始まりでもない復活

 ひどく、体が冷えている。

 わたしがわたしの中に帰ってきたとき、生き返ったことをすぐに悟った。

 同時に、わたしは死んでいたんだとも。


 ——リルちゃんを残して死んでしまったことに、深い後悔におちいる。

 リルちゃんはわたしがいないと生きていけない。

 リルちゃんがどうおもうかは関係ない。

 リルちゃんを取り巻く環境が、リルちゃんの自由を許さない。

 現に、記憶を失ったリルちゃんは、一人になった瞬間、エルフに拉致された。


 ……そう、エルフだ。

 エルフがわたしを殺した。

 そのうえ、リルちゃんを欲望のままに苦しめた。


 せっかく戻った命に、黒い感情が満ちる。

 エルフは殺さないとならない。

 なす術もなく殺されたわたしだけど、リルちゃんを守るには、やはり殺すしかない。

 逃げるとか無力化するとか、一時しのぎの子供騙しは必要ない。

 徹底的に、塵一つ残らないように消さないと、リルちゃんの悲しみが晴れない。


 冷えた体に熱が生まれる。

 憎しみの炎が、わたしを焼き尽くす前に、目覚め、発散しないと。


 ——目を開けた。

 たったそれだけの行為でも、生まれたての小動物が、まだ塞がった瞼を引き千切って目をこじ開けるくらいの労力。

 さっきまで完全に動かなくなっていたのだ。

 本来人間は、一度死んだら生き返らない。

 自然の摂理に反した現象は、それなりの代償を伴って然るべき。


 どうして、わたしは生きているの?

 仕込んでおいた魔法石は、単なる回復魔法。

 命を呼び戻す力はない。

 知らない魔法を使われたとすれば、エルフの仕業としか心当たりがない。


 エルフは、わたしの命を弄ぶつもりなのか。

 生かして殺して、リルちゃんを奪った憎しみを、わたしにぶつけようと言うのか。

 リルちゃんの前でわたしを殺して、リルちゃんの意思を踏み潰すの気か。

 考えただけでもおぞましい。


 早くエルフを殺さないと。


 こうしている間にも、魔法石による回復が、わたしを修復している。

 腹に力が入ることを確認し、体を起こした。


「——っ、リル、ちゃん?」


 傍らに倒れるその姿を捉えた瞬間、黒い感情が霧散する。

 そこにはリルちゃんの他に、魔剣を突き立てられたエルフも倒れていた。


 把握。


 わたしはエルフに生き返されたんじゃない。

 リルちゃんがたすけてくれたんだ!


「き、記憶、戻ったの……?」


 魔剣が出ているということは、そこまでの記憶は戻っているあかし。

 わたしの心は一転、たまらない歓喜に苛まれた。


「〜〜!」


 声にならない喜びが、腹の奥底を揺さぶる。

 頰がいびつに歪んでいくのがわかった。

 生き返ってから初めて動く部位は、まだ自由にうごかない。


「……ひ、ひひ、リルちゃん」


 引きつった声も出る。

 こんなの、きもちわるいから聞かれたくない。

 寝ていてくれてよかった。


「信じてた、よ」


 リルちゃんならきっと、わたしのために記憶を取り戻してくれると思っていた。

 わたしが殺されてしまったのは想定外だったけど。

 リルちゃんがこうしてなおしてくてれたのは、期待以上の結果だ。

 もう、ほんとうに愛してる。

 いまのうちに抱きしめていたるところを舐め回したい。


 ……あ。


 いままで、エルフに捕まっていて、おそらくエリスにも接触していて、何をされてきたか想像がつかない。

 散々ほかの奴らに付けられた手垢を、綺麗に拭ってあげないと。


 そうだ、まずやることは、それから。

 

 リルちゃんを脱皮させて、あたらしいわたしのための体になってもらおう。


「リルちゃんちょっとまっててねぇ!」


 魔力は残っているようだ。

 思い立ったら即行動。

 リルちゃんに睡眠の魔法をかけてより深い睡眠状態にして、途中で起きないようにする。


「うふふっ!」


 わたしの体の治癒はちゃんと進んでいて、だいぶ自由が効くようになった。

 あまりの興奮に漏れた笑い声も、思った通りの物になっている。

 自由になった体を使ってリルちゃんの元に這い寄って、リルちゃんに触れる。


「ああ、だめだよ、リルちゃん! やっぱり、全部よごれちゃってる!」


 かわいそうに。

 他人の魔力、体液、臭い……あまりのおぞましさに、後悔の念がのしかかってくる。

 もっとはやく、リルちゃんを連れ戻していれば、こんなことにはならなかったのに!


