空を飛んだ魔女

 気づけば、私はエリスの胸の中に埋もれていた。


「……リルフィ、このままおねんねしようね」


 トン、トン、と背中を優しく叩いてくる。

 いいにおい。

 安心感で溶けそう。

 どうしてここで寝ているんだっけ。

 どうでもいいや。


「エリスフィア、サボらず夕食を作るように」

「……リルフィは狩りで疲れているんだ。ちゃんと頑張ったねって、褒めてあげないと」


 うん私頑張った。

 ほめてくれてとてもうれしい。


「理解した。ならばワタシが精力剤を投与するから、リルフィを渡すように」

「……だめ。リルフィが怖がるでしょう」


 ……ああ!

 乗ってる!

 エリスのおっぱいが、後頭部に乗ってる!

 なんてことダァ!


「いいからあっちいけ。今日はワタシの日」

「……ちぇっ」


 あっ……。

 エリスがどっか行っちゃった。

 さむい。

 さびしい。

 死んじゃう。


「くふふ。リルフィ、では、シツレイ」


 イヤっ!

 フローラに抱きつかれた!

 すごい舐めようとしてくる!

 お、お腹に顔を突っ込んでっ!

 キモチワルっ!


「リルフィ、嫌がってはならないよ」

「あひんっ」


 腕がチクっとした。

 そこを見ると、ちょうどフローラが私の腕から針を抜き、満足げにしているところを目撃。

 この一瞬でアヤしいクスリを打たれた。


「どう? 徐々に、イイ気分にならないか?」

「……あ、ああ……!」


 体が熱くなってくる。

 ぽかぽかして、切ない気持ち。


「くふ。では再びシツレイ」

「……ひっ!」


 感覚がやけに敏感になって、フローラに舐められた所からアタマに向かって、電撃が駆け上っていった。

 ひと舐め、ふた舐め、ふわふわする。


「ふむ。良いよ。幸せ味のリルフィ。これこそ至高」


 カラダが動かない。

 動かせない。

 地面に触れている胴体でさえ、刺激になっている。

 逃げるために動いたら、どうにかなってしまいそうだ。

 今はフローラのささやかな舌の動きだけが世界の全て。


「ワタシも契約更新すると言った。まだ記憶が混濁しているだろう。すぐに楽になるから」


 フローラが姿勢を変えた。

 小柄なフローラの体が、私の上にぴたりと重なる。

 吐息が顔にかかる距離で、視線を固定しながら、その手は全身を撫でてくる。

 し、死んじゃう——!


