夜の帳の救済
今日は蛇の魔物を倒した場所で野営だ。
私が目覚めてからすぐに気を失ってしまい、少ししか進んでいないのに夜になった。
アリアが魔法で崖に穴を開け、その中で私は縮こまっている。
もう動けない。
焚き木が弾けて、体がびくっと反応する。
私がそういう反応をすると、アリアや他のふたりがこっちを向いて、嬉しそうな表情をする。
気分は最悪だった。
アリアは魔物に食べられてしまったのかと思ったけど、それは私の早とちりだった。
普通に生きている。
それどころか、アリアは魔物を返り討ちにした。
今、その魔物は焚き木の脇でじゅうじゅうと音を立てる食材に。
「もう、なんなの……」
記憶を失い、訳のわからないことだらけだ。
現状をアタマの中で整理する。
私は平凡な魔法学校の学生。
期末試験を終えて、恒例行事である遠足の途中のハズ。
しかし話を聞くに、道中で犯罪者に襲われて、私は大ケガをして記憶喪失になったそうだ。
目覚めた場所は、王都エルフィードから遠く離れた、シエルメトリィ領の近く。
アリアは私にべったりじゃなくなっていて、まるで生まれ変わったかのような振る舞い。
そして見ず知らずの班員、フローラとエリスフィアとやらは、アリアが空けた穴を埋めるかのごとく、私に構って来る。
現在置かれた状況は、ストーリーとして成り立っている。
でも、どこかにつっかかっている違和感が、その物語を否定したがっている。
一回だけ、アリアが言ったこと。
アリアが、私を退学させたという事件。
突拍子もないその話こそが、真実なのかもしれない。
私を除いた三人が、ことあるごとにコソコソ話すのは、きっとそういう事実を隠そうとしているからなのだ。
どれだけの時間の記憶を失ってしまったのだろう。
よく考えれば、私の髪は伸び放題で、相当長い時間が経っていることがわかる。
髪を切るほどの余裕もなかったのだ。
魔法学校時代までの記憶しかない私が、そんな過酷な状況に置かれる恐怖。
この環境が、普通だと感じるようになった「私」を思い出すことへの恐怖。
過去も未来も逃げ場がなくって、ヒザに顔を埋めるしかない。
「……うぅ」
じわり、涙がヒザを濡らす。
鼻水が流れ出てくる。
すすったら、泣いているのがバレてしまう。
バレたら、怖い目をした三人にどうにかされてしまう。
静かに、あふれる液体を擦り付けるだけの作業。
「リルちゃん、ごはん、たべられる?」
今、声を出せば悟られてしまうから、アリアの顔を見ずに首を振る。
ご飯と言っても、さっき私たちを襲って来た魔物なのだ。
思い出すと、酸っぱいものがこみ上げる。
まったく食欲が湧かない。
「……ボクが、お腹の空くような、とびっきりの料理にするよ」
何を出されても拒否する自信がある。
そっとしておいてほしい。
というかあなた誰。
エリスフィアという名前には覚えがない。
せめて家名さえわかれば、貴族の爵位くらいはわかるけど。
学校の外で出会ったのであれば、貴族でもないのかもしれない。
「アリア、手を握ってあげるといい」
もうひとり、フローラの声。
空いた手に、あたたかいものが触れる。
言われた通り、アリアが隣に来たのだ。
このフローラというひとも、アリアを制御することができるヘンなひと。
アリアは手を握ったまま、体を寄せて来る。
でも、私はアリアを見殺しにして逃げようとした最低の人間。
そんなモノが、この温もりを受けていいワケがない。
「リルちゃんはわるくない。もしわたしがほんとうに食べられても、リルちゃんが生き残ってくれればうれしいの」
逆の立場だったらどうだろう。
私が襲われている時、アリアが逃げ出したら。
……寂しい。
ひとりで苦しんで死ぬのは、とても寒くて、暗い感じがする。
アリアと一緒がいい。
私は逃げたのだ。
その罪悪感がさらに深く、私を包み込む。
私は首を振って、アリアの許しを拒否する。
他のふたりも、身代わりにしようとしたのだ。
「……リルフィ、できたよ。これなら食べられる?」
「ワタシも気分を高める飲料を調合した。元気出して」
エリスフィアとフローラまでもが、こんなごみくずの私の元に近づいて来る。
食欲をそそる香ばしい香り。
安心するようなお茶の香り。
どちらも私のために作られたモノ。
「……っ」
少しだけおさまってきた涙が、再び溢れ出す。
嗚咽を隠しきれない。
ここまで近づかれたら、泣いていることが見え見えだ。
どうしてそんなにやさしいの。
恨まれるようなコトはあっても、好かれるような価値なんて一切ない。
「おちつくまで、リルちゃんのそばにいるよ」
どうして私が良いのか、わからない。
「……いつもみたいに、ボクの胸の中で、ぎゅっとしてあげようか」
その「いつも」がわからない。
「自分を保つためのカウンセリングを試す?」
初対面だからわからない!
「放っておいてよ————!」
私はアリアの手を離し、ふたりを押しのけて、無様な後ろ姿を晒して、ほら穴を駆け出した。
また、逃げた。
・・・・・・・・・・・
夜の谷間の道は、真っ暗ですぐ先が見えない。
それでも私は足を動かす。
壁に当たれば方向を変えればいい。
とにかくみんなから距離を取りたい。
アタマの中がごちゃごちゃになって、頭痛がひどい。
空を見上げれば、はるか遠くに夜空らしき色が見える。
星の輝きはここまで落ちてこない。
野営地の焚き木も、見えなくなるまで走って来た。
ひとりになったって、何ができるワケでもない。
自分が知らないあの環境に戻るのがイヤで、とりあえず足を動かす。
壁沿いに歩くことで、暗闇でもかろうじて前に進むことができた。
「私は何……」
走ってもあまり疲れていない。
視界が良ければまだまだ走れる。
私の体じゃないみたい。
今までのことを思い出すために、最後の記憶のその先を見ようとする。
アリアが、私を退学させた。
学校から追い出されたとなると、ノーザンスティックス領に戻っているのが当然の流れ。
シエルメトリィ領は比較的実家の近くにあるから、もしかしたら帰る途中だろうか。
違う。
それだったら、アリアはここにいないハズ。
今ごろアリアは、ごく普通に学校生活を送っていただろう。
すると、私を退学させたというアリア自身も、学校から追放されている……?
退学になるような出来事。
……私は、取り返しのつかないことをしたのだろうか。
背筋に、冷たいモノが走る。
手が震えて、足が動かなくなる。
これは回想じゃない。
妄想だ。
やっぱり真実なんてわからない。
一度浮かび上がった悪い想像が、全身に絡みついて解けない。
少し、座ろう。
大丈夫、時間が経てば、気にならなくなる。
——視界の端に、光が見えた。
明かりの魔法の光が、こちらに近づいて来る。
アリア達が探しに来たのだろうか。
それならそれで、大人しく連れ戻されよう。
十分アタマが冷えた。
光がこちらを照らし、その所有者が私を見つけて駆け寄ってきた。
「……そちらの方、大丈夫ですか」
アリアの声じゃない。
顔を上げて、眩しさにやられながらも、相手の姿を確認する。
声の主の顔は影でよくわからないが、服装は純白の修道服だった。
シエルメトリィ領の
「——私、記憶を、なくしてしまいました」
このひとに連れて行ってもらおう。
すべてを失った私は、神しかすがるものがない。
メトリィ教の修験者にしてもらって、新しい人生を歩もう。
「助けてください……! もう何が何だか分からなくて」
「頑張りましたね。よくぞここまで参られました。メトリィ様のお導きでしょう」
手を差し出される。
白い手があらわになり、薬指にはめられた指輪が光る。
私は迷いなく、その手を掴み返した。
「よろしい。道を失いし無力な子にも、等しくシエルメトリィの門戸は開かれます」
立ち上がって、歩き出すシスターの後ろをついて行く。
ようやく訪れた安息。
明かりの魔法に照らされた道を進み、さらに奥へと進んだ。
私の命を救ってくれたシスターの顔を見たくて、じっと後ろ姿を見つめる。
でも、振り返ってはくれず、白いローブしか見えない。
しばらくして、少しだけ顔をこちらに向けたシスター。
「……貴女は実に運が良いですね」
シエルメトリィ領までの間、世間話に興じるつもりらしい。
あとちょっとで顔が見えそうだけど、絶妙な角度でキープされて見えない。
仕方なく、語りかけに返事をする。
「はい。シスターさまに見つけてもらって、とても運がいいです」
「そうではありません。……実は先日、なんと我らがエルフ様が降臨なされたのです。エルフィードの民として、これほど喜ばしいことはありません。そのようなめでたい年に、貴女はシエルメトリィに入ることができるのですよ。貴女も修練を積めば、すぐにエルフ様をお目にかかることができるでしょう」
「え、エルフさま、ですか?」
唐突に伝えられた単語が信じられず、聞き返す。
エルフさまといえばエルフィード王国を築いた神さまのコト。
私たちエルフィード人は、エルフさまと人間から生まれた子孫であり、エルフの血が濃いほど地位が高い。
「そうです、エルフ様です。エルフ様がご降臨なされたのなら、もはやエルフィードの王族に価値はございません」
エルフの血が濃いということは、神に近いという証であり、その頂点がエルフィード王家だ。
王族の条件は、金髪碧眼であること。
始祖メトリィさまが、金髪碧眼だとされているから。
金髪碧眼のひと自体は、私を含めて王族じゃないひともちらほらいる。
そういうひとは、運がいいと王族と結婚して、金髪碧眼の家系を維持する要員となるのだ。
この価値観も、たったひとりのエルフさまが現れただけで、いともたやすく崩壊する。
だって本物の神が現れたんだ。
人間たちの中で誰が偉いなんて、争う意味がない。
自分の悩みはどうでもよくなって、神の登場の話に心が躍る。
「すごい……!」
「貴女はこれから、新たに生まれ変わるエルフィード王国のいしずえとなるのです」
始祖メトリィ様とエルフィード初代国王の伝説が、今再び始まるのだ。
記憶をなくしたおかげで、その瞬間をこの目で見られる。
「王国は腐敗しました。そう、十数年前のことです。王の不貞により、黒髪の子が生まれたのです。王家は失態を隠蔽するため、税を上げて民を苦しめ、有力な貴族を僻地に追いやったのです。それ以来、首都は王の独擅場となりました」
確かに、その記憶はある。
記憶を失った期間よりも前の出来事だ。
というか、私が小さい頃、まだノーザンスティックス領にいた時の話。
父親がなんだか大変そうに働いていて、全然遊んでもらえなかった。
「天にましますメトリィ様は、エルフィード王国の現状を憂い、自らの分身であるエルフ様を遣わせたのです。わたくしたちは、メトリィ様のご意思に従わなければなりません」
シスターが立ち止まる。
光の魔法を掲げ、前方を照らす。
先の道は天へと昇るような、急勾配。
「さあ、道を失いし哀れな子よ。最初の試練です。この道を往き、自力でシエルメトリィに至りなさい!」
シスターに背を叩かれて、激励を受ける。
命の恩人とはここでお別れ。
名残惜しいけど、シスターの思いをムダにするワケにはいかない。
私はふりかえらずに、シエルメトリィへ続く道を歩み始めた。
・・・・・・・・・・・
——記憶を失った期間に強くなったらしき私の体。
一般人ならばとうに疲れ果て、休み休み進むであろう険しい道を、息切れひとつなく進んでしまった。
シスターとは感動的な別れをしたつもりだけど、こんなにもあっけないと申し訳なく思う。
一方で、予想以上に動いてしまう自分の体に、再び恐怖を覚える。
私にとってこの道は、肉体面ではなく精神面で辛いものとなった。
シスターと一緒に歩いている間に和らいだ恐怖が、再びぶり返す。
その感情から逃げるように、私は坂道を駆け上って行った。
ムチャな進行をしても壊れることのない体に、さらに嫌悪感が増す。
何があったらこんな風になるんだ。
どす黒い感情を押さえつけながら、あと少しで着くと信じて登り続ける。
進めば進むほど、空に近くなった。
頭上に広がるそれは、徐々に色づいていく。
そして。
シエルメトリィ領の門が見えた。
ペースを上げて、すぐにそこまでたどり着く。
朝日の光に照らされた神々しい扉の前。
深呼吸。
「私を、メトリィ教の——」
言い切る前に、扉が開かれた。
中から白い髪をおさげにした子供がひとり。
「リル……? その魔力、リルやよな……!」
子供は私の姿を認識した途端に、駆け寄って来た。
「リル! 会いたかったぞ! リルリルリル! なんでわっちをおいて行ったん!」
抱きついてきた。
私よりずっと小さい子が、私の名前を呼びながら、私の胸に顔をなすりつけていた。
「離さないかんな! もう絶対、どこにもいかないように、わっちが見てるん!」
だれ。
「——」
もう帰りたい。
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