彼女は運命に翻弄される

——目が覚めました。


 地平線がよく見える原っぱにて、わたくしは正気に戻ったようです。

 でも狂ったままでいた方が幸せだったかもしれません。

 空を見上げて、現実逃避に全力疾走してます。


 わたくしがなぜここにいるのか、記憶がございません。

 それまでのわたくしは、とにかく何かを成し遂げようとしていたのです。

 足が疲れて立てないのと、体のべたつきと汗のにおいが、その痕跡を示していました。

 そしてすごくねむたい。


 今、鏡を見ればたいへん残念な顔になっているのでしょう。

 しかし、周りにわたくしの顔を見られる者はいません。


 ……現実に目を向けましょう。

 わたくしは大勢の民と列をなし、どこかに行こうとしていたようです。

 そしてその人々は現在、わたくしの周囲に横たわっていました。


 ただ倒れているのではなく、死亡しているようです。


 血を吐いて倒れる男。

 四肢が変な方向に曲がっている女。

 武器を互いの胸に刺して死んだ二人の冒険者。

 全裸で抱き合ったまま白目をむいて動かない男女。


 死因は様々ですが、少なからず暴力の跡が見えます。

 運が悪ければ、わたくしもあの中のひとつになっていたのでしょう。

 記憶がないことに恐怖を覚えます。


 皆、正気を失っていたために、このような惨状が広がっている。

 全ての元凶は、グロサルト領の領主です。

 わたくしの中の最後の記憶は、あの女の目を見たところまでです。

 それから何も考えられなくなり、気付けばここに。


 疲労の程度は、極限の状態。

 立てないのはもちろん、こうして座っているのも辛いです。

 普段、大した運動をしない平民なら、どうなってしまうでしょう。

 答えは目の前に転がっています。


 考えることが億劫になってきて、欲望の限りを尽くしたいという衝動。

 体が動くのなら、人目もはばからず、今からリルフィ様を『想って』しまいそうです。

 そのようなわたくしと同じ結論に行き着き、倒れている民もいるのでしょう。

 欲望は様々です。

 人を虐げようとする者。

 快楽の限りを尽くす者。

 食を求める者。

 そのいずれかを満たそうとそた痕跡が、見渡す限りに広がっていました。


 ……過労と錯乱により、この行列は全滅したのです。


 わたくしは体力の限界を迎えて地面に倒れ込み、空を眺めます。

 雲は意外と早く動くものです。

 走っても追いつけない程。


 こうして正気に戻ったということは、領主の力が及ぶ範囲から抜けたのでしょうか。

 もしくは、領主が倒れた、とか。

 

