百合と菊花

 ——四つ目の王の遺産。

 私が座っている真っ白な空間は、契約の場である。


 ここまで到達して気が抜けて、私は仰向けになって上を見ていた。

 どこもかしくも真っ白だから、平衡感覚を失っているけど。


 勝ったんだ。

 明るくて暖かいのが心地よく、自然と目蓋が落ちる。

 精霊の作る精神世界で眠りについてしまった。


 目覚めると、ベッドの上。

 お日様の香りがするブランケットに包まれているのが気持ち良くて、まどろみをうっとり味わっていた。

 寝返りをうつと、精霊と目が合った。


「おはよぉ〜」


 だらけた笑顔でゆっくり喋る。

 捉えどころのないふわふわした声が、寝ぼけたアタマを包み込み、寝入りそうになった。


「ねちゃぁ〜、だめぇ〜」


 寝た。


「ね〜ぇ〜お〜き〜て〜」


 催眠音声が私を覚醒させようとしている。

 矛盾した状態に、一瞬だけ意識が戻るが、三度寝した。


「だ〜ぁ〜め〜ぇ〜!」


 完全に寝入る前に、頬をつねられた。

 精神世界では痛覚軽減が効いていないらしく、久しぶりの痛みを感じる。


「え、いたいいたい!?」


 今まで死んでも痛くなかったから、予想外の刺激にびっくり。

 ぱっちりとおめめが開いた。


「も〜! せっかく〜、会えたのに〜、寝ちゃだめでしょ〜!」

「じゃあもっとハキハキ喋ってよ」


 ヒリヒリするほっぺたをさすって、体を起こす。

 立てば眠くなることはないだろう。

 一緒にベッドを降りたのは、赤毛の少女だ。

 クセっ毛の私以上にボサボサのアタマ、水色の瞳。

 袖も丈もダボダボした寝巻きのような格好で、まさに睡眠するために生まれてきたような存在だ。


「わたしぃ〜、すぐ疲れちゃうから〜、むり〜」

「ああ眠気が……ふぁ〜……」


 向こうが話し終わるのを待っているとすごい時間がかかる。

 抑揚のない音を聞いてどんどんアタマが重くなり、あくびが出る。

 立ってても眠い。

 寝起きにこの声は殺人的……。


「ふあ〜ぁ。なんだか〜、わたしぃ〜も〜、ねむくなってきたぁ〜」

「あーー!!」


 これじゃあ話が進まない!

 その場で足踏みして血を巡らせる。

 ついでに精霊のほっぺたもパンパン叩いた。


「早く契約!」

「いたい〜やめてぇ〜」


 口ではそう言っても、よけようとも手をどけようともしない。

 いや、ものすごいゆっくり動いている。


「私はリルフィ! あなたシアンでしょ! エリスとフローラから聞いた!」

「えぇ〜わたしぃの〜、自己紹介が〜」


 契約に必要なのはフルネーム。

 精霊の名前ではなく、王の遺産自体の名前だ。


「ほら髪飾りの名前教えて! はーやーく! はーやーく!」

「ちょっと〜、一回、寝たい〜」

「さっきと言ってること逆!」


 絶対に寝かせないように、シアンの体を前後左右に揺さぶる。

 体がぐにゃぐにゃ曲がって芯がない。


「言ったら寝ていいから! ほら!」

「ん〜、しょうがないにゃあ〜」


 早くしないと私が寝る!


「わたしぃの名前は〜、アルシアン・ピン〜」

「はいアルシアン・ピン契約成立ー!」




・・・・・・・・・・・




 悪い夢を見た。

 そう断言できる位のわずかな記憶。

 目を開けるとその不快感もすぐに消え、横たわった巨体が視界に映る。


 手にはヘアピン型のシンプルなデザインの王の遺産があった。

 伸びた髪には丁度いい。

 鼻まであった前髪をどかして、目の横あたりで留めた。


 体感では何か劇的な変化があるワケじゃない。

 暴走状態から解放された王の遺産は、びっくりするほど大人しいのだ。

 あんなに手こずったのに、と、目の前の巨体を見る。


 王の遺産がなくなり、全身を覆っていた石の筋肉がひび割れる。

 私が触らずとも、静かに砕けていった。

 そして、中身があらわになる。


 マリオンと、ユリア。


 強化された聴覚が、ふたりの鼓動をとらえる。

 しゃがみ込んで体を触ってみると、暖かかった。

 まだ生きている。


 あんなにも体内をかき混ぜたのだけど、すっかり元どおりだ。

 私が脱出してから王の遺産を取り上げるまでの短時間で、ユリアが治したのだろう。


 そんなユリアは、目を開いていた。

 まばたきをしているから、意識があることは分かる。

 その瞳には覇気がなく、黄金に輝いていた虹彩もくすんでいた。

 目の上で手を振っても反応はない。

 首環の能力で状態を分析する。

 

