過去と懐古

 恋人を捨て、領主となったユリアに、汚された。

 それを上書きするために、私はアリアを抱き、地面に押し倒した。

 アリアはされるがまま。

 アリアが私を求めることはなかったが、明らかな拒否もしない。

 いくらキスをしても、どこを触っても、アリアは私の行為を受け入れる。

 ただ一方的な感情に、いつまで経っても満たされることはなく、私は何度も同じことを繰り返していた。

 泥だらけになるのも構わず、地面に押し倒したアリアの全身を、くまなく撫で回し、口をつける。

 アリアの体で私の記憶を埋め尽くすために、ひたすら感触に、匂いに、味に、アリアの全てを飲み込む。

 押して叩いて引っ掻いて舐めてかじって吸って、私の存在をアリアに刻む。

 ひたすら、必死に。


 ————。


 街の外に出た私に、精霊たちが追いつき。

 私の体が持ち上げられ、エリスに介抱された時に、初めて周りが見えた。


 もう、夕方だ。

 半日もの時間を、アリアを汚すことに費やしていた。

 アリアの買ったばかり服は乱れに乱れ、私が濡らしたところに土がこべりついて無残な姿になっている。

 仰向けの状態でぼんやりと空を見ていて、呼吸以外の動きはまったくない。

 私が、無惨な姿にしてしまったのだ。


 アリアへの罪悪感で胸がいっぱいになって、息がつまって。

 エリスの胸に顔をうずめて、泣こうとした。

 でも、もう涙も出ない。

 ぜんぶアリアにあげてしまった。

 もらったものは何もない。

 だから悲しみを外に出すこともできなくなって、エリスも胸元から動けなくなった。

 そんな私を、エリスは優しく包み込んでくれる。


 無償で与えられるあたたかさに甘えていると、フローラの冷たい手が触れてきた。


「こんな時に申し訳ないが、じきに領主が追いつく。立て直すべき」


 ムリ。

 動きたくない。動けない。

 ユリアを見たくない。見られたくない。

 戦えない。説得できない。

 情けない私をアリアに見られたくない。

 イヤだ。イヤだイヤだイヤだ。

 

「……リルフィ、また辛くなったらボクが受け止めてあげるから。今だけは、もうちょっと頑張って、前に進もう」


 エリスに包まれたまま、首を振る。

 目を開けると現実が見えるから、エリスにしがみつく。


「鎮静剤使う?」

「……もう遅いかも」


 気配がこちらに近づいてくる。

 ユリアがここまで追ってくるとすれば、その執着はセレスタ並に酷くなっているのだろう。

 あの時みたいに欲望のはけ口にされるんだ。

 逃げられないように繋がれて、身ぐるみ全部取られて、管理されて、飼い主の意思に反することをすると罰を受ける。

 過去のトラウマを鮮明に思い出し、震えが止まらない。

 エリスの包容力を突破して、暗闇の世界にひとり取り残された気さえする。


「——あ、いた。リルフィ」

「いやいやいやあぁぁぁぁぁ!」

 

 草をかき分ける音。恐れていた声。

 現実を拒絶するため、自分の叫びで音をかぶせ、もっとチカラを込めてエリスを抱く。

 でも、エリスの姿が、消えた。

 無情な現実が、私の目玉にぶち込まれる。


「あ、あ、あ」

 

