親密と険悪

 寝た気がしない。

 アブナイ薬を投与されてから、悶々としたまま丸まって目を閉じていたから、節々が痛いし、気だるい感じ。

 軽く体を動かしたり、木々の間からわずかに漏れる日光を浴びたりしてみたけど、スッキリしない。

 アリアを見るとソワソワしてしまうので、うまく話しかけられず。

 仕方がないからエリスの手伝いをして気を紛らわせていた。


 朝食を済ませ、出発する時刻に。


「で、どこに行くんだっけ……?」

「……エルフの里だよ。さっきも言ったよ」


 エリスに顔を拭かれながらの問答。

 次に、髪を整えられている時に、また質問する。


「あー、今私たちどこに向かってるのかな」

「……エルフの里。リルフィ、大丈夫?」


 何度も同じことを聞いているらしいけど、答えがすぐに抜けてしまっている。

 エルフの里、エルフの里……。

 エリスに装備一式を着せてもらいながら、またまた質問。


「エリス、次のもく」

「……エルフの里。セレスタを帰しに行くの」


 ああさっきも聞いたんだった。

 というか、なんでエリスに色々お世話されているのだろう。

 私もアリアの身だしなみを整えてあげるついでにあちこちさわりたい。

 今日のアリアも超かわいい。


「……リルフィ、大丈夫? ボクのおひざでちょっと寝る?」

「揉みたい」

「……えっ、そんなリルフィ、今日は、積極的だね」


 アリアの動きを目で追っていると、急に右手に柔らかい感触が。

 エリスに持ち上げられた右手が、エリスの胸にあてがわれていた。

 思わず指を動かす。


「……うふん」

「あ、ごめーん」


 適当に謝ったけど、私の手はもう見境がないのか、意思と独立して動き続けていた。

 もみもみ。

 アリアがこっちに顔を向けて、白目を剥いている。

 変な顔のアリアもすごくかわいいです。


「……リルフィ、もっと、好きなだけさわっていいよ。ボクは全て受け入れてあげる」


 耳のすぐ横から聞こえる声は、意味を持った言葉に聞こえない。

 エリスの感触を味わいながら、アリアの体を妄想している。


「リルフィ、そんなだらしないボディを触ってもアリアの代わりにならない。ワタシの方が良いぞ」


 フローラがエリスのアタマを押しのけて、強制的に場所替えをした。

 右手にあった柔らかさが消え、また一味違った感触に置き換わる。


「くふふ、どう。ワタシの体温、高いでしょう。リルフィに触れられたことによる興奮を如実に示している。今まさにワタシの存在意義が満たされていっている感じ。さらなる検証のため、より深くマージしていい?」


 背中に手を回されたところで、異変に気付く。

 私が上の空になっているのをいいことに、精霊たちにオモチャにされていた。

 フローラの腕を離そうと手を引くと、肘に何かぶつかった。


「きゃっ」


 リリーの悲鳴。

 このひとも便乗する気だったらしい。

 ヤツはモジモジしながら言い訳を始める。


「もうみんなと一緒に過ごすの、大分慣れてきたと思うし、お姉さんも一回くらい、はしゃいでいいよね……?」


 そういうリリーに対して、精霊ふたりが猛反発。

 迫り寄るリリーの両腕をかためて森の奥に引きずって行った。


 残されたのはアリアと私。

 困ったね、と自制心を稼動させながら笑いかける。

 アリアは眉ひとつ動かさないで、私の方をずっと見ていた。


 動いたのは、アリアの足。

 アリアがこっちにくるよりも先に、精霊たちが戻ってきて、エリスが呼び声をあげる。


「……リルフィ、おまたせ、っ……!?」


 瞬間。

 アゴをアリアに掴まれて、持ち上げられた。

 自然と体も立ち上がり、アリアの顔が超至近距離になる。

 そして。


「——んぅっ!!」


 ムリヤリなキス。

 舌と唇が噛みちぎられるんじゃないかと思うほどの、勢いと力強さ。

 その行為にアリアの執着心を感じ取り。

 体を離されたと同時に、私は地面にへたり込んで立てなくなってしまった。


 アリアが息を切らしながら、自分の唇を舐めて見下ろしてくる。

 紅い瞳はいまだに私を掴んで離そうとしない。


 ゾクゾクした。


 アリアのこんな表情は、何度も見てきたようで、初めてかもしれない。


「リルちゃんは、あんなガラクタで気を紛らわそうとしちゃ、だめだからね」


 ………………。


 私は、すぐにうなずかなかった。


 私に向けられたこの感情。

 欠けたココロが埋まっていくような充足感。


 アリアを振り向かせるためには、こうすれば良い。

 そこまで理解して。


「うん、うん! 分かったよアリア……!」


 アリアはわずかに唇を歪め、旅支度に戻っていった。




・・・・・・・・・・・




 次の目的地はエルフの里。

 急激な魔力欠乏によって幼児退行したセレスタを、このまま旅に連れて行くワケにはいかない。

 それにセレスタに対して良い感情を持っていることもない。

 だから故郷に帰そうと、そういうことになった。

 エルフの膨大な魔力は、そう簡単に回復せず、エルフィード人みたいに感情が戻る気配がない。

 

