街は静寂に包まれて




 ——宿の従業員はみんな死んでいた。




 部屋に戻って朝食を済ませた後、私たちは宿の中を探索した。

 手始めに、宿の入り口の受付に行くと、カウンターテーブルの死角にひとり倒れていた。

 各階の廊下を歩くと、清掃員だったものがところどころに倒れている。


 スタッフルームに入ると、まだ生きているひとがいた。

 しかしその従業員は、私たちを視認すると笑い声をあげ、泡を吹いて息絶えた。


 従業員専用の階段を上ると、ちょうどバルコニーの下に位置する場所についた。

 宿の外から中に入り込んでいるパイプが、私たちの横を通ってさらに上の階に続いている。

 パイプの途中には大きな鍋のようなものがあり、そこで水を火にかけて温められるようになっている。

 この構造から、ここが私たちが入っていたおフロのお湯を作る場所だとわかった。


 部屋には3人が床に転がっており、時折思い出したかのように痙攣している。

 水を汲むひと、お湯を作るための火を維持するひと、できたお湯をさらに上の階に運ぶひと。

 部屋にお湯を供給するため、ここで休まず肉体労働をしていたようだ。


 おフロのお湯は常にパイプから流れてきて、今朝は冷水が流れていた。

 このひとたちも、ついさっきまでは普通に動いていたのだろう。


 私たちが宿泊して3度の夜が明けた。

 その間、いつ私たちがおフロに入ってもいいように、このひとたちはずっとお湯を供給していたのだ。

 そして今、ついにチカラ尽きてしまった。


 最後の灯火のごとく、作業員はひときわ大きな痙攣を起こして、動かなくなってしまった。


 この大きな建物で、生きている人間は私たちだけ。

 探索を打ち切り、自分たちの部屋に戻ることにした。


 何を話すでもなく、旅支度をする。

 アリアと私は着替え、エリスは手持品の整理だ。

 夢から醒めて、急に現実に引き戻されたような感覚で、服に袖を通す。

 厨房から持ってきた鍋と食器を革袋に入れて、早々に準備が終わった。


 案内はなく、見送りもない。

 階段で一階に下りて、そのまま受付を通り過ぎる。

 宿から出ると、いかにも平和そうな街並みが広がっていた。


 宿屋の人間が全滅しているのなら、他はどうなっているのだろう。

 確かめに行くことはしないが、少し疑問に思う。

 それに応えるかのように、宿の向かいの露店から、ひとりの人間が現れた。


「おはようございます! 今日も清々しい朝ですね! あれ、宿の人間はどうしたんですか!? お見送りがいないですよ! もしかしてサボっているんでしょうか! いけませんねえ! お灸を据えて来ないといけないですねえ! 少し待っていてください!」


