欺瞞に満ちた福音
私はメロディアと名乗る女のひとに運ばれていた。
いわゆるお姫様抱っこ。
その状態で街の外へ進んでいるのだ。
少なからず信頼していたひとの豹変に、絶望がさらに深まる。
逃げ道が全てふさがれて、どこに行っても自由になれないのだと、体からチカラが抜けていった。
「リルフィ様! ああリルフィ様! 生きていらっしゃるのなら早く教えてくださればよかったのに! わたくし、こんなところでくだらない
愛するもなにも、そもそも女同士。
みんななぜ大前提を無視するのだろう。
言葉を重ねるごとに、メロディアの勢いに、危険な雰囲気が増して来る。
目が充血して、息が荒く、汗が垂れてくる。
私を抱っこする手が強く握られ、膝裏と脇腹が痛い。
「——っん! リルフィ様、失礼っ!」
視界がメロディアの側頭部で埋められる。
私のお腹に顔を埋めて来たのだ。
ローブ越しにものすごい勢いで深呼吸をしている。
お腹が熱くなったり涼しくなったりが数回。
メロディアはいきなり私を地面に下ろして、背を向けた。
「——オエーーッ! エホッエホッ! 臭い、臭すぎる!」
……。
「……あの、ご、ごめん、なさい」
完全に被害者の立場だけど、ここまで露骨に酷評されると申し訳なく思う。
思わず自分のにおいを嗅いでみて。
……そこまで悶絶するような悪臭は発していない、と思う。
「ぺっぺっ! 最悪です!」
「…………」
……好意を押し付けられるのは怖いし困るけど、嫌われるのも辛い。
お腹が痛くなる。
私はここにいない方がいいんだ。
このまま静かに立ち去って、エルフさまに拾われるのを待とう。
死にたいとは思っても、結局そんな勇気はないのだと、少し時間が経って思った。
早速第一歩を踏み出そうとすると、背後から肩を掴まれた。
そのまま抱かれた。
そして持ち上げられた。
「……すぅーー。いえ、違うのです。リルフィ様は素晴らしき芳香ですが、そこに上書きするように塗りつけられた、とてもとっても臭いにおいがあるのです。ええ、それはもう、醜悪な魔物の香りですね。魔物を煮詰めて腐らせたような、悪臭。それが大半ですが、他にも生理的に嫌なにおいも複数あります。リルフィ様、一体どこでなにをなさっていたのでしょう」
頰を突かれながら、言い訳を並べられる。
どうしてそこまで嗅ぎ分けられるのかと、こっちが質問したい。
「こうなればさらにヤることが増えました。リルフィ様、詳しい事情はその後で。わたくしもう我慢なりません」
ここでも私の意思は後回しにされ、相手の思うがままにことが進んでいく。
裾の長い修道服で器用に走り出すメロディア。
その揺れを全身に受けつつ、人間同士であれば、神さまにされるような酷い扱いは受けないだろうと、軽く考えていた。
しばらくして着いた建物。
石造りの二階建てアパート。
メロディアが言っていた寄宿舎だろう。
「わたくしの部屋は二階の角部屋! 隣は空き家! いくら大声を出しても大丈夫ですからね!」
階段を駆け上がり、一旦下ろされて入り口の施錠を解く。
「……あれ、鍵閉めるの忘れましたかね」
よくあることなのか、大して気にした様子もなく、手を引かれて中へ。
ほんの短い廊下の先に、一部屋。
——そこに先客がいることには、すぐに気づいた。
「何者ですか!」
手近なところに武器はなかったけれど、メロディアは私の前に立って身構えた。
メロディアの問いに答えるように、ふたりの人間がこちらに振り返る。
「……お帰りリルフィ。その様子だと、随分酷い目にあっていたようだね。おいで、今までできなかった分、いっぱい甘えていいよ」
「ワタシの推測通りに、しっかり来たようだ。リルフィはワタシらが管理せねばならない。そしてリルフィが幸せになったら、リルフィの分泌シグナルを頂戴する」
まるで自宅のように床に座って、くつろぐふたり。
エリスとフローラ。
「お前たち、わたくしの家で何を! なぜリルフィ様のことを知っているのです!」
メロディアの言葉を無視して、エリスは立ち上がってこっちに来た。
当然、メロディアがエリスを突き飛ばす。