 心は魔力と結びついている。

 もしかしたら、元には戻らないかもしれない。

 一般的に知られている魔力切れの症状は、治らないものとされている。

 魔法の行使とともに、感情の鎖が焼き切れてしまうのだ。

 

 一度全ての魔力を失ったアリアと私が、ここまで回復したのは例外と言ってもいい。

 何か違いがあるのかもしれない。


 なんにせよ、このエルフはもうダメ。

 回復方法を考えるより、元の場所に収めておいた方がラクなのだ。

 セレスタが完全に味方だと確信できれば、大きな戦力となるけど。

 今のところ敵対する気配しか感じないから、積極的に治療法を探す気にもならない。


 里に押し込んで、もう邪魔をしないでくれますようにとお願いするのが最善策。

 かわいそうだけど、私たちの身を守るにはそれしかない。


 と、色々な言いワケを考えて正当化させようとしている。


「エリス、エルフの里ってどこだっけ?」

「……知らないよ」


 それはそうだ。

 前に来た時は、まだエリスがいなかった頃。

 だけどわざと話を振った。


 アリアを見る。

 目が合った。


「ワタシが考察してみせる。このまま森の中を進んで問題ない。根拠は三点。第一に、地面に物体が擦れた跡がある。狩りがあった形跡だと予想される。その次に、枝の歪み。木の上から矢を射ったと推察できる。最後に、痕跡が少なすぎる。人間の狩りであればより現場は荒れている。以上のことから、少なくとも人間ではない生命体が非常に近い場所で生活していると言える」


 フローラが教えてくれたので、お礼にアタマを撫でてやる。

 青髪のセミロングを無造作にかき回した。

 ボサボサになればなるほど、フローラが嬉しそうに身をよじる。


 アリアはこっちを見なかったけど、自分の髪を乱暴にいじっていた。


 いつまでそうしていられるかな。

 私はフローラのアタマに頬ずりして、アリアが反応してくれるように仕向けた。


「フローラは物知りでいい子だね」

「これまでで、最もリッチな報酬っ」


 いつもは淡々とした口調のフローラが、上ずった声で呟く。

 絶対にアリアも聞いている。

 振り向かずにはいられないだろう。


「ん、ワタシ、リルフィと子をなすメソッドを知っている。いっそ、もうやっちゃう?」

「へえ、どうやるの?」


 アリアの歩調が乱れてきた。

 フローラの肩をだき寄せてトボトボ進んでいると、他の仲間とも距離が開いてくる。

 そうしていると、みんな立ち止まって私を待つのだ。

 私の思い通り。




「——リルちゃんが……わるいこになっちゃった」


 氷が通り抜けるような冷たい声。

 アリアは決して振り向かない。


 アリアが立ち止まった。

 私たちの足元を、一筋の風が通り抜ける。


 マズいやり過ぎた、と思った頃にはもう遅い。


「わるいこだ、どうしよう、わたしのせいだ、まちがえた、治してあげないと、修正しないと、矯正しないと、……」


 アリアに平謝りしようと足を上げた瞬間。

 目の前の大木が倒れた。


 音もなく切断され、続く轟音と振動が心臓を揺さぶる。

 フローラは、いつの間にか離れていた。


「……リルちゃん」

「ハ、ハイッ!」

「ちょっと、来て」

「喜んでッ!」


 急いで駆け寄り、アリアの前で直立不動。

 人生で一番早く移動した気がする。

 アリアから掛かってくる圧に、どうでもいい考えが一瞬で吹き飛んだ。

 思考停止だ。


 ……。

 …………。


 アリアが無言で、私の目を見つめてくる。

 私は後ろめたさに、目を合わせられなかった。


 風が巻き起こる。


 視線の先にある木の根元がパックリ割れて、傾き、倒れた。

 青くさい衝撃が顔面に降りかかる。

 チリが目に入ってとっさに瞼を閉じた。

 再び目を開けるまでの短時間で、アリアは私の視線の先に移動していた。


「……ひっ」


 アリアは何も言わずに私の目を見る。

 じっと見る。

 穴のあくほど見る。

 耐えられなくなって、視線を少しずらそうと思っただけで。


 背後で3本目の木が倒れた。


 目を逸らすなということ。

 大きな音に怖くなってそれどころじゃない。

 前のめりになり、バランスが崩れた。

 しかし前にはアリアがいる。

 このままだとアリアを巻き込んで倒れてしまう。


 今のアリアに触れたら、殺される。

 アリアはこれ以上ないほど怒っているのだ。

 地面は揺れ、空気は舞い上がるのに、アリアは微動だにせず私を見つめる。

 世界に私ひとりだけ取り残されたような冷たい感覚。

 謝ったって無視されるだろう。

 無表情の裏には、計り知れない熱が隠されている。

 

