訓練と嗜虐

 ユリアと奇妙な食事を済ませた後は、その場で野宿をすることになった。

 精霊たちは、いつものように干渉してこない。

 アリアもずっと黙ったまま。


 誰も自由に動けない。

 というのも、ユリアから漏れ出る魔力があまりにも濃いからだ。

 自身の魔力を完璧に制御できるエルフとは違い、人間の体ではそこまで自由に扱えない。

 ユリアの体内では絶え間なく魔力が作られ、おさまりきらない分が出てきてしまっているのだ。


 そんな、漏れ出るようなほどある魔力量は、おそらくアリアよりも多い。

 冒険者ギルドでの一件で、ユリアは完全にアリアをあしらっていたこともあり、魔力だけではなく実力もある。

 精霊たちもただならぬ魔力を警戒している。

 私はひとり、魔力酔いの気持ち悪さと戦いながら、ユリアの機嫌を損ねないように過ごしていた。


 就寝する時も、ユリアのすぐ近くで寝るように強いられる。

 ユリアは不寝番を買って出て、私の安全を守ろうとしていた。

 その瞳は、昔の記憶をなぞっているような、私を見ているようでどこか遠くを見ているような、焦点が合っていない表情だった。


 彼女の中ではまだ、私たちが追われる身で、夜を明かすのが命がけの行為だと思っているのだ。

 私がユリアを警戒して眠らないでいると、それを勘違いしたユリアは夜通しアタマを撫でてきた。

 誰もいないから安心して、と、定期的に優しく語り掛けられる。

 声だけであれば、昔のユリアのまま。

 知らない仲でもなく、嫌な思い出よりも恩の方が大きいユリアに、思わず心を開いてしまいそうになり、朝を迎えた。


「あの、すぐ近くに街があるんだから、宿屋に行きたい、です」

「ん? でもリルフィ、街は怖くないんですか?」


 一睡もせずにいたせいで、少しばかり思考が鈍っている。

 心の緩みもあわさって、ついわがままを言ってしまった。


「……いや、駄目です。街は敵でいっぱいです。たとえ私が統治するリターナ領でも、リルフィをつけ狙う不届き者は腐るほどいる。絶対に許しません。リルフィはエルフィード王国が滅びるまで私と旅をするべきです。いえそうしないとならない。誰からも見つからないように毎日場所を変えて、私がリルフィを守りながら、生きる術を教えるんです」


 ユリアにチカラづくで起こされた。

 昨日みたいにきつく抱きしめられて、顔を近づけてきた。

 またキスをされるのかと思って、とっさに腕を顔の前に持っていくと。


 ユリアは私の腕に噛み付いた————!


 鋭い犬歯が突き刺さり、急激にアタマが冴える。

 痛覚軽減により腕には異物感しかないが、受ける恐怖は変わらない。

 したたる血を見ると、手が震えてきた。


「ユっ……!?」


 左手に魔剣を出して、柄でユリアを殴ろうとすると。

 私の右腕が噛みちぎられた。

 首を振る勢いで裂かれた傷から血が飛び散り、ユリアの顔にいくらかかかる。

 むき出しになった肉が風にさらされ、寒気を感じた。

 チカラを入れようにも入らない、ヘンな感覚。

 しかしその傷はすぐにふさがって肌も元どおりになる。

 腕輪がなかったらと思うとゾッとする。


 ユリアは私の肉を頬に溜め、それをゆっくり咀嚼するたびに口の端から赤い汁が垂れる。

 飲み込んで唇を舐めると、イタズラっぽい笑みを向けてきた。


「んっ、ん、えへへ……!」

「な、なんで? 食べた……?」


 脈絡もなく危害を加えられ、まったく理解できなかった。

 開きかけた心が急に冷め、目の前の存在に対する違和感がみるみる大きくなっていく。


「大丈夫、私が守りますよ……!」


 分からない、分からない……!