しかしエリスは何事もなかったように平然と体を起こし、再びこちらへ。
「一体、なんなのです!!」
攻撃をしてくる気配がないエリスに、今度は蹴りを入れるメロディア。
腰の入った一撃で、エリスは吹っ飛ばされて、壁に激突する。
鈍い音。
「このぉ……!」
さらに追い討ちをかけようとするメロディア。
その修道服の端を持って、引き止めた。
「し、死んじゃいますから」
「構いません! 侵入者に慈悲などいりません!」
私がメロディアと話す短い間に、エリスはまた、普通に歩いてきた。
それに対して、メロディアは私の手を払って、今度こそエリスを手にかけようと相対する。
これが殺意。
アリアが放っていたものと同じような、ピリピリした感覚。
「その窓から出て行きなさい」
それは最終警告だろう。
しかしエリスはメロディアの存在を気にもとめず、ゆっくりと歩み寄ってくる。
「……そうですか、分かりました」
その言葉を聞いた瞬間、メロディアの姿が消える。
エリスの全身があらわになり、その頭部はいつの間にか後ろを向いていた。
後ろ向きだから、両側に結わえられた髪が揺れるのが見える。
体はこちらを向いていた。
——アタマとカラダが正反対の向き。
それは、メロディアがエリスを殺した瞬間の映像だった。
「うう、気味が悪い……! これはリルフィ様についた臭いと一緒……!」
そう言ってメロディアが手を離し、蹴り飛ばすと私の足元にエリスが転がって来る。
一方で、奥でお茶を飲んでいるフローラの姿が目についた。
「そ、そんな……エリスが……」
「リルフィ様、お目汚しを失礼しました。あと残り一匹、どうか耐えてくださいませ」
メロディアが背を向ける。
その瞬間、目の前にある死体の、手の指が動く。
指から手、手から腕へと動きが広がり。
起き上がった。
「ひっ……」
「なっ、リルフィ様!」
フローラを殺したばかりのメロディアは、間に合わない。
エリスは平然と、私に接近する。
「……痛かったよ。けど、リルフィの方が何倍も何倍も、辛い思いをしている。そんなリルフィを、ボクは癒してあげなければならないんだ。リルフィのお世話をすることが、ボクの使命」
手で首の方向を戻してから、一、二、三歩と近づき、エリスの服が私に触れる。
そして、抱きついてきた。
「……リルフィ、ふふ、リルフィ、このままボクのおむねのなかで、ぐっすり眠るといいよ。契約更新だ。何もないリルフィは、ボクだけのことだけを考えられるように、記憶の底を、呼び出そう、ふふふ」
——。
白い空間。
・・・・・・・・・・・
私は魔法学校の講義室に立っていた。
夢ではない。
回想でもないから、自分の意思で自由に動ける。
今までメロディアの家にいたのに、エリスに抱きつかれて、視界が真っ白になったと思ったら、この場所だ。
周りには誰もいない、と思っていると、前の扉からぞろぞろと学生が入ってきた。
見覚えがあるような気もするが、そもそも他人に興味がなかった私には、どうでもいいこと。
「……リルフィ、授業始まるよ」
教室の中で唯一目立つ、エメラルド色の髪を揺らし、私を席に誘導する。
「……はい、エルフィード史の教科書だよ。あと筆記用具も」
エリスは私がして欲しいと思ったことを全部やってくれる。
授業でわからないことがあれば丁寧に教えてくれるし、普通に授業を受けるよりも面白い。
先生なんていらないくらいだ。
『——はいそれでは授業の時間です。着席!』
エルフィード史のリオ先生が講義室に入ってくると、みんな静かになった。
リオ先生が教卓で準備をする間に、教科書を開いておく。
「……リルフィ、ここだよ」
「お、ありがと」
これもエリスがやってくれた。
もうエリスがいれば私幸せ。
エリス大好き。
「前回の復習です。ではリルフィ様、簡単にストーリーをお話しくださいませ」
急に当てられた。
びっくりして立ち上がるが、頭の中が真っ白になって話せない。
エリスに助けを求めよう。
「(……始祖メトリィは生涯で40人の子を産み、エルフィード王国を発展させた、だよ)」
その40人がまた増殖した結果が現在。
