神と鎖と聖地
エルフさまの部屋には、入り口がない。
メトリィ教の神殿は、雲に届くほどの高さがある。
頂上は一面が庭になっていて、中心に始祖メトリィさまと思われる像が建っている。
その像の首から上は、破壊されていた。
屋上庭園から階段を下りると、そこがエルフさまの部屋だ。
そして、それより先への下り階段はない。
ここは空から侵入しないと入れない場所なのだ。
私にかけられた金縛りの魔法は、エルフさまの部屋に入ってから解除された。
全身に血が巡る感覚。
めまいがして、絨毯に倒れこむ。
「あぁ、リルぅ!」
体調が最悪の私めがけて、エルフさまがのしかかってきた。
体重は軽く、思ったほどの衝撃はない。
それでも苦しいものは苦しく、咳き込んでしまった。
「リルリル、やっと二人きり! リルの髪、リルの服、リルの靴!」
エルフさまが服の中に手を入れてきたかと思うと、脱がせようとしてきた。
「……っ、やめ……!」
裾を掴むエルフさまの手を、苦しまぎれに押し戻す。
いくら神様でも、いくら同性でも、それは許されない。
エルフさまは血走った目で服を掴み上げる。
脱げないように体を丸めて、エルフさまが諦めるまで耐える。
「とるのに苦労するから、手に入れた時に興奮するんねんな!」
服が奪えないと理解したエルフさまは、次に私の足に狙いを定めた。
そちらは無防備。
あっけなく、履いていたブーツを取られてしまった。
「——はぁぁん! リルの、リルのものじゃ!」
エルフさまが立ち上がり、私のブーツを履いて、身を震わせた。
そして色を失った目で、見下してくる。
また、その目。
「ククク、一気にとったら後の楽しみがなくなるん。今日はここまでじゃ」
そう言って、エルフさまはどこかに行ってしまった。
寝ている私からは、死角になっている場所。
起き上がる気力はなかった。
「リルー。わっちとリルの、信頼の証を、繋げるん」
すぐに、エルフさまはこっちに帰ってきた。
鎖を持って、金属音を鳴らして。
「ちょうどよく、首輪をしてるんね。リルはわっちの欲しいもん、全部くれるなあ」
つけた覚えのない首飾りに、エルフさまの持ってきた鎖をつけられた。
鎖の片方は私に、もう片方は壁に埋まっている。
私は、家畜みたいに、繋がれてしまった。
首元に手をやって、拘束を解こうとする。
でも、鎖も首輪も取れない。
普通のアクセサリーなら留め具があるはずなのに、この首輪にはそれがない。
そして、エルフさまが魔法を使ったのか、気付けば鎖の輪の中に首飾りが通されていた。
「リル? とる必要はないじゃろ? ここで楽しく暮らすだけなんな」
エルフさまの言葉に目で返事をして、つなぎ目のない首輪をいじり続ける。
どこかに、もろくなっている部分はないか。
爪で首輪にキズをつけようとするが、まったく歯が立たない。
そうしていると、エルフさまが鎖を引っ張った。
「とる必要はないじゃろう!?」
首が引かれて、バランスが崩れる。
皮膚に食い込んだ首輪を手で緩めると、エルフさまが足音を立ててこっちにきて、アタマを叩かれた。
「言うこと聞かんと、記憶を取り戻せんぞ!」
言うことを聞いたって、記憶は戻らないだろう。
エルフさまに従うことで得られるものは、身の安全だ。
閉鎖された空間にふたりきり。
チカラ関係は向こうのほうが上。
素直になったほうが長生きできる。
無力な私は身の安全を選ぶことにした。
首輪を気にするのをやめて、地面に寝そべった。
「おぉ、良し良し、いいこじゃなあ」
私が無抵抗になると、エルフさまが顔中を撫で回してきた。
何も考えない。
考えると、悪いことが起こる。
「ふう。そんじゃあ、朝ごはんやんな」
エルフさまが満足して、離れてくれて一安心。
シエルメトリィに着いたのが夜明けだから、ちょうど朝食の時間だ。
いろいろなことがありすぎて、お腹は空いていない。
それよりもどっと疲れが押し寄せて、特にできることもなく、自然とまぶたが落ちていった。
静か。
