狂人と領主

 思わぬ再会したマリオンは、見違えるほどやつれていた。

 だからなのか、私は素直に喜ぶこともできず、警戒する。

 マリオンの目には深いクマができ、肌の張りが失われ、手は常に震えている。

 自信に満ちていたあの時のマリオンの姿は、そこにない。

 あるのは胸だけ。


「ひ、ひ、ひ、ひぃぃぃぃぃ……!」


 私に気づいたマリオンが奇声を発する。

 持っていた酒瓶が床に落ち、転がって私の足に当たった。

 何かを恐れるように、マリオンは剣を抜いて切りかかってきた。

 それなりに早いのだろうが、今の私は余裕で見切れる。

 こんな単純な大振りを、わざわざ受ける必要はない。

 少し体を回転させると、その前を金属が素通りして地面に刺さった。


「お前が、お前がぁぁぁあぁ!!」


 床に刺さった剣が抜けないと判断すると、今度は手近にある机や椅子を持って、投げつけてきた。

 そのすべてを避けていると、バーカウンターの酒や壁に当たって壊れていく。

 壁に穴が空き、隣の部屋が丸見えになり、クエストカウンター側にいる人々の注目も集めてしまう。

 マリオンの周りにあるものは投げ尽くされ、物がなく壁もなくなり、ずいぶんと見晴らしが良くなった。


「うぅ、ぅうぎぃぃぃぃ」


 なりふり構わず掴みかかってくると思ったけど、私が倒せないと分かると自分の手首をかきむしり始めた。


 最初は人差し指でカリカリ。

 四本指に増えてガリガリ。

 皮膚が剥がれて爪も剥がれて血が出てきてニチャニチャ。

 大切な血管を切ってベチャベチャ。


 出血が続くと、目がうつろになり、血色が悪くなる。

 貧血だ。

 体が勝手にストップをかけ、気を失うから、死ぬことはない。

 マリオンは泡を吹きながら倒れ、段々と血が固まっていく。


 後ろを振り返り、穴が空いた壁越しに受付嬢に合図する。


「終わったよ」


 避けているだけで勝手に自滅してしまったマリオン。

 かなり錯乱していて、果たして本当に私のことを認識していたのだろうか。

 誰彼構わず、新米冒険者に「お前のせいだ」と言って斬りかかっていたのではないか。

 受付嬢が穴の空いた壁を乗り越え、静かになったマリオンの様子を見に来た。


「…………ふん。じゃあ特別にランク7に昇格します。ですがその前にギルドの修繕費を払ってください。金貨50枚」


 はぁ?

