2章 喪失
知らぬ場所にて再臨
——長い夢を見た気がする。
具体的にどういうものだったかは、もう思い出せない。
ものすごく怖い夢を見た、ということは覚えている。
でも、何が怖かったのか、急速に記憶が失われて行く。
意識が戻ってきた時には、もう何もない。
夢なんてそんなものだ。
ただ、辛い思いをする夢。
魔法学校で平和的に過ごしている私には、縁のないことだろう。
夢は夢。
確か今日は神学Iの試験日。
早く起きて準備しないと、留年の危機だ。
「——リルちゃん! リルちゃん!」
アリアのにおいがする。
アリアめ。
また私の部屋に勝手に入ってきたな。
ヤツは鍵を閉めても、知らないうちに合鍵を作って侵入するのだ。
入り口を棚で物理的に塞げば、今度は窓から入ってくる。
1匹いたら100匹いると思え。
ヤツはどこからでも入ってくるぞ。
襲われる前に目を開ける。
同時にブランケットを体に巻きつけて、身を守るようにする。
「リルちゃんよかった!」
目を開けると、視界いっぱいのアリアの顔。
黒髪が全部私の顔にかかってくるから、顔を振ってどける。
「アリア……勝手に入ってこないでって、いつも言ってるでしょう」
「リルちゃん!? ねえだいじょうぶなの!?」
アリアの顔が動き、その向こうの景色があらわになる。
「……ん?」
知らない天井、というか岩肌。
明らかに人間が作った建物の中じゃない。
どうして私がこんなところに?
確かに自室のベッドで寝ていたハズ。
……ううーん。
どうも夢以外の記憶もあっちこっちに飛んでいて、混乱している。
まあ、寝ぼけているだけだろう。
少しすればスッキリするでしょ。
「……よかった、リルフィ。何かお腹に優しいものを持ってくるよ」
聞き覚えのない声が、アリアのうしろから聞こえてきた。
私が今置かれている状況から、誰なのか考えてみる。
場所。
目覚めたのはどこかの洞穴の中。
入り口はすぐそこにあって、光には困らない。
私の状態。
目覚めたのはいいけど、体にチカラが入らない。
もしかしたらケガをして、記憶が飛んでいるのかもしれない。
最後の記憶は、魔法学校の寮の自室でベッドに入ったところ。
今日は定期試験の日だと思っていたが、現在の状況を考えると違いそうだ。
……となると、思い当たるのは試験後に行われる遠足かな?
つまり、私の周りにいるひとたちは、アリアを含め行動班の一員だ。
そして、私にケガの形跡があることから、なにかの事故があってここに避難してきたのだろう。
どうだ私の名推理。
記憶がキレイさっぱり抜け落ちているのはイタイけど、アリアに心配かけないように振る舞わないと。
「アリアが治してくれたの?」
こう聞くことで、自然に被害状況を教えてもらえる。
記憶が抜け落ちているとバレれば、アリアが取り乱して暴れるかもしれない。
少し情緒不安定なところがあるから、大事に大事にしてあげないと。
「うん。ぜんぶわたしが治したよ」
「——それは違う。細かい指示はワタシが出したのだから、コントリビューションはこちらの方が上」
新たな人物が現れた。
大変珍しい青い髪のお方だが、あからさまに不審がってはいけない。
どこかの名門貴族さまだったら、取り返しがつかないことになる。
こういう時は全部アリアに任せておいた方が安全だ。
「うんそうだねフローラのおかげでもあるね」
「表情筋のこわばり。静脈の出現。アリアは全く感謝の気持ちを持っていないことが明らか」
青髪の方はフローラと言うらしい。
アリアの言葉にいちいち指摘を入れていて、なんだか気難しそうなひとだ。
「……リルちゃん、目が覚めてよかったぁ!」
「うぉう」
フローラへの対応がめんどくさくなったアリア。
動けない私の上に、のしかかってきた。
ケガしたところに響く……ということはなく、ムダな心配。
どうやら私のケガは跡形もなく治っているらしい。
「アリア、他のひとが見てるから、ガマンして」
「なにをいまさら。もっと見せつけようよ」
アリアが私の言葉を否定し、頰を胸に擦り付けてくる。
ううむ。
今日のアリアには違和感がある。
まず他のひととまともに喋っているのがありえない。
いつもはアリアがキレて他人を遠ざけてしまう。
そもそも行動班が成り立っていること自体が奇跡なのだ。
それにアリアが私の言葉を否定した。
離れろと言っても離れてくれない。
私の言うことを聞かないと死ぬ、みたいな価値観を持っているアリアに、キッパリと拒絶された。
それで自分の意見を押し通すなんて、普段のアリアが見たら絶叫しておもらしするだろう。
それくらい、今のアリアは様子がおかしい。
なんというか。
すごく普通のひとっぽいぞ。
「アリアこそ、だいじょうぶなの?」
アタマが。
「わたしのことはどうでもいいの! リルちゃん、心配したんだからぁ!」
アリアはそのまま私の胸の中で泣いてしまった。
アリアもケガをして記憶を失ってしまったのだろうか。
主に人格をつかさどるような大事な部分が。
まあ、普通のひとに戻ってくれて悪いことはない。
しばらくそっとしておこう。
「アリアのおかげで元気いっぱい。ありがとね」
