終末へと着々と
4日目。
今日も高級宿で迎える朝。
いつの間にか料理当番がエリスに移っていて、朝食と夕食の時間は部屋にいない。
宿の料理を完全に覚えたエリスは、宿のひとが作ったものと遜色ないものを持ってくる。
いや、それ以上か。
腕をあげたな……!
そんなこんなで、私が目覚めた時にはエリスは厨房に行っていて、もうすぐ朝ごはん。
それまでの時間を、日課の朝風呂に入ってつぶすことに。
アリアはちゃんと息をして眠っていて、寝返りまでしているので、ひとまず安心。
起こさないようにしてベッドを抜け出す。
おフロから出てきてもまだ寝ているようだったら起こそう。
ベッドルームからリビングに入り、リビングからリビングその2へ向かう。
この部屋はバルコニーまで吹き抜けになっていて、朝日がきりりと差し込んできた。
体が目覚めていく感覚。
そこで私は全裸になり、バルコニーへ出た。
腰に手を当てて、昇っていく日を眺める。
開放的だ。
しばらくして満足したら、いざおフロへ。
最初は熱いと思っていたお湯の温度も、体が慣れてくればいきなり入っても大丈夫だ。
ひとりだから何をしても自由。
思い切って、お湯の中に飛び込んでみた。
「んぅん!? っつめたい!!」
そこは予想していた熱さとは正反対の温度。
変な声が出るとともに、心臓が止まりそうになり、急いで外に出る。
自信を持って飛び込んだのに、裏切られた気分だ。
「ひぃぃぃぃ」
濡れた体が風に当てられてもっと寒くなる。
おかしい。
どうしてお湯が入っていないんだ。
鳥肌のたった腕をさすりつつ、まずは体を拭いて服を着る。
ローブにくるまってあたたかくなってきてから、お湯が通るラインを調べることにした。
街の外の水堀を汲みあげる管は、バルコニーのすぐ下の階に繋がっている。
おそらく一旦水を下階に通し、お湯を作っているのだろう。
下階からここに通ってくる管を触ってみると、冷たい。
そこから流れてくる液体も、もちろん冷たいままだった。
ただの水だ。
つまり現状、ここはおフロではなく池。
入らず、眺めて楽しむもの。
宿側の粋なはからいである。
そういう解釈でいいんですか?
悲しくなった私は、入浴をあきらめて寝室に戻る。
アリアにあたためてもらおう。
「……あ、リルちゃん、おはよう」
すでにアリアは体を起こしていて、挨拶と同時にベッドを下りてしまった。
「顔あらってくる」
ボサボサ髪のアリアは、目をこすりながら私の横を通り抜け、バルコニーの方へと向かって行った。
体をあたためたかった私は、まだ温もりが残っているベッドに入って、毛布をかぶる。
しばらく経ってから気づく。
そうだ、おフロが水になっていたことをアリアに伝え忘れていた。
もう一度ベッドを下りて、バルコニーに逆戻り。
すでに手遅れだろうけど、とりあえずアリアの様子を見に行くことにした。
バルコニーに通じる部屋の扉を開けて、中を覗き込んでみる。
「……ん?」
アリアはちゃんとそこにいた。
手には護身用の短剣が握られていて、アリアの視線はその切っ先に向かっている。
それをどうするのかと、様子を見ていると。
不意に、アリアは自分の腕に短剣を突き立てた。
「——っ!!」
はあ!?
え、どうして?
真っ先に生まれた疑問は、アリアの腕から垂れる鮮血にかき消される。
声にならない悲鳴をあげて、アリアはひとり、痛みに耐えていた。
「アリア、何やってるの!!」
「リ、リルちゃん……!」
自傷行為に走るアリアの元に駆け寄り、腕をあげさせて血の勢いを緩めようとする。
「治れ! 治れ治れ治れ!」
詠唱を省略した回復魔法を、アリアの腕になんどもかけてやる。
傷は深い。
刃が骨に当たるほど、思いっきり刺し込んだような穴が空いていた。
回復魔法の効果で止血し、傷がふさがって行く時、赤い肉と、その先の白いモノが一瞬見えたのだ。
「ちょっとアリア! なんでよ!」
アリアは申し訳なさそうに、私から目をそらした。
言葉を選んでいるのか、苦笑いでごまかしている。
「……リルちゃんは、大丈夫なの?」
「何が!」
話をそらそうとするアリアの顔を掴んで、こっちを向かせる。
「頭、いたくない? 急に何かがしたいとか、思ったことない?」
私のことはどうでもいいから、アリアのことを話してよ!