 受付嬢はとにかく私のことが気に食わないようだ。

 ランク4と言われたマリオンを無力化したのに、私が昇格するのはランク4ではなく7。

 しかも一般人には払えない額のお金を要求している。

 多少のお金を持っている私たちでも、50枚は用意できない。


「いい加減に……!」


 頭に血が上って受付嬢に詰め寄るが、他の職員がやってきて行く手をふさがれる。

 邪魔なヤツらを叩きのめして思い知らせようとしたが、慰謝料も上乗せされる予感がして、なんとかブレーキをかけた。

 だけどそのスキに横からリリーが入り込んできて、男の職員に対して片っ端から腹パンチを贈ってしまった。


「オス! 殺す!」

「ダメだよーダメダメ」


 暴れるリリーを羽交い締めにしておさえると、今度はフローラがやらかした。


「低脳すぎて脳が腐るよ!」


 針付きの管で酒瓶からこぼれた液を吸い出し、それを受付嬢の腕に注入する。

 そうするとすぐに顔を赤くし、倒れてしまった。

 みんなもそうすればすぐに酔っぱらえて幸せなんじゃないかな。


 もうここまでくると大騒ぎ。

 他の職員や、冒険者までもが私たちを取り押さえようと酒場に乗り込んできた。


 リリーを殴ろうとする職員の拳が、その後ろの冒険者に当たってケンカが始まる。

 フローラを取り押さえようとした冒険者に薬を注射すると、敵味方カンケイなく暴れるようになり。

 転んだエリスのドレスが職員の足に絡まり、別の職員に攻撃が当たって小競り合いに。

 アリアはお上品に座りながら近づいてくる敵を吹き飛ばす。


 もう誰が悪いとかどうでも良くなって、暴れたいひとが暴れるだけの騒ぎになってしまった。

 勘弁して。


「今のうちに逃げるか」


 抜き足差し足、アリアと合流してギルドから出ようとすると。

 圧倒的な存在感を持った人間の気配に、思わず足が止まる。

 それが上階から降りてくる音を察知し、そちらに顔を向ける。


「——何事ですか!」


 現れたひとが声を荒げると、全身が圧迫されるような感覚に襲われた。

 暴れていたひともそれを感じたようで、みんなして座り込んでいく。

 リリーといえば気にせず、辛そうに膝をついている男の腕を逆に折っている。

 ちょっと静かにしてください。


「一体なぜ、このような状況になっているのです?」


 怒りを孕んだ声に、空気が凍った。


 靴の音を気高く鳴らして階段を降り、ポニーテールを揺らしてこの惨状をゆっくりと見回す。

 あの姿は————。


「領主様!」


 冒険者の誰かが呼んだ。

 領主はつまらなさそう目を伏せ、跪く人々を見下す。

 その中にはマリオンがいるのに、領主は気に留める様子もなく。


「随分と激しく争ったのですね。この私のギルドで」


 壊された机や穴が空いた壁を見て、ため息をつく。

 その犯人が誰なのか、領主の視線が徐々にこちらに向かう。


「————っ!!」


 私の姿を捉えると、目を見開いた。


「え、あ、あなた、リルフィ……?」


 リターナ領主と呼ばれたその人は、ユリア。

 ユリアとマリオンは、同じ冒険者仲間だったのに、今は正反対の立場。

 領主のユリアと、狂ってしまったマリオン。

 昔には持っていなかった強大な魔力が、ユリアから漏れ出していて、重圧となってあたり一面を覆っている。

 それが周囲の人々を圧倒しているのだ。


「リルフィ! リルフィですよね!!」


 片割れのマリオンがすぐそこいるというのに、ユリアは脇目も振らず一直線に歩み寄ってきた。

 長くしなやかなまつ毛の本数が分かるほど近く。

 その瞳は黄金に輝き、鋭い瞳孔が刻まれている。


「ああ、よくご無事で。ずっと探していたんですよ……!」

「お久しぶり、です。ユリア、さん……」


 ユリアとマリオンは、私たちがエルフィード王国を出るときに、ドラゴンに飲まれて死んだ。

 そう思っていた。


 だけどここには二人がしっかり存在していて、でも立場は全然違っている。

 あの時の中堅冒険者コンビではない。


「もう……相変わらずですね……!!」


 ユリアがその瞳に涙を浮かべ、きつく抱きしめてきた。

 隣にいるアリアには目もくれず。

 息を荒げて、私の顔をもう一度見ると。


 唇を押し付けてきた。


「——んんっ!」


 アリアが私からユリアを引き剥がそうと、殺傷能力の高い石魔法が打ち込まれる。

 しかし、ユリアに体重をかけられ一歩下がると、その魔法は空を切る。

 くるりと回り、アリアの照準が私に合うと、もう次の魔法は放てない。

 まるでダンスをするように、私はユリアに抱かれ、唇を合わせたまま動き回っていた。


「……、やめて!」


 動きに慣れてきたと同時に、ユリアの体を突き飛ばす。


「どうして……マリオンはいるのに!?」


 ユリアはマリオンと愛し合っていたのに。

 これじゃあ、他のエルフィード人と同じだ。


「なんで、そんなことを言うんですか。私はあれからリルフィのことを一日たりとも忘れたことがないのに!!!」


 ユリアの目は、これまで出会ってきた数々の敵と、同じ目をしていた。

 それで理解して、諦めた。


 ——エルフィード人は本能的に、私を求める。

 魔力が高い人間ほど、初代国王の血をひく私に強く惹かれるのだ。

 魔物が人間を襲うことが当たり前であるように、エルフィード人が私を求めるのも当たり前。

 冒険者たちを含めた平民は、もともと持っている魔力が低いから、その性質が薄まっているように思えたが。


 ユリアは今、溢れるほどの魔力を持っている。


「ああ帰ってきてくれてよかった……! リルフィを探すために、頑張って冒険者ギルドを占領して、これから捜索隊を出すところだったんです。でもまさかりルフィの方から逢いに来てくれるなんて! そんなにもそんなにも私を好いてくださったのですね! 安心してください、リルフィが戻ってきたら誰の干渉も受けずに暮らせるよう専用の部屋を作っていたんですよ! 言わずとも全て分かっています。あんなに長い間苦楽をともにしたのだから! もちろんアリアの部屋も用意してあります。リルフィと私でアリアを眺めながら幸せな家庭を築きましょう!」


 捲し立てられる言葉に素直に従えば、監禁ルート確定。

 誰の干渉も受けない部屋とは、誰の助けも期待できない部屋。

 セレスタにされた仕打ちと一緒だ。

 誘いに乗らず、ユリアをうまく利用して、王の遺産の情報を集めるようにしないといけない。


 ……ただ、今は身震いがする。

 ユリアに唇を奪われたのがショックで、ここはひとまず逃げ出して、洗いたい。

 叶うならばアリアに上書きしてほしい。


 ちょっともう、気分が悪い……。

 何も考えたくなくなった。


「逃げよう」


 アリアに駆け寄り、抱っこして全力でギルドから脱出する。

 フローラと開発した「限界突破」の能力を使って、今までにない速度で道を駆けた。

 背後から私を捕らえるための魔法が放たれるが、それも察知して魔剣で消していく。


 ……涙が出てきた。

 アリアにだけ許してきたものが奪われたことに。

 アリアの目の前でたやすく奪われてしまった。

 アリアに対する罪悪感。

 アリアは私を許してくれるだろうか。

 アリアを好きでいてもいいのだろうか……!


 いつの間にかリターナ領から外れ、近くの森に突入していた。

 能力を解き、疲れはないけど焦燥感から息を切らす。

 さっきユリアにされたように、アリアを抱きしめる。

 ダメ。

 ユリアのことなんて思い出すな。

 ここにいるのはアリアと私。

 私はアリアの温もりしか知らない。


 アリアだけ。アリアだけ。アリアだけ。アリアだけ。

 でもアリアは私を抱き返してくれなかった。


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