我欲を満たす礼拝
エルフさまと神殿の頂上から飛び降り、その着地点。
祭壇の上に私たちがいて、下にはひざまずいている信者たちが数えきれないほどいる。
エルフさまが民衆の前に堂々と立ち、左から右へと見渡した。
いざ演説が始まろうとした際、エルフさまは私をつないでいる鎖を引っ張った。
「リル、アリアがおるぞ」
その名前を聞いて、反射的に顔を上げた。
祭壇の上から身を乗り出して、見知ったあの黒い髪を探す。
示された方向を見ると、すぐに見つかった。
アタマを地面につける信者たちの中で、棒立ちになっているひと。
間違いなくアリアだ。
フローラとエリスもいる。
助けにきてくれた……?
「……あまり見るでない」
エルフさまに鎖を引かれて、祭壇の奥に戻される。
それでもアリアの顔が見たくて、首が締まるのも気にせず、アリアが見える位置に移動しようとした。
「わっちがリルを幸せにするん! アリアなんか気にせんで!」
首を引っ張られていると、どうしてもチカラが入らない。
結局エルフさまの言いなり。
少しでも動こうとするとすぐに首が締まり、アリアたちが死角に入ってしまう。
アリアの顔をもう一度見ることは、叶わなかった。
さらに加圧の魔法をかけられ、自分の体重が何倍にも増えたような感覚。
地面に貼り付いた姿勢のまま、動けなくなる。
……。
「ぁ、アリア……」
今の私は、魔法学校でなんの不自由もなく生活を送っていた一般人だ。
なのに、いきなり街の外に放り出されて、教科書でしか見たことがないような「神」という存在に出会って、鎖で繋がれてこんなことになって。
勝手にアリアの元から逃げ出しておきながら、こうして助けを求めるのも図々しい。
でも、何が良くて何がダメなのか、分からない。
判断力さえも、記憶と一緒に飛んでいってしまったのだ。
今、これから、私がどうすれば正解なのかな。
考えても一向に答えが出ない。
エルフさまに首輪で繋がれた私は、服従すればいいのか、抵抗すればいいのか。
自分の感情ですら、整理をつけられずに、ハッキリしない行動をとっている。
全然分からない。
なにもかもが初めてのことで、全ての選択が、最初で最後のチャンス。
命をかけたギャンブル。
……もう、限界だ。
他のひとに決めてほしい。
私には自分の運命を決定するような選択ができない。
アリアなのだ。
私はずっと、アリアの選択に従って生きてきた。
アリアの言うことを聞いていれば、波風立たせずに物事を進められる。
アリアに助けて欲しい。
「……っ!」
唐突に、アタマが痛くなった。
地面に倒れる私。
アリアに助けを求める私。
今の状態と、アタマの奥底の、別の「私」が重なる。
その私は、血だらけで、寒くて、怖くて。
……イヤだ、思い出したくない!
「——エェェェェェルゥゥゥゥゥフゥゥゥゥゥゥ!!!!」
遠方からの声に、私の体はこれ幸いにと、全意識をそちらに向けた。
おかげで辛い記憶を伴った頭痛から免れる。
「ちっ、アリアめ、案の定動きよった」
轟音。
地響き。
エルフさまの集中が音の方に向かい、体が軽くなった。
すぐに体を起こして、アリアのいた方を見る。
「ふん。無駄じゃ。アリアごときの魔法がわっちに勝てる訳ないん」
魔法を使ったような音がしたのに、形跡はない。
アリアの魔法を、エルフさまが打ち消したのだろう。
エルフさまがアリアに手招きすると、信者たちが一斉に道を開ける。
小さくってよく見えなかったアリアの姿が、徐々に近づいてきた。
「……リル、ここで決着つけるん。しっかり見ててな」
さらに近づき、アリアの顔が見えるまでに。
アリアの表情は、見たこともない憎悪に染まっていた。
後方にフローラとエリスを従えながら、足音を立てて歩いて来る。
あのアリアが、視線だけでひとを殺せそうな表情をしている。
その視線の先には、もちろんエルフさまがいる。
「アリア、止まるんじゃ」
祭壇のすぐ下まで来たアリアを、エルフさまが止めようとした。
しかしアリアと他のふたりは、気にせず階段を登り、ここまでやって来た。
「ああ……その精霊、ほんと邪魔なんね」
「……最近ボクってアリアの力になってあげてばかりだよね」
エルフさまなら、私にしたみたいに、金縛りの魔法を使えば余裕で動きを制することができるだろう。
でも、エルフさまの言う「精霊」とやらが邪魔をしているようだ。
エルフさまは、アリアと手をつないだエリスを見やった。
「ニンゲンさんたち! アリアを捕まえるんじゃ!」
アリアがエルフさまの前に立ち、手をあげる。
叩くつもりだ。
神さまに手を出すのだ。
エルフさまの言葉をうけ、信者たちが階段を駆け上って来る。
アリアが手を振り下ろす。
それがエルフさまの頭部に当たる直前に、信者たちがアリアを拘束した。
「…………」
挙げた手を掴まれたアリアは、何も言わない。
憎悪に満ちた目でエルフさまを見るのみ。
それは私に向けられているワケじゃないのに、声をかけられなかった。
一触即発。
振る舞い方を間違えると、一気に乱戦状態に陥ってしまうような空気。
そんな中、最初に動いたのは、唯一拘束されていないフローラだった。
「ワタシの首環の使用法に、そのようなメソッドは存在しない。使用中止を求める」
私を繋いでいる首輪を指差して、エルフさまに堂々と抗議するフローラ。
アリアといいフローラといい、神様に対する態度じゃない。
一体、私たちの常識はどこに行ってしまったのだろうか。