エルフさま以外は人の気配どころか、あらゆる生物の気配がない空間。
自分の心臓の音が聞こえる。
こんなに大変な思いをしているのに、心臓はいつも通りの律を刻んでいる。
絨毯が暖かくて気持ちがいい。
じわじわと悪化するお腹の痛みとは裏腹に、体は全力で安息を求めている。
そんな矛盾に満ちた体調で、本格的に寝入る段階へ。
——。
目が覚めたら、学校だといいなあ。
——。
——。
「リル、リル。ごはんできたん」
肩を揺すられ、せっかくいい気持ちになっていたのに、目が覚めてしまった。
「材料がないけん、うさぎのシチューしかできんかったん」
ごとりと置かれた大鍋。
肉と野菜を無造作に放り込んだ料理が現れた。
「リルと出会った時に出した料理じゃ。つい昨日のことのように思い出せるんね」
中途半端に眠りを妨げられ、アタマが重い。
そんなことはつゆ知らず、エルフさまは大きなお椀にシチューをよそう。
「リルはどうじゃ? なんか思い出さんか?」
首を振って答える。
鎖の音がした。
「……ほれ、リルのぶんじゃ」
お椀を受け取ると、ずっしりと重い。
たとえお腹が空いていても、食べきれない量だ。
「食え」
スプーンを渡されて、とりあえずお椀に突っ込む。
本当に食べなきゃいけないのかと、エルフさまの様子をうかがう。
「どうした? ん、もしかして」
エルフさまが大鍋を回って私のすぐそばに移動し、耳元まで顔を近づけてきた。
「……エリスの作ったもんじゃないと、嫌なんか?」
エリスという名に心当たりはない。
エリスフィアならいたけど、そのひとの愛称だろうか。
たしかに、料理がとっても上手かった。
私が反応しないでいると、エルフさまはそれを肯定と受け取ったのか、私の持っている器をうばった。
中をかき回して、おおきな肉の塊をすくい上げる。
それを私の口元に運んできて。
「より好みせんで食べるんじゃ!」
抵抗は無意味どころか、さらなる災厄を呼ぶ。
大人しく口を開けると、すぐにスプーンを押し込んできた。
異物の侵入に、気持ち悪くなって吐き出す。
しかし、出口がエルフさまの手によって強引にふさがれた。
しばらくして嘔吐感がおさまり、仕方なく咀嚼を始める。
味はまったくない。
そんなものを感じる余裕がない。
口いっぱいにある固体は、なかなか飲み込むまでにいたらない。
エルフさまが逐一私の動きを見ている中で、ひたすらアゴを上下させる作業。
「どうじゃ……なんか思い出したか……!」
その程度で思い出すなら、もうとっくに思い出している。
残念なことに、いくらアタマの中を探しても、浮かぶのは学園生活ばかり。
エルフさまの記憶だけでも思い出せれば、この状況をどうにかできるかもしれないのに。
「……そうか。わっちとの思い出は、リルにとってその程度なんじゃな」
うつむいて食器を置くエルフさま。
このまま私がご機嫌を取り損ねて、神さまに嫌われてしまったら、エルフィード王国が危ない。
エルフさまに出会ってから、当然のように使っていた未知の魔法を見て、国をひとつ滅ぼすのも簡単なのだと実感した。
床に置かれたお椀を持って、食事という作業を始める。
食欲がないけど、これまでほとんど何も食べていないから、いつかはお腹にものを詰め込む必要がある。
エルフさまへのアピールも兼ねて、作業を開始。
「リル……」
私の自発的な行動を見て、エルフさまは目に涙を浮かべる。
それを確認してから、器を口につけてシチューをかき込む。
エルフさまの料理おいしい。
そう思い込んで、味のしない野菜を流し込んだ。
エルフさまに笑顔が戻ってくる。
横に移動し、アタマを脇腹あたりにくっつけてきた。
特等席で、私の食事を見ている。
とりあえず、この場はおさまったようだ。
・・・・・・・・・・・
食事を終えてからは、特にやることもないので寝た。
鎖で繋がれているから、部屋からでることができない。
それどころか、部屋の中でさえ、行動範囲が制限されている。
だから寝るしかなかった。
