待ち受けるは洗礼

 アリアが目覚めるまでの間、私は班員のふたりに拷問を受けていた。


「……はい、あーん」


 名前も知らない緑髮のひとに、ひたすらごはんを食べさせられていた。

 もういい歳なのにこの仕打ち。

 でも一切の抵抗はできない。

 美味しい。

 病み上がりにやさしい流動食。


 私は緑髪のひとのなすがままになっていた。

 アリアにキスをされたとか、記憶喪失になったこととか、弱みを握られた以上、デリケートな問題なのだ。

 少しでも反抗の意思を見せれば、色々バラされてしまう。 

 でも、こういうことを続けると、もっと私の弱みが増えていくことになる。


 同級生の貴族様とそういうプレイをするヘンタイ。


 私の称号が、どんどん変な方向に行ってしまう。

 どうにも身動きが取れない。


 もう一生このひとの言いなりかと思うと、胸にモヤモヤしたものが溜まっていく。

 ヘンタイと指をさされながら私はノーザンスティックス領の領主業を継ぐのだ。

 そしてその悪名は次の世代にも、そのまた次の世代にも……。

 将来的に、ヘンタイ領として名を残してしまう。


「リルフィ、髪の毛をもらう。ちょっと我慢して」


 と、背後から青髪のひとに毛を抜かれる。

 モチロン抵抗はできない。

 チクっとした痛みに、気づかないフリでやり過ごす。

 一体、私の髪をとって何をするのだろう。


「……フローラ、リルフィをいじめちゃ、駄目」

「エリスフィア、リザルトが出たらいい思いができるよ」


 青髪のフローラが緑髮のエリスフィアに耳打ちをする。


「……おお。それは」

「くふふ」


 ふたりして私を見ながら、意地悪な笑みを向けてきた。

 きっと次の拷問の相談だ。

 私は自分の肩を抱いて震えを隠す。

 敵に怯えているところを見せたら、もっと増長だろう。

 苦行がエスカレートする原因となる。

 態度は従順でも、心は屈せず。

 私はふたりに笑顔を返した。


「……ん、ふぁ〜ぁ」


 後ろで物音。

 アリアを寝かせていた場所だ。

 振り返るとアリアが体を起こしているところだった。


「あっ、リルちゃん!」


 目が合うと、アリアの寝ぼけまなこにギラリと光が宿り、四つん這いで気持ち悪い虫のような俊敏さで迫ってきた。


「……っ」


 抱きつかれ、そのまま黙ってしまう。

 いつもならもっとわめくはずなのに、私が目覚めてからのアリアは本当におかしい。


「アリア、どこかイタいの?」


 すぐ近くにある黒髪をなでる。

 返事はなく、鼻をすする音。


「ごめん、気を失った時の記憶が飛んでて……私、そんなにアリアが心配するような状態だった?」


 フローラとエリスフィアの態度をみるに、私の記憶はごっそりと抜け落ちているらしい。

 しかし、アリアにはケガした時の記憶だけがないように伝える。

 それなら、アリアも受け入れてくれるだろう。


「リルちゃん……」


 アリアが顔を上げる。

 鼻を赤くして、涙を流して、メチャクチャになった表情。

 それが、私の体を這い上がってきて、目前まで接近して。


「……んっ」

「——っ!???」


 唇をつけられた。

 ふわりと柔らかな感触が、その熱が、唇から唇へ伝わってくる。

 アリアの睫毛がくすぐってくるほどの至近距離。


 いわゆる、キス。


 触れ合うだけなら事故で済まされるものの、アリアの唇と唇の間から舌が伸びてきて、思いっきり私の口内に入ってきた。


 突然のことに驚き、体がこわばって動けなくなる。

 私の中をアリアがかき回してきて、魂を吸い取るかのごとく、圧がかかる。

 喉がつっかえてしまって、息ができない。


「——ん、——ん!」


 空気を求めて、なんとか声を絞りだす。