 ユリア・リターナ。

 状態、魔力欠乏。


 魔力を使い果たした。

 マリオンを回復するために、漏れ出すほどあった魔力を全て捧げたのだ。

 魔力に冒され、豹変してしまったユリアが、どうしてマリオンを助けたのか。

 マリオンがムリヤリそうさせたのかもしれない。

 ユリアが昔のことを思い出して、愛する片割れを救ったのかもしれない。


 どちらにせよ、ユリアが魔力を失った事実は変わらない。

 マリオンの命と引き換えに、感情を失った。


「——ユリア?」


 マリオンが目を覚ました。

 強大な回復魔法により、やつれた顔も元どおりになっていて、昔の映像を見ているようだった。


「ユリア、ユリア!」


 肩を揺らして起こそうとするが、ユリアの反応はない。

 意識はあるけど、魔力を失った人間は対話能力を失っている。

 自分の限界を超えるほどの魔法を使うと、理性の糸も一緒に焼き切れてしまうのだ。


「……っ」


 私は、マリオンを殺すつもりで攻撃した。

 体の中から剣を振るい、何もかもごちゃ混ぜにした。

 そんな状態から完治させる回復魔法は、存在しない。

 でも、ユリアはそれを治療した。


 魔法がないからと言って、出来ないワケではない。

 人間が体系化していないだけで、魔力さえあれば可能なのだ。


 並外れた魔力があれば、死からも呼び戻すことができる。

 私が死んだアリアを蘇生した時、エルフひとりぶんの魔力を消費した。

 あの状態のマリオンの回復にも、それだけの魔力が必要だろう。


 ユリアは全ての魔力を使って、マリオンを回復した。


「ユリアぁ————ッ!!」


 マリオンの頬に涙が伝わる。

 それがユリアに落ちても、物語のように奇跡が起こることはない。

 

 私は——ユリアを殺した罪人は、その光景を黙って見届ける。


「っく……ぅ……っ……!」


 かつての仲間。

 唯一の理解者。

 命の恩人。

 冒険者の先輩。

 生きる手段を授けてくれた先生。


 ユリアとマリオンが、私の足元で横たわり、うずくまっている。


 自分の手は、真っ赤に染まっている。


「……うぅ……ううううぅぅうぅぅ……!」


 マリオンの嗚咽がこの場を支配する。

 私はその声に責め立てられている。

 マリオンの動きひとつひとつが、私を非難している。


 恩を仇で返した。

 先生を、先輩を、仲間を殺した。

 愛するひとを奪った。


 罪、罪、罪。


 私は。

 その罪を飲み込んだ。


「——よくも……よくもユリアをッ!!」


 吠えるマリオンを、冷めた目で見つめていると思う。

 私の中に、贖罪の気持ちや、後悔の感情がないことを自覚している。


「お前がいたせいだッ!!」


 マリオンの糾弾も、飲み込んで、胸に留めない。

 全部消化して、私の一部にする。


「死ねよッ!!」


 その感情が、同化する。

 怒り、悲しみ、殺意、全てが私のモノになる。


「死ね死ね死ね死ね死ね、死ねぇッ!!」


 何度も殺された。

 身勝手な感情を、私にぶつけた。

 何度も何度も殴られて飛ばされて踏まれて潰されて千切られて噛まれて飲み込まれて燃やされて切られて抉られて。


「お願いだから、アタシの前から消えて……!」


 もう、とっくに諦めている。

 だから私も、勝手にする。


「アタシ達に、関わらないで……」


 ユリアとマリオン。

 感情は沸き起こっても、行動する気が起きないほど、もうどうでもいい。


 私の運命を蹂躙した人間を放って、私は背を向けて歩き出した。


「ユリア……」


 もう関わることは、ないだろう。




・・・・・・・・・・・




「ユリア、ユリア、ユリア、ユリア……」


「————ぁ」


「……っ! ユリア! ユリア、アタシだ!」


「————ん」


「そう、マリオンだよ! ユリア! しっかりして!」


「——まり、おん」


「ユリア!!」


「————」


「ユリアぁ!!」


 ————————。

 ————。

 ——。



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