再三再四の受難

「——おいリル、散歩行くぞ」


 エルフさまの一声で、私は飛び起きた。

 エルフさまの足元からエルフさまを見上げ、エルフさまの言葉に思いっきりの笑顔を向けて、待機する。


「良し良し、嬉しそうな顔しよって。仕方ないなあ」


 そうすれば、エルフさまは満足げな表情をする。

 私も嬉しい。

 エルフさまと私は、神と人間。

 逆らえば魔法でお仕置きをされ、飽きられれば捨てられる。

 アリアも今ごろ、ゴミのような扱いをされているに違いない。

 エルフさまに手を出そうとしたアリアは、エルフさまだけではなく、エルフィード王国の敵なのだ。

 私はエルフさまに従順だから、こうしてお情けをもらえる。

 しあわせだなあ。

 

「ニンゲンさんの集会の前に、行くんね」


 エルフさまは一日一回、メトリィ教の信者に姿を現わす。

 私たち人間からすれば、神のお告げの時間だ。

 エルフさまから見ると、お供え物の食べ物や、日用品などの回収の時。

 エルフさまに従順であれば、うまくやっていける。

 むしろこの上なく幸せな生活を送ることができる。

 私はエルフさまに直接面倒を見てもらえる、人類で最も幸福な人間だ。


 散歩の時間は、毎朝決まって日の出の時間に始まる。

 神殿の頂上から見る朝日が、世界を照らすその瞬間を見せてくれる。

 同時に私はエルフさまに感謝をする。

 エルフさまも喜んでくれる。

 みんな幸せ。


 散歩が待ちきれないことを示すために、エルフさまより先に飛び降りる。

 目をつむって、このまま死ねば————……エルフさまの魔法のおかげで、問題なく着地をする。

 エルフさまににこのワクワク感を示すと、困った顔で撫でてくれる。

 エルフさまの魔法をこの身で受けられて、すごくしあわせ。


 エルフさまの部屋の外では、四つん這いで移動しなければならない。

 人間ごとき、神さまを見下すのは無礼。

 他の人だって、エルフさまを見るとひざまずく。

 私だけ立っていると、周りからヒソヒソ声が聞こえてくるのだ。

 だから私もみんなと同じようにする。

 でも私がひざまずいたら移動できないから、這って移動するのだ。

 エルフさまといっしょにあるけてこのうえなくしあわせ。


 私はエルフさまが歩き出す前に進む。

 鎖の音がして、首輪が皮膚に食い込んでくるけど、構わない。

 エルフさまを引っ張っていく勢いで腕と足を動かす。

 おさんぽのじかんはすごくうれしい。


 祭壇を降りて広場を抜け、市街地へ。

 今日のメトリィ教の信者たちは、朝の修練として大声で教義を読み上げていた。

 それがあちこちの建物の中から聴こえてきた。

 誰が一番大きな声を出せるか、競争しているようだ。


 私は首を左右に振りながら道を進む。

 どこかにアリアが————……、散歩に行くのが嬉しすぎて、ついキョロキョロして景色を楽しんでしまう。


「これこれ、そんな興奮するでない。走るの疲れるん」


 止まる。

 めいわくをかけてはいけない。


「ん? どしたん? ……うんこか?」


 エルフさまが言うのなら、ここで排泄をしなければならないのだけど、残念ながらまだ信仰心が足りないようだ。

 エルフさまへ、違うという意思表示をする。

 それでもエルフさまがスカートをめくろうとするから、するりと普通の速度で進み始める。

 今度は興奮しすぎないように気をつけないと。

 エルフさまの歩く速さに合わせて、私も横を這い進む。


 途中、とがった石を踏んでしまい、膝から血が出てきた。

 気にせず進む。

 傷口が開き、進んできた道に赤色の線ができる。

 そのまま出血多量で死ねば…………。

 エルフさまが私の顔を見てくるので、笑顔を返す。

 膝は痛いけれど、私なんかがエルフさまの足を止めるワケにはいかない。


「……あ! リル、血が出てるん! どこじゃ! 見せてみぃ!」


 エルフさまが地面の赤い線に気づき、鎖を引かれた。

 見せろと言われたので、四つん這いから三角座りに変える。

 血だらけで、泥だらけな膝があらわに。

 アタマを抱かれた。


「ごめんな、ごめんな。もっとリルのこと、ちゃんと見んと。またリルがどこかに行ってしまうん」


 回復魔法により、痛みと傷が一瞬でなくなる。

 水魔法で血が洗い流されて、すっかり元通り。

 エルフさまにアタマを擦り付けて、感謝の意を示した。

 ぐりぐりぐりぐりと髪の毛と石ころが混じるのも気にせず、エルフさまに誠意を見せる。


 エルフさまに迷惑をかけたらもっと痛いことをされる。

 だから従順に。

 私はエルフさまに気にかけてもらえて幸せ。

 世界中で最も幸せ。

 これ以上望むものはない。




 ——————。

 

 ああ。

 惨め。




 …………死にたい。



 ハッキリと、その言葉が現れると、そのままアタマに染み付いて消えなくなる。

 そして私を蝕んでいく。


 死にたい、死にたい。

 死にたい死にたい死にたい死にたい。

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい!!