 抵抗にもなっていない。

 アリアの体重がかかってきて、押し倒される。

 ああ、私、襲われているんだ。

 ようやく状況を理解したところで、アリアが離れてくれた。


「——ぷはっ、リルちゃん」


 袖口で口元をぬぐい、妖しげに笑うアリア。

 ほら穴の薄暗さも相まって、今のアリアは悪魔のように思えた。


「アリア……どうして……?」


 今持っている記憶に限れば、初めてを奪われた。

 それも同性に。

 自分の尊厳が傷つけられた、というよりも、他人の目線が気になって仕方がなかった。

 すぐそこにいるフローラとエリスフィアの方を見られない。


「……リルちゃん」


 私の上に馬乗りになったアリアが、無表情で見下してくる。

 じっと、私の目を見られている。


「……ほんとうは、どこから覚えてないの?」


 ——速攻でバレた。


「い、いや、気を失った時の前後左右」

「リルちゃん、わたし、魔法学校の人間をそそのかして、リルちゃんを退学させたの」

「……え?」


 いきなりヘンなコトを言われて、思わず聞き返してしまった。

 しかし、それが悪手。


「ほら、全然おぼえてないよね。ねえリルちゃん、最後の記憶は?」

「ちょっと待ってそれ冗談じゃ」


 馬乗りのアリアが四つん這いに。

 黒髪が私の輪郭を囲うように垂れてきて、視界が制限される。

 私とアリア以外の情報がシャットアウトされた。


 じっと見つめ合う。

 アリアの赤い瞳に、全てを覗かれているような感覚。

 そして、アリアは何かを諦めたように顔を上げた。


「リルちゃん、……ごめんね、ぜんぶうそだよ。わたしたちはね、遠足の途中で魔物におそわれたの。醜くて、厄介な魔物にね」


 やっぱりそうだったんだ。

 さっきのはアリアなりのジョークだったのだろう。

 それ以上は深く考えないことにする。


「……ところで、さっきの、アレは、なんだったの」


 キス、と直接表現するのにためらい、遠回しに言う。

 今の私にとって大事なのは、そっちの問題だ。


「リルちゃんが起きてくれたのが嬉しくって、つい。……うん、もうしないよ」


 アリアは一瞬だけにっこりと笑顔を見せて、私の上からいなくなった。

 冷静になって、アリアの感触が生々しく思い返される。

 イイともイヤとも言えないむずかゆい気持ち。

 認めてしまえば、世間から後ろ指をさされる立場になる。


 アリアは向こうのふたりと合流してしまった。

 残された私は体を起こして、ほら穴の壁に移動する。

 寄りかかって胸に手を当て、早くなった鼓動を落ち着かせようとした。

 アリアは他のふたりと、会議を始める。


「……アリア、リルフィの体調が戻らないのに、このまま進むの?」

「うん。つぎはシエルメトリィ領でしょ? あそこなら一応、入れるとおもう」

「しかし、そこにもワタシらの仲間の気配がある。ワタシもエリスフィアも暴走していたとなると、次の街も危険だと予想される」


 完全に私がお荷物だ。

 あの人見知りのアリアが他人と会話をするようになるほどの緊急事態で、私は役立たず。

 唯一、シエルメトリィ領は聞いたことのある単語だ。


 確か、神学の授業で出てきた。

 始祖メトリィ様が天に昇ったとされる聖地だ。

 メトリィ教の聖職者は、そこで修行をして一人前になる。

 話を聞くに、どうやらこのほら穴は、シエルメトリィ領の近くにあるようだ。


「あの場所は入るよりも出るのが難しいところだから、検問はゆるいよ。それに宗教都市はエルフィード王国の法がおよばないから、手配書も出回ってないでしょ」

「……ボクはその辺のことはよく知らない。その辺りはアリアに任せたほうがいいかな」


 手配書って?