そう言おうとしたところで、アリアの赤い瞳がまっすぐこちらに向いていて、気圧される。
素直に答えないと話が進まないようだ。
「頭はイタくないけど、実は今日、領主の屋敷に乗り込みたく思います……」
「リルちゃん!」
アリアが私の手を振り払って、急に体重を掛けられる。
私は後ろに倒れ込んで、くるっと一回転させられ。
アリアに組み伏せられてしまった。
形勢は一気に逆転。
「イタいイタいイタい!」
「ちょっと、チクってするから、ごめんね、ごめんねリルちゃん!」
視界に入るアリアの影。
私に馬乗りになったアリアが、短剣を逆手に持って、私の背中に突き刺そうとするシルエットが……!
「……気でも狂ったのか! アリアっ!」
幸運にも、ちょうど部屋に戻ってきたエリス。
私がアリアを止めたみたいに、エリスが走ってきてアリアに体当たりをした。
私にしか注意がいっていなかったアリアは、向かってくるエリスを避けることができずに、突き飛ばされた。
「……リルフィ、無事かい?」
「な、なんとか……」
ついこの前まで動かなかったアリアが、あんなにも機敏に動いていたから、ちょっと嬉しかった。
という言葉は心の中にしまっておく。
すぐに起き上がって、もう一度アリアに襲われても、しっかり受け止められるように身構えておいた。
「邪魔しないで! リルちゃんが、呪いにかかってるの!」
「な、なんだってー!?」
衝撃の事実に、呪いを掛けられている
「え、それって、どんな呪い……?」
「リルちゃんも見てきたでしょ? この街の人間を」
そう言われてパッと思いつくのは、牧場のひととか、ギルドのひととか、よく働いているひとたちの光景。
それが呪い?
「頭の中で、声が聞こえるの。働け、幸せになれるぞって。それでちゃんと働くと、褒めてくれるの」
「そんなの聞こえないよ」
ずいぶんと優しい呪いだ。
ちゃんとやれば褒めてくれるのは嬉しい。
実際に受けてないから言えるのかもしれないが、私も褒められたい。
「頭の中の声は、ずっと、ずっと、起きている間はもちろん、寝てる間も、夢にまで出てきて、働けって。だんだん寝ているのか起きているのかわからなくなって、体が勝手に動くようになるの」
その結果が、グロサルト領の人々。
アタマの中で声がするのは、精神を侵されているのと同じことだ。
冒険者ギルドで感じた気持ち悪さは、この呪いのせいでおかしくなった冒険者を見たからか。
この街の人々が、みんなその呪いにかかっているとするなら、一大事だ。
今のところ私には実害がない。
しかし、街中の人々をおかしくするような、強大な術を使う者がいる、という事実が危険極まりない。
「精神干渉は、叩けば治る……」
短剣を握ったままのアリアを見て、思い出す。
ついこの間まで歩いていた、『屍の山』でのこと。
あそこは精神干渉とは違って、魔力が枯渇する副作用で錯乱するのだけど、だいたい同じことだ。
アタマがおかしくなったひとは、狂ったままでいられないほどの痛みで上書きすると治る。
アリアが本当に精神干渉を受けているならば。
正気に戻ったのはおそらく、この街の牧場を見学した時、うさぎに蹴られたことがきっかけだろう。
「だから、自分を刺していたの……?」
その後は、アリアに降りかかる呪いを痛みで上塗りして、ムリヤリ正気を保っていたのだ。
その考えに行き着くことが正気じゃないけど、さすがはアリアさんだ。
「……だからって、説明もなしにリルフィを傷つけるのはやめてよ」
エリスが私の前に立って、アリアに抗議する。
でもそれは、アリアのことを思うとあまりにもかわいそう。
「ごめんね、リルちゃん、呪いがかかっていたら、きっと暴れちゃうかと思って」
頭の中の声が絶対的に正しいと思い込んでいる中で、それを止めようとするひとは敵だ。
アタマがおかしいひとに、おかしいと言ったら怒るのと一緒。
私が呪いを受けていたら、アリアに何を言われても反発していただろう。
だからアリアは、自身に降りかかる呪いを私たちに報告できず、ひとり戦っていたのだ。
「リルちゃんごめんね、ごめんね」
優しいアリアは、自分が正しいことをしたのにもかかわらず、鈍感な私に謝ってくる。
私に触れようと、中腰で迫ってくるのだけど、エリスがそれを阻止した。
代わりにエリスのフリフリドレスが視界いっぱいまで接近してきて、抱きしめられた。
「……安心して、リルフィ。ボクがついてる。ごはんでも食べて、落ち着こう」
エリスに抱かれると、否応なしに心が落ち着いてくる。
アリアと一緒にいる時の落ち着き方とは違って、熱いものを急激に冷ますような感覚。
これも一種の精神干渉かもしれない。
魔剣エリスフィアの能力だ。
「ん? 精神干渉?」
エリスの胸の中で、気づく。
精神干渉といえば、もう一つあった。
契約していない状態で魔剣エリスフィアを持つと、狂ってしまう現象だ。
魔剣エリスフィアは「王の遺産」であり、契約者以外が装備すると悪影響を及ぼす。
他の装備を触った時も、同じことが起こるんじゃないか?