そう考えるとここにいる私たちはみんな親戚みたいなものだ。
メトリィさま頑張りすぎ。
よっぽど初代エルフィード国王が好きだったんだろうなぁ。
「あるぇるぇ〜?? リルフィ様、お友達に聞かないとわからないんですかぁ〜? コホン、出来の悪いリルフィ様は罰としてあとで私の部屋に来るように」
エリスに聞いたせいで、大目玉を食らってしまった。
エリスに頼りっきりでいいやと思ったけど、もう少し自分のチカラでも頑張らないと、と反省。
軽く謝ってから着席し、授業に入る。
周りのひとがこそこそ話をしている。
私のことを笑っているみたい。
「……大丈夫。ボクが守るよ」
と、私のアタマを抱いてくるエリス。
ヒソヒソ話は聞こえなくなったけど、大きな舌打ちの音だけは聞こえた。
怖い。
エリス助けて。
「……ふふ、子守唄を歌ってあげるね」
エリスの腰をぎゅっと掴むと、私だけに聞こえる声で、静かに歌を歌ってくれた。
これで怖いものはない。
安心。
…………。
……。
落ち着きすぎて寝てしまった。
起きた時には授業が終わっていた。
エリスにあとで教えてもらおう。
エリス大好き。
そういえばリオ先生に呼び出しを食らっていた。
きついお叱りが待っている。
ちょっとガマンして、エリスにいっぱい慰めてもらおう。
私はエリスと一緒にリオ先生の部屋の前まで移動した。
エリスにはここで待ってもらい、私は扉をノックした。
うう、心細いよ……。
「入りなさい」
リオ先生の許可が聴こえて、扉を開けた。
リオ先生の銀髪が見える。
後ろを向いていて機嫌が悪そう。
そーっと入って、リオ先生のデスクの前で気をつけ。
お叱りの言葉を待つ。
「……リルフィ様。私はもう見るに耐えません。お分かりですか? ご自分がなさっていることを」
静かに怒る系のひとだ。
私的には怒鳴られるよりも怖い。
「……すみません」
深い深いため息で返事をされる。
謝っても意味がないでしょうと言外に示している。
振り返ってみると、授業の最初に怒られた直後、居眠りをかましたのだ。
ものすごいフリョウである。
ごめんちゃい。
「……っ」
リオ先生がキレた。
振り返って、プルプルと震えながらデスクを回り込んで歩いてくる。
まずい、ぶたれる。
リオ先生が真横に立つと同時に、目を閉じて歯をくいしばる。
「なぜ……」
リオ先生が真横から、真ん前に移動する。
今度こそぶたれる。
「なぜリルフィ様は、そんなにも愛らしいのですかぁぁぁぁ!!」
え?
予想していた叱責の声との違いに目を開けると、私につかみかかってくるリオ先生の姿が。
「もう! もう! リルフィ様が悪いのです! 自業自得です! 恨むならご自身を恨みなさい!」
リオ先生に押し倒されて、仰向けになる私。
追い打ちをかけるように馬乗りになって、制服のボタンを外してこようとする。
「——!?」
まるで意味がわからないが、先生の手を精一杯押しのける。
先生は独身貴族で女のひとで、私を襲う理由がない。
「はぁ、はぁ! みんながリルフィ様を狙っています! ならば取られる前に私が……先生として先に私が、いただかないとねぇぇぇ!!」
「や、やめて、先生っ!」
圧倒的なチカラ関係。
馬乗りと下敷き。
先生と生徒。
大人と子供。
抵抗は意味をなさない。
先生の手を掴んでこっちに来ないようにしていると、顔が近づいてきた。
舌を出して、それが私の口に向かっている。
「ダメ……っ!」
「ダメじゃないでーす! ふふふふふ、興奮するのでもっと嫌がる表情を見せてくださーい!」
タガが外れたように、先生は欲望を私に吐き出してくる。
生暖かい息が顔にかかり、先生の舌が私の唇に触れてしまいそうになる。
両手は先生の手をどけるのでふさがっていて、体は先生の体重がかかって動けない。
もう、ダメかと思ったその時。
「……リルフィ、大丈夫」
エリスの声が聞こえた。
エリス助けて。
「……ボクは助けられない。よく思い出すんだ。リルフィはそこから、抜け出すことができるよ」
エリスが見ている。
先生はエリスのことなんて気にせず迫ってくる。
思い出せって言われても……!
