あの日常を取り戻す律法

 夜。

 アリアの隣で薪のパチパチとなる音を聞く。

 エリスは夕食の支度に勤しみ、フローラは何か作業をしている。

 手の空いたリリーは、自然とセレスタの世話係に。

 みんなそれぞれの役割をこなし、日が完全に落ちるまで会話はなかった。


「……はい、ご飯」


 エリスが支度を終え、始めて静寂を破った。

「いつも通り」を取り戻したとは言え、まだぎこちなさは残る。

 薪の周りに集まる仲間たちに、エリスが順番に配膳するところをボーッと眺めていた。


「……リルフィにも」


 煮込み料理が入ったお椀を差し出される。

 受け取るかどうか、アリアに確認を取らないと。


「もらっていいよ」


 アリアに目で訴えていると許可が出たので、器を受け取った。


「……変なものは入れてないよ。フローラも近づけてない」

「失礼な。まるでワタシが悪者のような表現、許さない」


 と言って、フローラは自分の器に茶色い液体をだくだくと加えた。


「リルフィも入れるかい?」


 聞かれたけど、興味がないから無視しようとした。

 でも、アリアに背中を小突かれて、返事しないといけないことを把握する。

 これも日常を維持するための擬態。

 すぐに作った笑顔をフローラに向ける。


「いらない」

「絶対に美味なのに」


 頰を膨らませ、小瓶を懐にしまいかける。

 そこでアリアがストップをかけ、フローラは目を輝かせて振り返った。

 小瓶を受け取るために、アリアが体をずらしてフローラの方に行ってしまう。

 私も移動して、あいた距離をすぐに縮めた。


「それ、貸して?」

「是非とも!」


 鼻息荒く、小瓶を突き出すフローラ。

 もしアリアの手にあたって突き指したらどうするんだ。


 ……不満はあれど、ここは我慢してやる。

 さっきアリアに注意されたばかりだ。

 日常を形づくるために、必死に昔の私を思い出し、その通りの行動をとった。


「アリアやめなよ。フローラの作ったものなんて、絶対にロクでもないよ」


 ここはこれで正解。

 相手を否定するのは時によって危険だけど、冗談っぽく言うことで雰囲気が悪くなることはない。

 アリアに制されることもなく、場面は円滑に展開して行く。


「ん、これ、いいかも」


 アリアが茶色い液体の少量を手につけて口に含み、感想を漏らした。


「え、アリア本当!? 私にもちょうだい!」


 アリアが気に入ったモノは私も欲しい。

 アリアの手のひらに残ったそれを、かぶりつく勢いで舐めとった。

 ちょっと下品だったかな。

 しかし舌の先に幸福を得て、ネガティブな考えは一掃した。


「おい、しい……!」


 アリアの手が。


「ほら前述の通り美味だろう。見たことか。好きなだけ使うといい」


 舐めすぎて濡れ濡れになってしまったアリアの手。

 またやらかしてしまったと後悔するも、アリアは顔を赤くしてまんざらでもない様子。

 ならもっと欲しい。


「リ、リルちゃん、足りないでしょ。もうちょっと舐めてみる……?」


 フローラの調味料をもう一度手に垂らし、私に向けてきた。

 断る理由なんてあるワケがない。

 抑圧がなくなった私は、手のひらから指の先までくわえこみ、丹念にアリアを舐めとっていく。


「んむっ、最高、……!」

「あっ、リルちゃん、それ、くすぐったい!」


 隅から隅まで、アリアを堪能する。

 今まさに、五感すべてを使ってアリアを感じている。

 ふわふわした気持ちになってきて、ずっと続けていたい。

 生きているアリアに感謝する真面目な気持ちと、そうじゃない不真面目な考えが混在する。


「ワタシの特性ソースをダシにおっぱじめやがった」

「お、女の子同士が絡んでいるの、とっても尊い! お姉さんも混ぜて欲しい……!」

「……いいなぁ」


 周囲からヤジが飛んできて、急速に自制心が稼働し始めた。

 恥ずかしさではなく、風紀を乱さないようにする思いで、渋々アリアの手から口を離す。

 新鮮な空気を求めて一息。

 口内に残ったアリアの風味が鼻を突き抜け、感動でぶるりときて、少しお漏らししてしまったかもしれない。


「もう一生手を洗わない」


