記憶の彼方に在る原罪
「リルリルリルリルぅ!」
私に抱きついている子供は、離れる気配がない。
せっかく私のことを誰も知らない新天地に着いたと思ったのに、入り口よりも前に知り合いに会ってしまった。
こんな宗教都市に知り合いがいるなんて、記憶を失う以前の私は、どういう交友関係を持っていたんだ。
「エルフ様ぁ!」
「お願いします! どうかお戻りください!」
街の中から、ふたりのシスターがこちらに駆け寄ってくる。
エルフさまとかなんとか言っているので、辺りを見回してみる。
なにもない。
「ここのニンゲンさんはうるさいのじゃ! リルとの時間を邪魔するん!」
……にんげんさん。
「リル、静かなとこで語り合うねんね!」
子供がやっと離れてくれて、その全身があらわになった。
白い髪をおさげにして、その側頭部からは長い耳が突き出ている。
エルフィード人ならばすぐにわかるその容姿。
それは伝説通りの姿だ。
見間違いじゃなければ、エルフさまそのものであった。
「んー? リル、どしたん?」
それが私に話しかけている。
抱きついて来た。
記憶にない昔の私の知り合い。
目が上を向いた。
神さまと会話しているなんて、正気じゃいられない。
他人から見れば、さぞ立派な白目になっているだろう。
「さ、リル、行くんね!」
後ろに回り込まれて、私なんかが、エルフさまに押された。
神さまが、私に触れている。
「リル! 進んで!」
「わわわわかりましたー」
とにかくシツレイの無いように振る舞わないと。
神の怒りに触れたら最後、エルフィード王国は滅びてしまうかもしれない。
なんなの?
私は一体何をやらかしたの?
どうして私なんかが国の命運を握っているの?
「リルぅ? さっきから変やよ? 前みたいにわっちとお話ししたいん」
「いっ、いいおてんきですね!」
神さまが会話を所望。
とにかく会話をしないと。
考えるよりも先に、当たり障りのない言葉が漏れ出た。
「天気なんてどうでもいいのん! リル、あれは? あの、アリアとかいう」
「アリアは置いて来ました!」
アリアさま勝手に逃げてごめんなさい。
助けてください。
「お? ついにアリアに愛想つかしたん? だからわっちに会いに来てくれた……!」
「はいそうです!」
否定をしない。
神さまのいうことは全部正しい。
本心ではそう思っていなくても、口から出て行くのは肯定の言葉。
「うれしい!」
「は、ありがたき幸せっ」
こんなにもへりくだれるものかと、自分でしゃべっていて思う。
心臓の音が聞こえて来そうなほど緊張していた。
「むぅ。やっぱりリル、おかしいねん。わっちのこと、覚えてるんな?」
「もっ……もちろんです……」
まったく覚えていないに決まっているでしょう。
しかし勝手に出てきた言葉で自滅寸前。
別の話で気を紛らわせないと。
「あの……あの……」
今の状況で、そんな気の利いた話ができるほど、頭が回らない。
白髪のエルフさまが、下からじっと覗き込んできた。
尿意が下腹部から駆け上がってくる。
……これだ。
「その……お、お手洗い」
ガマンできそうにないことを、身振り手振り伝える。
目覚めた時に遭遇した魔物といいエルフさまといい、桁外れの驚きイベントに近ごろ緩くなってしまった模様。
「……え、リル、こんなとこで」
エルフさまは頰を赤らめて、そんなことを言ってくる。
シエルメトリィ領独自の禁忌に触れてしまったのかと不安になった。
トイレに行くことを街中で軽々と言ってはいけない、みたいな。
宗教が絡むと、意外なところでつまずくことがあるのだ。
「……わっちは嬉しいけんど、リルは、そういうん、恥ずかしいんね?」
エルフさまが私なんかに気を遣っている。
そんなに変なことを言ってしまったのか。
周りを見て、道行くひとたちを確認する。
みんな、エルフさまを視認したとたんに、ひざまずいて地面にアタマをつけている。
ここで止まっていたら、どんどん増えていきそうだ。
