたんには与えない」


 耳障りのいい理由をつけて、私を攫おうとする言葉が降ってくると思った。

 魔物は人間を喰う。

 善意は存在せず、生物としての本能的な衝動のみ。

 それが今まで遭ってきた常識であり、血に掛けられた呪いである。

 エルフィード人はみんな、目を濁らせて甘言を吐きながら私を狙う。

 反してアスカの言葉は、突き放すものだった。


「なん、で……?」


 与えないのに関わってくる。

 エルフィードの生き物なのに突き放そうとしてくる。

 矛盾した疑問。


「旧友との約束、かな?」


 アスカは立ち上がり、その場に剣を刺した。

 鋭い金属音に心臓が驚く。


「……リルたんが自分の力で立ち上がって、あたしの手を取れば、協力するよ。あきらめるなら、もう知らない」


 この剣を抜いて、相手に突き立てれば、逃げられる。

 王の遺産の加護を失った私には、そんな妄想通りに動くほどのチカラがない。

 たとえ動けたとしても、エルフには絶対に勝てない。


「いやだ、ムリ……」


 本当は体を起こしているのも辛い。

 記憶が私を蝕み、がんじがらめにする。

 感じてこなかった痛みが、今になって襲いかかる。

 叫び散らして木にアタマを打ち付けたい。

 それでもアスカの言葉が私の理性を引き止める。


「過去に打ち勝つ強さが欲しいでしょ?」


 王の遺産を失い、アリアは行ってしまい。

 今の私に何ができるのだろうか。


「大切なものを守る力が欲しいでしょ?」


 何も出来なくて、涙があふれる。

 進むことも、やめることも出来ない。


「あたしがやってあげたら、今までと一緒。だから、協力ならしてあげる!」


 今までの私は全てにすがってきた。

 仲間の行動に、王の遺産のチカラに。

 意志があるようで振り回されていただけ。

 だから何も出来ないのだ。


「さあ、どうする!!」


 アスカは手を差し伸べない。

 私の意志で行動を起こせということ。


 アスカはもう何も言わない。

 言葉は迷いを生む。


 アスカは背を向ける。

 私ひとりで決断しろと。


 ——幸せになりたい。

 血の宿命だとか、国とか宗教の問題を全て払いのけて、ただ平穏に暮らしたい。

 ずっと寄り添ってくれたアリアと、笑い合いたい。


 幸せになりたい。

 幸せになる。


 足にチカラを込める。

 立ち方を忘れてしまったかのように、動かない。

 足を失った時の記憶がよみがえって痛みが走る。


 体をよじり、手で支え、立つ方法を探す。

 痛みは幻だ。

 四肢はしっかりある。

 私は私としてここにある。


 動け、動け——!


 徐々に、足が動くようになる。

 四つん這いになり、しゃがみの形になり、ゆっくりと体を持ち上げる。


 地面に刺さった剣を支えに、足の震えを誤魔化す。

 右足を前に動かし、胴体を移動させ、左足を前にやる。


 そうして、アスカの手を、取った。




 ——その瞬間、アスカの体全体が光り輝き。

 眩しさに目が眩み、尻もちをついた。

 光がおさまって見上げてみる。


 ドラゴンの巨体が、私を見下ろしていたのだった。

 

「ひぃぃ」


 食われて死ぬと思った。


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