街を覆うほどの呪い。
今回の事件の原因が、王の遺産だとすると。
その装備はすでに使われていて、かつ暴走している……?
「領主の所に、行かないと」
王の遺産はエルフィード王国が領主に管理するように命じている。
所有者は領主しか考えられない。
にもかかわらず王の遺産が使われているとなると、領主は最初から王の遺産を持っていたのに、知らないフリをしていたのだ。
何かを企んでいるんだ。
早くケリをつけないと、痛い目を見ることになる。
「そういえば、エリスも働きたいって言ってるけど……」
呪いを受けたひとは、最悪、領主のいうことをなんでも聞く操り人形になっているかもしれない。
そう思った瞬間、私は飛び起きて後ろに下がり、エリスから距離をとった。
「……いや、ボクのは素だよ」
おかしいひとはみんな、自分のことを正常だと思い込んでいる。
信じてはいけない。
「……ボク、魔法は効かないし」
「あ、確かに」
魔剣エリスフィアは、魔法を打ち消す能力を持っている。
それは魔剣本体にも、エリス自身にも搭載されているのだ。
……でも、この精神干渉は魔法なのか?
魔法じゃなかったら、エリスにも影響する可能性がある。
「リルちゃん、エリスは、もうだめかも」
「そうだったのか……」
呪いの実体験者であるアリアの言葉なら、間違いはない。
エリスは完全に領主の手下になってしまったのか。
「……このボクが、同じ『王の遺産』の暴走に巻き込まれると思う?」
「それも一理ある……」
エリスのお仲間のことは、エリスが一番よく知っているハズだ。
私たちがあれこれ考えたって、及ばないことがあるだろう。
それに、エリスは人間じゃなくて精霊で、精神干渉なんて効かない存在なのだ。
「よし」
アリアとエリスの顔を見回し。
どちらもいつも通り。
「とりあえずごはん食べよう」
「さんせーい」
「……やれやれ、アリアが余計なこと言ったから」
みんな正常で、みんなおかしい。
考えるだけ時間の無駄。
そう結論づけると、張り詰めた緊張感が一気に崩れた。
演劇が終わった後の役者のように、みんなで仲良く部屋の中に戻った。
・・・・・・・・・・・
一見、平和的に問題が解決したように思えたが、何も解決していない。
私が食卓につくと、エリスがせっせと料理を運んできた。
昨日までは給仕も一緒だったけど、今回は完全にエリスひとり。
宿の献立を真似ているものだから、品数が多い。
エリスは一階の厨房とこの部屋の食卓をなんども行ったり来たりしている。
トテトテと階段を上る音を聞いていると、大変そうなので手伝うことにした。
「……いや、リルフィは、座って待っていて」
と、エリスに言われるが、構わず厨房に向かって行った。
私が先に行くと、エリスは渋々といった様子でついてきた。
さらにその後ろにはアリアもいて、みんなで地上階に下りて食堂へ向かった。
もうこっちの食堂で始めちゃった方が早いんじゃないかと思うところだ。
妙に静かな食堂を進み、厨房に入る。
いい匂いが空腹感を刺激する。
きっとそこには、色とりどりの料理が並べられているのだろう、と期待していると。
「おお……?」
コック服を着た料理人が、5人。
給仕服のひとが、3人。
その他従業員が、6人。
全員床に倒れていた。
「……ああ、つまづくといけないから、すぐにどけるよ」
エリスは何の感情もなく、倒れたひとをまたいで、通路の脇へ転がす。
ごろりと転がった料理人の表情は、この上ない喜びに満ちていた。
しかし、顔は青白く、人間らしい動きもなく、息をしていない。
ふたり目も同じ。
エリスが動かすたびに、それらが死体であることがハッキリする。
