過去から未来へ繋ぐ回心

「リルちゃん」


 嗚咽がおさまってからも、しばらくアリアの胸の中でじっとしていたら、唐突に耳元で話しかけられた。

 その声には優しさが含まれておらず、その異変に驚いて顔を上げる。

 離れていくのが怖くて、体はしっかり抱いたまま。


「な、なにアリア」

「うしろ」


 振り向きたくない。

 目を離したスキにどこかに行ってしまうかもしれない。


「見て」

「う、うんっ」


 無色の声色に、私はすぐに従った。

 アリアの手を取って、確実につながりを感じながら、慎重に振り返る。


 ちょうど日が昇り、こちらを照りつけた。

 眩しさに目がくらみ、目を細めて道の先を見る。


「……あ」


 逆光となって、人影が四人分。

 じっとこちらを睨み、立っていた。

 私がその姿を視認したと悟ると、一斉に口を開く。


「……リルフィ、もう満足したよね? ふふ、さっきボクの言うことを聞いてくれなかったのは、無かったことにしてあげるから、戻っておいで」

「ワタシはリルフィの命に従い、大人しくしていた。今度はリルフィが従う番ではないかね?」

「そうそう、お姉さんとも、約束したよネ?」


 と、一団となって私を誘う精霊達。


「リルはわっちのもの、リルはわっちのもの、リルはわっちのもの」


 狂ったように同じ言葉を漏らすエルフ。




 アリアを見る。

 きっとアリアなら、正しい判断を下してくれるハズ。


「わたし、また殺されちゃうかもね」


 ————!!

 アタマが真っ白になる。

 それからアリアの言葉が反芻され、あの変わり果てたアリアの姿がフラッシュバックする。

 怖い、嫌だ、やめて欲しい。


「嫌だ、死なないでよ、お願い」


 自分のチカラで立ち上がることも出来ず、アリアに泣きつく。

 魔剣を振るう意味も、情報を知る意義も、分からなくなってしまった。


「アリア、どうにかしてよ、ねえ、魔法で全部終わらせて!」


 アリアにアタマを撫でられる感触。

 そうやって私を安心させてなんとかしてくれるのだと、優しい言葉をかけてくれるのだと期待してた。


「リルちゃんが行けば、解決するよ?」


 しかし出てきたのは私を突き放す言葉。

 どうして。

 アリアを抱く手を強く握る。

 距離はこんなにも近いのに、心がどんどん離れて行ってしまう。

 どうしても取り戻せない。


「嫌だよぉぉぉぉ!!」


 離れたモノに届くように、背一杯に叫ぶ。

 アリアは抱き返してくれない。

 戻ってこない。

 それどころか、自分の声で聴覚がふさがっているうちに、四人が近づいていた。


「……醜い。アリアはそうやってリルフィに酷い事をして、自分の欲を満たそうとしている。そんな手段は間違っている。ねえリルフィ、ボク達はアリアをどうこうするつもりがないんだ。それはリルフィにとって嫌なことだろう。アリアの言葉を信じてはいけない。ボクを信じて。ボクは本当に、リルフィのして欲しい事だけをするよ」


 耳障りの良いことを言って、私を惑わそうとする精霊。

 聞いたらダメだと分かりきっているのに、アリアは私の肩に手を置き、押してくる。

 あちら側に追いやろうとする。


「客観的に考えることを推奨する。ワタシらと仲違いをしても、契約は永遠に続く。縁を断ち切ることはできない。ワタシらは地の果てまでリルフィについて行く。ならばリルフィは、演技でもワタシらと仲良く振る舞い、使いたい時に使って貰えれば良い。道具は使ってこその道具で、それがワタシらの本望」


 嫌だ。

 正論を吐き続けるフローラの声に、耳を塞いでやり過ごす。

 理由を並べ立てるのも億劫で、嫌という言葉で全てを片付ける。

 今すぐにでも契約を破棄し、かつての弱い私に戻り、アリアに守って欲しいのだ。

 強くあろうとするのに疲れた。


「そ、そうだよ……! みんな仲良く……! 女の子はね、笑っている顔が一番なの。だから笑って! 笑顔を作るの! 嘘の笑いがいつかは本物になって、それでついうっかりお姉さんのことが好きになってくれたらって魂胆……あ、なんでもないよ、いたい、二人とも蹴らないでっ!」


 思えば私は、嘘笑いしかしたことがないのかもしれない。

 魔法学校では、自分より身分が高い貴族しかいなかった。

 私の人生のほとんどが学校での暮らしで、心休まる時はなかったのだ。


 アリアにだけ、本当の自分を見せられた。


「——リル、リル」


 唐突に、精霊が私たちとの間に置いていた距離を、エルフが破った。

 エルフの声が近づいてくることに、私は振り返らずにはいられなくなった。


「リル、あそんでー」


 エルフ。

 アリアを殺した犯人。

 ぞわりと悪寒が走る。

 