 女商人が出てきたかと思うと、一方的にまくしたてるようにして、宿の中に入ってしまった。

 勢いよく話す割には、歩く姿が非常にゆっくり。

 猫背になりながらフラフラしていた。


 このまま領主の屋敷に向かってもいいが、一応、女商人が帰ってくるのを待つ。

 その間に通りを眺めていると、昨日ノーザンスティックス領の復興に行かなかったひとたちが、ちらちらと露店を開いている。

 宿の人間は全滅していたけど、街の人間が全滅しているワケではない様子。


「お待たせしましたあ! 宿の者は今度から気をつけると言っていましたので、本日はどうかお許しください!」


 女商人が戻ってくると同時に、至近距離で大声を出される。

 耳が痛い一方で、宿の中には生きているひとがいたかな、と引っかかりを覚える。


「ふふっ」


 商人を見てアリアが笑っている。

 何か良からぬことを考えていそうな含みがある。

 昔は私の前だとあんなじゃなかったのに、今では隠そうともしない。


「どうしたのアリア?」

「リルちゃん、よく見ていてね。街が、人が、こわれていくところ」


 そういうアリアは、寂しげな表情を私に向ける。

 アリアの心の動きがまったく理解できなかった。


「……少なくとも、あの商人はもう、長くないね」


 エリスは商人に対して軽蔑の眼差しを向ける。

 ほぼ暴言を投げかけられた女商人は、聞こえていない様子でニコニコ、ニコニコ。

 その目には赤い血管が浮き出ていて、目の下は青い隈が刻み込まれている。

 息遣いは荒く、頰が紅潮して、視点がひとつに定まっていない。


「さあ! それではみなさん! 今日ご紹介するのは、役所でございます! 領主様の屋敷に隣接していまして、領主様を間近に感じられる、素晴らしい職場です!」


 女商人は露店の倉庫から荷馬車を引き出して、私たちに乗るように促す。

 領主の屋敷に向かうのなら丁度いいので、大人しく従うことに。

 ただ、商人の挙動が危ういのはもちろん、馬車馬の様子も危うい。

 ヒヅメの音が不規則になっていて、おウマさんもフラフラだ。


 こんな馬車に乗って大丈夫かな?