 腰に回された手が解かれ、ユリアの目の前にかかげたままの凍っていた右腕を、再び掴まれる。

 そしてもう一口。

 さらにまた一口。

 治るたびに噛み付かれ、私の肉がユリアのお腹におさまるところをと見せられた。


 守ってくれると言ったのに、やっていることは私に危害を加えている。

 今まで静観していたアリアが攻撃魔法を放ったが、案の定、反する魔法で簡単にいなされてしまう。

 でもアリアのおかげで目が覚めた。


 昔の仲間だからといって遠慮する必要はない。

 ガラ空きになっているお腹に向かって、チカラを込めた蹴りを放つ。

 しかし、私の足は空を突いた。


「おっと……戦闘訓練ですか? 良いですね。成長したリルフィの技、見せてください」


 耳元で声。

 ユリアが私の腕を軸に飛び上がり、一回転して背後に立たれた。

 高い魔力に加え、冒険者として培ってきたスキルがユリアの能力を底上げしている。

 身体強化がかかっている私の動きを見切るあたり、ユリアも強化の魔法を恒常的に発動しているのだろう。


「リルフィがすくすく成長してしまうから、お恥ずかしいことに昔の私は役に立てませんでした。でも安心してください! 頑張って私、リルフィの先輩でいられるよう、強くなりましたから!」