「……ボクが今朝ここにきた時には、もうこんな状態だったよ」
最後の一体を厨房の奥に追いやると、エリスが口を開いた。
「……ああ、死体はまだ固まっていないから、まだ腐ってないと思う。朝ごはん、食べてくれる?」
生き物の体は、命を失ってから数時間すると、肉が固まって動かなくなってしまう。
狩りで仕留めた魔物を、調理するまで放っておいた時によく見られる現象だ。
どうやら人間の体も同じような仕組みらしく、肉が固まっていないのはついさっきまで生きていたことを意味する。
死体が腐っていなければ、衛生的に食事を作るのには問題ない。
だからエリスは死体の処理よりも、朝食を作ることを優先したのだろう。
朝食の時間を遅らせないように。
「……自分の仕事を放棄するなんて、最低だよね。ボクは絶対にそんなことはしないから、安心していて」
横たわる死体に向かって、エリスは軽蔑の視線を送った。
エリスは仕事で手を抜くことを許さない。
それがエリスの存在意義であるかのように。
「リルちゃん気をつけて。やっぱりエリスは、呪われてるよ」
「……あのさ、アリア。このボクが、呪われなければ仕事ができないなんて、無責任な言い訳をするとでも?」
エリスが壁にかかった包丁を手に取り、刃のついていない背側を撫でる。
「……ボクはリルフィのためなら何でもする。この人間たちは、覚悟が足りないんだ。だから死んでしまう。ボクがいなかったらリルフィがお腹を空かせてしまうだろう。考えなくてもわかることなのに、この人間たちは気づかないんだ。分かっていたら、死んでなんかいられないはずだろう。この、怠け者め」
エリスがその場にしゃがんだ。
死体の胸に、包丁を落とす。
「怠け者、怠け者、怠け者」
包丁を上げては落とし、上げては落とし。
無数の穴が開けられた料理人の胸から、赤い液体がこぼれ出す。
「ボクの仕事を奪っておいて、中途半端で投げ出すなんて。大嫌いだよ、こういうの」
厨房内に響くのは肉を突き刺す音だけに。
言葉だと何の変哲もないけれど、突き刺している肉は人間の肉。
その目的は料理じゃない。
自分の服を汚さず、料理に液体が入らないように。
仕事を奪った人間たちに、エリスは静かな復讐を遂げていた。
ひたすら包丁を抜き刺しする姿は、まるでそういう動きしかできないように作られた人形だ。
エリスは呪われているんじゃなくて、最初から狂っていたんだ。
普通の人間が精神干渉を受けて到達できる所に、エリスは自力でたどり着いた。
たったそれだけのこと。
「もういいよ、エリス。朝ごはんにしようよ」
「……うん。リルフィがそう言うなら」
エリスをなだめるやりとりがコレ。
私も私で、もう後戻りができない所にいるんだと思った。
人間の死体を目にして、これから食事を始めようなんて、普通は言わないだろう。
エリスが包丁を洗っている後ろで、私はお皿を運び出す。
アリアもまったく気にしていない様子で、私の後ろをついてくる。
死体がなければ何の変哲のない日常の風景。
腐敗臭がしていれば、さすがに食欲がなくなっていたかもしれない。
でもエリスの言った通り、死体まだ腐っていないから大丈夫。
亡骸を前にした時の感情がこの程度になってくると、もはや生き死にの感覚がよく分からなくなってくる。
もし私が動かなくなったら、アリアに何も思われなくなってしまうのだろうか。
それはとても恐ろしいことだ。
私が死んでしまうことがあれば、アリアも一緒に……。
そうすれば、アリアと私の日常は永遠に保証される。
我ながらいいアイデアだと思った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます