愛は魔力に乗って

 アリアとエリス、私。

 アリアの意識は戻っていないが、3人で「屍の山」を降りていく。

 障害物のなかった景色に、だんだん木々が現れるのと合わせて、魔力も濃くなる。


 記憶を取り戻したと主張するエリスは、前と比べて表情豊かになった気がする。

 アリアの邪魔が入らないからかもしれない。


 生き生きとしたエリスは、私がのんびり進んでいる周りで、忙しそうに山菜を集めている。

 料理をするんだ、と興奮ぎみに語るエリス。


 植物が育つのには十分な魔力が存在するが、魔物が住むにはまだ厳しい環境らしく、動くものの気配はない。

 魔剣による身体強化の効能も、まだまだ弱い感じ。

 気持ち悪さの方が勝っている。


 しかし、1時間も2時間も歩いていると、山の傾斜が緩やかになってきて、すっかりエルフィードの空気になってしまった。

 そこで今日は、エルフィード人がニッコリの環境で夜を明かすことに。

 エリスと一緒に火を起こし、簡単な野営地を作った。


 倒木に腰掛けて考える。

 あれから数ヶ月か、一年か。

 数え切れないほどの日数を向こうの国で過ごして、今のエルフィードの情勢はどうなっているのだろう。

 人々が私たちのことを忘れ、手配書がなくなっていれば、これから動きやすくなるだろう。

 手配書がまだ残っていれば、これからも隠れながら移動しないといけない。


 だから人里に近づく前、誰も立ち寄らないダンジョンの中にいるうちに野宿。

 山越えで失った体力を癒してから、先に進むのだ。


「えー……と、なんだっけ、魔法の詠唱」


 溜まってきた魔力を使って、とりあえず水魔法で飲み水とか水浴び用の生活水を生成しようと思ったが、肝心の詠唱がパッと出てこない。

 長い間使わなかった知識が、いつの間にか消滅してしまった。

 こんな時、アリアなら無詠唱で出しちゃうんだけどなあ。


「水よ、リルフィの名の下に……そのあとがわからない。エリスは覚えてる?」

「……リルフィの好きなように、カッコいいこと言えばいいんじゃないかな」


 知っているけど教えない、という表情のエリス。

 答えを教えてよ。


「水よ、リルフィの名の下に、……そのミタマを現世にあらわせっ」


 ……。

 エリスに言われた通り、なんかカッコいいことを言ってみた。

 しかし、何も起こらなかった。


 エリスの生暖かい視線を浴びながら、めげずにもう一度。

 今度はしっかりイメージをする。

 そういうのが大事だったような。


「水よ、リルフィの名の下に、出ろー」


 念じながら、魔剣を使って彫った木の器に、手をかざす。

 前と違って、自分の中から魔力が出たり入ったりしたせいで、体の中のどこに魔力が流れているか、だいたいの感覚をつかんでいた。

 それを、体の外へ誘導してやるのと同時に、水になるようにひたすら祈る。


「出ろ出ろー」

「……それは、リルフィ、カッコわるいよ」


 エリスの批判をよそに無心で念じた結果、手のひらのすぐ先に、水のカタマリが出現した。

 それを水源として、木の器にちょろちょろと水が溜まっていく。


「やった」


 してやったりという顔でエリスをにらみつけてやる。

 記憶にあるような水の魔法とは勢いが違うけど、適当な詠唱で水を出したのは事実だ。

 カッコいい詠唱なんていらない。


 エリスと目が合うと、悔しがるどころか、顔を赤らめてこっちにくる。

 そして背後に回り込み、抱きついてきた。


「……えらい、えらい。久しぶりの魔法なのによくできたね」


 さっきまであおってきたひとが言うと、バカにされているような。

 しかし、エリスの謎の包容力によって、そのようなイヤみはかき消されていた。

 単純に安心する。

 ほめられてとてもうれしい。


「……じゃあ、リルフィの出してくれた水で、美味しいご飯を作るからね」


 エリスが離れると、寂しい気分になる。

 魔法を使わず、原始的な方法で起こした火の元で、エリスは調理をはじめてしまった。




 寂しさを紛らわすように、アリアを担いでキャンプの周りを少し探検することにした。

 山の麓が見渡せる出っ張りを見つけて、そこに腰掛ける。