 

 言葉が倍に倍に、増殖する。

 こんな惨めな姿で、ムリに表情を作って、心にもない感情を見せる。

 情けなくて、もう終わって欲しい。


 アリアに会いたい。

 アリアの声を聞いて、触れ合いたい。

 あの温もりが欲しい。


「……リル!? 泣いておるんか!? まだどこか痛むん!? 見せろ見せろ!」


 エルフさまに服を脱がされる。

 抵抗すると魔法でおさえつけられて、ムリヤリ取ってきた。

 街の中、道のど真ん中で、私は生まれたままの姿に。


 体はどこも痛くないのに、全身を弄られ。

 回復魔法を使っているのか、触られたところが熱い。

 どんどん気持ち悪くなっていく。


「ど、どうしてじゃ! リルはなぜ、そんな苦しそうなん!」


 肩を抱いてうずくまる。

 そうしないと見えちゃうから。

 でも、私の、人間の意思は、神さまにことごとく無視される。


「顔を上げて、言ってみい!」


 鎖を引っ張り上げられて、首が閉まって息がつまる。

 呼吸を求めて首輪を掴み、上を向く。

 辛い、悲しい。


「……ぁ、……ぁ」


 アリア助けて。

 もう何度も心の中で唱えた言葉。

 その呪文が心から声に、漏れ出してしまう。

 魔法の言葉が神さまに伝わると、急に首輪が緩まった。


「……………………ア、リ、ア、だと………………?」


 ほとんど潰れていた私の言葉を、エルフさまは聞き逃さなかった。

 きっとまた、光を失った瞳で虚空を見つめているのだろう。

 その視線の先は、アリアの幻。


「……んふっ」


 エルフさまは笑った。


「エルフはニンゲンさんに手を出しちゃならんって、決まりなんな? わっちも一応、守ってるん」


 アタマを撫でられて、耳元に優しいささやき。


「アリアはニンゲンさんじゃない。そうな、ニンゲンさんじゃないんじゃ。ニンゲンさんじゃなければ、わっちもしきたりを守る必要がないねん。そうそう、リルもアリアのこと、ニンゲンさんじゃないって思っとるな? な? な?」


 勝手に首が縦に振られる。

 エルフさまは満遍の笑みを見せてくる。


 そして急激に顔から表情がなくなり、辺りの温度が下がった。




「…………リルの前でアリア殺したら、諦めてくれるかな…………?」


 エルフさまの手から鎖が離れ、音を立てて地面に落ちる。

 あれほど私に固執していたエルフさまが、ひとりでフラフラ歩き出す。

 私と、不穏な空気を置いて、どこかに行ってしまった。


 エルフさまが何をしようとしているか知っていながら、動けない私。

 再びうずくまって、泣くことしかできなかった。


 アリアが捕まってから何日も経っているけど、アリアは生きているのがわかった。

 でもこのままだとアリアが殺されてしまう。

 人間はなすすべもなく、エルフさまに蹂躙される。

 私は神さまの怒りを買ってしまったのだ。

 然るべき罰。


 ……アリアが殺されるなら、私も一緒に殺してほしい。

 どうして私は生かされているのだろう。


 私が全部思い出せば、全て解決するのだろうか。

 神さまをも倒すチカラがあって、物語の英雄のように、アリアを助け出すことができるのだろうか。


 なら、早く思い出して。


 機能しないアタマを、地面に打ち付ける。

 アタマの中が揺れて、後から痛みが来る。

 その痛みに負けないように、もう一度アタマを地面に落とす。


 早く思い出せ。

 役立たず。


 痛さを感じる前に、次の打撃。

 何度も、情けない私を罰する。


 早く。

 早く!