 アリアとエリスフィアが、また私の知らない事を話した。

 もうみんなに記憶がないことが知られてしまったのだから、1から10まで全部教えて欲しい。


「アリア、どういうこと?」

「リルちゃん、この辺りにはね、魔物のほかに、おそろしい犯罪者がひそんでいるんだよ。それでいまからシエルメトリィ領に逃げこむの。大丈夫? うごける?」


 まるで赤子をあやすような諭し方。

 私の存在がずっと小さくなった気がする。


 アリアが立ち上がると、他のふたりも移動の準備を始めた。

 こちらに手を差し伸べられたら、会話を断念して掴むしかない。

 まだモヤモヤが治らないけど、記憶を失ったひとがあれこれ考えていても、何も発展しないだろう。

 アリアの手を取って、離さないように、アリアの少し後ろを歩くことにした。


 アリアが先頭で、エリスフィア、フローラがしんがり。

 ここの地形は谷になっていた。

 私たちは谷底にいるようだ。

 ほら穴を出てまず、崖に挟まれた道と出会う。


 ゆるやかな下り坂を進むと左右の岩肌の標高がどんどん高くなっていって、どんどん谷の深い方へと進んだ。

 途中途中で分岐があって、無闇に進んでいると大自然の迷路に迷い込んでしまいそう。

 幸い、分岐の度にシエルメトリィ領の方向を示す看板が立っていて、さらにそっちの方は地面が踏まれて道ができているから、悩むことはなかった。


「リルちゃん、魔物」


 アリアに手を引かれ、急停止。

 魔物の存在を知らされるも、周りには何もいない。


「……リルフィ、魔剣は?」


 後ろのエリスフィアに聞かれるが、なんのことやら。


「今のリルフィには不可能。せっかく契約したのに、使ってもらえない。知識を得る悦びを味わえないなんて、かわいそう」


 フローラにはバカにされた。

 無視してアリアの手を握るチカラを強める。

 私なんかがアリアお嬢様に頼るなんておこがましいけど、それしかすがるものがないのだ。


「……そんな言い方をしたら、リルちゃんが悲しむじゃない」


 アリアが振り返って、後方に手をかざす。

 何もない中空から岩の塊が現れた。


「あ、ふたりとも、危ないっ」


 声をかけるが、岩は問答無用でフローラとエリスフィアの立つ場所に落ちる。


「おっと」


 フローラがしゃがみこみ、真っ先にエリスフィアが当たる構図に。


「……んなぁ!?」


 エリスフィアはとっさに反応出来ず、頭上の岩を見つけて口を開けていた。


「あ、あああ!」


 ふたりを助けようと一歩踏み出そうとしたが、強いチカラで引っ張り戻された。

 アリアに抱きしめられる。

 ふたりがなすすべもなく潰されるところを、特等席で見ることに。

 

 岩が、エリスフィアのアタマに触れる。

 そのままエリスフィアは赤い水たまりに生まれ変わるのかと思ったが。

 岩が彼女に触れた瞬間、それは跡形もなく消えてしまった。


「……びっくりした」

「ごめんね! つい!」


 アリアが謝る。

 ということは、あの岩をアリアが出したの?

 何もないところからモノを生み出すのは、魔法しか考えられない。

 でもアリアは詠唱をしていないし、どうして??