「リルちゃ、あぁぁぁぁん! ……ぅ、ぐすっ、ぉおううぃぁゃえうぁん、ぽ!」
アリアは泣きすぎて語彙力を失った。
意味不明な音を並べて、なにかを私に伝えようとしている。
よくわからないので、とりあえず頭を撫でておく。
「はいはい。大丈夫だよ」
「よかった、リルちゃん、よかった……」
次第にアリアが静かになって、泣き始めてから数分もしないうちに無言になった。
「……あら、寝ちゃった?」
私の言葉にも反応せず、すやすやと寝息をたてるアリア。
大きな子供が寝付いたおかげで、いつのまにか肩にチカラが入っていたのがゆるまってくる。
「彼女は寝ずに看病していた。疲労と安心で休眠期に入ったと考えられる」
意識の外から声がして、すぐさまそちらの方に顔を向ける。
そうすると、ふたり分の視線がこちらに突き刺ささっているのに気づく。
班員のひとだ。
アリアが眠ってしまったから、私が対応しないといけない。
再び身が引き締まってきた。
「あ、あの、アリアはただの友だちで……気にしないでくださいね!」
魔法学校という狭い世界の中では、ひとのウワサはすぐに広まってしまう。
私とアリアが付き合っていると思われたら、恰好の的になる。
そうならないように、私にはそういうシュミがないことをはっきり示さないといけない。
「……リルフィ、なに言ってるの?」
「待ってエリスフィア。言動に異常が見られる。カウンセリングを試みる」
「……できるの?」
これまた珍しい、緑のおぐしの方が、心配そうに私を見てくる。
青と緑のふたりで、私のアタマがおかしいことを陰口で言っている。
聞こえているから陰口じゃなくて悪口?
どちらにせよ、私はただ耐えるのみ。
なるべく目を合わせないようにしていると、青髪にアゴを持ちあげられ、強制的に向かい合うことに。
「リルフィ、ワタシのこと分かる?」
直球で、答えにくい質問をされた。
ただでさえ貴族様の顔を覚えるのが苦手なのだから、これは記憶があってもなくても返答は変わらない。
「申し訳ございません。大変失礼だと存じますが、お名前はまでは……」
「じゃあこっちは?」
緑の君を指し示すが、当然のようにわからない。
「単刀直入に聞く。最後の記憶は?」
青髪のひとは完全に私を記憶喪失だと断定したうえで聞いてくる。
こんな聞かれ方をしたらごまかしようがない。
「……その、寮のベッドで寝たのが最後の記憶で。あ、でも、アリアには内緒にしてくださいませんか!?」
幸いにもアリアが眠っているので、本調子ではない体にムチ打って、ふたりの前でアタマを下げる。
爵位のない私がどんなにお願いしたところで意味はないのかもしれないが、それゆえ必死に頼み込む。
アリアにバレる方がよっぽど大変なのだ。
「くふふ……。広められたくなければ、足を舐めてお願いしてみて」
そう言って青髪のひとはブーツを脱いで、長いローブの下から足を出してきた。
屈辱的。
でも、やらないとアリアにバラされる。
青髪のひとの、ほんのり湿った足を手に取り、顔を近づける。
「くふふ、ふふ」
「……ばか。リルフィになにをさせようとしてるんだ」
「ああ、残念」
緑のひとが割って入ってくれたおかげで、舐める直前でやめることができた。
このひとは良心的だ。
アリアが起きるまでは、なるべく緑のひとの取り巻きをやろうと企んでいると、むしろ向こうからやってきてくれた。
私の前で、黒いゴシックドレスが汚れるのも気にせず膝をつき、私のアタマを抱いてきた。
「……見知らぬやつに変なことやらされて、こわかったね。でもボクが守ってあげるから、安心して」
視界は真っ暗。
ふわふわであたたかい。
とても安心する。
この感触はまさに。
「おかあさん……」
魂の奥底から絞り出された言葉。
貴族様の、それも同級生に向かって言ってしまった。
ことの重大さに気付き、あわてて緑のひとから離れようとする。
しかし、きっちりと固定されて逃げられなくなっていた。
「……よしよし。甘えん坊さん、もっといっぱい頼ってね」
「ご、ごめんなさい! 申し訳ございません! 大変失礼な言葉を!」
緑の君の胸の中で平謝り。
失態続きだ。
もう平穏な学園生活はムリかも。
「……これは、なかなかに新鮮だね」
「記憶を失っている間はやりたい放題」
青と緑のふたりが良からぬことを企んでいる。
私はこれからどうされてしまうのだろう。
「リルフィ、アリアには黙っててあげるから、ワタシらの言うことをなんでも聞いて」
「な、なんでも……?」
貴族様に使われる私。
パシリ、サンドバッグ、イス、馬……。
およそ思いつく限りの仕打ちがアタマの中をよぎる。
「……ふふ。お母さん。いい響き。ボクのことをお母さんだと思って甘えてね」
「ワタシにサンプルを提供することにアグリーして」
ふたりが私の目の前に立って、見下ろしてきた。
イヤとは言わせないほどの、ものすごい圧力。
予想していた要求とは違うものの、やはり私の身が無事でいられる見通しが立たない。
「わ、わかりました……」
うなずくしか生き残る道はないのだ。
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