 アリアが宣言する。

 そんなのはダメだ。

 私から出て行った廃液なんかを大事にするんじゃなくて、私自身を見て欲しい。

 アリアの紅い瞳は、常にこっちを向いて欲しい。

 だから水魔法を無詠唱で発動し、アリアの手に飛ばした。

 私が舐めた手を掲げて見入っているから、避けられることもなく命中。

 ミッションコンプリート。


「ああぁぁ! リルちゃんのいじわる!」

「私はずっと隣にいるんだから手は洗って」


 アリアの肩を抱き寄せると、みるみる大人しくなっていく。

 触れていると私も心から安心するから、ふたりして急に静かになった。


「むぅ、お預けばかりでもう我慢できない」


 フローラが私めがけて突進してきた。

 アリアと固まって座っているところで、急にはかわせずお腹で受けることに。


「ワタシもリルフィと愛を育みたいのだからね!」


 残念なことにこちらには全くその気がないけど、とりあえずそのままにしておく。

 実害が出ない限り、やりたいようにやらせておくのが良い扱い方。

 フローラ自身もそう言っていた。

 正直アリアとの時間を邪魔されるのは厄介極まりないけど、アリアを取られる心配はないから我慢できるのだ。


 アリアの立場から見ると、今も昔も私が引っ張りだこになっていて、いつ取られてしまうのかと、もはや気が気じゃないだろう。

 アリアはそれをよく耐えている。

 さすが。

 年季が入っている。


 たまにぶちっとキレて大事件を起こしちゃうけど。


「……このボクが出遅れた、だと」


 後ろからアタマを包み込まれる。

 柔らかなこの双丘はエリスのモノだとすぐに分かった。

 押し付けられている。

 どうせならアリアに包んでもらいたいと、アリアの胸に手をやるが、空を切るばかり。


「ダメか」

「ねえ失礼なこと思ってない? なにがだめなのかな?」


 そうやっていつものようにじゃれ合っていると、セレスタも興味を示してこっちに来た。

 私の服を引っ張って、意味のない言葉を吐いて満足している。


「すごい……はさまりたい……!」


 最後にリリーまでもが、集まってきた。

 かがめば触れられる位置まで来たところで、フローラとエリスが一斉にリリーの方を向く。


「ずっと疑問だったがオマエ誰だ!」

「……いかにも最初から仲間だったように振舞っているね」


 指摘された方はびくりと肩をすくめ、動きを止めた。


「えー……?」


 私を含め、全員の視線がリリーに集まり、本人は目を背けながら頰をかく。

 てっきり精霊同士で仲良くなっていたのだと思っていたんだけど。


「お姉さんは全然怪しくないただの精霊だよ……?」

「……自分でそう言うとかえって不審者っぽいね」

「個体名を明示しろ! 婉曲表現は不要!」


 ハッキリしない物言いに、エリスとフローラはさらにリリーをまくし立てた。

 アリアはすでに興味を失い、私が舐めた方の手のにおいを嗅いでいる。

 洗い流したせいか、ちょっと不満そうな表情。


「お、お姉さんは、リリー。リリアンテ・アンクレットの精霊……です」


 ん?

 足輪アンクレット

 自分の左腕にある、ビーズが連なったリングを見る。


「嘘つけ! リルフィは腕に装備している!」

「……どちらかというと腕輪だね」


 一目見ただけでは、どこにつけるのが正しいか分からないデザインだ。

 言われてみると、手首につけておくにはゆるい気がする。

 そういうものだと思っていたけど、違ったんだ。

 ただ、装着するときにはあった留め具は消えていて、手から外そうにもつっかえて取れない。


「リルフィちゃん……お姉さんは、足が好きなの……」

「オマエの性癖は聞いていない!」

「……リルフィが腕輪だと思ったならキミは腕輪だ」


 リリーが発言する度に、精霊たちが揚げ足をとる。

 精霊同士って、仲が悪いものなのだろうか。

 エリスとフローラもしょっちゅうケンカするし。

 

「オマエの欠点を列挙しよう。まず第一に、存在感が薄い。この場に常在していたのだろうが、ワタシらは接近するまで気づかなかった。第二に、不快。発言がいちいち非論理的。卑怯。第三に、オマエババア。リルフィに不釣り合い」


 暴言!