でも、これでは情報が得られない。
「……じゃあ、いつでもいいんね」
ふと足元を見ると、エルフさまが座り込んでいた。
しかし、その位置が問題だ。
私の足の間。
両手で私の太ももを持って、期待のこもった目で見て来る。
「……ふぇえ、リルのかほり」
一度、大きく息を吸うと、エルフさまは上を向きながら口を開けた。
「あの……」
エルフさまは無言で頭を振り、何かを催促してくる。
ここで、しろ、と。
エルフさまに、注げ、と。
「……」
すでに尿意は消えていた。
頭を垂れる人々に、囲まれている。
エルフさまは私の真下で待っている。
目があった。
「リル、ほれ! 発射!」
「しません!!」
ふとももを叩かれてさらに催促を受けるが、するわけがないでしょう。
一歩下がってエルフさまから逃れる。
「なんでやん? したいんじゃろ? リルから誘ってきたん!」
「ト、イ、レ、に、行きたいの!」
思わずため口で言ってしまった。
周囲の様子を見て、不敬罪として捕まえにくるひとがいないことを確認する。
どうもエルフさまの価値観がおかしくて、まるでアリアを相手にしているみたい。
どうして私の周囲にいるひとは、歪んだ好意を押し付けてくるんだ。
「リルはわっちとトイレ、どっちが大事なん!」
「トイレだよ!」
記憶喪失のひとにとってはよっぽど愛着がある。
「なっ……んなら、トイレを壊して、わっちがリルの一番になるん!」
「ダメ!」
メトリィ教の信者に囲まれながら、私たちは何を言い争っているんだ。
こうしている間にも信者たちがどんどん増えていって、見世物のようになっている。
人前でやるには下品すぎるショー。
「い、行きますよ……! と、当初の目的地まで連れて行ってください」
エルフさまの手を持って、立たせる。
コレが神さまなのかと疑問に思うところだけど、口に出せば異端者となる。
まだ磔の刑にはされたくないから、エルフさまを前に置き進むように促す。
私が押されていたさっきの状態と、立場が逆転した。
「おぉ、そうな、早く二人っきりになるねんな」
小さい背中が手のひらから離れる。
エルフさまに触れるなんて畏れ多いことだ。
でも向こうが気にしていないのなら大丈夫。
ひとつひとつの行動が命がけで、命綱を刃物で削って度胸試しをしているような状態だ。
だんだんと感覚がマヒして、もうよく分からなくなってきた。
エルフさまが小走りで先に行ってしまうから、私は早歩きでそれを追う。
これが神さまじゃなければ、なんの憂いもなく付いて行けるのに。
大通りをずっと進んで、街に入った時から遠目に見えていた、巨大な神殿へと向かっている。
宗教都市にとって神殿は王城と同じかそれ以上の価値がある。
今のところメトリィ教のなんたるかを知らない私が、そこに連行されているのだ。
ルールもマナーも知ったこっちゃない。
きっと幾多の禁忌を犯してしまうだろう。
快く思わない信者も多いハズ。
そしたらきっと、ひとりになったスキを狙って、教信者が私を刺しに来るに違いない。
「アリア、たすけて……」
自分から逃げといてアリアを求めている。
やっぱり私は卑怯者だ。
アリアのことを考えると、同時にアリアの唇の感触がよみがえった。
友人だと思っていたひとに向けられた強烈な好意に、急に息が苦しくなる。
「……リル、顔が赤いぞ? おしっこ我慢してるん? さっきすればよかったんに」
「ち、ちがうし!」
自分の顔を触ってみると、熱を帯びていた。
指摘された通り、真っ赤になっていることだろう。
急ぎ、手であおいで冷ます。
アリアのことを思い出して照れているんじゃない。
絶対に違う。
私はそういうのじゃないんだ。
「私のことはどうでもいいですから、行きましょう」
足を早めると、エルフさまに服の裾を取られる。
後ろに引いてくるから、すぐにペースを緩めた。
神さまに手綱を握られた気分だ。
学校の外に出てから、他人にコントロールされることが多い。