 アリアを隣に置いて、私の体に寄りかからせる。


「……エルフィードに帰ってきたんだなぁ」


 見渡すかぎりの大自然に、ここにきてから何回目かの感慨に浸る。

 白い大地に慣れたせいで、緑鮮やかな光景に目がチカチカする。


「あれ、ノーザンスティックス領じゃない?」


 遠くの原っぱに真っ黒な物体が何個も横たわっている。

 それはエルフィード軍に焼き討ちにされた私の故郷だろう。

 黒焦げのまんま放置されているとなると、領民が全滅し、復興がなされないのだと思った。


 なんてひどいのだろう、と他人事のような感想をもつ。

 隣のアリア王女さまにもどう思うか聞いてみる。


「私の生まれ育った場所、エルフィード軍に滅ぼされちゃったみたいだよ? エルフィード王女のアリアさま?」


 意識がないからって、イジワルな聞き方をする。

 起きているアリアに同じことを言って、困らせてみてもおもしろそう。


「アリア、起きないの?」


 力なくもたれ込んでいるアリアの肩に手を回し、密着して体温を確認する。

 あたたかいのは生きている証拠。


 前みたいに、返事がない前提で話しかけているんじゃない。

 もうエルフィードに着いたのだから、起きてもおかしくないのだ。

 だからアリアには、私の期待に答える義務がある。


「アリア、起きてよ」


 アリアの顔をこっちに向けさせて、わずかな動きでも見逃さないように凝視する。

 実はもう起きていて、私をからかっているんじゃないか。


 まぶたをこじ開けてみると、瞳は上を向いていた。

 鼻をつまんでやると、口で呼吸を始めた。

 それ以外に、動きはない。


「しぶといね」


 私を見て、名前を呼んで欲しい。

 わずかに開かれた唇を、自分の唇で塞いでやった。


 息を吹き込んで、アリアの中を巡ってきた空気を吸い込む。

 それをもう一度アリアに送り込んで、再び私が回収する。

 吐いて、吸って、吐いて、吸って。


 私とアリアの中だけで交わされる空気。

 次第に、呼吸をしても息苦しくなる。

 アリアも一緒だろう。


 それでもやめない。

 苦しかったら、アリアが私を押しのけて、新鮮な空気を求めればいいのだ。

 やれるものならやってみろ。


 新鮮な空気を求めて、自分の呼吸が早くなっていく。

 いくらそうしたって、私とアリアの口が密着している限り、苦しさから解放されることはない。

 それでも私の体は、呼吸を取り戻そうと必死に抵抗してきた。

 心臓の鼓動が早くなって、呼吸以外の力が抜け、全ての集中が息を吸うことに向かっていく。


 アリアだって、苦しいハズだ。

 はやく、はやく。


 アリアは動かない。


「————っ」


 数十秒の短い時間で、私の方が根負けしてしまった。

 世界が回る。

 姿勢を維持できなくなって、後ろに倒れ込んだ。

 支えを失ったアリアも、同じように転がる。


 大きくひと呼吸。

 体が喜んでいる。

 そのままぼーっと、雲が流れる様子を眺めることにした。


 すぐ近くからただよってくる食べ物の匂い。

 エリスが煮ている山菜が、だいぶいい感じに仕上がっているようだ。


「起きないと、アリアの分も食べちゃうよ」


 アリアが動き出すと信じて、あきらめずに声をかけ続ける。

 どうすれば目覚めるのだろうか。


 考えていると、いいことを思いついた。

 魔力が足りないと言うのなら、私の魔力を渡すことはできないのだろうか。


 そんなことができるとは聞いたことがないけど、実際にエリスは私の魔力を吸ってくるのだ。

 同じことが人間同士でもできるかもしれない。


 試しにアリアの手を握って、さっき水魔法を使った時のように、体内の魔力を手の先へ流す。

 詠唱をしないせいで、魔法という現象になれず、手のひらでせき止められる魔力。

 それに、もっと圧をかけて体の外へ発射するイメージ。


 握った手が熱くなる。

 魔力が外に出たのかもしれない。

 しかし、それではまだ足りない。

 自分から魔力を出す感覚はあっても、今度はアリアの手の前で行き止まっている。

 アリアの中に流し込まないといけないのだ。


 今度のイメージは、針。