 あの街にはアリアがいました。

 残虐な思考を持つアリアならば、気まぐれで領主を殺してもおかしくはありません。

 なんにせよ、わたくしは助かったのです。

 自分の体調を鑑みるに、元に戻るのが少し遅れたら、わたくしも周りの亡骸の仲間になっていたかもしれません。


 この幸運を与えてくださった始祖メトリィ様に祈りをささげ、亡くなった人々にも祈りを捧げ、わたくしはしばらく、眠ることにしました。




 ——そして、鼻をつく腐敗臭に、体を引き起こされます。

 一日は経過したのでしょうか。

 体の疲れはちっとも抜けておりませんが、思考力が戻ってきたようです。


「っ、治癒の光よ、メロディアの名において、内なる苦痛を、無に帰すことを命ず」


 激しい筋肉痛を、治癒の上級魔法ですみやかに完治させました。

 これで心身ともに健康状態です。

 魔法が使えない平民は、一体どうやって生活するのでしょう。

 この腐敗臭の真っ只中で、目覚めても身動きがとれない事態など、想像したくありません。


 遺体の列は、日が経って腐り始めてしまったようです。

 特に、傷が付いている遺体は、腐敗が早い。

 傷口は変色し、羽虫が辺りを飛び回っています。


 お腹の中は空で、酸っぱいものが込み上げてきます。

 動けるようになった体で、早々と遺体の列から離れました。


 遺体の近くを飛び回る羽虫は、なんでも食べる魔物です。

 人の味を覚えてしまった個体は、生きている人間までも食べ始めます。

 しかも、増えるのが異常に早く、群れをなして人一人を一瞬で食い尽くすことも。

 すでにわたくしの腕にも何匹か寄ってきてしまい、ちくちくと噛み付いているのが分かります。

 それをいちいち手で潰しつつ、虫がいない場所まで逃げました。


 このまま放っておくと、虫は大繁殖し、ここを通る人間を襲うでしょう。

 そのため、遺体を焼き払ってやるのが死者に対する最善の弔いです。


「大いなる火炎よ、メロディアの名において、広範に、長期に、大地に災いをもたらすことを命ずる」


 抜いた剣で、火炎魔法の始点と終点を示し、詠唱通りに魔法を発動しました。

 燃え上がる炎に、祈りを捧げます。


 空の果ておわしますメトリィ様より、ご慈悲を賜れますように。


 そうして念じた瞬間。

 一筋の閃光が頭の中を通り過ぎました。


 この感覚は、知っています。


 目蓋の向こうに見えてきた、ここではないどこかの景色。

 まず目に付いたのは、床に広がる赤い液体でした。

 つい先ほど同じような光景を見ました。

 嫌な予感を察知し、その赤い液体の出所に視線を移動させるよう念じます。


 ——リルフィ様が、無惨な姿で倒れている光景が、映りました。


 冷や汗がでてきて、歯を噛み締めます。

 取り乱してはなりません。

 集中を。

 ここで目を開ければ、助けに向かうことも敵いません。


 リルフィ様が倒れている場所が分かるように、引き続き視線の移動を念じます。

 岩で作られた浴槽と、隣にプール。

 その間に領主が横たわっておりました。


 まさか、リルフィ様と領主が戦って……。

 相打ちになってしまったのでしょうか!


 これ以上は我慢できず、目を見開いて行くべき方向に体を向けました。

 あそこなら覚えています。

 わたくしも泊まっていたので覚えています!

 グロサルト領の宿屋っ!


 リルフィ様を傷つけた領主に憎しみを覚え。

 一緒に付いているはずのアリアへの憎しみが増し。

 そこにいられなかったわたくしに嫌悪し。


 馬がいないため、自分の足を動かすしかありません。

 怒りと不安で涙を流しながら、わたくしは来た道を走って戻りました。




・・・・・・・・・・・




 追い風の魔法と回復魔法の併用により、なんとか日が暮れる前には街に到着しました。

 領主に妙な術をかけられた錯乱状態の人間が、一日に進める距離など大したことはないのです。

 無闇に体をこわすだけ。

 上手に魔法を使えば、ほとんど消耗することなく、移動することができるのです。


 途中、街への道を案内するかのように、民の亡骸が倒れていました。

 非常に残念ながら、いちいち弔っている余裕はありません。


 リルフィ様のことだけを想い、ひたすら前に進んで、件の宿屋までたどり着いたのです。


 建物の最上階、貴賓室の扉を力任せに開け、バルコニーへ一直線に進みます。


「…………リルフィ様」


 床は、血飛沫で真っ赤に染められていました。

 不謹慎だとは思いつつも、深呼吸をしてリルフィ様を感じとります。


 しかし、です。


「……リルフィ様は、いずこへ」


 こんなに血を流してしまえば、立ち去ることなど容易ではない筈。

 なのに、リルフィ様の姿はどこにもありませんでした。


 残っているのは、倒れた領主のみ。


「グロサルト領主。リルフィ様の居場所を教えなさい」


 領主の元に寄り、語りかけます。

 すでに領主の息はなく、死んでいることはわかりますが。

 リルフィ様のためならば、死んでいても答える義務があるのです。


「リルフィ様の居場所を!」


 回復魔法を唱え、領主にかけてやります。

 死体を回復しても意味がないことは承知しております。

 当然のように、領主の体が動くことはありませんでした。


 いてもたってもいられず、わたくしはうつ伏せになった死体を転がし、その胸ぐらを掴んで持ち上げました。


「この惨状は、おまえがやったのですか!」


 答えがなくとも分かります。

 この汚い死体は、リルフィ様を攻撃したのです。


「……くっ、この、ぉ!」


 握る手に一層力が入り、領主の死体を殴りたくなる衝動に駆られ。

 でも、モノに当たっても無意味だと言い聞かせ、自分を抑えます。


 なぜ答えない。

 リルフィ様に関係することは、わたくしに報告せねばならないのに!


