4章 終着
アリアのスペシャル悪巧み
――森に一人、放置されたわたし。
リルフィさまを挑発し、殴り捨てられた。
はれた頬に手をそえると、リルフィさまの思いが伝わってきてほんとうに愛おしい。
たとえ負の感情でも、リルフィさまがわたしに向けてくれたと思うと、この上ないうれしさが心をあたたかく包みこむ。
じくじくと続く痛みは、リルフィさまの愛の強さと同じ。
回復魔法で癒やすなんてとんでもない。
しばらく、この痛みを味わっていると、段々とそれがおさまってしまう。
ああ、残念。
こんなにも強い感情を向けてくれたのは、久しぶりだというのに。
わざとリルフィさまを遠ざけてきて、長い長い禁欲状態からの接触はふつうに漏らしちゃう。
痛みがおさまらないように、自分で傷を広げるならば、ただの自慰行為。
リルフィさまの愛ではなくなってしまう。
痛みが完全に引くまで、殴り飛ばされたそのままの体勢で幸せを堪能した。
気づけば、日が真上を通りすぎ、森の中が暗くなってきた頃合い。
とんでもない地響きに体を揺らされ、我に返る。
気付けば頬は感覚がなくなって腫れ上がっており、このまま放置すると化膿して腐ってしまいそうなので、なごりおしいが回復魔法を使って完治させた。
王の遺産で強化された拳は、本気で殴ればわたしの頭が飛んでいただろう。
たとえ力を抑えていたって強力だ。
挑発して怒らせてしまったのに、こうして手加減してくれたことに愛を感じる。
しかしリルフィさまの力の9割は他の女の魔力に由来するからむかつく。
それを思い出したら、精霊が見せつけるようにリルフィさまと絡む様子を思い出し、さらにマリオンが憎しみを向けたことも思い出しメロディアの匂いのするローブをリルフィさまが着ていたことを思い出し、そしてユリアがリルフィさまの唇も血肉も奪っていったことも思い出し。
「————つ!」
腰のショートソードを抜いてふとももを刺した。
熱さが傷口に集まる。
抜くと血が飛び、もう一度刺す。
痛みが全身を焼く。
立っていられず座り込み、もう片方のふとももを刺す。
いいところに当たり、血が大量にこぼれた。
頭に上った血が抜け、熱も傷口から逃げていく。
「……はぁ」
回復魔法をかけ、もとどおりになった。
もっぱら魔法で生活しているから、装備品を使うのなんて久しぶり。
新品だから切れ味が良かった。
一般貴族を演じていたときは本来の使い方をする機会もあったけど。
こういう使い方もできるのね。
——と、なんとかおさまったので行動を起こすことにした。
ユリアの飛行魔法を模倣する。
リターナ領に異変が生じた時に、魔力の翼を生やし飛んでいったあの光景。
前々から空を飛ぶ魔法があると便利だと思っていたが、実物を見たことでひらめいた。
風の魔法で体を吹き飛ばすのとは違う。
落ちるという概念を魔力で捻じ曲げるのだ。
たったそれだけのこと。
派手に魔力の翼を生やしていたのはただの演出で、ユリアの飛ぶイメージがそのまま具現したのだろう。
飛行するユリアの体は少しも揺れず、羽ばたいて空気を押しているのではないことは明らか。
それに翼まで真似したら目立ちすぎるし、すぐに魔力がつきてしまう。
リルフィさまに感づかれないように、はやく、この場から去らねばならない。
原理が分かれば行動するのみ。
最小限の魔力で、わたしにかかる「落下」という概念を書き換える。
わたしは常に落下していて、たまたま地面があるから止まっているだけ。
立つという行為をやめれば寝るという状態へ落下するし、この地面がなくなれば底まで落ちていく。
ならば地面が無くなっても落下しないよう、魔力で曲げてしまえば良い。
大地に争う力を少しだけ注ぐと、体が軽くなったような感覚になり、ジャンプすると落下速度が緩やかになった。
さらに魔力を注ぐと、ジャンプしても落下しなくなった。
それからもっと魔力を込めると、何もしなくても上昇するようになった。
大体感覚がつかめたので、本番。
完成した飛行魔法で、わたしはその場を発った。
羽ばたく音も出さず、それで歩くよりもずっと早く低空を翔けた。
飛んでいる本人からすれば風の音が耳元でうるさいけれども。
森を越え、街々を過ぎ、これまでの旅路を逆走していく。
