食事と更新

 廊下を入り口方面に進み、受け付けの向かい側にある大部屋が食堂だ。

 他の宿泊客たちが私の姿を見た途端、喧騒が止む。

 そしてコソコソ話が始まった。


「私有名人?」

「……少なくともボクが食堂に入ったときにはこんな注目をあびなかったよ」


 なにしろ私は指名手配犯から新しい崇拝対象へと、天地が逆転したような身分だ。

 それに国民の敵となりつつあるエルフィード王家が横にいて、さらに従者精霊を三人も従えている。

 顔は多くのひとに知られているけど、それぞれが複雑な思いを持っていることだろう。

 元ハンザイシャとして敵視するか、その逆か。


 宿のおばさんみたいに無関心を貫くひと。

 カフェの店員みたいに拝み倒すひと。

 そして多くは、遠巻きに眺めながらどっちつかずの立場をとるひと。


 いちいち気にしていたら動けなくなってしまうから、さっさと用意された席につく。

 エリスに並べられた料理の数々からは、今日一日で最も美味しそうな良い香りがのぼってきた。

 お腹が鳴り、よだれが溢れ、全身が空腹を訴え始める。


「……急ごしらえでごめんね。さっきまでリルフィに縛られてたからさ」

「根に持ってるね」


 確かに手の込んだ料理はないけど、それでも普通の食堂ご飯とは違う。

 巨大魚の丸焼きですら絶妙に香草が使われていて、イヤなにおいが一切しない。


「周りは崖しかないのにどうやって海で魚とってるんだろうね」

「……これは川魚」


 そうらしい。


「ふむ。果たして海の魚も川と同様の生態系をとるのか……興味深いテーマ」


 魚の体を覆う金属のように硬いウロコを突っつき、フローラが問う。

 エルフィードの生き物は外だと生きられないから、川魚が海に流れ込んでも増えることはない。

 国外に出たこともあったけど、そこは肉と農作物で食いつないでいたところだから、魚は見たことがない。

 もしかしたら、魚は海でとれないのかも。


「……冷めるから、食べてよ。そんな行くところまで行っちゃったやつの言うことは放っておいてさ」

「あ、うん。いただきます」


 フタがわりに乗っけられたウロコをどけて、白身に適当にナイフを入れると、思いどおりに魚が切れる。

 余計な小骨を全部取ってくれているんだ。

 その細やかな気遣いが、この上なくありがたいものだと気付かされた。

 それを口いっぱいに頬張ったときの幸せったらもう……。

 涙とよだれが漏れてきた。


「なんか、もうエリスのご飯なしじゃ生きていけない」

「……!」


 普段の眠そうなエリスの目が、カッと見開かれる。

 顔を赤くしながら、厨房に逃げていってしまった。


「……リルちゃんの浮気性」


 戻りつつある喧騒に飲み込まれる位、コソコソと放たれたアリアの文句。

 今日一日、ふたりで遊んだからか、アリアの口が軽くなっている。

 今まで不満なことがあってもだんまりだったから、超嬉しい。

 私の優れた耳は小さな声も全部キャッチしているので、律儀に返事をした。


「そんなんじゃないって」

「ぜったい料理上手くなってエリス殺す……」

「そうして」


 アリアが硬いウロコにフォークを刺し、ガリっと噛み砕いた。

 エリスのことだから食べられるように工夫されているのかもしれないけど、本来それは食べ物じゃない。


「……リルちゃん、わたし、なにも言ってないよ?」

「了解」


 そういうことにします。

 魚を切り分けて取り皿に乗せ、アリアに渡す。

 体に染みついているであろう、洗練されたナイフさばきで料理を口にするアリア。

 目を閉じて旨味を噛みしめた後、我に返ったように悔しげな表情をした。


「これより美味しく作れるようになる?」

「……くっ」


 アリアはゲテモノ好きだから、料理を始めたら毎回とんでもないものを作ってきそう。

 副菜であるイモのペーストをすくうと、ほのかな燻香が鼻腔をくすぐる。

 それだけでもひとつの料理として完成しているのに、魚とあわせるとまた別の逸品に生まれ変わる。


「……はい、リルフィ。口休めのデザート」


 エリスが調理場から戻ってきた。

 私のテーブルにだけ置かれたのは、砕いた氷を丸めた中に赤いハート型の物体が入ったシロモノ。