一度睡眠を妨害されたから、ひと段落つくと再び眠気が襲ってきた。
今度は邪魔をされず。
エルフさまも一緒に寝転がって、お昼寝の時間となった。
夢。
私はどこかの洞窟にいて、探し物をしていた。
探しても探しても全然見つからなくて、焦りがつのっていく。
扉を開けると、魔物がいた。
魔物は後ろになにかを隠している。
私は持っていた剣で魔物を倒すと、探し物を見つけた。
『リルちゃん、好き』
アリアが抱きしめてくる。
私はアリアを抱き返す。
自然とキスをする雰囲気に。
アリアと見つめあって、私は、————。
と、そこで映像が途切れた。
中途半端なところで、目が覚めてしまった。
目を閉じたまま、耳をすませていると、エルフさまの足音が聞こえる。
小さな物音だけど、それに起こされてしまったようだ。
目を開けて、体を起こす。
若干、体調が良くなった気がする。
エルフさまが私を見つけて、小走りでこっちに来た。
「リル、いくぞ。ニンゲンさんとの対話の時間じゃ」
壁に埋まった鎖の端を、エルフさまは魔法で取り出した。
鎖を引かれて、首がそちらに持って行かれれる。
どうやら外に出るらしい。
エルフさまの用事に、私がいてもいいのだろうか。
「リルはわっちのもんって、ニンゲンさんに言っておくねん」
エルフさまが移動し、それに合わせて私も移動をする。
鎖の先はエルフさまが持ったまま。
拒否権はないのだ。
「……む」
エルフさまが立ち止まって、振り返る。
「……あー」
何かを感じ取ったのか、エルフさまの眉間にシワがよる。
私がシエルメトリィに来た時も、エルフさまは待ち構えていたかのように現れた。
私の知らない特殊な魔法で、ここにいながら街の情報を得ているのだろう。
「まあよい。リル、いくぞ」
説明はなく、再び移動を開始する。
部屋の外、屋上に出て、塀のない庭園の端まで進む。
眼下に広がるひび割れた大地。
私はその中を通ってここに来た。
シエルメトリィ領は本来、ひとが住めない秘境だ。
それを実感できる眺め。
エルフさまはそこから、なんの躊躇もなく、足を踏み出した。
一歩先に足場はない。
飛び降りだ。
一瞬にして、エルフさまの姿が消えた。
「——っ」
鎖の端は向こうが持ったままだから、強いチカラで首が引かれる。
その場で踏ん張ることもできず、私も空中へとまっさかさまに。
ぼうぼう、と風の音。
すごい速さで近づいてくる地上。
意味がわからない。
涙が目の横を通って飛んでいく。
エルフさまは鳥になったかのように手を広げている。
落ちているだけでも、ここからだと滑空しているように見えた。
地面はすぐそこに。
さっきまでは認識していなかった石畳が、急激に面積を広げている。
あと、秒もしないうちに、大地とひとつになってしまう。
ぎゅっと目を閉じて、現実を見ないようにする。
エルフさまが魔法で助けてくれるに違いないのだけど、怖いものは怖い。
そして、もうそろそろ地面に激突した頃か、と予想する。
しかし、衝撃はない。
体が上に引っ張られる感覚とともに、耳障りな風の音が止む。
『エルフ様! エルフィードの民に、お恵みを!』
そのかわり、歓声のクッションに受け止められた。
数秒ぶりに目を開けると、アタマから落下していた私の体が、きちんと地面に立っている。
エルフさまがその傍らにいて、無数の人間たちを見下ろしていた。
どうやらここは、祭壇らしい。
普段は祈りを捧げるためにある祭壇が、今日は正しい使われ方をしていた。
エルフさまが祭壇の中央に立ち、私はその後ろで小さく待機。
聖職者でもない私は、目立たないようにしようと座り込んだ。
これなら人々の死角に入るだろう。
段々と、聖職者たちの歓声が小さくなっていく。
エルフさまがじっと下の人々を見回して、最後には静寂が訪れた。
エルフさまの演説が始まるのだ。
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