「ほら、わたし、殺されちゃうよ」


 アリアの言葉がトドメとなり、私の体は勝手に動いた。


「い、いやだいやだいやだ!! 来ないで! アリアも逃げてよお!!」


 アリアの手を引いて逃げ出そうとする。

 でもアリアは動いてくれない。

 少しでもエルフから離れて欲しくて、アリアを突き飛ばした。

 その側で、アリアを隠すようにうずくまる。


「リル、あそんでよー」


 目の前に迫るエルフ。

 魔法を使われれば、一瞬で終わってしまう。

 恐怖に全身が震え、エルフの動きがスローに映る。


 手をグーにして。

 私にそれを振るう。


「——っ!!」


 歯を食いしばって、アリアの体をぎゅっと抱いて、痛く、苦しいことをされる想像に耐える。


「むししないでばかばかー」


 腕を叩かれる。

 想像していた衝撃とは違う。

 チカラのこもっていないじゃれ合い。


 その目の焦点はどこにも合っていなくて、かろうじて知的生命体だと言える幼稚な行動。

 エルフは魔力欠乏によって、おかしくなってしまったことを、再認識させられた。


「……リルちゃん、痛い」


 目の前の脅威が無害だと判断できた直後、アリアが弱々しく言葉を発した。

 そちらを見ると、口から血を流したアリアが。


 血。

 死の予感がアタマを過ぎる。


「あ、ああああああ!? ダメ! どうしようどうしようっ!!」


 アリアが死んでしまう。

 もう魔力のあてはないし、死んだら生き返らせられない。

 死なないで。

 そんな虚ろな瞳を向けないで。


「……リルフィ、落ち着いて。ボクの手を受け入れて」

「このままだと、し、死んじゃうんだよ! 助ける方法、考えてよ!」


 藁にもすがる思いで、精霊たちに助けを求める。

 敵だと認識して、無視した相手。

 アリアが助かればなんでもいい。


「……リルちゃん、大人しくして?」

「な、なんでアリア、なんでなんで、血が出てるんだよ!? 治さないと!」


 アリアもエリスも、私がおかしい人間のように扱ってくる。

 そうじゃない。

 アリアが緊急事態だって、どうして誰も分かってくれないの。

 それをアリア自身も理解していない!


「リルちゃん、落ち着いて」

「……今のリルフィには、ボクの言葉が届かない」

「様子見に来たのだがまだ時間を要すると判断」

「お姉さん、早く元気なリルフィちゃんが見たいな……?」


 私がおかしい……?

 みんな私のことを見ている。

 アリアもいつの間にか傷を癒し、血が拭き取られていた。

 みんな私をおかしいひとだと思い、腫れ物を触るような距離感で話す。


「あ、あ、あ、……?」


 急に熱が引いて、その場にヘタリ込む。

 私はおかしい。

 本当のコトを言っているのは一体誰?


「……そう、いい子だよ。ゆっくり、自分のペースでいいから、心が整ったら、来て」


 エリスが一番最初に触れてきた。

 私の髪の先を撫で、いつものように私を引っ張って行くのかと思えば、野営地にひとりで戻ってしまう。


「一人の時間は自浄作用が最大限に活性化する。ヒトの感情はコントロールが難しいものだね」


 その背中をフローラが追って行く。


「うーん、お姉さんも行った方がいいのかな……?」


 こちらを振り返りつつも、エルフを連れてリリーが離れる。

 そして最後に、アリアも立ち上がった。

 

「アリア……?」


 付いていこうとして、手で制される。


「リルちゃん、戻ってきたら、いつもどおり、だからね?」


 そう言い残して、私はひとり取り残されてしまった。

 アリアの言葉を反芻する。

 理解できるまで、戻ってくるな、ということ。


 ひとりにされて、緊張がため息となって出て行く。


「……いつも通りって、なんなの?」


 アリアの拒絶に立ち上がる気力を失い、感覚が自分の中へと沈んでいく。

 膝に顔を埋めて、ひたすらアリアの言葉の意味を考えた。

 同じ姿勢のまま、時間だけが過ぎて行く。

 体が痛くなっても、姿勢を変える権利すら私には無いと思い、「いつも通り」の海を漂っていた。

 

 思い出せない記憶。

 記憶は戻っているハズなのに、アリアの言うモノがよく分からない。


「私はおかしいの?」


 いつしか思考は、「いつも通り」を構成する周囲の人々の方へ。

 奇異の目を向けてきたアリアと精霊たち。

 みんな手のひらを返したように、突然、私を除け者にした。


 私はアリアを助けたのだ。

 感謝はされど、こんな扱いを受けるのはおかしい。

 私が間違っているのではなく、周りが間違っている。

 絶対にそう。


「……でも、アリア、精霊と一緒に行っちゃった」


 むき出しの敵意をアリアにぶつけるエリス。

 無視を貫くフローラ。

 態度に出さないようにしつつも、嫌悪感を漂わせるリリー。


 そんな三人と共に、アリアは行動している。

 それは、今だけじゃない。

 旅に出て仲間が増えていって、ずっと危うい均衡を保ちながら進んできた。

 