「なぜ死んでいるのです!」


 ここで一人で叫んでも、時間の無駄なのです。

 でも、もう手がかりがなく、どこに行っていいかも分かりません。


 グロサルト領主の醜い顔を睨むばかり。

 すると。


「……ギ」


 持ち上げていた領主が、動きを……。


「……ギギギギギ」


 徐々に首が動き。

 こちらを向こうとするも、正反対の方向へ動いていきました。


 真後ろ。

 骨がねじ切れる音を立てながら、首が回って。


「リ゜、る、ヴィ、さ、マ」


 愛しき名前を呼ぼうとする音。


「おまえにその名を口にする権利はない! リルフィ様の居場所を吐いてさっさと死ね!」


 憎き顔が近くにあるのに嫌気がさし、掴んでいた手を放して領主を転がしました。

 領主は無様に床を這い、逃げようとしました。


「あ、い、し、て」

「ああもう! じれったい!」


 ……領主への八つ当たりに、疲れました。

 火炎の魔法を唱え、焼却処分を行います。


 ため息をつくと、今度は深い自己嫌悪に陥りました。

 無意味なことに、時間を浪費してしまった。

 こうしている間も、リルフィ様は苦しんでいるというのに。


 冷めた頭で考えると、リルフィ様を攫った犯人はアリアしかおりません。

 アリアがリルフィ様の肉体を弄んでいるのです。

 リルフィ様を傷つけたのは、アリアという可能性もあります。


 残虐なアリアはリルフィ様を苦しめて喜んでいるのでしょう。

 不本意ながら、同じ血を引くわたくしにも、その気持ちが分かってしまいます。

 リルフィ様の色々な表情を見てみたい。

 笑った顔も、泣いた顔も、苦しんだ顔も。


 しかし、世間から遠ざけられて育ったアリアには、およそ正常な人間の感性が欠落しているので、リルフィ様を苦しめることでしか、快楽を得られないのです。

 そこがわたくしとの違い。


 だからこそ、一刻も早くリルフィ様を救助せねば、命が危ないのです。

 

 手がかりを探すべく床を見てみると、血の跡が点々と、どこかに移動していくように落ちていたことに気づきました。

 日が落ちかけて視界が悪くなっているとは言え、こんな簡単なことに気づかないなんて、余程取り乱していたのでしょう。

 自分のふとももを思い切り殴って、罰を与えます。


 そしてその血痕を辿って、リルフィ様を追うことにしました。


 部屋の外へ、階段へ、宿の外へ。

 その道標はわたくしが走って来た道をなぞるように続いています。

 段々と、涙で前が見えなくなってきました。

 愚かなわたくし。

 始祖メトリィ様より天罰を賜りたいです。


 大通りを行き、街の出口にて、わたくしは足を止めました。

 そこで、膝をつき。


「うっ……うう……ごめんなさい……わたくしは……っ!」


 ここから先は、舗装されていない道。

 リルフィ様の血液は、地面に吸われて見えなくなってしまいました。

 よく目を凝らせば分かるかもしれません。

 しかし、完全に日が落ちて、星が見え始めているところで、これ以上の追跡は明かりの魔法があっても分からないでしょう。

 明日になれば血液はさらに変色し、完全に地面の色と同化してしまいます。


 わたくしはその場にうずくまって、溢れる涙を拭くことしかできなくなってしまいました。


 わたくしの運命の人。

 リルフィ様を、失ってしまったのです。


 喪失感から、今すぐ喉を掻き切って死にたい気分です。

 でも、その気力すら出せないほどの脱力。

 汚れるのも構わずに寝そべり、何もない所を見つめました。


 もう考えるのも嫌。


 生きる意味がない。


 このまま朽ち果てるのを待つ。


 お疲れ様でした。




 ————。

 ——。




「——メロディア! どうした!」


 そして何度目かの朝日。

 顔に当たる日差しにうっとおしさを感じていると、誰かに名を呼ばれました。


「しっかりしろ!」


 体を持ち上げられて、肩を揺さぶられているようです。


「余はアキュリーだ! 姉が来てやったぞ! 分かるかメロディア!?」


 返事が面倒なので、どこか別の方を眺めます。

 すると頰に衝撃。

 叩かれました。


「答えろメロディア! 何があった! 街の人間が全滅しているのだ!」


 街の人間が全滅。

 人が死んだ。

 リルフィ様がお亡くなりになってしまった。

 耳障りな声で、信じたくない現実を掘り起こされます。


「……リルフィ様ぁ」

「りるふぃ? ……リルフィだと! あの手配犯のことか!?」

 