かつて指名手配され、追手から逃げて隠れて何ヶ月も歩いた道のりは、まっすぐ飛んでたったの数時間。
目的地の城壁が視界に収まり、それを乗り越えるために高度を上げた。
——久しぶりの生まれ故郷。
わたしは一人、首都エルフィードに帰ってきた。
大通りに降り立つと、平民に見つかりまたたく間に囲まれる。
手配書が出まわっていたおかげで、わたしの顔は平民にも知れ渡っていた。
黒髪を持つ不貞の子、エルフィード王家の汚点。
わたしは、国民にとって悪の象徴だ。
集まってくる人々からの、罵詈雑言と投石の嵐。
税が高いのも貴族がきらいなのも誰かの恋人が魔物に殺されたのも両親が痴呆なのも誰かが失業したのも今朝食べた魚の骨が喉に刺さったことも、全てわたしのせいらしい。
諸悪の根源には腐った卵を投げたって良い。
ナイフを手に襲いかかっても良い。
皆それぞれ思いつく方法で、正義の名の下にわたしを断罪する。
それが正義だから文句を言う者はいない。
わたしが王族だから、わたしがしたことなどどうでもよく、嫌なことがあれば刺させる都合の良い存在。
投げた卵が別の人間に当たり、いきりたった人間が暴れ、さらに周りの人間も暴れ出す。
文句を言う者はいないから、悪意は誰に向けても良いのだ。
わたしは悪の象徴であり、打ち込み人形であり、起爆剤である。
堂々と道のまんなかに降りなければ良かった、とため息をつく。
後悔しても遅い。
全員殺そうと、風の魔法で有象無象の民衆を一箇所に集め、まとめて潰そうとした。
しかし、どうやら反エルフィードの公爵貴族が、国民に強化魔法をかけて扇動しているらしく、わたしの魔法が弾かれた。
その貴族は向こうの広場で国民を集めて魔法を掛け、革命のための兵士を量産していた。
風の魔法で石畳に地雷の呪文を刻んでみたが、それを踏んだ人間達は吹っ飛びはしても傷一つついていない。
呪文の発動と同時に回復し、代わりに国民の怒りが爆発する。
税金を返せだの愚策がどうの。
決まって最後には「ノウス・リルフィ」。
リルフィさまの名前が都合のよい言葉にされていて、はらわたが煮えくり返る思い。
きたない口で、声で、リルフィさまという概念を消費するな。
放っておいて行こうと思ったが、やはりちゃんと殺しておかないと、汚点を残したままエピローグを迎えることになってしまう。
それは台無しだ。
しっかりと魔力を込めて魔法を作り、拘束魔法で再度人間達を集めた。
ダメージは与えられないが、魔法が遮断されているわけではなく、強化魔法のせいで効きづらいだけ。
回復も防御できないような威力なら殺せるだろう。
集めた人間の周囲に風の魔法を作用させ、空気自体を奪ってやった。
空気がなくなってできた空間には、それを戻そうとする力がはたらく。
しかしわたしが空気のない密閉空間を作っているから、外からは供給できず。
ちょうど、わたしが作った空間の中には、
空気袋は次々と赤い泡を吹き、白目を剥き、あるべき場に空気を返した。
もうしばらく見ていると、人間達の皮膚がぼこぼこと揺れ、目が飛び出し、穴から汚物や血を垂れ流し、膨れて、弾けた。
それを見た第二波が迫ってきそうになったが、どうでもいいイキモノに対して、わざわざ手の込んだ殺し方を考える手間も惜しい。
さっきのは卵を投げられてむかついたから。
有象無象は適当に焼いておけば勝手に減るだろう。
向こうの扇動貴族に火球を連続で放ち、魔法で防御されても構わず打ち続け、次第に防御が崩れて貴族が燃える。
それを火種にして、風を送って周囲も発火させていく。
あとは自動的に広がるだろう。
そのくらいの人口密度。
興味もないし臭いので、さっさとこの場を離れることにした。
そして着いたのは魔法学校。
ここまで来ると人の気配はない。
敷地内は草が生い茂っており、建物にもつたが這っている。
出がけに爆破した寄宿舎の壁も、修繕されていない。
わたしが魔法学校を脱出してから、ずっと機能していないのだろう。
リルフィさまに害をなす教師陣は、皆殺しにしたし。
寮に入ると、リルフィさまの部屋も、わたしの部屋も、あの時のまま残っていた。
リルフィさまの部屋。
平民とみまがうほど質素な部屋のベッドに、腰かけた。
「…………」
ベッドシーツは無い。
最初から無い。
誰かに盗まれるから、リルフィさまはいつしか部屋に物を置かなくなった。