「それこそ、ヘンだよ」


 きっと今まで、アリアに敵う者が誰もいなかったのだ。

 だから敵と一緒に過ごしても大丈夫。

 精霊たちや、自分を殺したエルフが集まる場所に行ってしまったのは、おそらくそういう考えがあってのこと。

 

 理屈は理解できるけど、感情は理解できない。

 私と一緒にいる方がよっぽど気がラクだろう。

 あえて離れようとする気持ちが分からない。

 私は絶対にアリアを裏切らない。

 なんで私じゃダメなの。

 いつも一緒に行動していたのに。


「……いつも」


 口に出すと、霧が晴れたようにアリアとの日々が思い返される。

 

 ……世界はいつも、アリアと私でできていた。

 それだけで完結する世界では、他の存在など取るに足らない些細なこと。

 アリアさえいればいい。

 私さえいればいい。

 それが全てだから、危険は危険じゃない。


 アリアがリスクを負うのは、全部私のためだ。

 私がアリアの想いに気付くかどうか、世界の存亡を分ける賭けに過ぎない。

 勝てば世界はより発展し、負ければ衰退する。

 周囲の存在は結果にランダム性を持たせるための調味料。

 アリアの運命は、私の選択によって決まる。


「アリアに、尽くさないと」


 アリアは私だけのために全てを費やしてくれた。

 昔の私はそれに応えることをしなかった。

 手を焼いてくれるアリアに、愚かしくも自分が優位にあると錯覚し、アリアを守るだなんだと分不相応な行動をしてしまったのだ。


 アリアと私の世界を作るのに、そんな蛮勇はいらない。

 旅の間の記憶を失ったおかげで、学校時代の記憶が鮮明。

 その中の「いつも通り」みたいに、私はアリアの影に隠れて、静かにしているべきなのだ。

 それがアリアへの報い。

 忠誠。

 愛。


「そうする、そうするから」


 私の中での答えが出ると、ふと腰が軽くなったような気がした。

 アリアに魔法をかけられていたに違いない。

 アリアの魔法はなんでもできる。

 世界はアリアを中心に回っているから。


「体が動く……」


 フラつきながらも、手を使って体を持ち上げ、野営地に向かって一歩を踏み出す。

 早くアリアに会いたい。

 駆け出そうとしてつまずき、盛大に転ぶ。

 それでも心は前に進もうとして、体がそれを叶えようと動く。

 這っているのか立っているのか中途半端な姿勢で、前進した。


 野営地まで、大した距離はない。

 遠く感じているのは、私の中にまだ迷いがあるから。

 まっすぐな道で、さ迷っている。

 それではダメなのだ。

 自分という存在を捨て、アリアのための私へと生まれ変わる。

 アリアと私の世界を構成する要素のひとつとなれ。


 ——ほら、アリアがそこにいる。


「アリアぁ!」


 精霊たちがいる。

 エルフがいる。

 それらは足元に転がっている石と変わらない。


「アリア! わ、私、ちゃんとやるよ!」


 アリアに駆け寄り、飛びついた。

 今度は私がアリアを繋ぎとめておくための、独りよがりな抱擁じゃない。

 アリアの一部となるための儀式。

 壊さないように、でもしっかりとアリアの感触を得る。

 熱柔らかな細い体と、熱と、鼓動と、におい、全てを慈しむ。


「いつも通りの、アリアと私の世界を、作って行くよ……!」


 見上げると、アリアの満遍の笑みが、私正面に降ってきた。

 きつく抱き返され、私はこれが正解なのだと確証を得る。


「アリアっ!!」


 私という人格がぐちゃぐちゃに丸まって、アリアに包み込まれていく感覚。

 私の全ては、アリアのもので、これが一番安心するいつも通りのかたち。


「よくできたね、リルちゃん。それでいいんだよ。それが、いいの」


 アリアが応えてくれる。

 私が応える。

 この上なく幸せな信頼関係だ。


「……いつかの誰かさんと、立場が逆転しているみたいだよ」


 浴びせられる外野の声。

 いつも通り、その対応はアリアがするだろう。


「なんのこと?」

「……キミは随分、変わってしまったね」

「へーリルちゃんはどうおもう?」


 アリアはアリア。

 どんな表情をしていても、それはアリアの本性なのだ。


「私の大好きなアリア」

「ふふっ、ありがと! わたしもリルちゃん、大好き!」


 ああ、心地よい。

 アリアと私だけの世界。


 もう、絶対に手放せない——。

 

 

 

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