「さあ乗ってください!」


 女商人の剣幕に押されてしぶしぶ乗ることに。

 まあ、街中であれば崖から飛び降りて全滅、なんて事故はないだろう。


 私たちが馬車に乗り込むと、御者台に乗った商人が思いっきりムチを叩く。

 ウマがびっくりして急発進。

 私たちもびっくりだ。


「リルフィ様をお待たせしたらだめです! もっと速く! ほら!」


 昨日までの商人とは別人のように、興奮してウマにムチをいれ続ける。

 そんなに叩いても速度は上がらないのに、ずっとやっていた。


 荷台が露店のひとつにぶつかって、大きく揺れる。

 それに乗じて、わざとらしく姿勢を崩したアリアが私の胸に顔を突っ込んできた。


「なんてひどい運転なの!」


 耳を真っ赤にさせたアリアが抗議する。

 背中に手を回してきて密着し、アリアは深呼吸を繰り返していた。

 よかった、いつも通りのアリアだ。


「……あー揺れすぎて転んでしまうー」


 アリアの隣にいたエリスが、明らかに揺れとは無関係な方向に転がって、それから私の方に帰ってくる。

 その勢いで私からアリアを引き剥がそうとしたが、完全にくっついていて取れない。


 エリスはめげずにアリアの足を持って後ろに引くが、アリアと一緒に私まで引っ張られる。

 その時もう一度馬車が揺れて、私たちは前方に吹っ飛んだ。


「いったー、アタマぶつけた」

「なおしてあげる」


 ぶつけたところをさすっていると、アリアがすぐに回復魔法をかけてくれたから、痛みはすぐに引いた。

 ひときわ大きな揺れの原因を探ってみると、馬車が止まっていることに気づく。

 急停止したらしい。


 エリスは真っ逆さまに倒れていて、フリルいっぱいのドレスがめくれ、黒タイツに包まれたおみ足が露出している。


 私は馬車を降りて、外の様子をみることにした。

 目前には領主の屋敷の外塀がそびえ立っている。

 馬車馬は横たわっていて、頭部から血が出ていた。

 その血は塀にもついていることから、勢いを殺しきれずに激突したと推測。

 馬車馬の胸部が大きく動き、死の兆候を見せる。


 女商人はその傍に立って、笑っていた。


「リルフィ様、着きました……! ここが役所です!」


 指差す先は、ウマの血がついた塀。

 役所らしき扉はどこにもない。


「あれ、おかしいですね、開きません」


 商人が頑張って塀を押しているが、そこが隠し扉ということもなく、何も起きなかった。

 そうしていると、アリアとエリスも馬車から降りてきて、私の後ろに立った。


「あれ、どうしてっ! 役所が閉まっているのでしょうか! リルフィ様申し訳ございません! すぐに、すぐに入れるようにしますから!」


 女商人は必死になって、何もない塀を叩く。

 次第に塀の血痕に商人のものが混じる。

 それでも女商人はそこが開くと信じて、石の壁を叩き続ける。


「リルフィ様がいらっしゃいました! 開けてください! 開けないと領主様に報告しますよ!」


 このまま続けていてもラチがあかないので、私は商人の腕を持ってやめさせた。


「……幻覚でも見ているのかな」


 女商人の目の前で手を振るエリス。

 それには反応せず、商人はブツブツとひとりごとを言っている。

 見ていられなくなって、私は屋敷の入り口を探した。


「早く領主の屋敷に行こう」


 この街の人間がおかしくなっているのはわかっている。

 そして今はどうすることもできない。

 アリアによると、この呪いの効果はあくまでもアタマの中で声がするだけ。

 まだ正気が残っていれば、痛みでその声をおさえつけ、元に戻すことができただろう。


 しかし、商人は声に負けてしまい、錯乱状態に陥っている。

 完全に壊れたこの状態では、手の施しようがない。

 呪いを解いても治るかわからないのだ。


 だから私たちは、商人がかわいそうだからという理由ではなく、私利私欲のために動き出す。

 商人はもう助からない。

 私たちが幸せになるために、王の遺産を手に入れる。


 少し歩けば正門につくだろう。

 女商人を放置して移動しようとすると、女商人もついてきた。

 私たちの付き添いをするという義務感から、無意識に動いている状態だ。


 予想通り、ほんの少し歩くと入り口が見つかった。

 領主の屋敷の門は、何者かによって破壊されていた。

 鉄で作られた重厚な門は、奥に向かって倒れている。

 権威を主張するためか、ムダに大きい鉄の門は、重くて動かせないのだろう。


 遠慮なく鉄の扉の上を踏み歩き、領主の屋敷の敷地に侵入した。

 4人で堂々と歩いているのにもかかわらず、警備の兵は出てこない。

 兵士もみんな、チカラ尽きてしまったのだろう。


 道なりに進んで領主の屋敷に到着。

 建物の中からはひとが生活している音が聞こえない。

 門を破壊した犯人が中にいる可能性を考え、アリアとエリスをこの場に残し、私だけ最初に入ることにした。


 そっと、音を立てずに扉を開け、中の様子を見る。

 すぐ近くには誰もいないことを確認し、一気に扉を開けてエントランスの奥まで踏み込む。

 斬りかかってくる者はいないし、魔法も飛んでこない。

 安全だと判断し、アリアとエリスに入ってくるように手招き。

 ふたりは急ぎ足でここまで来てくれるが、女商人はよろよろと何かを喋りながら遅れて来た。


「グロサルト領は……ここ最近の納税額が他の領を圧倒しています……それは領主様の役人の労働力の頑張りの努力の……見てください……あの役人は……7日寝ないで働いて立派で……」


 宙空を指差しながら、私たちに案内をしているつもりの女商人。

 残念ながらここは役所ではなく領主の屋敷で、周りに人間はいないのだ。


 商人は放っておいて、領主の探索を始めることに。

 ひとの気配がないのだけど、この建物にいるのかな。

 もう死んじゃったかな。


「エリスは王の遺産の場所、分からないの?」


 魔剣の数ある便利機能の中に、遺産探知能力が備わっていればいいのに。

 そうすれば、領主のいるところまで直行できる。


「……分かるけど、この街にあるな、ってくらいだよ。具体的な場所までは無理だね」

「そっかあ」


 部屋をひとつひとつ調べないといけないようだ。

 そこまで大きな屋敷でもないから、それでも時間はかからないと思う。

 万が一、隠し扉があったら厄介だ。


 とにかく、まずは見えるところを探索しよう。

 偉いひとは大抵高いところにいるから、2階から探索することにした。

 さらに、偉いひとは一番奥の部屋で仕事をしているイメージがあるから、そこから見てみることに決めた。


 廊下の突き当たりに、いかにも書斎な雰囲気をかもし出す扉を発見。

 そこに耳を当てて、中の様子を探るが気配はない。

 中に入ってみても、死体があるワケでもない。

 早々に切り上げて、次の部屋に行くことにした。


「リルちゃん、魔法、使った方がいい?」


 ふたつ目の部屋に意識を向けると、アリアが肩を叩いてきた。

 魔法ってどういうことだろう。

 アリアの言葉の真意を考えていると、すぐに答えを教えてくれた。


「探知魔法」

「えぇえーなにそれ」


 あるなら最初に言って欲しかった。

 そんな魔法は学校の教科書に載っていないから、存在自体が初耳だ。

 探知魔法が使えれば今までの旅も楽になっていたんじゃない?