 暗がりで妙に目立つ黄金の虹彩。

 薄ら笑みを浮かべ、エリスの髪を片手で持ち上げたユリアが、こっちを見ている。

 その瞳は私の姿しか捉えていない。

 エリスが地面に投げ捨てられ、動き出した。


「——っ、……」


 声すら出なくなり、息がつまる。

 しかしユリアは私の横を通り過ぎ。

 かろうじてユリアの姿を目で追うと、周囲に落ちた枝を拾い始めていた。


「……何度もこうして一緒に、薪を囲みましたね」


 慣れた手つきで乾いた葉っぱ、細い枝、太い枝と重ね、鼻歌を歌いながら薪を作っていく。

 当然のように無詠唱で魔法が放たれ、薪に火がくべられた。


「エリス、夕食を作ってください」


 先ほど投げ捨てたエリスに対して、平然とした様子で話している。

 力量差を悟っているのか、エリスはゆっくり立ち上がり、何も言わずに作業に取り掛かった。

 その間に、ユリアが石弾の上位である石槍の魔法を放つ。

 それが森の奥の方へと飛ぶと、しばらくして魔物の断末魔が上がった。

 今度は風の魔法を無詠唱で発動し、仕留めた獲物を引き寄せた。

 大きな獅子の魔物が木々をなぎ倒しながら移動し、エリスのそばへ。


「街で豪華な暮らしをするより、私達は、こっちの方がしっくりきますよね」


 ユリアが私の背に手をあてる。

 薪のそばに移動し、腰を下ろす。

 そしてアリアも私の隣に座らせて、昔の野営のような形を作った。


「リルフィは、あれからどうしていたんですか」

「——っ」


 アリアを近くに置いたことが、人質を取ったという意味だと解釈してしまう。

 無詠唱で魔法を使っていたのは、アリアなんて足元にも及ばないと言っているようで。

 だから、ユリアの機嫌を損ねたら、危害を加えられるかもしれない。


 相手のペースを乱さないように。

 私はこれまでのことを恐る恐る話した。

 ユリアとマリオンがドラゴンにやられた後、国境を越えてからの話。

 そこでしばらく過ごしたが、エルフィード人は魔力のない環境に耐えられないため、アリアを連れて帰ってきた話。

 王の遺産を集めてエルフィード王国に攻め入ることを決意した話。

 つまづきながらも、ユリアの表情が変わらないように、声を出した。


「ふふ。私もリルフィが安心して戻ってこられるように、王国を滅ぼすつもりでリターナ領主になったんです」


 お返しとでも言うように、今度はユリアがこれまでのことを語り始めた。

 ドラゴンに丸呑みされたユリアは、それで死ぬことはなかった。

 むしろお腹の中で、ドラゴンが持つ高濃度の魔力に晒された結果、今のチカラを手にすることとなった。

 とっさにそのチカラを使って胃の中で暴れた末、咳と一緒に吐き出されたそうだ。


 魔力の保有量は並の貴族以上となり、さらにアリアの無詠唱魔法をコピーしたユリアはあっという間に成り上がった。


 話を聞き、ユリアの心は魔力に冒されたせいで、こんな状態になっただと理解する。

 せっかくアリアと私がいなくなり、自由の身となったのに、戻ってくるか分からない私を取り戻すため、人生を捧げてしまった。

 私が国外に逃げる理由を作ったエルフィード王国を排除し、私が帰る場所を作り、私を探そうとする計画へと発展。

 冒険者が王国に干渉できる方法として、リターナ領主となることで、貴族の仲間入りができる。

 だから真っ先に先代のリターナ領主を殺し、その座を奪ったのだ。


「でも、リルフィが帰ってきてくれたので、領主にならなくてもよかったかもしれませんね」


 しばらく冒険者ギルドの経営をして、私兵を蓄えていたところで、メトリィ教が決起し。

 私の存在をユリアが知り、もう少しで冒険者の探索隊が王国中に放たれることになっていた。


「ああ、でも本当に良かった。リルフィがリターナ領に来てくれたのは、きっとリルフィと私が、見えない糸で繋がれていたからですね」


 ユリアは過去の話をする時に、マリオンの名前を一切口にしなかった。

 それがずっと気がかりで、話を聞いている間に声が出るようになったので、質問する。


「マリオンは……?」

「は?」


 私と出会う前から、ユリアとマリオンは行動を共にしていたのに。

 マリオンの話を振った途端、ユリアは眉間にシワを寄せた。

 心臓が凍る。

 墓穴を掘った。


「はぁぁぁぁぁぁ。え? その話、必要?」


 ユリアの瞳がくっつくかという距離に、接近する。

 体も凍る。

 私の恐怖を察したのか、ユリアはため息をつきつつ、アタマを撫でてきた。


「……あれ、ずっと私の後ろをついてきて目障りなんですけど。リルフィを救う手段も考えようとしない役立たずですね」


 ……ユリアがドラゴンの魔力を宿したのなら、マリオンだって同じことが起こってもいいだろう。

 しかし酒場にいたボロボロの体からは、ユリアのような威圧感などみじんも感じなかった。


 だとすると、マリオンの方は魔力の恩恵を授からなかったのだろう。

 一命を取り留めるも、パートナーの性格が日に日に豹変していって。

 最終的に、愛し合っていると信じていた相手に、見捨てられたのだ。


「私は、ワルモノ……」

「何言ってるんですか! 私は自分の意思でリルフィに尽くすと決めたのです! リルフィは何も悪くありません。どうか気に病まないで。あなたの居場所はここにあります」


 肩を引き寄せられて、エリスがやるように、アタマを抱かれる。

 ユリアはもう、私のことしか見えていない。

 マリオンの話をしないどころか、今までここにいるアリアや精霊たちには、一切目を向けていないのだ。


「王の遺産なんて集めなくても、私の冒険者を使って王宮を攻略しますから。その間、私達はこうしてゆっくりと、旅の続きをするのもいいですね」


 魔法学校から追い出され、人生のどん底に落とされた私を救ってくれたユリアとの思い出は、私にとってもかけがえのないものだ。

 右も左もわからない状態から、狩りをして野宿ができるようになるまで成長したのも、ぜんぶユリアとマリオンに教えてもらったから。

 きっとユリアの中ではあの時の思い出が美化されているのだろう。

 そして私ともう一度、あの幸せな時間をなぞろうとしている。

 薪を焚いたのも、エリスに料理を作らせたのも、薪を囲む仲間の配置も、全て過去の再現。

 でも、あの頃のあたたかさは、戻ってこない。

 

「ああ、夕食ができたみたいです」


 静かに肉を焼いていたエリスが、ユリアに串を渡した。

 受け取る時すら私から目線を逸らさない。

 肉を一口かじると、その残りを私に差し出してきた。


「いっぱい食べてください」


 私が大食いになったのも、今みたいな冒険者によるトレーニングが始まりだ。

 スタミナをつけるために、とにかく食べて体を作るように教えられた。

 それ以来自分の限界を増やしていき、大食いになってしまった。

 今度はその再現。

 ユリアの差し出した串を受け取って、目一杯口をあけて食らいつく。


「ふふ……」


 ユリアは私の仕草のひとつひとつを、舐めるように見ていた。


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