「さあ、コンストラクションを始めるよ——」


 視界がホワイトアウトし、私は現実世界から旅立った。




・・・・・・・・・・・




 記憶が再生される。

 フローラに出会ったのはつい最近のこと。

 だから映像は、そこから始まった。


「——お二人が学園を飛び出して、魔法学校は休校になり、私はこのグロサルトに戻って領主業を継ぐことになりましたの」


 分厚い化粧で顔を覆っている女が、話している場面。

 大きな画面の前で、私はシートに座って、それを見ていた。

 隣にはフローラもいる。


「これが、ワタシとリルフィが始めて出会った所。目覚めていないワタシはそこの雌に装備されているよ。不快」


 領主と名乗る女の向かいに、私とエリスが並んでいる所が、画面いっぱいに映し出される。

 私は自分の身を守るために、多くのひとを手にかけ、エリスと一緒に魔法学校から逃げ出した。

 そこまでがエリスに教えてもらった記憶。


「整合性は取れた? 不明な点はすぐに聞くように」


 アタマの中で、自動的に情報が保管されていく。

 エリスと王都から抜け出し、グロサルト領に行き着いた。

 そこは偶然にも、元クラスメイトのひとが領主をやっている街だった。

 状況が把握できると、現時点でフローラに聞くことが思いつかず、映像は進んでいく。


「……実は私たち、王の遺産を集めてて、えー、それがここにあると、こちらのエリスが言っていまして」


 画面の中の私が領主と交渉している。

 なんだか自分じゃないみたい。


 王の遺産は私に強大なチカラを与えてくれる魔法の道具。

 周りが敵だらけの私は、王の遺産を集めないとエリスと共に生き残れないのだ。

 だからこうして逃げつつ探しつつの旅を続けている。


 映像は飛んで、私と領主が相対する場面に。

 フローラの本当の姿は首環。

 私以外のひとが装備すると、底なしの欲望に蝕まれ、我を失ってしまう。


 映像の私は領主にその欲望をぶつけられ、洗脳を受けてしまった。

 狂っている私を、エリスが優しく抱いてくれている。

 記憶にないところでもエリス大好き。


 魔剣エリスフィアは、魔法の効果を打ち消すことができる。

 エリスのおかげで洗脳が解け、私は領主を拒否する言葉を放った。


 首環の呪いで、すでに衰弱していた領主は、私という支えを失って死んだ。


「これがリルフィとワタシの契約の瞬間。記念すべき日。確実に思い出してもらう」


 領主の首に手をかけて、そこにかかる首環に魔力を込めて。

 少しして、私は領主から首環を外した。

 そして再び場面が切り替わる。


「リ゛ルフィさまああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」


 服も顔もメチャクチャで、見るも無残に変わり果てた領主が、襲いかかってきた。

 その姿を見た瞬間、全身が総毛立ち、込み上がるものが抑えられなくなる。


「これがリルフィの記憶がなくなる直前の場面」

「——っ、うぷっ」


 寒気がする。

 恐怖だ。

 映像は容赦なく進み、領主の捨て身の魔法に私がやられた。


「い、痛い、痛い」


 私の体がぐちゃぐちゃになって、それを見ている私にも、痛みが伝わってくる。

 これは自分の記憶なのだ。

 体に残った記憶に、蝕まれる。

 思い出したくない記憶。


「くふふふふ。ワタシの名前を呼べば、終わるよ」

「呼ぶから……! ダメ、早く終わらせて!」


 フローラの名前は、映像で教えてもらった。

 だから悩むことはない。


「フローリエット……。はやく、終わらせてぇ」

「はい、契約完了」




・・・・・・・・・・・




 ……終わった。


「リルフィ、気分はどうだい?」

「最悪」


 体がだるくて動かしたくない。

 あんなにも穴だらけにされた腕や足が、いまさら動くとは思えない。

 実際にここまで自分のチカラで歩いてきたのだけど。

 やっぱり思い出さない方が良かった。


「ワタシの使い方を思い出したね? それで自分を見てみるといい」


 フローリエットの首環に手をあてる。

 これには、知りたいことが見えるようになる魔法が込められている。

 その能力を使って、私自身の体調を見てみた。


 ——リルフィ・ノーザンスティックス。

 身体に問題はない。

 度重なる事件のせいで、精神は崩壊寸前らしい。

 そして、未だに記憶喪失が残っている。


「……なんか、自分のコトなのにひとごとみたい」

「知識を得るのは、そういうもの。情報は客観性が重要」


 目を開けるとフローラの顔。

 膝枕をされていた。

 何を考えているのか、まったく読めなかったその表情も、首環を通すと見えてくる。


 状態異常、発情。


「ヘンなコトしてないよね」

「………………、してない」


 チカラがなくても分かる。

 絶対に何かされた。

 体のあちこちにを触って、どこかおかしな所がないか調べる。

 でも、分からなかった。


「してない」

「……こいつ、リルフィのよだれを採取してたよ」


 やったあエリス大好き。

 フローラから飛びのいて、こっちに来てくれたエリスにしがみついた。

 ついでにエリスの状態も見ておく。


 魔剣エリスフィア。

 メトリィによって造られ、エルフィードを守る剣として働いた。

 初代国王の亡き後、ビザール男爵に管理され、数百年の時を経て自我が芽生えた。

 私と契約してからは幸せの最高潮。

 現在の状態、発情。


「……ふふ。あっちでご飯食べようね」

「うん!」


 エリスならどんなことがあっても大丈夫。

 だってずっと一緒に過ごしてきたし。

 フローラを置いて焚き木のところへ逃げた。


 野営地は火を隠すために岩陰に作ってある。

 本当はアリアがやっていたみたいに、魔法で壁に穴を開け、その中で過ごした方が安全だ。

 でも私にはそこまでの技術がないから、あるもので済ますしかない。

 屋根がないのが心もとない。


「……リルフィがとってくれたカニ。いい出汁が取れたよ」

「いい匂い!」


 野営を作る前に、岩に擬態したカニを拾った。

 擬態に全力を注いでいるらしく、大した抵抗もされずに仕留められた。

 今回はたまたま見つけられたが、次はないかもしれない。


「……よそってあげる。それで食べさせてあげる」

「その前にワタシ特製の魔法の粉はいかが?」


 後を追ってきたフローラがでしゃばる。

 アヤしいものを突っ込もうとして、鍋に近づいたフローラをエリスが蹴飛ばした。

 フローラは残念そうに、自分でスープをお椀に盛り付け、そこに大量の粉を投入した。


「……ああ、ボクの完璧な味付けが……」


 エリスが悲しがってる!