 絶対に死ぬ。

 私は踏み込んじゃいけない線を越えてしまったのだ。

 これまで築き上げてきた関係が、一気に崩壊する。

 お先真っ暗。

 ご愁傷様。


 ネガティブな言葉がぐるぐると高速で巡っていく。

 バランスを崩してからアリアに当たるまでの、この間1秒。


 1秒を越して、私は顔面からアリア突っ込む覚悟を決めた。


 ————。


 しかし、もう1秒経っても、アリアの体に触れることはなかった。

 避けられたのだ。

 代わりに背中のあたりが突っ張る感覚。

 肩甲骨上の服を掴まれて、私は立っても倒れてもいない中途半端な姿勢で、ブラブラとどまることになっていた。


「……そんな持ち方をしたらリルフィがかわいそうだ」


 いっちょうまえに抗議の声を上げても、助けには来てくれないエリス。

 

 無言を貫くアリアに、そのままズルズルと引きずられる。

 行く手を阻む倒木を、風の魔法でみじん切りにして、アリアは道を作った。

 私の膝と靴は湿った地面を擦って、痛くないけど濡れてしまう。


 アリアはフラフラと、何かに操られたように歩いていく。

 今の私たちの目的地といえば、エルフの里だ。

 しかし、アリアがそこに行ったって、できることはないだろう。

 じゃあどこに向かっているの?

 八つ当たり?


 ——アリアが足を止める。

 同時に、前方から生物の気配を感知した。


「んじゃらんげんさんざっぺぇ!」


 特徴的で意味不明な言葉。

 声のした方に目を向ける。


「おんざひうぃ〜ぁんんぎぃしちゃるるぁ!!」


 長い金髪のエルフが、長い耳を真っ赤にしながらまくし立ててくる。

 意味がわからなくて怖い。

 今のアリアほどじゃないけど。


「お、ぇんぅふうぇんわかんってんな……!」


 金髪の少女は、ひとりでに納得した様子で、手を叩いた。

 アリアはエルフをじっと睨んでいる。

 エルフはアリアの怖い視線を気にした様子もなく、深呼吸をする。


「んん、ごめんね! ニンゲンさんと話すの、慣れてなくって!」


 なぜかアリアに手を離され、私は地面とこんにちは。


「おっきい音がしたから、見にきちゃったよ! もしかしてお取り込み中だった?」


 私が動き出す前に、今度は腕を持ち上げられる。

 言葉はないけど、立てと言っている。

 ただちに従い、ビッとアリアの横に並んだ。


「……リルちゃんが」


 もうずっと聞いていないと錯覚したアリアの声。


「……病気になったから、休める場所がほしい」

「おっけー☆ それじゃ、長老への挨拶は後にして、まずあたしのおうちに行こっ! 大丈夫、ニンゲンさんはいつでも歓迎だよ!」


 異常なほどテンションが高いエルフが指を鳴らすと、頭上から緑色のツタが降りてきた。

 エルフ娘さんがそこに足を引っ掛ける。

 もう一本のツタが私たちの前にぶら下がってきたので、アリアに強い力で引っ張られるまま、エルフと同じように乗り込んだ。

 

「エルフの里までひとっ飛びー!」


 エルフ娘さんの言葉に合わせて、ツタが勢いよく動き始めた。

 真上から降りてきたから、真上に上昇するだけかと、勝手に思っていた。

 違った。


 前に後ろに上下左右、自由過ぎるルートで移動している。

 途中、ツタに絡まっている精霊たちが見え、なんだかんだついてきていたことに気づいた。

 でもすぐに目が回って気持ち悪くなり、それどころじゃなくなった。

 加速したかと思えば減速し、人間の身体に優しくない動作で進むのだ。


 なんとか気を紛らわそうと横目でアリアの様子をうかがうと、こんな状況でも私を見ているのに気づいた。


 ひぃ。

 なんかもう全部怖い。

 ヤバい目をしている。

 充分気が紛れた。

 吐きそうなのは変わらない。


「もうすぐ着くよー☆」


 少し先を行くエルフ娘さんの声の後、見覚えのある構造物が視界に現れた。

 木の上に作られた家々、それがエルフたちの住居。

 エルフの里に到着だ。


 軽やかに飛び降りて出迎えてくれるエルフ娘さん。

 べちゃりと着地する私と精霊。

 音もなく立っているアリア。


「さ、入って、休んで! 元気になるまで休みまくっちゃって!!」


 エルフ娘さんは、すぐ近くの木造住宅を指差す。

 いまだ怒りがおさまらない様子のアリアに引きずられるようにして、私たちは中に入っていった。


 ……あろうことか、アリアは家主を締め出した。

 精霊たちが入ってきて、最後にエルフ娘さんが入ろうとした瞬間、扉を閉めてしまったのだ。


「あれー? あたし、入れないよ? ま、いっか!」


 よくないよ。

 正気を疑うほど人間ラヴなエルフ娘さんのせいで、これから想像を絶するような恐怖が始まる——。


 アリアは久しぶりに、にっこり微笑んだ。

 

 

 

 

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