リルフィさまを狙うのはわたしだけではない。
幼い頃から
それでもすり抜けてきた欲望に奪われてしまうのだ。
「……ふふふ」
これまで苦労が、思い出が、熱が、じょじょに胸からこみあげる。
「リルフィさま、リルフィさま」
愛する人に、愛されるため。
リルフィさまに愛してもらう準備はとっくにできている。
けれどリルフィさまはわたしを愛する準備ができていなかった。
はるか前に、好きと言われた。
しかし無理矢理引き出した愛の言葉は、いつか嘘になる。
言葉にせずとも分かるほどに、常に求め、一時たりとも想うことを忘れずに、心が勝手に体を動かす。
それがほんとうの愛。
リルフィさまよりリルフィさまにたかる魔物共の方が、よっぽど愛に近いものを感じられた。
リルフィさまを殺す愛、リルフィさまを監禁する愛、リルフィさまを食す愛。愛。愛……。
それらは全て、一方通行の感情であり、愛してもらうことを全く考えていない。
愛し合うために、わたしはリルフィさまと自分自身に試練を課した。
わたしは自らの欲望を封印し、リルフィさまに愛を自覚させ、愛を確かめる方法を学んでもらうことにした。
与えるだけでは、得られない。
求めるだけでは、得られない。
時には奪い、飢えさせる。
そしてほんとうに大切なものを知るのだ。
「こんなにがんばったんだもん。リルフィさまは、ぜったいに愛してくれるようになるんだぁ……!」
あの時のことを思い出して、つい。
リルフィさまが寝ていたベッド、汗が染み付いたフレームに横たわると、今まで溜めに溜めた興奮が燃え上がり、心を焦がす。
聞こえるほどの胸の鼓動。
「ふふふふふふふふふ、ふふふふふふ、記憶、消してよかったなぁ——!」
それは試練だ。
リルフィさまが、敵の
それに乗じて忘却の魔法を使い、リルフィさまの記憶をきれいさっぱり飛ばしてあげた。
忘却の魔法はエルフィード王家が不都合なことを隠蔽するために伝わる一子相伝の魔法。
アリアの存在を隠蔽するために貴族達をシエルメトリィ送りにした時も、片っ端から忘却魔法をかけられている。
王族のきちんとした初等教育を受けていないけど、わたしはその存在を知っていたから再現できた。
「リルフィさまはどう思っているのかな? 楽しみだなぁ?」
記憶を消してから、リルフィさまがわたしのことを思い出してくれるか。
それは、リルフィさまと、わたしに課した試練。
ほんとうの愛を与えてきたか、わたしへの試練。
そして、リルフィさまがほんとうの愛を自覚するための試練。
人は困難を乗り越えるたびに強くなるのだ。
「わたしをどうしてくれるかな?? リルフィさまの愛はどんなかたちかな?」
愛がほんものだと自覚したら。
だからわたしは遠くで見守ることに徹し、リルフィさま自身がわたしを求めるまで待つようにした。
求められても手を握り返すことはせず、強引に奪われるまで無関心を装う。
そうしてリルフィさまの「愛」を育てていった。
あの
ではない。
後で絶対壊す。
「リルフィさまぁ……!」
気をしずめるため、ベッドフレームに顔を押しつけて深呼吸。
かすかに残ったリルフィさまの香りで、嫌な気持ちが浄化される。
「ああん、もう、待ちきれない!!」
リルフィさまがわたしを見つけてくれるまで、ここで自分をなぐさめているのもなにか悲しい。
疼き行動力に変換し、来るハッピーエンドへの期待に変換する。
その時のために、最高の舞台を用意しないと。
「リルフィさまはわたしのセカイを広げてくれた。リルフィさまはわたしのセカイを変えてくれた。リルフィさまはわたしにセカイを見せてくれた。リルフィさまはわたしのセカイを認めてくれた。リルフィさまはわたしのセカイを愛してくれた。わたしのセカイはすべてリルフィさまのもの。リルフィさまなしでは生きていけない。生きたくない。わたしの、わたし達のセカイは、二人だけで十分。他のすべては、舞台を彩るオブジェクト。国も人も魔法も魔物も、すべて愛のための
奪い尽くされ、何もない部屋を見渡し、心におさめる。
建物から出て、わたし達の第二の故郷に、火を放った。
その光に吸い寄せられて、
「ね、リルちゃん♡」
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