「ワタシはエリスフィアのように魔法無効化はできない。気をつけてくれたまえよ」

「……ああはいはいごめんね」


 アリアの声のトーンが一段下がり、振り向きざまに早口での謝罪の言葉。

 反省する気がないのは私でもわかる。


「……今のでおびき出せたかな?」


 アリアが岩肌に顔を向ける。

 ただの岩場だと思っていたその場所が、動いた。

 壁が動いているかのように錯覚する。

 でも、にゅるにゅると滑らかに這い寄る動作から、それが蛇の魔物だと理解させられた。

 それが私たちの行く道を塞ぐ。


 大きい。

 私の身長よりも大きな体高と、先が見えないほどの全長。

 とぐろを巻いて、私たちのどれから食べようかと品定めをしている。


「アリア、逃げないと」


 こんなに大きい魔物、勝てっこない。

 魔法学校で子供騙しのような戦闘訓練をしただけでは、実戦なんてムリだ。


 手を引っ張っても、アリアはこちらを振り返ってくれない。

 アリアは堂々と、蛇の魔物とにらめっこをしていた。


 魔物の顔にあたる部分がばっくりと6つに割れる。

 どす黒い中身を見せて、重低音で、威嚇をして来た。


「——ひっ」


 心臓を揺さぶられる。

 地面が揺れて、石ころがひとりでに動いている。

 腐ったようなにおいが充満する。

 ネバネバとした液体が体にかかる。


 あっけなく足腰が立たなくなって、尻餅をついた。

 怖くて、痛みも感じない。


 死ぬ。

 殺される。

 食べられる。

 魔物のお腹の中で、ゆっくり溶かされて、死を待つ。


 アタマの中が死への想像で埋め尽くされ、体が震える。


「リルちゃん……」


 アリアは平然と振り返って、私を見て口を歪めた。


「あ、あ、ありあ、っ……」


 言葉を出そうとしても、歯ががちがちと鳴るばかり。

 震える腕を必死に動かして、もう一度アリアの手を取ろうとした。


 ——瞬間、蛇の顔が目の前に落ちて来た。

 巨体が地面を打る振動で、体が跳ねる。

 アリアのいたところに、口を開けた魔物が覆いかぶさっている。


「ありあ……?」


 伸ばした手の先に、アリアはいない。

 アリアは食べられた。




 次は、私だ。


 あの巨体が、ひとりを食っただけでは絶対に満足しない。

 私は本能のままに、後ずさり、這いつくばって少しでも魔物と距離を取ろうとする。


 すぐに、後方ふたりの足元にたどり着く。


 ……そうだ、次はこいつたちだ。

 このふたりをオトリにすれば、私は逃げることができる!


「……なにその表情」

エキサイティングそそる


 急いでふたりの後ろに回り込むと、やっと足が言うことを聞くようになって、立ち上がる。

 私は、こけそうになりながらも、走って逃げようとした。

 

 しかし、ふたりが回り込んできて、退路を断たれる。

 考えていることは、みんな一緒。

 生きる伸びるために、誰かが犠牲にならないといけない。


「どいて! 私が食べられる!」

「……ようやくアリアの危険性に気づいたんだね。そう、リルフィはこのままだとアリアに食べられてしまう。ボクと一緒に遠いところに行こ?」

「リルフィを食べるのはワタシだ。具体的に言うと——」


 訳のわからないことを言って道を譲らない。

 どいて、どけよ。


「早くしないとアレに…………アレ、に?」


 後ろ目に魔物の様子を見ると、さっきまであった巨大なとぐろがなくなっていた。

 あんなに大きな巨体が、一瞬にしていなくなっていた。


 そんなことありえない。

 体を向けてもっとよく見てみると、ブロック状に切り刻まれた蛇らしきもの。

 黒い液体が地面に広がる中心で、ひとがひとり、立っていた。


「リルちゃん……一人でにげないでたすけてよ……」


 全身を黒く染めた人影が、呪詛を吐きながらゆっくり歩いて来る。

 声はアリアのもの。

 魔物に食べられたアリアが、逃げた私を恨んで追って来ているのだ。


 ——悪夢だ。

 アタマがいたい。


 再び私は地面とお友達になる。

 もう逃げられない、と思った。


「ああ、リルちゃん。仲間を囮に自分だけ生き延びようとしたリルちゃん。最低なリルちゃん、好き。襲っても、罪悪感で何も抵抗ができないんだろうなあ。……食べたい」


 黒いシルエットから、赤い目だけが私を射殺すように向けられていた。


「……怖がっているリルフィ。閉じ込めて甘やかして一生ずっと永遠に可愛がってあげたい。ボクが一緒にいてあげないと泣いちゃうリルフィ、なんて魅力的なんだ」


 背後からアリアじゃない声も聞こえて来た。

 エリスフィアのもの。

 そしてもうひとり。


「なるほどこうすれば効率よくリルフィの分泌液を採取して精製して濃縮してワタシの体に塗布して内服して吸引して全身でリルフィを感じることが可能になると判明。これからリルフィはワタシがエデュケーション教育する」


 卑怯でクズな私は、三方向を囲まれる。

 赤色の瞳アリア橙色の瞳エリスフィア緑色の瞳フローラに見下され、体から熱が引いて行く。


 恐怖と罪悪感と緊張が重なって、心の中で何かが弾けた。




 ——気を失うことが、ちっぽけな私にできる唯一の救いだった。

 



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