アリアがくっついていた時はそんなことなかったのに。
「わっちはリルに置いて行かれて、ずっと寂しかったんじゃ。今日までずっと、リルのことを考えんかった日はないぞ。なのにリルはどうじゃ。さっきから一度も、わっちの名を呼んでくれんではないか」
不満はごもっとも。
私だって、久しぶりに会った知り合いが、他人行儀で接してきたら悲しい。
一緒にいた時の距離が近ければ近いほど、悲しみは深いだろう。
記憶喪失であることを隠した方が、相手に心配をかけないで良いと思っていたけど、正直に言ってしまう方が良いのか。
うつむくエルフさまを見て、またアリアの顔を思い出してしまう。
打ち明けてしまえば、エルフさまもアリアみたいに暴走するのではないか。
フローラとエリスフィアだって、記憶がないと知ると態度が豹変したのだ。
光のない瞳で見下される恐怖。
思い出しただけでも身震いする。
数少ない経験から考えると、エルフさまも絶対におかしくなるだろう。
絶対。
「その、私、ここ最近の記憶が無くて……」
危険を承知で言ってみると、エルフさまが固まった。
そしてみるみる表情が消え、同時に目の輝きも失われる。
ほら予想通り。
ああ怖い。
「なので……記憶を取り戻したらまた来ますっ!」
危害を加えられないうちに、エルフさまに背を向けて逃げる。
全力疾走だ。
体力が有り余っているおかげで、多少のムリは効く。
私のことを知らなくて、お世話をしてくれるひとを探そう。
ここに連れてきてくれたシスターさんがいい。
あのひとの元で、メトリィ教の修験者として働きたい。
そうすれば、いつか記憶が——。
「……リル、またわっちを置いて行くのん?」
全力で走っているのに、一度は距離を離したと思ったのに。
真横でエルフさまがこちらを凝視していた。
エルフさまは体をこっちに向けて、一切の揺れもなく、並走する。
視界の端に映るエルフさまの姿は、まるで私の目に焼き付いてしまったように、微動だにしないのだ。
私が息を切らしている状態で、エルフさまは無表情で見てくる。
エルフさまは浮いていた。
何らかの魔法で体を浮かせ、私の走る速度に合わせて横移動をしていた。
「リル、リル、リル、リル、リル、リル」
相手は神さま。
逃げられるワケがない。
「——っ、はぁ、はぁ」
「満足したん? 一緒に行くねん?」
まだ動ける。
でも諦めた。
立ち止まると、エルフさまが手を引いてきた。
話し方は普通なのに、その瞳にはどんな感情も宿っていない。
エルフさまに従い、逃げてきた道を戻ろうと振り返る。
しかし、体が動かなくなっていた。
「リル、わっちのいないとこで、辛い目にあったんな」
さっきのエルフさまのように、私の体が少し浮く。
魔法をかけられた。
金縛りと、浮遊。
それが同時に私に作用している。
エルフさまが移動を始めると、私も動く。
輸送される石像のようだ。
「わっちのこと思い出すまで、二人でいような」
返事もままならず。
呼吸ができているのかさえ、怪しい。
何もかもが止まっていて、生と死が混在した状態。
常人にはできない、エルフさまだからこその、強力な金縛り。
「わっちはいくらでも待つねん。ずっと待ってきたから、これからも待てるもん」
エルフさまは私から視線を外さない。
そのまま、神殿へと直行する。
「リル、わっちを好きになって。ないがしろにしないで」
エルフさまが服を掴んでくる。
変な訛りがなくなって、懇願してくる。
「また、わっちに夢を見させて」
神殿の敷地に入る。
だからといってエルフさまが歩をゆるめることはない。
建物が近づくにつれ、浮いてる体の高度がみるみる上昇し、エルフさまも坂道を上がるように、一歩一歩昇っていく。
空高くそびえ立つ神殿の頂上へ、向かっていく。
「ここで、わっちと、世界を作ろう」
……そして私は、エルフさまの部屋にたどり着いた。
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