 再び涙が垂れてきました。

 飲まず食わずで体が乾いていても、リルフィ様に捧げる涙はあるのです。


「リルフィがどうしたというのだ! この街にいたのか!」

「……わたくしもすぐにそちらに」


 もう一度、叩かれました。

 でも痛みは感じません。

 すべてが悲しみに変わるのです。


「まさか、リルフィが死んだのか……?」


 軽々しく死んだと言って欲しくないです。

 辛い。

 本当に辛い。


「……メロディア、すぐに城に戻るぞ。早急に情報を収集する必要がある」


 わたくしの体が付き添いの兵士に引き渡され、先を行くお姉様の後に運ばれます。

 街の外堀の前に停められた馬車に放り込まれ、すぐに動き出しました。


 ……はあ。




・・・・・・・・・・・




 それからエルフィード城の中は何かと忙しそうにしていましたが、わたくしには関係ありません。

 自室のベッドの上で寝っ転がり、リルフィ様の手配書に描かれた似顔絵を眺めるばかり。


 出された食事をメイドに無理矢理食べさせられ、生かされる毎日。

 物を食べたら出るものもあり、それすらもメイドに任せっきりになっていました。


 お姉様が事情聴取として何度も訪ねてきましたが、答える気もありません。

 数日経つと、お姉様は諦めてこなくなりました。


 寝るとリルフィ様の夢が見られます。

 わたくしとリルフィ様が出会って、恋をして、共に過ごして、愛し合うのです。

 眠っている間は幸せで、一日の大半を眠って過ごすようになりました。


 起きている間は、手配書の似顔絵を眺め、寝ている間はリルフィ様と通じ合い。


 リルフィ様を失ってなお、わたくしの胸の中はリルフィ様でいっぱいでした。




 そんな生活が、ある日、壊されました。


「メロディア。いい加減にしろ。放っておけば治ると思ったが、これ以上は無駄だろう」


 こなくなってから数日、久し振りにお姉様がやってきたのです。

 その言葉は、わたくしを見限るもの。

 ようやく、わたくしはここから解放され、リルフィ様の後を追うことを許されたかと思いました。

 しかし、次に続く言葉はわたくしの期待を裏切るものでした。


「お前はこれから修道院で暮らしてもらう。神の元で正しい生活を送り、リルフィのことは忘れて真っ当な人間に戻るが良い」

「…………ぁ?」


 久しく声を発することがなかった喉は、上手く機能しません。

 拒否しようと口を開けますが、言葉にはなりませんでした。


「連れて行け」


 今までわたくしの世話をしていたメイドに体を掴まれ、乱暴に引きずり出されました。

 ベッドのシーツを掴んで抵抗をしますが、シーツが剥がれただけで無意味。

 床に爪を立てても構わず引きずられ。

 自室を出るとメイドが二人に増え、握りしめていたリルフィ様の手配書が取り上げられ、手も足も出せない状態で運ばれました。


「……リルフィ様、リルフィ様」


 リルフィ様とのつながりが消えてしまう。

 名前を呼んで、リルフィ様への愛を形にします。

 そうすれば、かろうじて大丈夫な気がして。


 メイド達は一言も発さずに、わたくしを王城の外へ運び出しました。

 城の前に停められた馬車に放り込まれ、外から鍵を閉められます。

 お姉様と教会の関係者らしき人物の会話が始まって、すぐに終わり。


 こうしてわたくしは、メトリィ教の聖地・シエルメトリィ領へ、送られたのです。




 馬車に揺られ、リルフィ様を想いながら、ある決心をしました。

 たとえどのような厳しい生活が待っていようと、わたくしはリルフィ様のことを決して忘れません。

 リルフィ様は、不幸な子です。

 ノーザンスティックス家に生まれた不幸、アリアに目をつけられた不幸、まだ成人もしていないのに命を散らしてしまった不幸。


 可哀想なリルフィ様のことを知るのは、この国でわたくしだけでしょう。

 だからわたくしが、その全てを背負うと決めました。


 リルフィ様の無念を、わたくしが晴らすのです。



 ——生涯ずっと信じてきた、メトリィ様を敵に回しても、です。



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