 フローラが聞いているこっちまで悲しくなるほどの人格否定を叩きつける。

 でもその全てが的確にリリーという存在を表していて、擁護しようがない。


「お、お姉さんは、おばさんじゃなくてお姉さん……」


 作られてから数百年モノの王の遺産が、歳の話をしてもなあ。

 完全に見た目だけでの勝負だ。


「……改名しよう。今日からキミはリリアンテ・ブレスレット。あと、リルフィの教育に悪いから接近禁止だよ。話があるときはボクに言って。リルフィには伝えないけど。それと用のないときは持ち前の影の薄さで視界に入らないようにしてね」


 辛辣!

 要するに死ねって言っているようなものだ。

 エリスがここまで言うのも珍しい。


「リ、リルフィちゃんになんでもする約束してたのに……」


 アリアが私を守るように肩を抱いてくれた。

 リリーもヘンタイだ。

 きっと想像もつかないようなことをさせられるのだろう。

 屈辱的。

 あわよくば、このまま約束を反故にできたら良い。


「……分かったらあっち行って。リルフィはボクのものだから」

「いや将来的にはワタシが占有する。いずれにせよ年増はこの場に不必要」


 私はアリアのモノだって理解してほしい。

 けれどアリアとの時間を邪魔する存在がひとりでも減るのなら、リリーにはこのままご退場願いたい。


「おばさんがリルちゃんに付きまとってくるなんて、世の中って怖いねリルちゃん」


 アリアの一言が最後。

 リリーは全員からの拒絶を受けた。


「う」


 その場にぺたりと座り込んで、鼻頭を赤く染めるリリー。

 薄紫の髪がふわりと揺れた。


「うわあああぁぁぁぁぁぁああああぁん! みんなしてお姉さんをいじめるうぅううぅぅぅぅぅうぅ!!」


 私よりも歳上な見た目のひとが、大声で泣いている。

 涙と鼻水とよだれが、糸を引いて落ちていくごとに、私の中にある「大人の女」の夢が崩れていく。

 エリスとフローラは、おいこれどうすんだ、とお互いを小突き始めた。


「ゔぁあぁぁぁぁぁぁんぁあぁぁぁぁぁあん! ずずっ、ふえぇぇぇぇぇぇぇん! あああぁぁぁぁぁんっげほっげほっっっ!! おぇっ」


 ここまでのマジ泣きっぷりは、私ほどの歳の女の子でもそう見られるモノじゃない。


「……うるさいから止めてきてよ」

「断る。あやすのはエリスの方が得意だろう」


 私を挟んでふたりが作戦会議。

 ここまで酷いことを言っておいて、慰めに行くのはためらわれるのだ。

 だからお互いに決して譲らない。


 延々と続く泣き声と咳とえずきの嵐の源に、ただひとり、セレスタが吸い寄せられた。


「ぶわああぁぁぁぁああぁぁん! エ、エ゛ルフちゃぁぁぁぁん! お姉さんの、みっ、味方は、エルフちゃんだけだよおおぉおぉぉぉぉぉぉおおぉ!」


 リリーがセレスタを抱きしめたことで、勢いが少しだけ落ちた。

 されるがままのセレスタの体に、色々な液体をなすりつけている。

 とりあえず一安心。

 これなら、放っておけばいつかおさまるだろう。


「……ふぅ。ご飯が冷めちゃったね。温め直すから、フローラ以外は鍋に戻して」


 すっかり切り替わって、エリスとフローラは元の位置に戻って、それぞれの作業を開始した。

 アリアも席を立って、薪の火の勢いを強めに行く。

 手伝う姿も珍しいと思ったけど、私がやらなくなったせいだった。


 ともあれ、段々と、アリアの言う「いつも通り」が、戻って来たような気がした。

 アリアに従っていれば、仮初めの日常は手に入る。

 そうして私たちは前に進むのだ。



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