 鋭い針が私の腕を通り、手のひらを突き破って、アリアに刺さっていく。

 その針は筒状になっていて、中を魔力が通っていくのだ。

 イメージが固まってくると今度は、ツン、と冷たい感覚が、アリアと私の間に生まれる。


 そんな感覚が過ぎ去った途端。


「——んっ」


 エリスに吸われている時と、同じ。

 乾いた大地に流れ込む水のごとく、私の魔力が急激にアリアの方へ向かっている。

 一度道ができてしまえば、何もしなくとも、魔力はより広い場所を求めて移動するのだ。


 私の中をすごい勢いで駆け巡り、アリアへと向かう。

 魔力がいちいち私の五感を撫でていくせいで、痛いとも、くすぐったいとも言えない感覚におかされる。


 エリスの時とおなじやつ……!


「アリア、や、め……っ!」


 意識のないアリアが、私の言葉に反応するワケがない。

 このままだと魔力が全部、アリアの方に行ってしまう。


 ついさっき、エリスに魔力を吸われたばかりなのに!

 このままだと、アタマがおかしくなっちゃう!

 思いつきでやるんじゃなかった!


「……んっ、手、はなせないっ」


 体がこわばって、思った通りに動かない。

 思った通りとか言っても、そもそも考えることすらままならない状態。


「——ぁっ! アリアぁ!」


 魔力が抜けて、感情の制御が効かなくなる。

 アリアに、きもちよくしてもらっている。

 なんて幸せなんだろう!


「————っ!!」


 もうワケがわからない!

 目の前のひとがだれなのかもわからない!

 まえがみえない!


 魔力を出すのってさいこう——っ。




・・・・・・・・・・・




 ————。

 マズい、またどこかに行ってた。


 きっとまた、私の少ない魔力を得て、アタマがおかしい状態のアリアが私を襲ってきているのだろう。

 黒い影が覆いかぶさっているのは、うっすらと分かる。

 ぼやぼやの景色を映すばかりの目に、意識を集中。


「——アリア?」


 試しに名を呼んで、反応を待ってみる。

 目の前の影が揺れた気がした。


「……リル、ちゃん?」


 そして声。

 もう返事がないのに慣れてしまっていたから、私の名前が呼び返されて、幻聴かと思った。


 でも、回らない頭でよく考えて、もしかしたらという期待も合わさって、幻聴じゃないと確信する。


「リルちゃん、……リルちゃんっ!」


 再び呼ばれ、視界がいまだに戻らないことに苛だちを覚える。

 アリアのものと思われる声は、ところどころ掠れていて痛々しい。

 でも、体をふんわり包み込んでくるような音は、アリアのものとしか考えられない。


「ねぇ、起きて! わたし、だよ……!」


 突然、私の上に体重がかかってきた。

 黒い影が目の前からいなくなって、その代わりにアタマのすぐ横で風が起こる。

 しばらく体の上にあるものの重さを確かめていると、脇腹のあたりから背中へ、何かの物体が通った。


「…………アリアなの?」


 気だるさを乗り越えて、その正体を探る。

 すると、背中に回ったものが、私の胸部をしめつけてきた。


「そう、そうだよ。リルちゃん。わたし、うごけるようになったよ。リルちゃんのおかげ……!」


 そっと、唇の上にやわらかな感触。

 それがスイッチだったかのように、急に、景色が戻ってきた。




「……おかえりっ! リルちゃん!」




 艶やかな黒髪。

 赤い瞳。

 白い肌に、ほんのり染まった頰。


 アリアが、私を見ている。


「……おかえり、アリアっ」


 かろうじて、その言葉だけを返す。

 その先は、もう喉がつっかえて喋れなかった。


 だから、アリアがそうしているように、私もアリアの背に手を回して、思いっきり力を込めた。

 もうどこにも離れていかないように、アリアという人格をアリアという体に押し込む。

 涙が出ると、もっともっと腕に力がこもっていく。

 アリアも負けじと、私をしめつけてくる。


 そうして私たちは、暗くなるまで、ずっと抱き合っていた。



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