 私の反応速度を上回る速さで掴みかかってきて、それをなんとか魔剣でいなす。

 ユリアは自分の手が切れるのも構わずに刃を握り、足払いを仕掛けてきた。

 気付けば私は地面に尻餅をついていて、魔剣を持つ手をかじられた。


「——っ」


 中指と薬指がない。

 剣を落とし、自分の一部が消えたことの嫌悪感に隙が生じる。

 その間にするのは追撃じゃなかった。

 ユリアは私の指を口から出し、先端から少しずつ、ポリポリと砕き、飲み込んでいた。


 泣きたくなるような喪失感を歯を食いしばって抑え、身体強化を限界突破させる。

 欠損箇所は根本から徐々に再生していた。

 能力強化しているとはいえ、治るまでは利き腕じゃない左手で戦うことになる。


 ユリアが指をすべて飲み込むまでの間に、仕切り直す。

 立ち上がって、落とした剣を手もとに呼び寄せた。

 ユリアの方も、私の剣を掴んだ時のキズを、とっくに治療していた。


「ん、不思議な力を持っていますよね……! 私も手加減しなくていいから、捗ります!」


 捗るのは、ユリアの言う「教育」か、それとも「食事」のことか。

 チカラを込めて地面を蹴り、ユリアに斬りかかる。

 より強化された私の踏み込みは地面をえぐり、炎弾のような速さで距離を詰める。

 常人には決してたどり着けない速度を、ユリアは目で追っていた。


 避けられる、という予感を察知。

 突き出した剣が当たる感触はなく、すぐに第二撃を振るう。

 しかしそれも当たらない。

 眼前に現れたユリアが私の頬に口づけをして、お腹を殴られた——。


 吹っ飛ぶ。

 木に激突し、はいた息に血が混じった。

 それよりも先に、口をつけられたところを袖でふく。

 血を塗って拭って掃除する。


「リルフィは力ばかり強くなって、動きが単調だから、訓練を怠ってきたのが丸わかりです」


 図星を突かれ、敗北、という言葉が脳裏をよぎる。

 それをかき消すように、もう一度ユリアに肉薄する。

 縦に横にチカラ任せに剣を振ったが、一撃も当たらない。

 最高速で攻撃しているのに。

 さらに、魔法を消す能力があるのにもかかわらず、死角から放たれた風の魔法に対応できなかった。

 足をバッサリで切り裂かれ、地面に転がる。


 それでも執拗に攻撃を続ければ、いつか相手が疲れてスキが生まれると思っていたけど。

 首環による分析で、ユリアの消耗はほとんどないことを知ってしまった。

 むしろ、私の体力の方が持たない。

 疲れは感じないし、キズもすぐに治るけど、エネルギーが回復しないのだ。

 空腹感が飢餓感へと変わり、体が動かせなくなる時が来るのだろう。


「もう終わりですか? 駄目です。もっと頑張りましょう。頑張ったその先に、成長があるんですから」


 襟元を持ち上げられ、ムリヤリ立たされる。

 その体勢のまま頭突きをしようとしてきたので、振り払って距離をとった。

 右手の指は治ったけど。

 剣先が、小刻みに震えているのが見えた。


 体力を温存するために、無闇に斬りかかる戦法は捨てた。

 ユリアを正面に捉え、相手が出るのを待つ。

 私の考えが伝わったのか、ユリアは無詠唱で魔法を放った。


「ばーん」


 おそらく、石弾。

 それは螺旋を描くように回転し、空気を切り裂くほどの超速で、私のお腹を通過した。


 続けざまに、もう一発。

 今度は剣でかき消すことができた。

 しかしそれは予告みたいなもの。


 次の瞬間、詠唱魔法ではゼッタイに不可能な連射を、叩き込まれた。


 立て続けに生み出される石弾が、一瞬で私の体のどこかに到達し、貫通していく。

 痛覚軽減と自然治癒のおかげで、ひとつひとつのダメージは少ないものの、大量になると追いつかない。

 同時に足に何十発の石弾を受けては、姿勢を維持するのもままならない。


「こういう攻撃は受けるのではなく、避けるんですよ」


 一方的な講習をして、その受講料を取り立てるように。

 仰向けに倒れた私の上に、ユリアが馬乗りになった。

 舌を出し、真っ赤な物体が目の前に迫り、目を閉じる。


 そこにムリヤリ、その舌が差し込まれた。


 首を振って逃れようとすると、手でアタマを固定される。

 私の目の上から下へ舌を這わせ、ユリアの口内が見え隠れ。


 一際目立っていた鋭い牙が、私の目に、覆いかぶさった。


「——はむっ」

「いぃぃぃいい!?!??」


 右目には、ユリアの顔が離れていくのが見えているのに、左目は何も映らなくなっていった。


「あ、あ、あぇ、ない、見えない?」


 その事実が信じられなくて、信じたくなくて、別の理由を探した。

 でも、何もない。

 ブチブチという音と感触が、ユリアの口元から発生して、ちぎれた線維が左目尻におちる。

 その事実だけ。


 ユリアの唇に挟まれた、私の目が私を見ている。

 瞬きをするように、口の中に取り込まれ。

 ユリアが口をしばらく動かすと。

 私の目、だったものから、透明な球体を取り出し、歯ではさんで見せてきた。


「もう、やめてぇ……!」


 勝てない。

 ユリアに恐怖を植え付けられ、戦意を完全に失った。

 自分でも情けないと思う声を出して、懇願することしかできない。


「駄目です。もう立てるでしょ。意味のないことでも、続けることに意味があるのです……♡」


 腕をとられて立たされる。

 でももう私は戦いたくない。

 足にチカラが入らない。

 ユリアに離されると、そのままへたり込んでユリアを見る。


 いつか許されることを期待して、抵抗しない。


 戦意がなくなってしまった私を守ろうと、アリア間に立ってくれたが、簡単に吹き飛ばされて気を失ってしまった。

 精霊たちもユリアを止めようと迫るが、同じように吹っ飛んでいく。

 ユリアは私にしか興味がない。

 座り込んだ私に容赦することはなく、下腹部を踏まれた。

 硬いブーツの底をねじり、体重をかけてくる。

 内臓がぬるりと動く不快感に、ユリアの足を手で持って遠ざけようとする。

 それが不興を買い、今度はチカラを込めて踏み抜いてきた。

 何度も何度も、上半身と下半身が分かれてしまうのかと思った。

 それが怖くって、泣きながらお願いをする。


「ひぐっ、やめ、やめて……!」


 ——立たされる。

 後ずさって背中が木に当たる。

 そんな私の首元にユリアが噛み付いてきて、勢いよく血しぶきが舞う。

 その噴出口の前で口を開け、ユリアは私を飲んでいる。


 後ろの木ごと殴り倒されて、私の体が半分に折れて、尖った部分が刺さる。

 引き抜かれて、投げられる。

 立たされて、折られる。


 ……。


 ユリアの教育は、ユリアが満足するまで続いた——。


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