「最近覚えたの」

「そうなんだ」


 アリアは私とちがって魔法の才能に恵まれている。

 当然のように無詠唱で魔法を発動するし、威力も段違いだ。

 ついには自分で魔法を造ってしまうところまで行ってしまったのかもしれない。


「じゃあ、王の遺産……エリスと同じ匂いがするもの、探してくれる?」

「リルちゃん探知魔法はそういう使い方じゃないし、嗅がないよそんなくさいもの」

「……ボク、臭くない」


 ちょうど肩の位置にあるエリスのアタマを、試しに嗅いでみた。


「や、リルフィ、いきなり……!」

「……なんか、懐かしいにおい」


 エリスから抱きしめられた時の安心感は、このにおいがあるから。

 お母さんのにおいとは違って、もっと上位の、なんとも言い表せないもの。


「それは加齢臭だよ」

「……なっ!」


 アリアが的確にその正体を暴いた。

 そうか、加齢臭だったのか。


「ち、違うよリルフィ、ボクは魔力でできた存在だから歳を取らなくて加齢臭なんて……!」

「じゃあリルちゃん、この屋敷に人間がいるか、探知するよ」


 顔を真っ赤にして言い訳するエリスをさえぎって、アリアが魔法の準備を始めた。

 特定のモノを探す魔法ではなくて、範囲内の生き物の存在を網羅的に探す魔法のようだ。


「いや長年タンスにしまわれていたから、その時かな……? でも最近は外にいるし、もうにおいなんて」

「うるさい」


 あわてふためくエリスを、アリアが一喝する。

 最近のアリアはコワいのだ。

 怒りもするし、嫌がりもする。

 でも、雪国に行く前と後では、今の方が生き生きとしているように見えた。


「……リルフィ」


 しょんぼりするエリスに、静かにするようにジェスチャーして、アリアの様子を見守る。

 アリアが目をつむって念じていると、魔力の波が私の顔にかかってきた。

 心臓の鼓動に合わせるように、気分が悪くなっていく。

 吐くほどではないけど、空気が重い感覚がある。


 これだと、敵の場所が把握できる反面、私たちの居場所も知られてしまうのでは?

 でも、ほとんどの貴族は魔力が流れる感覚を知らない。

 生まれた時からあるものだから、普通に生活していると気づかないのだ。


「おわったよ」


 魔法を使う民族のクセに魔力のことを何も知らないなあ、と感心していると、アリアから終了のお知らせが届く。


「どうだった?」

「すぐそこの部屋にいるみたい。意外とちかかったね」


 アリアの示すのは、ここから3個隣の扉。

 書斎の重厚な扉と違って、白塗りに金色の縁取りがなされた扉は、趣味全開な感じ。

 あの悪趣味な主張は領主の居室だと、すぐに分かった。


 生唾を飲み込む。

 ついに、2つ目の王の遺産が手に入るのだ。


 魔剣エリスフィアを得た時は、辛い思いをした。

 今回だって、一筋縄では行かないだろう。


 エリスフィアは所有者を殺害衝動に駆り立てる呪い。

 新たな遺産は他者を操るような呪い。


 この遺産は、純粋な戦闘力とは関係ないところを攻めてくるのだろう。

 暴力ではなく、精神的な要素が関わってくる。


 私とエリスは呪いにかからないが、アリアは普通に被害を受けるのだ。

 呪いの効果は街全体に広がっているから、逃げても隠れてもムダ。

 それに、王の遺産に狂わされた領主は、まだ本気を出していないのかもしれない。


 正直なところ、現時点で敵の情報は、わからないことだらけだ。

 ここで考えても、対策なんてできない。

 ぶっつけ本番で、勝利しないといけないのだ。


 アリアとエリスに目配せをして、心の準備ができているか確かめる。

 問題はなさそうだ。

 私は白い扉の前に立って、深呼吸をして、自分の決意も固める。


 さあ、終わらせよう——。

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