 まるで貴族の食卓に出てくるようなオシャレさ。

 カクテルグラスに入った一口大のそれを、アリアに渡そうとしたらエリスに止められた。

 グラスを奪われ、スプーンですくって私の口元に近づけられる。


「……あーん、して」


 これもアリアに止められるのかと思ったが、隣のアリアはひとりでスプーン曲げに挑戦していた。

 それならばと、ひと想いに食らいついた。


「おお、これは……ルビーフルーツ!」


 デザートだから甘いものかと思って身構えていたら、そうじゃなかった。

 ひんやりとした食感を抜けると、強い酸味を感じる柑橘の果物にたどり着く。

 だけど冷えて感覚が鈍った舌には、その酸味でも程よい刺激になり、一気に目が覚めた気がする。

 後味サッパリ。

 口の中も、食欲も、全てリセットされ、目の前の料理が再びご馳走に変化する。


「……ふふ」


 あふれんばかりの食欲を発散するところを、エリスにずっと見られていた。




・・・・・・・・・・・




 いつの間にか白い空間にいた。

 精霊と契約するときの精神世界だ。


 なぜ?

 ご飯食べていた記憶しかないけど。


「……契約更新」


 エリスが現れる。

 少し前に再契約と称して私の記憶を面白おかしくいじった。

 私がこうして白い空間にいるということは、今回もそうなのだろう。

 精霊たちを置いて遊びに出かけたことが、そんなにも気に障ったのか。


「その通り」


 エリスの背後からフローラ。

 この空間って精霊ひとりひとつじゃないの?


「そうだったらお姉さんと密室でおしゃべりできたのにね……!」


 あーみんないて良かった。

 いや良くないけど。

 私これからアタマいじられるの。


「ふふふ、ふふ」

「くふふ」

「あはは〜」


 それ以上の言葉はいらないと。

 下から、横から、上から、三人が私の頭を抱いてきて、目の前が真っ暗になる。

 抵抗に意味はない、

 心の中の世界では精霊の独擅場だ。

 考えが筒抜けだから、考えることそのものが弱点になる。


 心を無にして精霊たちの体温を感じる。

 何も考えない、何も思わない。


 ……。


 そうしていると、来た。

 私の記憶じゃないものが、流れ込んでくる。

 過去の記憶がどうでもよくなるほどの、暖かい思い出物語


 精霊が離れていく。

 目を開くと白い世界はなく、色とりどりの世界に変わっていた。


 懐かしき、ノーザンスティックス領の町並み。

 視界のほとんどが木々と畑。

 ポツポツと建っている民家。


 そんな風景を実家の窓から眺めていた。

 母——エリスの声が私に来客を知らせる。

 まもなくノックの音がして、私の部屋にエリス家庭教師フローラが入ってきた。

 

 私は立ち上がってお辞儀をする。

 先生のために椅子を引き、座ってもらった。

 その向かいに私専用の椅子リリーがある。

 人肌の温度の生暖かい椅子。


「いやおかしいでしょ!」


 思わず椅子シリを叩いてしまった。

 ぺチッ、あひぃと音が返ってきた。


「え、なにこの記憶!」


 母がエリスで家庭教師がフローラで家具がリリーになってる!

 そして元の記憶が思い出せない!


 でも、悲しみはない。

 精霊による記憶の操作は受け入れるべきものであり、心地よいものである。

 いくらこの状況がおかしくても、疑問が湧かないのだ。

 今抱いているのはエリスに対する親愛、フローラに対する尊敬。

 ふたりは私の人生を支えてくれた家族だ。

 慣れ親しんだ椅子の上であぐらをかき、背伸びをする。


「……リルフィが悪い子だから、今回はフローラと協力したよ」

「コネクションを強化する薬剤、開発成功」


 ピースサインを向けてくるフローラ。

 その発明品がが料理に入っていたんだ。

 

「隠し味だね! おいしかったよエリス!」

「……うんうん」


 みんな笑顔。

 平和な世界。


「くふふ、これにて一件落着」


 満足気なエリスが、さっきと同じように私のアタマに手をまわす。

 視界が闇に閉ざされるとともに、私の意識は遠のいていった。


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