「……リル、わっちがいない間に、また新しいの、増やしたんな」
「ワタシはフローラ。リルフィと出会った日は浅いが、愛の深さは誰にも負けていないつもり。ゆえに、エルフのしていることは許容できない」
フローラがこちらに歩み寄って来る。
その姿はあまりにも無防備で、だからこそ隙が見えない。
アリアが実は大魔法使いだったのだから、フローラは熟練の剣士なのかもしれない。
どんどん大きくなっていくフローラの姿に、期待が膨らんでいく。
「ニンゲンさん、そいつも捕まえるん」
エルフさまの言葉で、新たな信者が動き出す。
フローラの様子をうかがいながら、少しずつ接近する信者の兵。
そして。
「あっ、痛っ、乱暴は禁止っ」
あっさりと捕まってしまった。
襟首を掴む信者の腕を、タッピングしている。
フローラはエリスと共に祭壇の端まで連行されて、元の膠着状態に戻る。
その間、アリアの視線はエルフさまに向いたまま、全く動いていなかった。
「エルフ——ッ! リルちゃんを、よくもッ! 殺してやるッ! 絶対、殺す!」
あのおしとやかなアリアお嬢様が、その細身から出たとは思えない大声と、喉を壊す勢いで、エルフさまに吠えた。
そんなアリアを見ていられず、私はアリアの方に手を伸ばす。
すかさず、エルフさまに鎖を引かれて、尻もちをついてしまった。
「ふん、リルの前で本性見せて、嫌われるんな?」
エルフさまはアリアの激昂を鼻で笑い飛ばし、私の頭を撫でて来た。
「良し良し、外はこわいなぁ。こんなところにいとったら、リルが可哀想じゃ。さっさと済ませて、早く戻るん。良し良し、良し良し、怖くないぞぉ」
アリアの唇から血が垂れる。
自分で唇を噛み切ってしまったのだ。
憎しみと悔しさで、アリアの目から、涙も落ちる。
「……ニンゲンさん、そやつらを連れて行くんじゃ」
エルフさまの一声で、三人は信者に連れられ、祭壇を降りてしまった。
いくらアリアの魔法が強大であっても、人間がエルフさまに勝つことはできない。
この結末は、当然のことなのだ。
シエルメトリィ領にエルフさまがいることなんて、誰にも想像がつかなかっただろう。
「さて、面倒ごとが片付いたんね。そんなら、集会を終わらせて帰るんじゃ」
無力な私は、アリアを助けにいくことができない。
今は、立ち上がることでさえ、エルフさまの許可が必要だろう。
でも、さっきのアリアみたいに、怒ったり悔しがったりすることはない。
私は神さまに逆らえない。
神さまの言うことは全て正しいのだ。
元々、こうなる運命だったと、ムリヤリ納得するしかない。
エルフさまに全てを任せるべく、次の行動を待つ。
するとエルフさまは信者たちを見渡せる位置についた。
「——ニンゲンさんたち! 昔、メトリィのばばあがエルフィードと添い遂げたように、わっちも大切なニンゲンさん、リルフィを見つけたのじゃ! これからニンゲンさんたちは、わっちらの邪魔をしない、良い街を作るのじゃ!」
エルフさまの言葉が、広場に響き渡る。
……おもむろに誰かが、戦争、と呟いた。
戦争、そうか戦争か、と、徐々に言葉が伝播する。
そして、いつしかエルフィード王国への批判へ変化して、さらに成長していく。
——エルフの血を絶やし、悪政を敷く王家に鉄槌を。
不貞の子は背信者であることが証明された今、王国に未来はない。
現国王も次期国王である第一王子も、身勝手な政治で民を混乱させる。
このままではエルフィード王国が滅びる。
エルフさまの話はそんな内容ではなかったのに、信者の解釈が悪い方へと落ちていった。
次第に「戦争」という言葉が「聖戦」へと変わり。
戦いに正当な理由が出来てしまい、信者たちの熱が一気に上昇する。
『セレスタ様! リルフィ様! セレスタ様! リルフィ様!」
祭壇の上の私たちを讃える声。
そこで私は初めてエルフさまの名前を知った。
信者たちは名前を叫びながら、立ち上がったり地面に頭をつけたりを繰り返している。
それがはるか向こうからすぐ近くまで。
ひとの波が、こちらに押し寄せてくるように感じる。
『我らがセレスタ様に、王国を捧げよ!』
『新生エルフィード王国に、エルフ様の祝福を!』
『新たなる伝説を生み出そう!』
またたく間に、信者たちの意思がかたまって行った。
聖戦、伝説、という大層な言葉の下に、ひとびとが一致団結する。
メトリィ教は愛と正義を重んじる宗教だ。
始祖メトリィさまがエルフィード国王を愛したように、ひとはひとを愛し、生きていかなければならない。
そして愛は秩序からしか生まれず、決して争いを起こしてはならない。
小さい頃に覚えさせられたこの教義を、この宗教都市の真ん中で、メトリィ教の信者自身が否定している。
「ニンゲンさんたち、楽しそうで良いんな」
でも、この光景をエルフさま自身が肯定している。
だから止まることはない。
むしろ神さまに認められた行いとして、より増長していくのだろう。
「リル、帰るぞ」
鳴り止まぬ歓声に背を向け、エルフさまは鎖を引く。
移動の合図を受けた私は、神殿の頂上へ飛ぶために身構えた。
エルフさまが魔法を使って、体が浮く。
3回目の浮遊魔法には、もう驚かない。
遠くなる地面から顔を背け、なおも大きい称賛に目を塞ぎ。
再びふたりだけの空間へと帰って来た——。
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