 ——段々と、私の体が罰を拒否して、動かなくなってしまった。

 うずくまっている姿勢も保てなくなって、石の地面に寝そべる。


 結局、何も思い出せなかった。


「……もし、そこの貴女」


 声。

 私はハダカで、そのひとには丸見え。

 アタマが機能しないから、どうとも思わない。

 めんどくさい。


「貴女です。貴女。参道で会いませんでしたか?」


 その言葉を聞いて、ゆっくり顔を上げた。

 眩しい。

 私のことを唯一知らないひと。

 それでいて、私のことを助けてくれるひと。


「……っ! あ、貴女は、……ん、どうして、そのような格好を?」


 シスターさんは、純白のローブを脱いで、私にかけてくれた。

 修道服を着たシスターさんの姿があらわになる。

 キレイな女のひと。

 肩口まで切りそろえられた、さらさらな金髪。

 シスターさんは私の服を拾い、小脇に抱えて戻ってくる。


「……しばらく、他の街に巡礼に行っていたので、シエルメトリィの出来事を知りません」


 初めて会った時のように、手を差し伸べられた。

 だるい体を起こすと、額から血が垂れて来る。

 シスターさんのローブを汚さないようしつつ、袖を通した。


「修練の罰でもこのような仕打ちは存在しません。貴女の身に一体、何が起こっているのですか」


 言葉の端々から、シスターさんの怒りが伝わってくる。

 見ず知らずの私のために、怒っているのだ。


「……いえ、まずは場所を変えましょう。そのような格好ではいけません」


 シスターさんが回復魔法を唱え、アタマの傷を癒してくれた。

 でも、急に気持ち悪くなって、さっきエルフさまに魔法をかけられ続けたこともあり、抑えきれずその場に吐いてしまう。


 すぐにシスターさんが背中をさすってくれた。

 水魔法で道路を洗い流すところを見て、またも気分が悪くなる。


 ……体が魔力を拒否している。

 人間の生命の源である魔力は、なければ廃人になる一方、あればあるほど幸福感が増すハズ。

 学校ではそう習うのだ。


 エルフさまのケタ違いの魔力を受け、感覚がおかしくなったのかな。

 魔力を拒絶するなんて、人間じゃない。


「寄りかかっていいですよ。ゆっくり、進みましょう」


 シスターさんの言葉に甘えて、肩を預けた。

 適度な心の距離感。

 付かず離れずの状態でいることが、心地よい。

 しばらく何も考えず、シスターさんの歩みについていく。


 一歩一歩。

 アリアのことが気になって探してしまう。

 でも見つけたくないという思いもある。

 アリアの生死が分かってしまう。


「……最近わたくしは、大切な人を失ってしまいました」


 上の空で歩いていると、おもむろにシスターさんが語り出す。


「当初は悲しみに埋もれ、無力感に打ちひしがれながら、怠惰な日々を過ごしておりました。お恥ずかしいことですが、あまりの堕落した生活に、わたくしは穀潰しと成り果て、ついには親族に見捨てられ、シエルメトリィに送られたのです」


 今のシスターさんの様子からは、その堕落した状態なんて想像もつかない。


「……そう、丁度、貴女にそっくりな、生き写しのような、最愛の人。わたくしはその方の弔いをするために、シエルメトリィから離れていたのです。ようやく整理がつきました」


 ちょっと離れる。

 愛だなんだの話からは、距離を置きたくて、体が勝手に動いてしまった。


「貴女も、大切な人がいるなら、出来るうちに失くさないように努めなさい。……と、記憶を失っているのでしたね。失礼しました」


 立ち止まる。

 どうせ何もできないからと、諦めかけていたのに、もっと不安になってきた。

 このままシスターさんに連れられてもいいのだろうか。


「どうしましたか」

「……ぁ、アリア、を」

「アリア!?」


 今まで物静かにしていたシスターさんが大声で反応し、私の目の前に向き直った。


「ア、アリアって、もしや、アリア・ヴァース……?」


 頷く。

 でも、どうしてシスターさんがアリアのことを知っているんだ。

 その変わりようは、まるで、さっきのエルフさまのようだ。


「いや、偶然の一致にしては……。も、もももももも、もしかして、あ、貴女の名前」


 胃がキュウと締まってってくる。

 このひとだけは普通だと思っていたのに。

 ……これじゃあ、まるで知り合いの表情だ。


「リ、リルフィ、様……? そっくりではなく、ご、ご本人……?」


 めまいがして、近くの壁にもたれかかる。

 逃がさないとでも言うかのように、シスターさんがぴったりついて来る。


「わたくしです……! 貴女のメロディアです……!」


 知らない名前。

 知らないひとが、抱きついてきた。


「生きてて、よかった……!」


 匂いを嗅がれる。

 首筋を舐められる。

 マーキングするように、体を押し付けられる。

 

「わたくしの、最愛の人! ああ、わたくしがこの地に送られたのも、きっとメトリィ様のお導き……! 運命っ!」


 背中と膝裏に手を差し込まれて、持ち上げられた。

 抵抗はできなかった。

 だって——。


「さあ、リルフィ様。わたくしとエルフィードに帰りましょっ♪」


 ——私を見るその瞳が、ほかのみんなと同じように、光を失っていたから。

 

 

 

 

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