「リルちゃんちょっとチクってするよ」


 風の魔法「切断」を、最小の規模に抑え、指先に形成する。

 このままリルちゃんの表面をなぞれば、綺麗に切れていく。


 最初の切れ込みを入れようと、リルちゃんの腹に手を伸ばした。


「リルちゃんの体に触れられる……! うぅぅぅ、だめ、お腹がせつない……!」


 興奮しすぎて手が震える。

 ちょっと落ち着かないと失敗しちゃう。

 後ろを向いて、深呼吸。


 ——すーはー。

 あ、だめ、リルちゃんのかほりが入ってくる。

 しみわたる。


「は、はやく済ませないと」


 息を止めて、すぐに終わらせないと我慢できなくなってしまう。

 リルちゃんのお着替えを、わたしが正気のうちにやってしまおう。


 集中して、一回でリルちゃんをさばけるように、風の刃を構築する。

 そして、一気に。


「そういうの、やめて!」


 突如、背後から両腕を固められて、リルちゃんから引き離された。

 気配は一切なかった。

 何事かと後ろを振り返る。


「……は? 誰?」


 誰かが邪魔をしてきた。

 誰かは見ても分からなかった。


「リルフィちゃんは、頑張ってあなたを生き返らせたんだよ……! そういう事するの、おかしいんじゃないかな……!」

「誰」


 落ち着けわたし。

 わかってる。

 言われなくてもわかるから言わないで。

 リルちゃんがまた新しい女を作ったのだ。

 なに、今度は年上なの?

 ああ?


「……はあ。くだらない」


 リルちゃんがかわいいかわいいのはわかる。

 誰にも渡さない。

 金縛りの魔法で女の動きを封じ、元の場所にもどる。


「リルちゃんふふふお着替えの時間だよ」


 風の魔法を再構築し、それをリルちゃんに——。




・・・・・・・・・・・




 アリアの気配を感じた。

 それに呼応するように、目が覚める。

 目を開けると、アリアの顔が正面にあった。


「あ……ホン、モノ……?」


 にこりと笑みを返される。

 声を聞きたい。

 言葉がないと、夢だと勘違いしてしまいそうで、一刻も早くそれを否定しようとアリアに触れる。


「あったかい」


 その頰には確かに熱が通っている。

 アリアが戻ってきた。

 これまでのしかかっていた重荷が、霧となって霧散していく。

 私の体は羽根のようにふわりと浮き上がり、アリアに飛びついた。

 気付いた時にはアリアの上にいた。


「……っ! ……っっ!」


 あまりの喜びに言葉が出てこない。

 自分の心臓がバンバンと胸を打つのが分かる。

 アリアも、私の飛び出そうな心を打ち返してくれる。

 きっとアリアも同じ気持ちなのだ。

 心はこんなにも湧き上がっているのに、言葉はなく、お互いを感じることに必死。


 アリアが呼吸をしていることに安堵し。

 アリアが強く抱き返してくれることに感動し。

 アリアが私を見ていることに興奮し。


 お互いに体を絡ませて、貪欲にアリアを感じ取る。

 熱が熱を生み、さらなる情欲をかき立てる。


 そう、私はここで、初めて自覚してしまったのだ。


 今まで曖昧に感じていた気持ちに、名前がついた。

 首環のせいなのか、私という人間の本能が察知したのか、どっちでもいいけど理解をした。

 ついに愛を確かめる手段を知ったのだ。


 心のつながりという曖昧なモノだと、知らないうちに離れてしまう。

 だから物理的につながることで、お互いの存在のあかしを刻みつける。

 そうして相手を束縛し、より強固な愛に進化していく。

 人間というイキモノの、当たり前の欲望。


 私はアリアの全てが欲しい。

 もう手放したくない。

 だからアリアともっと深い所まで絡み合っていきたい。


「————」


 ……しかしそれは、最大のリスク。

 拒否されればその後の関係は悪化する。

 寸前のところで、私は情けなくも、一歩を踏み出せなくなってしまった。

 たぶんアリアなら拒まないだろう。

 これまでの過酷な旅の記憶を思うと、自ら動くことに、悪い想像ばかりが先に行って、怖くなる。


 動きがないまま、抱き合う時間が過ぎていった。


「……まだリルちゃんにはむりなんだね」


 先に手を離したのは、アリアの方だった。

 熱が一気に冷める。

 アリアの声を久しぶりに聞いたけど、感動と絶望が同時に降り注ぎ、結果、何も思うことができなかった。


「リルちゃん、治してくれてありがとう! 大好きだよ!」


 一瞬だけ見せた陰りはすぐに消え、アリアは満点の笑顔で、私の頰に唇をつけてきた。


「……アリア?」


 アリアが何を考えているのか分からない。

 私のことをどう思っていて、なぜそういう表情を見せるんだ。

 全然分からない!