 なんてヒドいことを!


「いただきます」


 呆然と立ち尽くすエリスを前に、フローラはカニ汁をすすった。

 それを飲み込んだ途端、フローラは目を見開き、発光した。

 文字通り、髪と目が緑色に光って、さすが精霊さまだと関心する。


「うんまぁぁいっ!!」


 これまで過ごしてきた中で一番大きい声。

 フローラという個性が崩壊するほどのモノに、ほんの少しだけ興味がわく。

 すぐにアタマを振って、心の中でエリスに謝った。


「……さあ、あんなやつは放っておいて、ボクたちはボクたちで始めよう」


 フローラが光ったせいで、敵に見つかったのではないかと不安になる。

 周りを見渡して警戒。

 耳をすまして近づいてくるものがないか確認。


 ……。


「——っ!」

「……どうしたのリルフィ」


 捉えてしまった。


「フローラのバカっ!」


 どこから来るか、方向はわかった。

 エリスとフローラの襟首を引っ張って、こちらに接近するモノから隠れるように、岩場に飛び込む。

 気配は道の向こうではなく、なぜか岩肌の方向から感じる。

 魔物か、それ以外か。

 どちらにせよ、魔剣を取り出して備えた。


「来る」


 エリスのチカラがなかったら、不意打ちでやられていただろう。

 魔剣による身体強化のおかげで、向こうの動きはよく分かる。

 高速で移動するそれはもう、すぐそばまで接近していた。


 相手にこちらの動きを悟られないように、じっと待つ。

 身動きひとつ取らないように、エリスとフローラの口を塞ぎ、存在感を消す。


 ——気配が、すぐ近くまで来た。

 顔を出せば、それを視認できるだろう。

 速度はなおも変わらず、空を飛んでこちらに向かっている。

 ふたりのアタマを押して、地面に伏せた。


 着地。


 と、言っても良いのだろうか。

 私たちが隠れている岩石の、ちょうど向かい側で、大きな破裂音がした。

 柔らかくて、水っぽいものがぶつかった音。


 …………。


 数分待って、相手に動きがないことを察知する。

 それならば、次は偵察だ。

 エリスとフローラをその場に待機させて、私は移動を始めた。


「……死んでる?」


 岩に当たって息絶えたか。

 生き物の気配はなく、少し警戒を緩めた。

 漂ってくる生臭さに、相手の死を確信しながら、明かりの魔法を唱えて着地点を覗き込む。


「うわ」


 一面の液体が、光に反射した。

 赤い飛沫が、ありえないほど広範囲に散っている。

 水の入った大きな袋が、破裂したような有様。

 その袋は、岩肌に張り付いていた。


「あー、かわいそうに」


 原型が分からないほど、色々な所が破れて、中身が出ている。

 足も手も胴体も自由気ままにねじ曲がって、好き放題に絡まってるから、魔物か人間かすら判別できない。


 死体をじっくり観察するのはよくないけど、こんな時だ。

 首環のチカラを使って、改めて見直してみた。


 肉塊についた注釈。

 アリア・ヴァース・C・C・エルフィード。

 状態は死亡————。




「…………??」


 体が勝手に動く。

 その肉塊を手に取ると、ぼとりぼとりと中のパーツが落ちる。


 落ちたものを拾い上げて、元の場所におさめる。

 フタがないからまた落ちる。


 ぼとり。


 それは肉塊の中におさまっていないとダメなもの。

 落ちないようにいたるところの穴を押さえていくと、肉塊を全身で抱くような姿勢に。


 体じゅうが液体まみれ。


 どうしてこんなことをしているのかわからない。




「……リルフィ、ばっちいよ」


 愛しのエリスが引き剥がそうとしてきたけど、離せなかった。


「リルフィ、それは死体」


 フローラに諭されても、拒絶。


 その肉塊を持ったまま、ふたりから離れる。

 いつのまにか走っていて、いつのまにか行き止まりにいた。


 そこで持っていたものをおろした。


 もう一度観察。

 アリア・ヴァース・C・C・エルフィード。

 状態、死亡。


 魔剣を取り出していた。

 それでまた観察。

 

 アリア・ヴァース・C・C・エルフィード。

 状態、死亡。


「——っ」




 魔剣を自分の腹に刺した。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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