「エリス、エリスぅ……!」
「……そう、ボクの名前を呼んで」
呼んでるって!
助けてよ!
「……ボクの本当の名前。呼んでくれれば、助かるよ」
「エリス、……?」
本当の名前って、どういうこと?
私がそれを知っているって?
「……自分を信じて。できたらいっぱい、褒めてあげる」
エリス、エリス……。
知っている。
最初に散々呼んでいたじゃないか……!
「エリス、フィア……?」
「……うん、うん、よく思い出せたね。えらい。じゃあ、魔力を込めて、もう一度呼んでみよう」
魔力を込めるって……?
考えているヒマはない。
とにかくできる限りのことをしないと……!
「——エリスフィア! 私を助けて!!」
「……仰せのままに」
力の限り、叫んだ瞬間。
「——ギッ」
先生の体からふっとチカラが抜けて、動きが止まった。
そのまま線に沿って、横になだれ込む。
線。
それは私の顔の上から、頭のすぐ横に向かって、ナナメに刺さった剣のこと。
リオ先生の顔は剣の腹を通って、私の上から床へいってらっしゃい。
目的地に着くと、脳みそが入れ物から出勤してしまった。
今日の先生のお仕事は天国だ。
『ひ、人殺し——』
誰かの声が聞こえる。
見られてしまった。
先生が逝ってしまい、私はここにいる。
そうなれば、結論はひとつ。
すぐに駆けつけたひとびとに私は拘束され、大きな講堂に連行された。
『——リルフィ・ノーザンスティックス。貴様に処分を下す』
偉そうな校長の前に、他の多くの教師の視線を浴びながら、私は立たされている。
「……リルフィは何もやっていない。この子はそんなことをするような子じゃない」
エリスだけが私を擁護してくれる。
でも、そんなことをしたら。
「罪人をかばうとは、さてはお前も共犯者だな」
最悪の事態。
冤罪のパーティ。
「……ふむ」
校長がその後ろの教師陣と、コソコソ話をしている。
「……貴様の処分が決まった。死刑だ」
四方八方から、兵士が私を取り押さえにくる。
私はそれを。
魔剣エリスフィアを持ち、それらを切っていった。
エリスを守り、自分を守るため。
極めて作業的に、ひとつひとつ対処した。
気づけば、私はエリスとふたりで、学校の外に。
————。
「そうか」
「……思い出した?」
エリスの肩を抱き寄せ、全てを悟る。
これは、私の記憶。
私は魔法学校にいられなくなって、ここまで逃げてきたんだ。
エリスは私が小さい時からずっと、そばにいて守ってくれた。
エリスの正体は、魔剣エリスフィアの精霊で、王の遺産と呼ばれる魔法の武具のひとつ。
昔、契約者を探し歩いていたエリスに、たまたま私が気に入られた。
そのおかげで、今がある。
もう頼れるひとはエリスしかいない。
エリスだけが私の味方。
つっかえていたものが取れた気分。
「……いいよ、リルフィ。これで契約は更新されたよ」
「うん。エリス。いままでありがとう」
記憶の再生が終わり、私は現実に戻ってきた。
エリスに抱かれたままの状態で、目がさめる。
エリスの手が離れると、とたんに不安な気持ちが増してくる。
それでも、私は頑張らないといけない。
ここはメロディアの部屋。
エリスを傷つけたメロディアは、敵。
「……リルフィ、早くここから逃げ出そう」
「エリスがそう言うなら」
運動音痴なエリスの手をとって、メロディアの部屋を後にする。
「リ、リルフィ様!!」
「おっと、キミは少しここで休んでもらう」
追ってこようとしたメロディアを、どうやらフローラが足止めしてくれたようだ。
私たちはなんの障害もなく、抜け出すことができた。
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