 私のせいだ。

 私の煮え切らない態度をとるからだ。

 せっかく取り戻したアリアの心が、また離れてしまう。


「リルちゃんのおかげですっかり元どおりだよ!」


 アリアが上体を起こし、チカラこぶを作ってアピールをする。

 そんなアリアの仕草のひとつひとつに違和感を覚えた。

 どうしても、他人行儀に思えてしまう。

 それは今だけの感覚ではない。

 エルフィードに帰ってきてから、ずっと続く距離感。


「……やだ、行かないで」


 すがりつくようにアリアの腰を抱く。

 しかしいくら体が密着しようとも、悲しくなるような寂しさは残り続ける。


「どこも行かないよ?」

「ダメ。絶対に離さない」


 アリアの言葉が信じられない。

 不安。

 どうすればアリアは戻ってくる?

 私のこの気持ちを知って欲しい。


 首環のチカラでアリアを分析する。

 アリアの健康状態はいくらでも分かるけど、心の中身は解析できない。

 ズルはできないのだ。

 自分で考えてアリアを理解しないと。


「……そうか、だからみんな、ああいうことをするのか」


 これまで共に過ごしてきた仲間が、嫌という程私に見せてきた行動。

 自己顕示、他者の排除、相手への貢物。

 私も、どれだけアリアを大事にしているか、行動で示せばいいのだ。


 ——エルフ。


 アリアを殺めたエルフを使えば、アリアが喜んでくれる。

 かつての仲間をこの手にかけて、アリアがどれだけ大事か示すことができる。


「アリア、見ててね」


 魔剣が刺さったまま倒れているエルフ。

 アリアを生き返らせるための魔力溜めとして役立った。


 アリアに見守られる中、エルフに突き立った魔剣を握る。

 このまま傾ければ出血多量で静かに死ぬだろう。

 そんな地味なことはしない。


 アリアは原型が分からなくなる程に壊されたのだ。

 その分、苦しめて苦しめないと、アリアも喜んでくれないだろう。


 刺した時と同じ角度で剣を抜く。

 放っておいても死にはしないけど、傷口からはそれなりに血が出てきた。

 剣についた血を振り払った後、エルフの髪を掴み上げ、仰向けに転がす。


「もう起きてるでしょ?」


 エルフの目は虚ろに開かれ、焦点の合わない瞳で私を見ていた。

 人間は魔力が欠乏すると廃人になる。

 エルフの場合、まだ魔力は十分にあるハズなのに、症状が出始めているようだ。


「……ぁー、リル?」


 何も理解していない様子で、私の名を口にするエルフ。


「リル! リル!」


 大きな刺し傷があるのも分かっていないのか、手を伸ばして私に触れようとする。


「リル、あそぼ、リル」


 これまでのような私の神経を逆なでするような言葉の羅列はない。

 ひたすら簡単な言葉を発するのみ。

 魔力を失ったエルフは、回復魔法を自分にかける程の知能すら失っていた。


「どこまでも勝手な存在」


 散々私に酷いことをして、アリアを殺して、最後はこんな状態。

 これでは、苦しめてもそのことを理解できないだろう。

 悔しさに魔剣を握るチカラがより強くなる。


「……リルちゃん、そんなの相手にしなくていいよ」


 魔剣を持つ手を、隣に現れたアリアが包んできた。

 そしてアリアは私にエルフを殺すなと言う。

 私がアリアを想う気持ちなんて、伝えなくていい、と。


「……アリア」


 ぽろぽろと、涙が落ちる。

 もうどうしようもなくて、泣くしかなかった。

 涙が洪水のように滴り、しゃっくりが出る。

 喉が狭まって声が出て、そこまでくるともう自尊心もクソもない。

 再びアリアの胸に収まって、子供のように声を上げてしまった。


「……リルちゃん、それでいいんだよ。落ち着くまで、ずっと、こうしてあげるよ」


 アリアに背中を叩かれながら、アリアに慰められる。

 この時ばかりはアリアが私だけを見ている気がして、少しだけ安心した。

 安心するともっと悲しくなって、他の色々な悲しいことをもろとも、アリアにぶつけた。


 アリアは全部、受け止めてくれた。




「——ふふっ。幸せ❤︎」


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